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2013年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年06月

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天国への地図(4)幕屋(三)パンの机[3]「裂かれたパン①至聖所に香壇」

1★十字架のライン

パンの机[3]「裂かれたパン①至聖所に香壇」
・・・聖書全編が語る「パンが裂かれる事の奥義」・・・



先週は「聖所」が「私たちがこの地上で歩む荒野」であるとの観点から
①荒野の試練は、体のパンだけでなく、心のパンを求める事を学ばせる為。
②心(霊魂)のパンは、「御言葉」である事。
③御言葉は、三位一体の神そのものであり、
④御言葉の本体であるイエス様が天から私たちのパンとして降りて来られた事を
見てきましたが・・・、

・・・本日からは、イエス様が天から「パン」として降って来ただけではなく、
なぜ天からのパンが十字架上で裂かれた意味を、
アブラハムの創世記15章での出来事を通して見て行きたいと思いますが
「裂かれたパン」は、聖書の根本に関する重要な真理なので、
何週かに分けて、詳しく説明をしてゆきたいと思います。







 ライン15
《1》「イエス様は裂かれる為に天から来たパン」 

531の1

イエス様の体が、十字架上で裂かれた象徴として、全ての被造物の肉を象徴するケルビムの描かれた神殿の垂幕が、真二つに裂かれました。

531の2

教会の基本である幕屋で見ると、旧約時代には、年に一度だけ大祭司がこの垂幕をくぐって至聖所に入り、契約の箱の上に血を垂らし、民と自分が知らずに犯した罪の為に贖罪の祈りをし、天から贖いの蓋のケルビムの間を通って来る神の御声を聞きました。

 517の2

tabernacle-priest-befor-the-ark.jpg

旧約時代は、①決められた日に、②決められた手順で、③大祭司しか至聖所に入る事は出来ず、このどれかに違反していると、至聖所に入ったとたんに死にました。特に、至聖所の契約の箱に、祭壇から携えて来た「いけにえの血」がなかったら、大祭司は即死です。

しかし、イエス様は年に一度ではなく、永遠の中で一度、モーセの幕屋でも神殿でもなく、モーセが魅せられてその通りに荒野で建設したオリジナルの天の幕屋に、十字架の血を携えて入り、永遠の贖いを果たしました。

ですから今、私たちはイエス様の血潮によって①肉の体が死んだら天国(至聖所)へ、生きている間は、②肉の思いと、その思いから出た言動を悔い改めてイエス様の血潮によって聖とされるのなら、礼拝に於いて天の御国の御座(至聖所の契約の箱)の前に座り込み、祈りと賛美をささげ、神と親しく語り合い、キリストの御体である命の木の実を食べ、天の御国の御座の下から流れて来る命の水の川から飲む事ができるのです。

★ヘブル10:19 私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所(至聖所)にはいることができるのです。10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。

ヘブル書9章の冒頭では、モーセの幕屋では聖所にあった三つの器具(①パンの机、②燭台、③香の壇)のうち③香の壇だけが、本来「契約の箱」しか存在していなかった「至聖所」の中にあります。

これを、ヘブル書の著者の勘違いだと仰る方もいます。しかし、聖書は聖霊によって記された誤りのなき神の言葉です。それに、現在の異邦人教会の神学者よりも、二千年近く前のユダヤ人の著者が、モーセの幕屋の構造を詳しく知らないわけがありません。

★ヘブル9:1 初めの契約にも礼拝の規定と地上の聖所とがありました。
9:2 幕屋が設けられ、その前部の所には、燭台と机と供えのパンがありました。聖所と呼ばれる所です。
9:3 また、第二の垂れ幕のうしろには、至聖所と呼ばれる幕屋が設けられ、
9:4 そこには金の香壇と、全面を金でおおわれた契約の箱があり、


このヘブル書が記されたのは、モーセの旧約(古い契約)時代」ではなく、イエス様の十字架と復活以後の「新約(新しい契約)時代」です。「モーセの幕屋」は・・・、「ソロモンの神殿」は・・・、十字架の三日間で「キリストの幕屋」となりました。

当然、「キリストの幕屋」には、至聖所への垂幕はなく聖所と一続きの礼拝堂となり、私たちが祈りの香の煙るを立ち上げる「香の壇」は、至聖所に入り、天の御座の真ん前に座り込んで、朝に夕に毎日、神と顔と顔を合わせて語り合う事ができるのです。

the-holy-place.jpg



十字架以降、私たちは全員「祭司」ですから。イエス様は私たち人間の罪を贖って、①神の子・神の民とする為、そして人間の祈りによって御国が推進されてゆくように、私たちを「祭司」とする為に、イエス様は十字架を選択しました。

★黙示録1:5 イエス・キリストは私たちを愛して、そのによって私たちを罪から解き放ち、 1:6 また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。

現在の私たちクリスチャンは全員祭司で、毎日の礼拝で、天の御座の前に座り込んで、真の礼拝を捧げる事ができるのです。そして毎日、天の父の愛する世界中の息子・娘たちが救われるように、とりなしの祈りを捧げる光栄な使命を果たす事ができます。イエス様がご自身を、私たちの為に裂いてくださったからです。

 062万民祭司ppt
※このイラストはMegu.N姉妹に著作権があります。お問い合わせは当ブログまで。

私たちは、イエス様の十字架の血により、神の子・神の民の身分だけで天国に入る事ができます。しかし、救われたからには民に留まらず、祭司として立候補し、この地上での生涯、神様に喜ばれる「聖なる祭司」として生きて行きましょう。

旧約の大祭司は、頭に青いリボンで「主への聖なる者」と掘られた金のプレートを頭の正面に固定し、神への献身を表明しました。

★出エジプト28:36 純金の札を作り、その上に印を彫るように、『主への聖なるもの』と彫り、28:37 これを青ひもにつけ、それをかぶり物につける。それはかぶり物の前面に来るようにしなければならない。







 ★花のライン17休憩
2013年6月7日(金)(コチラ)
裂かれたパン②「アブラハムが裂かなかったパン(肉)」 に続きます。
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天国への地図(4)幕屋(三)パンの机[2]「心の為のパン」

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パンの机[2]「心(霊魂)の為のパン」 
・・・私たちの霊魂が、神と共に永遠に生きる為のパン・・・


