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2013年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年08月

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天国への地図(4)幕屋(三)パンの机[3]「裂かれたパン⑨「心の割礼(殉教)の実際・・・双方向からのパンの出会う所」

1★十字架のライン
 
 裂かれたパン⑧「モーセの心の割礼(殉教)」  
・・・聖書全編が語る「パンが真二つに裂かれる事の奥義」・・・

創世記初めの「天地創造の七日間」と、モーセが荒野で建てた「幕屋の七つの器具」はピッタリと対応していて、聖書の最も重要な真理を知る事ができます。

それはイエス様の歩いた、天の御国の安息にまで至る、イエス様の歩まれた身幅だけの狭く真直ぐな「十字架の道」です。私たちが自分の小さき十字架を背負い、イエス様だけの後に従がって歩むその道の地図が、天地創造の七日間と、幕屋の七つの礼拝の器具に現れています。

 726び4

一目見るだけでも、この二つ・・・①天地創造の目的(安息)と、②幕屋の器具が表す礼拝の目的(天の安息)に至る過程が同じです。この深く素晴らしい真理を少しづつ説明していて、今、天地創造の三日目、幕屋の「パンの机」まで来ました。

本日は、2013.04.26より始まりましたシリーズ天国(安息)への地図の三番目、2013.5.17の「パンの机」コチラからの最終回です。

 726の2

天地創造の三日目は、草や木などの植物、特に人類の主食の代表である小麦(パン)であり、このパンが聖書中で意味する主な真理とは、①体の為のパン、②心のパンである御言葉、イエス様が十字架で裂かれた、永遠に私たちが生きられる食物としてのパンです。そして幕屋の礼拝の器具では三つ目「パンの机」に相当します。、

この数々の「パンの机」中で特に重要な「心の割礼」は、2013.06.28の「裂かれたパン⑤割礼の奥義」からです。是非、お時間のない方でも、コチラからまでに戻られれて、一つづつ順番にお読み下さる事をお勧めします。

このブログは今年2013年1月8日コチラより、シリーズ名は新たになって行っても、内容はずっと最初から続いて進んでいます。






ライン15
《9》「双方向からのパンの出会う所」 


・・・・・(1)パンを捧げ、パンを食べる祭司・・・・・

先ず、「パンの机」に於ける祭司の行動の様子を見て行きたいと思います。

祭司は、この「パンの机」の所で、毎週の安息日の朝に、豪華で美しい金の机の上に、12個のパンを六個筒並べ、乳香を添え、一週間、主の御前に供えました。

12個のパンは、神の民イスラエルの12部族を表しています。

 図1

★レビ24:5 あなたは小麦粉を取り、それで輪型のパン十二個を焼く。一つの輪型のパンは十分の二エパである。
24:6 それを主の前の純金の机の上に、一並び六個ずつ、二並びに置く。
24:7 それぞれの並びに純粋な乳香を添え、主への火によるささげ物として、これをパンの記念の部分とする。
24:8 彼は安息日ごとに、絶えずこれを主の前に、整えておかなければならない。これはイスラエル人からのものであって永遠の契約である。」

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この供えのパンは、一週間経って安息日が訪れると新しいパンが準備されますので・・・・、古いパンは祭司たちの食料となりました。

★レビ 24:9 「これはアロンとその子らのものとなり、彼らはこれを聖なる所で食べる。これは最も聖なるものであり、主への火によるささげ物のうちから、彼の受け取る永遠の分け前である。」

※マタイ 10:10 働く者食べ物を与えられるのは当然だからです。
※民数記 18:20 主はまたアロンに仰せられた。「あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。彼らのうちで何の割り当て地をも所有してはならない。イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。 18:21 さらに、わたしは今、レビ族には、彼らが会見の天幕の奉仕をするその奉仕に報いて、イスラエルのうちの十分の一をみな、相続財産として与える。


今でも、教会に仕える専従の牧師などの奉仕者は、教会から生活を保障されていますが、旧約の時代に於いて祭司とは、どんなに優秀な人物でも、どんなに信仰深くても、どんなに優しい人でも、弱者への施しを怠らない人格者の金持ちでも・・・、レビ族に属していなければ幕屋での奉仕に関る事は出来ませんでした。

ヤコブの12人の息子から、イスラエルは12部族となりました。モーセが出エジプトをして、シナイ山の麓で神から十戒と様々な規定を言い渡された時、モーセの属するレビ族は幕屋に仕える特別な任務が与えられました。

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※レビ族は、幕屋の奉仕、契約の箱の運搬、聖所での奉仕に従事するので特別扱いとなり、部族の中には数えられなく、主ご自身が嗣業となったので12部族からは外されました。レビ族に代わって、ヨセフ族が二部族(エフライム族とマナセ族)に分けられて12部族とされました。ヤコブが死ぬ前に、ヨセフを長男ルベンに代わって長子とし、ヨセフの二人の息子を自分の息子扱いとしたからです。 