 今週も、天地創造の三日目(種のある食物・果物をつける樹)に相応している
幕屋の三番目の器具「パンの机」についての二回目です。

パンの机12
http://bibleencyclopedia.com/pictures/Exodus_25_
The_Table_of_Shewbread_inside_Tabernacle.htm 

 

先週は、私たち人間のこの世に於ける
体の命を支える為のパンを見て来ました。

本日は、私たちの心(霊魂)が神の命(ゾーエー)で輝き、
永遠に至る命の為に必要なパンについて考えてゆきたいと思います。

人は、体の餓えさえ満たされていれば、差し迫った問題はないように感じますが、
私たち人間が、心を満たす天からのパンを食べなければ単に肉の者であって、
死んだら土に帰ってしまう他の動植物となんの変わりもありません。

では、実際に食べる「心のパン」とは、何でしょうか?
そして、実際にはどのようにして、それを食べる事ができるのでしょうか? 



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ライン15
《1》信仰者の道の定番「荒野の試練」

出エジプトの荒野での飢餓の体験と、イエス様が荒野で断食中に受けた「サタンの試み」とは、多くの共通点があって、パターンにはまっています。

出エジプトの民は、紅海でモーセにつく洗礼を受けた後、御霊の柱に導かれて、荒野四十年間歩みました。この旅の道中、民は餓え乾いて不平不満を言い、神を試みました

イエス様もまた、ヨルダン川で謙ってバプテスマのヨハネに洗礼を受けた時に天から降って来た御霊に導かれて荒野に入り、四十日四十夜もの断食をした後、空腹のまま、サタンからの試みを受けました。

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そのパターンは・・・
川(海)⇒洗礼⇒御霊の導き⇒荒野⇒四十日or四十年⇒空腹⇒試み

荒野の民と、イエス様が違うのは、最後の試練に対する信仰の反応だけです。ここで重要なのは、救われて洗礼を受けた信仰者は、必ず御霊の導きで「試練と訓練の荒野」に入ると言う事です。

神様が、私たちに正しい生き方を教える為に、万事を計画的に運んでいるとしか考えられません。

最後の「試練に対する反応」だけが、私たちの反面教師「荒野の民」と、私たちにとってたった一人の真の教師「イエス様」との違いです。

荒野での試練に対するイエス様の、信仰の反応を見てみましょう。
★マタイ 4:1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。4:2 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

この箇所でイエス様が、私たちの命の源は「御言葉」だとはっきりと語っています。
私たちの体の為のパンよりはるかに尊い霊魂の為のパンは、「御言葉」です。

 Bite_Your_Bible.jpg
http://s111.photobucket.com/user/frankielucas/media/Bite_
Your_Bible.jpg.html#/user/frankielucas/media/Bite_Your_
Bible.jpg.html?&_suid=13699691391860937870864029041


体のパンでさえ、天地創造の三日目の「御言葉」によって存在したのですから、この世での体の命も、永遠の中で喜びに輝いて生きる事も、両方とも「神の口から出る一つ一つの言葉による」のです。


下記は、出エジプトの民への「神様からの言葉」です。

★申命記8:3主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった

人間は、餓えた時にはなりふり構わず必死で食べ物を求めます。私たちが、それと同様以上に神の言葉を切実に求めるべき事を教える為に、過去に荒野の飢餓の試練があり、現在にも未来にもあるのです。


イエス様は、御霊の導きによって荒野に入り、そこで飢饉の時に信仰者はどのように過ごすべきかの模範を教えようとするとする神様のご計画の通りに・・・

・・・空腹になり、サタンの試みを受け、体の為の「パン」を選ばず、永遠に生きる霊魂の為の「御言葉」を選択し、サタンに勝利し、荒野の飢餓のテストに合格しました。

天の父が、「彼の言う事を聞きなさい。」と、私たち信仰者に向かってイエス様を模範とするようにと言うはずなのです。なぜならば、イエス様は十字架の贖いの為にこの世に来られただけではなく、私たち信仰者に「私は道」と、信仰者の生き方を教える御計画の中で、この地に肉となって降ろされたからです。

★マタイ17:5 見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。

イエス様ご自身も、語っておられます。


ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。
「わたしがであり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」







ライン15
《2》「御言葉の本体である御子」 

ヨハネによる福音書には、創世記一章の天地創造のを受けて人間の知恵では知りえない奥義が記されています。「イエス様が、光輝く永遠の命そのものであり、生きている御言葉の本体である」と。

 図92

★ヨハネ 1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
 

イエス様が永遠に変わらないお方なので、御言葉も同じく永遠に変わりません。

★黙示録 22:13 「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」



六日間の創造の言葉は全て、神(御子イエス様の言葉)であった!」と、語っています。そして、ご自身がまことの光であり、永遠の命であり、言葉本体であるイエス様が命じて、暗闇の中に光を創造し、全ての被造物に命を与えられたのですね。

 Sabc112 4hi

★創世記1:1 初めに、神が天と地を創造した。 1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。 1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。 


御父、御子、御霊は、三位一体で、天地が創られる以前から、存在していました。
★コロサイ1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

この御言葉の本体であられる、三位一体の神の中の御子が、この世に肉をまとって降りて来られ、この地をいかに生きて行くべきかを教えられました。この地にあって、御言葉の本体であるイエス様が、私たちと同じ肉体の弱さと限界の中にあって、御言葉の真理に忠実に歩まれたのです。

天地万物を創造されたイエス様でさえ、この世の荒野を御言葉を食べつつ歩まれたのであれば、被造物である私たちはなお更のこと、天から毎朝降って来る御言葉のマナを恋い慕い、生きてゆきましょう。

私たちは、傍らにあっていつでも読める聖書を軽んじているように感じます。
御言葉が、神の本体であり、神ご自身であるとの実感が乏しいようです。
御子イエス様は、その当時は旧約聖書中に書かれた御言葉を神本体として尊重し・・・、
御霊によってその時その事に語られる父の言葉に、無条件で従いました。


ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」







 ライン15
《3》天から降ってきたパン「キリスト」
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しかし、イエス様は驚くべき事を仰いました。
自分自身が「天から降って来た命のパン(マナ)であると・・・。

イエス様は、約二千年前のクリスマスの夜、天より静かに、この地にパンとして降って来られました。

524の5

イエス様は、私たちの食べるべき御言葉本体でおられるだけでなく、十字架上で血を流し、肉を裂き、その血と肉をパン(マナ)のように私たちに食べるようにと言っておられます。

★ヨハネ6:48 わたしはいのちのパンです。

6:49 あなたがたの先祖は荒野でマナ(※体の命の為の天から降ってきたパン)を食べたが、にました。
6:50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。6:51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」


4582266.jpg
http://firenze.blog.so-net.ne.jp/2006-09-01


★マタイ26:26 また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
26:27 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
26:28 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。


イエス様こそ、エデンの園でアダムとエバが、その実を食べ損なって永遠の霊魂の命を失った「命の木」です。

 jesus_tree_命の木 


 ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
 









 エンディング 

どのようにして、
御言葉の本体であるイエス様の言葉と肉を、
食べる事ができるのでしょうか?


私たちの祖先アダムとエバは、エデンの園で、
神様の「善悪を知る知識の木の実を食べてはいけない」との
たった一つの戒めの言葉を守れずに、
サタンの王国であるこの荒地に下ろされました。

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★創世記3:17 アダムに仰せられた。
「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないと
わたしが命じておいた木
から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。
あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ
、あなたは、野の草を食べなければならない。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。 


神様が、人間をサタンの地に下ろしたのは、
私たち人間に、試練と訓練の荒野で、
神様の本体である御言葉の偉大さと、
神様の愛と義を体験的に学ばせる為です。

ですから、私たちは置かれた所で
ただひたすら御言葉により頼み、祈りつつ、賛美しつつ、
何かの御言葉を悟らせて下さろうとしておられる神に感謝して
心の中で、ずっと神様にその御言葉の意味を聞き続けましょう。

砂漠の厳しい環境の中で最もしていけない事は、
イスラエルの荒野の民のように不平不満を鳴らす事です。

不平不満とは、サタンへの賛美です。
「あなたは私を不幸にする力がある。」と賛美する事で、

神様に向かっては「あなたは私を幸福にする力がない」と
不信仰告白する事です。

ですから、私たち先に救われている信仰者の使命とは、
日々の生活の中で不平や不満や悲しみや怒りや絶望・・・
不愉快が起こった時・・・、

御言葉を信頼して、全ての思いを御言葉の本体であるイエス様に話す事です。

試練の中では、今から「祈りましょう」とか、「賛美しなければ」とか、
取り立てて特別な時間を持たずとも、心配や絶望が心から一時も離れnいので、
ずっとイエス様と語り合わざるを得ません。

普段の時には、困った問題点は自分の力や、周囲の助けで解決できます。

しかし、神様が「ここぞ!」と言う、試練の荒野にあなたを導いた時、
人間の力や、ましてや他の人に頼っては
神様の計画が元も子もなくなってしまいます。

自分を含めた人間に頼る事とは、「善悪を知る木の実」を食べる事で
イエス様(御言葉)に頼る事が、天国の園の「命の木の実」を食べる事です。

モリヤの山の山頂で、我が子イサクをいけにえにしようとした時、
アブラハムは天の父と、ずっと語り合っていました。
アブラハムは患難とも言うべき厳しい試練の中で、
一瞬たりとも目を離さずに神と見詰め合う事を「礼拝」と呼びました。

神様は、息子が死んでも必ず復活させる力があると信じました。

私たちも、日々に起る小さな試練の時、
また、長い人生の中で稀に起こる火のような試練の時、
「御言葉に信頼して神と語り合う」事によって、
神様のテストに合格して、信仰が飛躍的に成長します。


これが、試練の荒野での、心(霊魂)の為のパンの食べ方です。





聖歌 500番 「みことばなる」(新聖歌316番)
"When we walk with the Lord"

神様が創造の三日目に造られた植物の美しい成長の映像が
全編に溢れています。

特に冒頭の、発芽の瑞々しさや、
根を下ろして行く場面が感動的です。

この、光を浴びてすくすくと育ってゆく植物を見て、
私たちも、御言葉の光に照らされて麗しく成長したいと、励まされました。

このビデオを作られた方も、御言葉と植物とを、
関連付けて捉えておられるようです。



最後に、ほんの1分足らずのメッセージがありますが、
本日の御言葉と同じ箇所があり、神様の導きが感じられて感謝です。

賛美は英語ですが、ご一緒に日本語で歌えます。



①御言葉なる 光のうち 主とともに歩まば
行く道すじ 照らし給わん より頼むわれらに
げに主は より頼みて 従ごう者を 恵み給わん

②御顔の笑み 輝く時 雲きりは消えゆき
疑いなく 憂いもなし より頼むわれらに
げに主は より頼みて 従ごう者を 恵み給わん

③祭壇に行き 身も心も 献ぐると同時に
喜びをば 満たし給わん より頼むわれらに
げに主は より頼みて 従ごう者を 恵み給わん

④いかにきよき 交わりぞや 妨ぐるものなし
昼も夜も 臨在あり より頼むわれらに
げに主は より頼みて 従ごう者を 恵み給わん




3ライン  

 ★花のライン17休憩
2013年5月31日(金)コチラに続きます。
「裂かれたパン①至聖所に香壇」についてです。


 

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ペンテコステの日賛美礼拝

ライン15
(1)「前奏」

オルガン演奏「来れ、聖霊」による幻想曲






ライン15
(2)「賛美」

聖歌565番「ペンテコステ(五旬節)の日に」
伴奏はここをクリックして下さい
519の1

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519の2

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519の3

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519の4

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519の5







ライン15
(3)「賛美と祈り」
本田路津子さんのきよらかな賛美を聞きながら、
日本に豊かに聖霊が注がれて、リバイバルの時が
一日も早く訪れますように祈りましょう。

聖歌570番「雨を降り注ぎ」
 











エンディング

・・・メッセージ・・・

★使徒 2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、
彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また、のような分かれた舌が現われて、
ひとりひとりの上にとどまった。
2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、
他国のことばで話しだした。