神の民それ自体、本当に栄誉に溢れ、特別に主に愛された特権がありましたが、12部族プラスレビ族の13部族の内、三部族に特権が与えられました。 

★王権(ユダ部族)
  
★創世記 49:10 王権ユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。

★長子の権(ヨセフ族)

★Ⅰ歴代 長子の権利はイスラエルの子ヨセフの子に与えられた。系図の記載は長子の権利に従って行なうものではない。5:2 ユダは彼の兄弟たちにまさる者となり、君たる者も彼から出るのであるが、長子の権利はヨセフに帰したからである。

★祭司職(レビ族アロンの家系)

★出エジプト 28:1 あなたは、イスラエル人の中から、あなたの兄弟アロンとその子、すなわち、アロンとその子のナダブとアビフ、エルアザルとイタマルを、あなたのそばに近づけ、祭司としてわたしに仕えさせよ。28:2 また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表わす聖なる装束を作れ。


この三つの特別な部族の内、レビ族だけが幕屋に最も近いに神の土地住み、その中のアロンの家系だけが聖なるパンを主の御前に捧げる礼拝をし、その聖なる聖所でそのパンを食べました。

レビ族の中でもアロンの家系でなければ、聖なるパンを供えて礼拝し、その聖なる聖所でパンを食べる特権となる祭司や大祭司にはなれませんでした。

他の部族(信仰者)たちがどれほどに羨ましかった事でしょう?

この特別な神の選びに対して、レビ族の一部と他の部族が反乱を起こして神の怒りに触れ、多くの死者が出た事件があったほどです。(民数記16-17章)


★民数記16:3 彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らい、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」

しかし今の時代、イエス様の十字架によって、私たち信仰者の全ては、神の祭司の特権が与えられていますが、私たちはその素晴らしさについて、あまりにも無頓着で、特権を生かしていないし、感謝もあまりしていません

★黙示録1:5 イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、 1:6 また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。








・・・・・(2)王であり、長子であり、大祭司であるキリスト・・・・・


しかし、この「祭司」を含む、三つの部族だけに与えられた特権「王権」と「長子の権」は、イエス様の数々の名前、職分、立場、ご性質・・・の中にあります。

 736の5


★イエス様は王の王

★ルカ1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。(ガブリエルの受胎告知)

★黙示録17:14 小羊は主の主、王の王だからです。


★イエス様の全ての神の子の長子

★ローマ8:29 神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。


★イエス様は大祭司

★ヘブル5:4 まただれでも、この名誉は自分で得るのではなく、アロンのように神に召されて受けるのです。 5:5 同様に、キリスト大祭司となる栄誉を自分で得られたのではなく、彼に、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」と言われた方が、それをお与えになったのです。5:6 別の個所で、こうも言われます。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」







・・・・・(3)その全てを受けついだ私たち・・・・・

ルカによる福音書や、旧約聖書とは強調点や記録する目的が違いますが・・・、新約聖書の冒頭で、著者マタイは、イエス様がアブラハムから始まり、ユダ、ダビデ・・・直系の、約束された王である事を系図で伝えています。

★マタイ1:1 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。1:2 アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、1:3 ユダに、タマルによって・・・ 1:6 エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、・・・1:16 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。1:17 それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。

しかし上記のマタイによる福音書では、ダビデがだぶっていて、完全数の二倍の14代に一人が足りません。

①アブラハム⇒②イサク⇒③ヤコブ⇒④ユダ⇒⑤パレス⇒⑥エスロン⇒⑦アラム⇒⑧アミナダブ⇒⑨ナアソン⇒⑩サルモン⇒⑪ボアズ⇒⑫オベデ⇒⑬エッサイ⇒⑭ダビデ

①ソロモン⇒②レハベアム⇒③アビヤ⇒④アサ⇒⑤ヨサパテ⇒⑥ヨラム⇒⑦ウコチラジヤ⇒⑧ヨタム⇒⑨アハズ⇒⑩ヒゼキヤ⇒⑪マナセ⇒⑫アモン⇒⑬ヨシヤ⇒⑭エコニヤ

①サラテル⇒②ゾロバベル⇒③アビウデ⇒④エリヤキム⇒⑤アゾル⇒⑥サドク⇒⑦アキム⇒⑧エリウデ⇒⑨エレアザル⇒⑩マタン⇒⑪ヤコブ⇒⑫ヨセフ⇒キリストと呼ばれるイエス⇒⑭?