今の時期、私たちが求めるべき聖霊のバプテスマは、
天より降る炎としてのバプテスマです。

モーセの幕屋では、祭壇上のいけにえの動物の肉を焼く火は、
天より直接降って来ました。

大祭司は祭壇に降った火を持って、
聖所と至聖所に入って礼拝を捧げましたが、
その他の火は「異なった火」と呼ばれ、
礼拝を捧げたアロンの息子達は厳しく裁かれました。

519の10

使徒二章で、待ち望む弟子達に降ったバプテスマは、
イエス様が十字架で死に、復活されて天に帰った後、
天の父が降して下さいました。

今の時代にあっても私たちの受けるバプテスマは十字架によって、
象徴的にではなく、本当に天から降って来るのです。

ソロモンの神殿の献堂式の時も、
皆の見ている前で祭壇のいけにえに火が降りました。

★Ⅱ歴代7:1 ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て
全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした
そして、主の栄光がこの宮に満ちた。


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本当に、私たちの三位一体(御父・御子・御霊)の神は、
私たち神の民の、神からの命(ゾーエー)に逆らって立つ
魂の命(プシュケ)である肉
を焼き尽くし、
聖なる者としたいと熱望されておられるのです。

★ヘブル12:29 私たちの神焼き尽くす火です。

三位一体の神様の切なる願いに
応える私たちとなりたいと思います。

★マタイ3:11 「私は、あなたがたが悔い改めるために、
水のバプテスマを授けていますが、
私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。
私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。
その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
3:12 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。
麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」


※この御言葉については、
当ブログの2013年03月01日より
七回にわたって詳しく述べています。
重要な真理ですので是非お読み下さい。
(9)「キリストの岩③義の御座」(1)「愛」と「義」の土台


・・・・・・・・・・・・・・・・・


再臨前リバイバルの時を迎えようとしている今、
先に救われた私たちクリスチャンの使命は、
天から「炎のバプテスマ」を降して、
御言葉にそぐわない私たちの心の思いと言動を
焼き尽くしていただく事です。

心からの切なる願いを持って賛美しましょう。




・・・メッセージへの応答の賛美・・・

聖歌567番「イエスよ我が身と」
伴奏はここをクリックして下さい

 519の6

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519の7

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519mp8



 3ライン






| 賛美礼拝 | 06:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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天国への地図(4)幕屋(三)パンの机[1]「体の命のパン」


本日から、幕屋の中の「聖所」の部分を学びます。

幕屋は、東側の大きな門から入ると、「庭」があり、
四枚の幕で屋根のように覆われている
「聖所」と「至聖所」に分かれた建物が西側にあります。

下図の右奥にある建物部分の、
手前の2/3を占める長方体の部屋が「聖所」です。


517の1

その奥の部屋「至聖所」へは、年に一度大祭司だけが入るだけなので
実際には、旧約時代の祭司達は聖所で礼拝を毎日捧げていました。

517の2

本日は、「聖所」の中の「パンの机」の意味を見
聖書中の麦とパンが象徴する真理を深く探り、
私たちの信仰生活に生かして行きたいと思いますが・・、

・・・この「パンの机」も、「燭台」も、「香の壇」も別のものではなく
毎日の礼拝の中でどれも欠かせず、
私たち生ける宮の聖所である、心の中の礼拝堂に於いて
命のある限り、毎日毎日捧げる礼拝の必須の三要素です。

 419の3対応

大まかには「庭」⇒「聖所」⇒「至聖所」の順に進行してゆきますが、
天地創造の進み方が一日づつ進んだのに対して、
「聖所」の中の三つの器具は、「礼拝の三要素」として
日々の礼拝の中で、渾然一体となっています。

祭司が毎日捧げる礼拝の、この三つの器具が表す三要素・・・
①御言葉(パンの机)、②聖霊(燭台)、③祈りと賛美(香の壇)とは、
私たちの捧げる「日々の礼拝」にとって、素晴らしい模範となります。

 517の3

なぜなら、十字架以後に救われた私たちクリスチャンは、
ルターが言うまでもなく全員が祭司であるから(べき)です。

※「万人祭司」につきましては、天国への地図(6)幕屋の器具の五番目「香の壇」で詳しく説明します。




ライン15
(1)「体の命の糧(パン)」

天の父はその愛の故に、全ての人間や全ての被造物の命の為に太陽を上らせ、雨を降らせて、食生活を支えておられます。

★マタイ5:45 天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にもを降らせてくださる・・・ 

しかし、神の民、神と神の言葉を本心より信頼する信仰者には、奇跡をもって食を満たして下さいます。本日は、神の民と信仰者に与えられた、三つの食の奇跡を見てみましょう。



《1.荒野の民に日ごとのマナ(パン)》

出エジプトをした神の民に、神様はその日一日分のマナ(パン)を天から降らせました。

Gathering_manna_26-120.jpg

この天からのパンは「マナ」と名付けられ、白くて甘かったそうです。荒野を旅する四十年間、天から朝ごとに降って来ました。

★ 16:31 イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。

人々は毎日、朝ごとに一人が一日分だけ集めるように命令されました。
※労働をしないで礼拝に専念する安息日の前日だけは、二日分のマナを集める事ができました。

★出エジプト16:4 主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。16:5 六日目に、彼らが持って来た物をととのえる場合、日ごとに集める分の二倍とする。」

イエス様は山上で、弟子と群集に「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」(マタイ6:11)と祈るように、弟子と群集に教えた事と一致します。

私たちは、一日一日、神様に自分の必要を訴え、そしてその日の分だけを受け取って生きる事が、神と共に歩む信仰者の生き方だと、新約聖書も旧約聖書も語っています。

また、その日にその日の分だけを集めると言う労働は、次の教えにも共通しています。

★マタイ 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(何を食べるか、何を飲むか、何を着るか)はすべて与えられます。 6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

聖書は、私たちがその日その日を神と共に歩んでいれば、そして一日分の労働だけを誠実に行えば、明日の事も、将来の事も思い煩う必要がないと言っています。




《2.鳥とやもめと天使に養われたエリヤ》

★ヤコブ5:17 エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。5:18 そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました

エリヤは、その大飢饉の時に神様の言葉に従ってケリテ川に住み、朝夕に鳥が運んで来る肉とパンで養われました。飲み水を得ていたケリテ川が枯れると、御言葉に従って貧しい寡婦の家に住み、尽きない油と粉で養われました。