このマタイの伝えたかった一人足りない意味を、名前を思い出せませんが、解き明かしてくれた牧師がいました。

このキリストに続く14代目は、イエス様を救い主として信じた「私たちひとりひとりである」と。

イエス様が十字架上で血の贖いによって、私たちを神の子・御子の弟妹、神の王国の民として生み出してくださったのです。それだけでなく、私たちを祭司とする為にも十字架で贖ってくださいましたので、私たちは祭司となる事ができるのです。

 ★御子のヴィジョン


私たち十字架後の信仰者が、①王と②長子と③祭司になる資格が与えられている事は、次の御言葉が証明しています。

★ヘブル12:22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。 12:23 また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、 12:24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。

★Ⅰペテロ 2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。

アブラハムに天の父が、「あなたの子孫から王たちが出る」と約束したのは、イエス様だけの事ではなく、ダビデやソロモンたちだけの事ではなく、祭司として神に仕えて王となった信仰者たちの事でもあります。

★創世記 17:6 わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。

出エジプト時代の荒野に、一般の信仰者と、神の僕モーセが居たように、今の時代にも①王・②長子・③祭司となる資格があっても、一般の信徒と、主の真の弟子とが存在します。

私たちが、キリストの身丈(ガラテヤ2:20)に達しなければならないのは、イエス様のその三つの立場を我が物とする為です。

特に、来るべき世に於いて、王の王であるイエス様と共に世界を治める資格は、「祭司」として生きる事の結果(報い)です。祭司として神の御心の実現を祈る者が、地上を収めるのです。

★黙示録5:9 彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、5:10 私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」








エンディング


勝利を得た者(ガラテヤ2:20)だけが、王となります。

★黙示録2:26 勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、
諸国の民を支配する権威を与えよう。
2:27 彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める
わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。


そして、命の木の実を食べる権利が与えられます。

★ 黙示録2:7 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。
勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」


726の6

私たちは、礼拝堂である聖所「心のチャペル」で、
心(魂)の麦を砕いて、粉々になる迄に心の割礼を果たし、
聖霊の火で自我が焼かれ、神の御前に自分を「美味しいパン」として捧げましょう。

そして、神様の御言葉のパンを、
イエス様が十字架上で裂いて下さった永遠の命のパンをいただきましょう。

十字架の贖いにによって、旧約時代の祭司のように聖所でパンを捧げ
聖所のパンを食べる身分とされました。

聖所とは、そしてパンの机とは・・・、
神様の側からのパンと、人間の側からのパンとが双方向から出会う
本当に聖なる礼拝の所です。


3ライン 








 ★花のライン17休憩
2013年8月2日(金)コチラに続きます。
「燭台」についてです。

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| Ⅲ天国への地図 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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天国への地図(4)幕屋(三)パンの机[3]「裂かれたパン⑧「心の割礼(殉教)の実際・・・ モーセの心の殉教

1★十字架のライン
 
 裂かれたパン⑧「モーセの心の割礼(殉教)」  
・・・聖書全編が語る「パンが真二つに裂かれる事の奥義」・・・

 2013.06.28の「裂かれたパン⑤割礼の奥義」からの続きです。
重要な所なので是非、是非コチラから、一つづつ順番にお読み下さる事をお勧めします。






ライン15
《8》「モーセの心の割礼(殉教)」 


・・・・・(1)エジプトの王子時代(0歳から40才)・・・・・


神様の御手に全てを委ねて、ナイル川の茂みの中に置かれたモーセは、パロ王の娘に見つけられて彼女の息子となりました。

様子を覗っていた姉のミリアムの提案で、モーセの母は乳母としてもう一度我が子を胸に抱き、大きくなるまで愛情をかけて、祈りつつ育てる事ができました。

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エジプトの王子として王宮に戻ったモーセは、当時の世界最高峰の学問を学び、帝王学も身につけた事でしょう。それらは全て、モーセの一生涯の使命を果たすために必要な過程でした。

母親が、完全に息子の生涯を神の御手に委ねたからこそ、神はご自分のご計画を100%思いのままに実行する事ができました。

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王子として、この上のない地位、名誉、権力、富、あらゆる楽しみの全てが手中にあったのに、モーセはパウロのように、それらをちりあくた、糞土のように価値なきものとして退けました。

★ヘブル11:24 信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、11:25 はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。11:26 彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。 

★ピリピ 3:8 私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。


若き日のモーセは、アブラハムのように永遠を、そして信仰を貫いた者に与えられる永遠の中での報酬を最上のものとして見据えていました。

★ヘブル11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

モーセが、「キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。」と言うヘブル書の御言葉を、」旧約時代には、キリストを知っているはずがないと、お考えの方がおいでです。

しかし、聖書の最初の創世記に生きていたアブラハムは、実際には見たことがない、21世紀の私たちだってまだ見たことがない、聖書の最後の巻、黙示録最後の21章、22章の「永遠の都エルサレム」の存在と価値を確信していました。、

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神は、私たちが神を切に呼び求める時に、重要な事を教えて下さる方です。

★エレミヤ33:2 「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。33:3 わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」


モーセと、おおよそ同じ時代であったと推測される、試練の達人であるヨブも、あまりに激しく神を求めたので、キリストの存在を確信しました。下記の御言葉を読んで下さると、あなたもそのように思われる事でしょう。

★ヨブ6:19「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方高い所におられます。」

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★ヨブ19:25 -27「私は知っている。私を贖う方生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見るこの方を私は自分自身で見る。」

★ヨブ33:23-34もし彼のそばに、ひとりの御使い、すなわち千人にひとりの代言者がおり、それが人に代わってその正しさを告げてくれるなら神は彼をあわれんで仰せられる。「彼を救って、よみの穴に下って行かないようにせよ。わたしは身代金を得た。」


使徒ヨハネの言葉と、同じ事を言っています。

★Ⅰヨハネ2:1「もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。」  


偉大な預言者イザヤも、B.C.740年代頃に、キリストの誕生を預言しました。

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★イザヤ 9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。



モーセは若くして、上記の信仰の達人たちのような、高いレベル「キリストを知ると言う奥義」に達していました。宝であるキリストのイメージを認識するまでに、そしてそれがエジプトのあらゆる宝に優るとまで悟っていたモーセでしたが・・・、

★コロサイ2:3 このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

・・・肉の思いが強くてまだ砕かれていない部分があり、40歳の時に大きな失敗をしました。あらゆる面で優れていたモーセでしたが、同胞のイスラエル人を愛するあまりとは言え、彼らを苦しめるエジプト兵を独断で殺してしまいました。

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神様は既に、モーセに民救出の壮大なプランを、とっくの昔、創世記15章でのアブラハムの時からお持ちでしたが、モーセの傲慢が、彼をして自分の情熱で、自分の方法で、自分の時に、実行してしまいました。

★創世記15:13 アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。15:14 しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。 15:15 あなた自身は、平安のうちに、あなたの先祖のもとに行き、長寿を全うして葬られよう。15:16 そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る

この失敗が原因で、モーセはエジプトから追われるようにして、逃げるようにしてミディアンの荒野にたった一人で旅立ちました。

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・・・・・(2)ミディアンの荒野時代(40歳から80最)・・・・・

ミディアンの荒野で、モーセは結婚し、舅の羊を飼う羊飼いの仕事を40年間していました。この後に、イスラエルの民を引き連れて、荒野を旅をする訓練でした。

イエス様も、天の父の羊である私たちの羊飼いとして、命を捨てて私たちを守っていて下さり、養い、美味しい生ける水を飲ませて、天の御国まで連れ上って下さいます。

モーセもまた、義父の羊の羊飼いとして経験を積んで技術を磨き、やがては、天の父の羊であるイスラエルの民を、天の御国を象徴する「カナンの地」まで、導き上る使命がありました。

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モーセが80歳の時、エジプトに遣わされる召命を受け取る日が訪れました。羊を追っている時、燃え尽きない芝の中に神の臨在があり・・・、

★出エジプト 3:1 モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。3:2 すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった

神は、モーセにエジプトから民を連れ出すように、使命を告げました。

★出エジプト3:10 「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
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しかしモーセは、色々と理由を上げて断り続けました。この事は、モーセが40年前とは違ってすっかり謙遜になり、全く自信がなくなってしまっているように、一見、感じます。

しかし反対にモーセは、出エジプトの任務を自分の力でしようと考えていたので、足りない所を数え上げて、神の命令を拒否し、神を怒らせてしまいました。

モーセがこの時に「真の謙遜」に達していて、全く自分の力に自信がなかったのなら、最初から「自分の能力」を見ずに神に頼るはずでした。モーセの母が、自分にはモーセを生かしておける力が全くないとして、全面的に神だけに頼って、籠に入れてナイル川にモーセを置いたように・・・。

★出エジプト 4:13 すると申し上げた。「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください。」4:14 すると、主の怒りがモーセに向かって燃え上がり・・・、

モーセは気づかずに、アダムが食べた「善悪を知る木の実」の結果である「自分を見る」罪が、心の中にありました。アダムがその実を食べた時、自分の裸に気づいたように、サタンの影響を受けた結果、私たちは自分を見。他人と比べ、環境を見て恐れを持つ者となりました。

湖上で、イエス様を真直ぐに見続けずに、湖面を見た為に溺れたペテロのように・・・。

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まだまだ自分の能力に頼る傲慢があったモーセは、籠の中に我が子を入れて神に頼ったモーセの母のように、自分の力では解決できない境遇を、全面的に神に頼ると言うレベルには、魂が砕かれていませんでしたし、その強い信仰に達していませんでした。

知識を知る実を食べた人間(信仰者でも)は皆、天地万物を造ってそれを維持している神の言葉と力には全面的に信頼せず、自分の野力を見ては高ぶり、他人と比べて足りない所を見つけては不満を持ち、環境(民の性格)を見ては絶望し、モーセのようにサタン(パロ)の力を恐れます。

モーセの両親は謙遜で、自分たちの力では赤ん坊を守り切る事は絶対に不可能だと自分たちの無力さを知っていたので、信仰によりパロを恐れず、神の力に全面的に頼って篭の中に入れました。

★ヘブル 11:23 信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした

まだ神の言葉を信じ切れず、神の力に頼り切れないので、怒った神に殺されかけたモーセは、妻のチッポラが息子に割礼をしてとりなしたので、神の力を象徴する杖を持たされ、兄のアロンと共にエジプトのパロ王の元に、出かける事となりました。

モーセの傲慢は、いつ砕かれるのしょうか?心(魂)の命は何時、一粒の麦のように死んで、豊かな実を稔らせるのでしょうか?