 45エリヤの食物

★Ⅰ列王17:5彼(エリヤ)はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。17:6 幾羽かの烏が、になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。17:7 しかし、しばらくすると、その川がかれた。その地方に雨が降らなかったからである。

★Ⅰ列王17:8 すると、彼に次のような主のことばがあった。 17:9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」

エリヤはその後、カルメル山で偶像に仕える八百人を超える預言者と対決して大勝利を収めましたが、命を狙われた時、死を願うほどまでに落ち込み、荒野に逃げ込みました。荒野の中で、天使に「石で焼いたパン菓子」と「壷の水」で養われ、力付けられました。

 天使が養う

★Ⅰ列王19:4 彼(エリヤ)は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」19:5 彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」と言った。19:6 彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水のはいったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。19:7 それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから。」と言った。19:8 そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。

人間が荒野で試みに遭い・・・、飢饉で体の命の危機となる時・・・、それは、神様が「御言葉」に従うかを試しておられる時です。

★出エジプト16:4 主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。」

荒野の民は、食べる物、飲む水に不足した時、不平不満をこぼしてこの「試験」に不合格となりました。
しかしエリヤは、働きの最初の段階から常に神様からの命令を守って「試験」に合格し、この四十日の荒野の後にホレブの岩を至聖所として現れる神の細き声を聞きました。

荒野の民は、エジプトでの10の災いから守られ、紅海で驚くべき奇跡を見、臨在の雲に昼も夜も導かれ、キリストの岩から水を飲み、天から降ってくるマナ(パン)で養われても不平不満を言い、神の言葉に逆らい続けました。私たちは、この荒野の民を反面教師として学ばなければなりません。

★申命記29:2 モーセは、イスラエルのすべてを呼び寄せて言った。あなたがたは、エジプトの地で、パロと、そのすべての家臣たちと、その全土とに対して、主があなたがたの目の前でなさった事を、ことごとく見た。29:3 あなたが、自分の目で見たあの大きな試み、それは大きなしるしと不思議であった。29:4 しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。29:5 私は、四十年の間、あなたがたに荒野を行かせたが、あなたがたが身に着けている着物はすり切れず、その足のくつもすり切れなかった

反対にエリヤは、鳥に、貧しいやもめに、そして天使に養われたと言う奇跡の食生活を体験しましたが、偶像礼拝をするアハブ王に対して恐れる事なく、信仰に堅く立ち、神の導く言葉に従順に従いました。

ツァレファテのやもめも、エリヤと親交のあった主を恐れる人オバデヤも、エリヤに向かって「あなたの神、主は生きておられます。」と言いました。エリヤ自身も信仰に立って告白しています。

★ Ⅰ列王18:15 エリヤは言った。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。

今の時代の私たち日本の教会も、「主は今生きておられる。我が内におられる。」と賛美をしています。しかし、下記の御言葉のエルサレムを日本として読んだ時・・・・、

★エレミヤ5:1 エルサレムのちまたを行き巡り、さあ、見て知るがよい。その広場で捜して、だれか公義を行ない、真実を求める者を見つけたら、わたしはエルサレムを赦そう。5:2 たとい彼らが、「主は生きておられる。」と言っても、実は、彼らは偽って誓っている のだ。

私たち先に救われたクリスチャンが、エリヤのように神の言葉に従い、本当に神が奇跡的に食物を与えて下さる方だと本心から信じて、御言葉に忠実に生きているのでなければ、これから起こる再臨前の天変地異の飢饉の時に、世の人々の衣・食・水の必要を満たし、彼らを天の御国にまで守り導く事は出来ません。





《3.男だけで五千人を養ったイエス様》

イエス様もまた、ご自分について来た群集の食べ物の必要を満たしました。

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★マタイ14:19 イエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。14:20 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。14:21 食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。

愛の故に行われた事ですが、奇跡的な方法で食を満たす事は、神様の御力を現すためでもあります。
否、もう既に天地万物を造り、地から産物を得させて、神を礼拝していない人々の心と体をも満たしておられる事自体、神様が存在している証拠です。

★使徒14:16 過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。14:17「(神は)ご自身のことをあかし しないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださった のです。」

昔の聖書が完成していない時代ならまだしも、私たちの時代は、新約聖書も旧約聖書も完成しており、御言葉の研究も進み、メディアを通して多くのメッセージがなされており、何よりもイエス様が天国への道を示され、聖霊がその道を照らしている中で、神様の偉大さを信じなくては弁解の余地がないと言う事です。

★ローマ1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 






エンディング 


天の父から見ると私たち人間の信仰は、歯痒く感じられる程に、
本当に足りないものなのですね。

本日は、同じ人間でありながら御言葉に従って数々の大きな奇跡を体験した
エリヤに注目をし、見習う者となりたいとの願いを与えられたいと思います。

なぜなら、これからの再臨前大リバイバルの時、
私たちクリスチャンには聖霊が大きく注がれ、
男だけで五千人を養ったイエス様と同じように、否、
それ以上に大きな働きをする使命があるからです。

★ヨハネ14:12 まことに、まことに、あなたがたに告げます。
わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、
またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。
わたしが父のもとに行くからです。


★パンと魚の奇跡

イエス様が天に帰り、
御父が天より降して下さった助けぬし聖霊が、
私たちに使命を果たす力を与えて下さいます。




「主は今生きておられる」の原詩が素晴らしいので
日本語訳のついた英語の賛美をご覧下さい。
最後の方に、日本語での賛美があります。

私たちの心の真実を込めて、真心より賛美しましょう。

♪主は今生きておられる.Because He Lives♪



3ライン 
 



 ★花のライン17休憩
2013年5月24日(金)コチラに続きます。
パンの机[2]「心(霊魂)の為のパン」 
・・・私たちの霊魂が、神と共に永遠に生きる為のパン・・・についてです。

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天国への地図(3)「天地創造の三日目・四日目・五日目」

先週は、「天地創造の七日間」と「幕屋の七つの器具」が表している「信仰者の生涯」の順序の第一段階「救い(新生)」の段階をざっと見てきました。

本日は、幕屋の全三段階・・・①幕屋の庭(新生)・②聖所(聖化)・③至聖所栄化)の内の第二段階め「聖所(聖化)」にあたる、天地創造の三日目から五日目までの部分です。