どんな時に、心の割礼を果たして、モーセの使命が100%神の力によって行われるのでしょうか?







・・・・・(3)出エジプトから荒野時代(80歳から120歳)・・・・・

燃える芝の中から「民の出エジプト」を導くように命を受けたモーセは、神の配慮で兄のアロンに付き添われて、やっとパロ王に会いに行きました。

★出エジプト 5:1 その後、モーセとアロンはパロのところに行き、そして言った。「イスラエルの神、主がこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、荒野でわたしのために祭りをさせよ。』」

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神がパロ王の心をかたくなにしたので、なかなか民を手放さずに、とうとう十回目に。エジプト人の初子を神の近いが撃ったので、民をしかたなく解放しました。

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初子を撃つ御使いが、小羊の血が家の入口に塗られたイスラエルの民の家を通り過ぎたので、神の民の初子は無事でした。神の国に旅立つ時に、イエス様の十字架の血潮が必須である事を指し示しています。、

 719の1

出エジプトした民を諦め切れないパロは、軍隊で追撃しましたが、モーセが神の杖を差し伸べた時、神が紅海を開いて民を渡らせ、渡りきった時に海を閉じてエジプトの軍隊を沈めたので、民は無事に向こう岸に着きました。

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民の先頭を行く御臨在の雲の柱は、先ずは民をシナイ半島の南端シナイ山にに導きました。

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出エジプトをして三ヶ月目に、民はシナイ山の麓に到着しました。ここを神は「礼拝の所」と定めてありました。

★出エジプト19:1 エジプトの地を出たイスラエル人は、第三の月の新月のその日に、シナイの荒野にはいった。

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シナイ山の頂に、神の臨在が降り来ました。民は神の民となり、神は民の民となる軽薄を結びました。出エジプトの最終目的地は、アブラハムに約束した、天の御国を象徴する「乳と蜜の流れる広い地;カナンでした。

★出エジプト3:8 わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。

しかし、モーセが最初からパロ王に言っていた荒野に出る目的は、「わたしの民を行かせ、彼らにわたしに仕えさせるようにせよ。」でした。エジプトの十の災いの後に、パロも言っていました。

★出エジプト12:31 パロはその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立ち上がって、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って、主に仕えよ

このシナイ山の麓で、モーセと民は「民が神の民になる」事と、「神が民の神となる」契約をしました。
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しかし誓った口も渇かぬ、この直後のことです、

山の頂上に臨在する神と四十日間語り合ったモーセは「十戒の板」をいただいて、麓に下りてくると、そこではモーセの帰りを待ちきれなかった民が、金の子牛の像をつくって拝み、祭りをしていました。

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モーセは極めて柔和な人でしたが、この偶像礼拝をしていた民を見た時に怒って、せっかく神からいただいた大切な「十戒の板」を地面に叩きつけました。

★出エジプト 32:19 宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。そして手からあの板を投げ捨て、それを山のふもとで砕いてしまった。

★出エジプト32:27 そこで、モーセは彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。おのおの腰に剣を帯び、宿営の中を入口から入口へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ。」32:28 レビ族は、モーセのことばどおりに行なった。その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた

温厚なモーセですら怒りましたが、神はもっと怒りました。









・・・・・(4)出エジプトから荒野時代(80歳から120歳)・・・・・

とうとう、モーセが自分の能力に絶望し、神に頼る時が訪れました。

モーセは、自分の永遠の命を差し出して民をとりなしました。十字架上で私たちの為に命を捨てて下さったイエス様の身丈にモーセは至っていました。

★出エジプト32:31 そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」

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モーセは初めて全面的に自分の能力に絶望し、ただただ神の御前に平伏しました。

★出エジプト34:8 モーセは急いで地にひざまずき、伏し拝んで、34:9 お願いした。「ああ、主よ。もし私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか主が私たちの中にいて、進んでくださいますように。確かに、この民は、うなじのこわい民ですが、どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自身のものとしてくださいますように。」

そして、自分の何かではなく、神の栄光が現れるしか、出エジプトはしたものの、天の御国を象徴するカナンの地まで民を導くの使命は達成できない事を悟ったモーセは、ただただ主の栄光の現れだけを求めました。

★出エジプト33:18 すると、モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」

この時に初めて、モーセの思弁が砕かれました。神の望む心の割礼を果たして、一粒の麦として自分の魂が死んだので、神の臨在に接し、モーセが想像もしていなかった民の素晴らしい姿を見る事となります。

このシナイの荒野に於いて、神は民に御霊を注いで魂を感動させ、立派に「神の幕屋」を完成させました。うなじが堅く、文句ばっかり言っていた民は、進んで余るほどに持ち物を捧げ、もともと賜物があった人々に素晴らしく油が注がれて、一点の落ち度もなく、完璧な仕上がりとなりました。

★出エジプト35:21 感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た
35:22 すべて心から進んでささげる男女は、飾り輪、耳輪、指輪、首飾り、すべての金の飾り物を持って来た。金の奉献物を主にささげた者はみな、そうした。
35:23 また、青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮を持っている者はみな、それを持って来た。
35:24 銀や青銅の奉納物をささげる者はみな、それを主への奉納物として持って来た。アカシヤ材を持っている者はみな、奉仕のすべての仕事のため、それを持って来た。
35:25 また、心に知恵のある女もみな、自分の手で紡ぎ、その紡いだ青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を持って来た。
35:26 感動して、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ。
35:27 上に立つ者たちはエポデと胸当てにはめるしまめのうや宝石を持って来た。
35:28 また、燈火、そそぎの油、かおりの高い香のためのバルサム油とオリーブ油とを持って来た。
35:29 イスラエル人は、男も女もみな、主がモーセを通して、こうせよと命じられたすべての仕事のために、心から進んでささげたのであって、彼らはそれを進んでささげるささげ物として主に持って来た。

★出エジプト36:2 モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、主が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた。36:3 彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た


聖霊が注がれる時に、神の宮が麗しく完成しました。

神が民の真中に住む為に、幕屋(教会)が立てられました。

★出エジプト25:8 彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む

その為に、モーセは40日間もシナイ山の中で神からの指示を受け取っていたのです。幻の中で見たのか、実際に天国に行ったのかわかりませんが、天の御国にある幕屋(聖所)の通りに造られました。これらの指示を理解し、書き留める為にも、モーセはエジプトで学問を学びました。

★使徒7:44 私たちの先祖のためには、荒野にあかしの幕屋がありました。それは、見たとおりの形に造れとモーセに言われた方の命令どおりに、造られていました。

 幕屋
 

幕屋(神殿・宮・キリストの教会・生ける宮)は、聖霊なくして絶対に完成しません。

そして、「幕屋」とは、キリスト御自身の事で、クリスマスの夜に、神の言葉ご自身であるイエス様が、この世に下りてきて、私たちの間に住んでくださいました。

★ヨハネ1:14 ことばとなって、私たちの間に住まわれた

★ヨハネ2:19 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」

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★Ⅰコリント 3:16 あなたがた神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

イエス様が十字架で、ご自分が真の幕屋(生ける宮)となられ、私たちをして、霊の所に聖霊が宿る尊く聖い宮として下さいました。

聖霊なくしては、この宮を完成する事は出来ないし・・・・、自分の魂(一粒の麦)の命を死なせなければ(心の割礼)、私たちの霊の所に宿った神の霊を、心に流し、体に流し、この世に流す事はできません。

 719の5

神様は、モーセの心の割礼を待っておられました。先に救われた私たちも「心の割礼」を果たして、リバイバルの道を備える使命を、しっかりと果たしたいと願います。

 再臨前の大収穫








エンディング

モーセの40年づつ三期にわたる120年の生涯の中で、
最も素晴らしい瞬間は、神様の御前に降伏して
栄光を求めた時でした。

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私たちも、自分の力で何事かを成し遂げようとする傲慢を捨て
ただ神様の口として、手として、足として、神からの指示どおりに働きましょう。

私たちは、イエス様の再臨前リバイバルの為の道備えをする使命がある者です。
初臨の道備えをしたバプテスマのヨハネのように
方舟を準備したノアのように
ロトの一家を火の裁きから救い出そうととりなしたアブラハムのように・・・

・・・そして、イスラエル民族をエジプトから連れ出したモーセのように
私たちは、家族を、親戚を、友人を、近所の人々を、地域の人を
日本の民族を、世界の御父が愛する息子。娘たちの全てを
天の御国にまで共に連れ上る使命があります。

その為に、心の割礼を毎日果たし、
もし、体の殉教に導かれる時には、それを喜び
天国に行った時に、永遠の中で、主に喜ばれましょう。

私たちは、一人一人が終末のモーセです。
聖霊がその為に、私たちに注がれています。




聖歌533番 新聖歌440番 
♪「エジプトに住める我が民の」♪


① エジプトに住める 我が民の 苦しみ叫ぶを 聞かざるか
行け モーセ パロに告げよ 「我が民 去らせよ」と

② エジプトを出でて 我が民を 約束の地へと 引き到れ
行け モーセ パロに告げよ 「我が民 去らせよ」と

③ 心を固くし 聞かざれば 災い来たると 語るべし
行け モーセ パロに告げよ 「我が民 去らせよ」と

④ 奴隷にせられし 同胞(はらから)の 苦しみ呻(うめ)くを 知らざるか
いざ行け 救い出(い)だせ 疾(と)く疾く 同胞(はらから)を


3ライン 







 ★花のライン17休憩
2013年7月26日(金)コチラに続きます。「双方向のパンの出会う所」についてです。


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天国への地図(4)幕屋(三)パンの机[3]「裂かれたパン⑦「心の割礼(殉教)の実際・・・二人の信仰の母」