ライン15
(1)「天地創造の中間の三日間」

下図の上段には、天地創造の三日目から五日目までの部分を抜き出しました。下記の幕屋の聖所部分と対応している事を確認しつつ、御言葉を見て行きましょう。

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①三日目の創造物「植物」

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★創世記 1:11 神が、「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」と仰せられると、そのようになった。

植物にはこの他に水の中の植物、藻類・こけ類・シダ類・・がありますが、聖書は大きく種子植物と実を結ぶ木の二種類が取り上げています。

植物のおおよその役割は、下記の五つが考えられますが・・・・
・栄養源として
・健康の為に薬用植物として
・原料や材料として
・酸素のつくり手(光合成)として
・心を感動させ和ませる鑑賞用として・・・

天の父は、私たち人間の体の命を支えるパンも不足なく与えて下さっていますが、イエス様は、それと同様に、心にとって御言葉が不可欠であると教えています。

★マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」




②四日目の創造物「光るもの」

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★創世記1:14 ついで神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。1:15 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」と仰せられた。するとそのようになった。1:16 それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。またを造られた。

ここでの「光」は、第一日目の「救いの光」とは違います。

宇宙空間に存在する太陽、月、色々な星、岩石、ガス、塵などの様々な物質は全て、その配置や動きを含めて、地球上の人間と全ての生物にとって役に立てる為に、創造されました。

幕屋の聖所の中にあって「四日目の太陽・月・星」に相応している「燭台」もまた、光り輝いて聖所の中を明るく照らしています。




②五日目の創造物「水と空の生物」

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★創世記1:20 ついで神は、「は生き物の群れが、群がるようになれ。または地の上、天の大空を飛べ。」と仰せられた。1:21 それで神は、海の巨獣と、その種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、その種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神は見て、それをよしとされた。

五日目に神は、①クジラなどの哺乳類の海の生物(海の巨獣)、②水と水周辺の生物、③翼のある鳥類を創造なさいました。







ライン15
(2)「全ての被造物を愛して維持する神」

神様は、ただ人間の食料として植物や動物や鳥や魚…を造られたわけではなく、全ての被造物を愛し、互いの存在で互いが成り立つように、全ての生態系をお造りになりました。

神様は、動物も植物も愛して気遣っておられると、聖書の各所が語っています。

★ヨブ38:41「烏の子が神に向かって鳴き叫び、食物がなくてさまようとき、烏にえさを備えるのはだれか。」

神様は、人間と全ての生物を愛し、それら全てが繁栄できるように用意周到に、天地万物を完璧に創造されました。しかし、この神の完成なさったこの世界に足りない所があるかのように、不平不満をこぼしつつ不信仰に生きがちな私たち信仰者に向かって、イエス様は語られました。

★マタイ6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

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http://www.thegardenworshipcenter.com/?section=news7

★マタイ 6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

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http://www.tomoshibi.or.jp/tushin/otozure/otozure47.html#top


★マタイ6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

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先ず、「神の国とその義」を求めるようにとイエス様が語られたのは、天地万物は既に、人間を含む被造物の為に全て麗しく、完全な姿で完成しているからです。

★創世記1:31 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた

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http://www.etsy.com/listing/81656715/days-of-creation-full-set-of-seven






ライン15
(3)食物連鎖から見えて来る「肉」
 
動植物は、必ずしも人間の食物として存在しているわけではありませんが、「植物連鎖」に関して、大きく捉えると、天地創造の順になっています。下の表は一般の科学者さんのお考えですが・・・、「食物連鎖」の頂点が人間で、陸・空・水の生き物が続き、その下に植物、そして土の微生物だそうです。

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生命の大前提として
①一日目・・・「光」
②二日目・・・「水」と「空」
※空の創造の中に「大気」が含まれるのでしょうか?

上記の食物連鎖の下段から順に
③三日目・・・「土」
そして「植物」
④四日目・・・「光合成や、日照・・・によって生物に益となる」
⑤五日目・・・「魚類・鳥類」

⑥6日、「動物」
そして、上記の全てをあらゆる角度から享受している「人間」


人間は「土」から造られ、そして土を土台とする食物連鎖上で存在している人間と全ての生物は皆、地上で死ぬと土に帰り、その土と大気の様々な元素や微生物から、光と水の恩恵を受けて動植物の連鎖が続いてゆくのです。

動物でも、神様が埋め込まれた生存と子孫繁栄の為の習性があり、ある程度の知恵と判断力があり、子を愛所を持って育てるので心もあります。人間は、死んだら土に帰ると言う肉体(物質)の部分は他の生物と変わりがなく、心もあるのだとしたら、人間と動物は何が違うのでしょうか?

人間は、特別に神様の形に似せて造られたので「霊」が存在しています。しかし、天地万物の創造主を信じる私たち信仰者と、一般の人々とは何が違うのでしょうか?







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(4)「肉で生きるか、霊で生きるか」

神様は、私たち人間を特別に、霊である神が存在できるように「霊の所」を造りました。しかし、そこに神の霊(聖霊」が宿らなければ、私たちは単なる「肉の者」に過ぎません。霊の所には人間の霊があり、また悪の霊も存在し得ます。

★Ⅰヨハネ 4:1 愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。・・・4:2 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。4:3 イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。

同じ人間であっても、人間の標準でものを見、考えるのであれば肉に属している者で、死んだら空しく土に帰る者です。

しかし、創造主を信じ、御子を救い主として認めた時に、私たちはもう一度新しく創造されて、御霊に属する者として生まれ変わります。

★Ⅱコリント5:16 私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。 5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。

下記の御言葉は、私たちが肉によって生きるのならば、他の全ての生物と同じように空しく土に帰り・・・、もし天からの神の御霊によって生きるのならば、生きている間も、来るべき御国にあっても、永遠に神の命と、御国の平安(安息)輝くと言っています。

★ローマ8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

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上の図は、どんなに人間の考える善で生きたとしても「古い肉の存在」であって「新しく生まれ変わった(創造された)御霊の存在ではないと言う真理を表しました。