1★十字架のライン
 
 裂かれたパン⑦「心の割礼(殉教)の実際・・・二人の信仰の母」  
・・・聖書全編が語る「パンが真二つに裂かれる事の奥義」・・・

 前々回「裂かれたパン⑤割礼の奥義」からの続きです。
重要な所なので是非、是非コチラから、
一つづつ順番にお読み下さる事をお勧めします。







ライン15
《6》「心の割礼(殉教)の実際・・・二人の信仰の母」 


・・・・・(1)イエス様の母マリヤが魂を裂いた時・・・・

ある説教者が、仰いました。「イエス様の母マリヤは本当に素晴らしい信仰者でした。もし多くの人がマリヤの素晴らしさゆえに偶像礼拝をしてしまう勘違いをしないのであれば、私はもっとマリヤを褒めてあげたいのに」と・・・。しかし本日は、人間マリヤの素晴らしい信仰を見て行きたいと思います。

御使いガブリエルが、乙女マリヤの元に、天からのメッセージを届けに来ました。

 712の2
http://www.gallery-aoki.com/mu_renaissancetop.html 

★ルカ1:28 御使い(ガブリエル)は、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい・・・。」

婚約はしていたものの結婚はまだであった乙女マリヤは、御使いガブリエルに「おめでとう!」と言われた時、また男の子を産むと告げられた時に、非常にとまどいました。

御使いが、「神からの恵み」と伝えても、マリヤのとっては単純には喜べなかった事でしょう。人間世界の常識(肉の思い)から考えたら、「祝福」と言われても決して自分から進んで望むような展開ではなく、なるべく避けたい「大きな危機」でした。

結婚せずに出産する事は、当時の社会常識からも、ユダヤ人社会での掟(不貞行為の女性は石打ちの刑)でも、厳しい道でした。また、婚約者のヨセフが信仰に立って理解してくれても、世からの誤解や悪評判を充分に覚悟しなりませんでした。

しかしマリヤは、自分の肉から来る思い(出来れば避けたい困難・危険・・)を引き裂き、天の御国の、神の霊から来る御言葉を受け入れました。うら若きこの乙女の信仰は、自己(魂の主張)を捨てた、イエス様の十字架上の身丈(ガラテヤ2:20)に達していました。

★ガラテヤ 2:20 はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。

イエス様の十字架前夜のゲッセマネの祈りと同じように、マリヤも後の苦しみに対する心配を一切委ねて、神の御心を尊重して御言葉を受け入れました。

☆ゲッセマネの園でのイエス様の祈り
★ルカ 22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく みこころのとおりにしてください。」

神の御言葉に従うと言うイエス様の身丈だけではなく、イエス様の謙遜の身丈にも、このお腹に宿った聖霊によって導かれました。

☆マリヤの答え
★ルカ1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。・・・1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。 

この後、バプテスマのヨハネの母エリサベツの家で、マリヤは美しくも力強い賛美を主に向かって歌い上げました。信仰者の心の奥底(腹)に聖霊が宿った時、どんな困難の中にいても、心配の中にあっても、危機が明らかに迫っていても、心からの賛美が湧き上がって来て、信仰者を麗しく満たすのです。

体の殉教も、心の殉教も、天からの特別な聖霊の傾注があって、心が破裂しそうに喜びで満ち溢れるのです。


・・・「マリヤの賛歌」・・・

マリヤの賛歌


★ルカ1:46 マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、1:47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます
1:48 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
1:49 力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く
1:50 そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます
1:51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
1:52 権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、
1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
1:54 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました
1:55 私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」






・・・・・(2)息子の痛み苦しみを見守る母マリヤ・・・・

マリヤがイエス様を出産して八日目、イエス様は割礼をお受けになりました。イエス様は私たちと同じ肉体であったので、あまりの痛さに火がついたかのように泣かれたかもしれません。

いくらユダヤの伝統で、どの家庭の男子の赤ちゃんも皆この手術を受けるとは言え、イエス様の割礼の間、その後の痛みが引くまで、母マリヤは見守るだけでも辛かった事でしょう。

★Ⅰコリント10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

私;福田も幼児の頃、背中のいぼの手術をした時の事を思い出します。手術室で恐怖と痛みのあまりの大声で泣き叫んだのですが、その大きな泣き声の前の、息を長く吸い込む時の窒息するかと思われるほどの苦しさを、今でも忘れる事ができません。

それを隣室で聞いていた私の母の気持ちはどうだったのでしょうか?