★ローマ 8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。
8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。








エンディング 

天地創造には、第一日目と四日目にに「光」の創造がありますが、
第一日目は暗黒に突如として現れた「救いの光」であって、
四日目の光は、「太陽・月・星」の「照らす光」です。

出エジプトの民を照らした雲と火の柱のように、信仰者の道を導く聖霊の火です。
具体的に「聖霊(四日目)」は、「御言葉(三日目)」を照らします。

私たちは、聖霊に御言葉を照らしていただき、
この世の旅路を天の御国に向かって歩んで行くのです。

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★詩篇 1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし
昼も夜もそのおしえを口ずさむ
1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。


この御言葉がそのまま賛美になっています。
毎日、聖霊の光に御言葉を照らされて歩んで行こうと言う決意をもって、
心からの賛美を捧げましょう。

小さいお子さんの元気な声が聞こえていて微笑ましく、幸いな賛美です。



主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ
その人は水路のそばに 植わった木のようだ
時が来ると実がなり、その葉は枯れない 
その人は何をしても 栄える



 3ライン





 ★花のライン17休憩
2013年5月17日(金)コチラに続きます。
パンの机[1]「体の命のパン」についてです。






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天国への地図(2)救いの段階

先週は、ヘブル書三-四章を通して、出エジプトの民の最終目的地「乳と蜜の流れるカナンの地」と、神様の「天地創造」の七日目の「安息」とが同じである事を観て来ました。

今週は、「天地創造」と、「キリストの生涯」もまた一致して、大きな真理を語っている事を学んで行きましょう。

先ず下記の最初の図で、「天地創造」と「幕屋の器具」とは一致している事を観て行きましょう。
三位一体の神様は、人間が目的とすべき「神の給う安息」について、聖書全巻を貫いて教えています。
これは、人間が贖われて神の子とされ、天の御国に至るまでの順序で、「天地創造」と「幕屋の構造」による「天路歴程」と言えます。

下の図・・・「天地創造」と「幕屋の器具」のそれぞれの対比が、「キリストの生涯(幕屋)」と一致し、そして「天地創造」と「幕屋の器具」と「イスラエル民族の出エジプトの歴史」を通して、天地万物を造られた神が、私たち人間に望んでおられる「執着地点(天地万物の創造の目的)と、その「過程(道)」を示しておられます。

そして、「イスラエル民族の出エジプトの歴史」は、神様の目的である「安息」に入れなかった反面教師としての荒野の民の生き方とは反対に、全て天の父の目的通りの生涯を送ったイエス様の生涯の順序です。

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上記の図を大まかに見ていただき、大きく三段階に分かれている事を確認して下さい。

①幕屋の「庭」に相当する「救い(新生)」の段階。

②番目に幕屋の「聖所」に相当する信仰生涯を表す「試練と訓練の荒野」の段階。ここは日々の礼拝(御言葉・聖霊・祈り)を通してキリストの身丈に向かう「聖化」にあたります。

全体としての順序の中にあって、この「聖所;荒野」の部分だけは、礼拝の三つ(御言葉・聖霊・祈り)が、平行して同時に進んで行きます。

③の「至聖所」の部分は、キリスト(御子)の身丈に至る部分と、「天の安息(御父)です。

本日は、この①の部分、幕屋の「庭」に相当する「救い(新生)」の段階を見て行きたいと思います。





ライン15
(1)「暗黒」







ライン15
(2)「救いの光」

・・・そして約二千年前「世に来た!」・・・

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このクリスマスの日の意味が、
ヨハネによる福音書第一章の御言葉でイエス様が救い主として世に来た事と、、
創世記第一章の天地創造の第一日目の「光」と、
幕屋の器具の一つ目「祭壇」と対応していますし、
出エジプトの小羊の血による贖い出しと対応しています。

下記の図は、聖所部分(天地創造の一日目と二日目、幕屋の器具の一つ目と二つ目、出エジプトの最初の二段階・・・に対応しています。①の真ん中の列をご覧下さい。それぞれが一致している事を見ていただきたいと思います。

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天地創造の一日目の「光」は、「救いの光」に対応しています。
※「この方」とは神様の一人子「イエス・キリスト」です。

★創世記1:3 神は「あれ」と言われた。すると光があった。
★ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。1:2 この方は、初めに神とともにおられた。1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一ない。 1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった


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出エジプト時の民はまだ、荒野で幕屋が出来る前ですから、出エジプトにあたり、小羊の血の贖いによって、サタンを象徴するパロの奴隷状態から贖い出されました.

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幕屋の最初の器具「祭壇」は、神の民は、祭壇で動物をいけにえとして捧げて罪の赦しを祈りました。永遠から永遠の中で一度の「イエス様の十字架の贖い」以前だったので、罪を犯すたびに贖罪の儀式が行われていました。

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全ての人間は罪を犯したので天の御国に入る事はできませんでしたが、イエス様の十字架の血潮に於いて罪が赦され、神の子とされ、永遠に天の御国で生きる事ができるようになりました。これが「救いの光」イエス様の贖いです。

旧約時代の動物による罪の贖いは、イエス様の十字架の贖いを私たちに教える為です。

特に幕屋は、私たちが先ず求めるべき「神の国とその義」であって、救いの構造を私たちにわかりやすく教える絵本(視覚教材)のような存在です。特に出エジプトの際の、神の民の家の門柱と鴨居に塗られた小羊の血は、私たちがサタン(パロ王)の支配するこの世(エジプト)から贖い出されて、神の国(カナンの地)へ旅立つ為に不可欠な最初の段階です。
 lamb blood


現在の私たちは恵まれた時代に生きており、何と言っても経済的にも豊かで、福祉制度も充実しているので、食べ物や着るものに不足してはいないです。しかし、救い主イエス様を受け入れる前の人々は、死の奴隷であり、サタンの奴隷です。本当は暗黒の世界に繋がれているのに、滅び行くこの世の空しいつかの間の繁栄を見せられているにすぎません。

人類にとって、天地創造の第一日目の「光」指し示しているのは、救いの光である「イエス様の十字架の贖い」です。






ライン15
(3)「聖めの水」


天地創造の二日目、そして幕屋の器具の二つ目は、「水」の段階でした。

★創世記1:6 ついで神は「大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように。」と仰せられた。 1:7 こうして神は、大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。するとそのようになった。 1:8 神は、その大空を天と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第二日

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2節には、この水は大いなる水であったとあります。

★創世記1:1 初めに、神が天と地を創造した。1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。

進化論に対抗して創造論に立つ、何人かの聖書教師や学者の方々は、ノアの方舟の大洪水は、天地創造の二日目に天と下に分かれた、空の上にある水の全てがたらいの水をひっくり返すようにどっと降り、空の下にあった地下水も湧き上がったと教えています。

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罪にまみれた地を覆い尽くしたこの「大いなる水」とは、聖めの水です。

幕屋で聖所に入る祭司達、至聖所まで入って仕える大祭司は、聖所に入る前、この洗顔で汚れのついた箇所を洗い聖めました。

この洗盤はサイズの指定がなく、罪を七の七十倍まで赦す神様の心が表れています。
詳しくは(13)CT(キリストの幕屋)「②四枚の幕」(3)「三枚目;赤くなめした雄羊の覆い」をご覧下さい。

そしてまた、イエス様がペテロの足を洗いながら言ったように、罪を告白して十字架の血潮で聖められて神の子としていただいた者は、日々汚れた部分だけを洗い聖めていただけば良いのです。

★ヨハネ13:9 シモン・ペテロは言った。「主よ。わたしの足だけでなく、手も頭も洗ってください。」 13:10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。」

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この②水盤の位置は、「洗礼」と「日々の洗い」を意味します。
上記のイエス様の教えは、一生に一度の十字架の血潮による罪の赦しを「全身水浴」を洗礼式と捉え、日々の罪・汚れからの聖めを「手足だけの洗い」としていますが、幕屋の器具もそれを裏付けています。

祭司は聖所に入る前に、洗盤で手を洗いますが、それは祭壇の所での贖罪を済ませてもなお数歩洗盤の所にいたるまでに、砂漠である地面(この世)を歩む時に汚れた足をもう一度聖めます。

なぜなら・・・、★ヘブル 12:14 聖くなければ、だれも主を見ることができません

下記の図で、、天地創造の二日目と幕屋の器具の二つ目が「水」である事に注目して下さい。

出エジプトの民も、私たちも血の贖いの後に「洗礼」を受けました。

★Ⅰコリント 10:1 私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。10:2 そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、 

私たちもまた、キリストにつくバプテスマを受けました。
民もすっぽりと紅海の中を歩みましたが、イエス様もまた川で全身が水に浸かりました。
ノアの方舟の時に、大いなる水が地球上の全てを覆い尽くしたように、私たちがもし滴礼を受けたとしても、全身も過去も全て聖められたと堅く信じましょう。

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さて、上のイエス様の生涯の列を見てください。

イエス様は信仰者の家庭に生まれて信仰の歩みを家族としていましたし、神の御子ですから罪と穢れの一切がなかったのですが、「洗礼」を受けてくださいました。

それはイエス様が、私たち信仰者の道を示すためです。
ですから、かつて荒野の民が失敗してしまった、一度エジプトに退き、出エジプト(この世からの脱出)からカナンの値(天の安息)に至る道筋を、今の私たちに示す為に、洗礼を受けて下さったのです。

★ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもと(天の安息)に来ることはありません。」

天の父は、荒野の民を反面教師とし、御子イエス様をただ一人の教師として、この再臨を迎えようとする重要な時期、私たちに安息に入るようにと願っておられます。

イエス様が洗礼を受けた時の御父の言葉です。

★マルコ1:9 イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
1:10 そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
1:11 そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」


そして、イエス様が高い山に上られた時の御父の言葉です。

★マタイ17:5 見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。

私たちは、ただただイエス様の後ろに従がって、この世の終わりの重要な時代を迎えるための使命「安息」に入りましょう。





エンディング 



本日は、「天路歴程」の第一段階、「救い(新生)」を観てきました。

ここで重要な真理があります。

紅海で、神の民を奪還しようと追って来たエジプト兵(サタン)と神のみが戦いました。
救いの段階に於いて、人間は何もする事はありません。
私たちはただただ罪を悔い改め、
罪を十字架で血を流して贖ってくださった救い主を信じ、頼るだけです。

神様がパロ王の心をかたくなにさせ、サタンに見たたて
私たちに「救いにおける神の力」を学ばせました。

それと共に、「洗礼」の大切さも示されました。
私たちは「洗礼」を形式的なものと考えがちですが、「洗礼」とは救いの確定です。
神の子の身分、永遠の命」を奪還しようとする
サタンの追撃が届くのは「洗礼」までです。
サタンは、洗礼を受けた者の「この世の命」を奪う事はできても、
「永遠の命」は奪えません。
「救いの門」の内側に留まっている限り・・・、

★出エジプト14:13 モーセは民に言った。「恐れてはいけない。
しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。
あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
14:14 主があなたがたのために戦われる
あなたがたは黙っていなければならない。」


出エジプトの民は、モーセが神の力である「杖」を延べた時、
開かれた紅海を渡って行きました。

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民全員が、海を渡り切った時・・・

★出エジプト14:26 このとき主はモーセに仰せられた。
「あなたの手を海の上に差し伸べ、
水がエジプト人と、その戦車、その騎兵の上に返るようにせよ。」

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14:27 モーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海がもとの状態に戻った
エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、
主はエジプト人を海の真中に投げ込まれた

14:28 水はもとに戻り、あとを追って海にはいった
パロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。
残された者はひとりもいなかった
14:29 イスラエル人は海の真中のかわいた地を歩き、
水は彼らのために、右と左で壁となったのである。
14:30 こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた
イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た



私たちは、神様の側がなされた救いの御業を忘れる事なく
常に十字架の血潮の力に頼り
天国に帰りつくまで、感謝し、賛美し続けましょう。

 ★レビ 17:11 わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、
これをあなたがたに与えた。
いのちとして贖いをするのはである。


血潮の賛美の歌詞と伴奏はこちらから⇒聖歌425番「罪・重荷をのぞくは」





 3ライン





 ★花のライン17休憩
2013年5月10日(金)コチラに続きます。
「天地創造の三日目・四日目・五日目」についてです。










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