しかし外科の手術も、割礼も、執刀する人間が悪意でしているわけではなく善意からです。短いとは言え、かなりの痛みを伴うのがいくら可哀想でも、その後の本人の為には大きな益となる事でした。そしてこれらは、世の人々も味わう常の苦しみでした。

 712の1

しかし、その割礼の三十三年後、マリヤは自分が生み育てた愛する息子が、悪意・敵意によって痛めつけられ苦しみを受け、死刑にされる場面に立会いました。

マリヤは母として、三十歳になるまでのイエス様と共に暮らしており、イエス様が普通の人間と変わらずに、痛み・苦しみ・悲しみを感じる肉体と心を持っている事を百も承知でした。しかし十字架上のイエス様は、一言も苦しいとも痛いとも仰いませんでした。おそらく、割礼の時には泣き叫んでいた事でしょう。

しかしイエス様は、どんなにか大声で叫びたいほど、うなりたいほどに苦しくても、痛くても、辛くても、一言も発せずに全てのしえたげと裁きとをご自分の身に受けて、父の御心に完全に従順した姿を、母マリヤは見ていました。

★イザヤ 53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。 53:7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。53:8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

アブラハムには身代わりの小羊を準備しても、ご自分の一人息子が十字架に付けられる時は見ている患難を受け入れた天の父の心を、モリヤの山で自分が死ぬよりももっと辛い我が子の苦しむ姿を覚悟したアブラハムと同じように、マリヤもまた味わいました。

そして、マリヤが人間として見ていた表面的、肉体的な痛みをはるかに超える、十字架の本当の苦しみの全てを見ていた天の父の心の患難と言える痛みのほんの一部分を、マリヤも時間を共にして味わう光栄に与りました。

信仰者にとって、イエス様の身丈に至る目標(ガラテヤ2:20)がありますが、なぜイエス様の身丈に至る必要があるのかと言うと、父の心を知るため(目的)です。

人間側の私たち信仰者の父アブラハムも、人間イエス様の母マリヤも、私たちと同じ人間です。私たち人間を造って下さった天の父の心を知るには、神であるイエス様の身丈に至る必要があります。そしてこの二人の人間は神の御心の一部を共有する友として、大きな試練の中で、その最高の段階に至りました。

しかし、この二人は、人間の常、世の常ではない大きな危機を通らされたのは事実です。

聖書の中の登場人物たちで、特別に御霊が注がれて、いつも共にいる(インマヌエル)と約束された主の真の弟子(僕・はしため)には、通常ではない危機を通され、信仰が訓練されます。

「主が共におられる」事は神から信仰者への最高のプレゼントであり、「子孫繁栄(信仰者)」と「約束の地を受け継ぐ」事は、アブラハムの従順によって私たち信仰者に与えられた約束です。

☆アブラハム
★創世記 26:24 主はその夜、彼(アブラハムの息子イサク)に現われて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」 

★創世記21:22 アビメレクとその将軍ピコルとがアブラハムに告げて言った。「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる。」


☆マリヤ
★ルカ1:28 御使い(ガブリエル)は、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます(インマヌエル)。」

そして、その約束は、御父と、御子イエス様の十字架の患難の忍耐により、実現しました。マリヤも弟子達と共に生ける水「聖霊」を求めて祈り、聖霊のバプテスマを受けたのです。共におられる助けぬし聖霊を心の奥底に迎えました。

★使徒 1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。







・・・・・(3)モーセの母ヨケペデ(ド)が魂をを裂いた時・・・・

世の常ではない大きな信仰の試練に出会った母がいました。モーセの母ヨケペデ(ド)です。

イスラエル民族がエジプトで奴隷であった時、神様からの祝福で増えあがった民を恐れ、生まれた男の子はナイル川に投げ込まねければならず、隠して生かしている事が見つかったら、エジプト兵に男の子も家族も殺されかなねい恐ろしい環境でした。

イスラエル人の若い家庭に、恐ろしい危機が訪れていました。三ヶ月間の間、泣き声が外を見回っているエジプト兵に聞こえないように、口を押さえながら育てていたのでしょうか?

モーセの母は、赤ちゃんのモーセの泣き声を抑え切れないようになった時、モーセの命を主の御手に委ねて、パピルスで編んだに入れ、ナイル川に浮かべました。

モーセの母は、厳しい現実の中で男の子を産んだ境遇を思い、また自分の手で保護してあげたい可愛い我が子と別れなければならない悲しさで、どんなにか胸が引き裂かれる思いであった事でしょうか?

普通のクリスチャン家庭では赤ちゃんが生まれると若い夫婦が、夢心地で赤ちゃんに白いドレスを着せて胸に抱き、所属の教会で、喜びに溢れて「献児式」をします。

しかしモーセの母の「献児式」は、真の「献児式」で、この日にモーセの生涯の全てを、祈りの内に神の御手に完全にお任せしました。

 712の3

このモーセの篭もテーバーと言い、ノアの方舟と同じ言葉です。

ここに、信仰者の最も尊い生き方があります。私たちは真の天の父を信じたのなら、どんなに大きな危機の中でも、自分と家族の全生涯を主の御手に委ねて、世間の大嵐、大風、大洪水、大波の中にあっても方舟(福音;御言葉の約束)の中で安らぐべきです。

通常の危機ではなく、かつてないような、これからもないような大きな危機の中で、イエス様の天国行きの方舟の中で安息を体験する真の信仰者の出現を、天の父は待ち望んでいます。

・・・・・・・・・・・・・

今の所、私たちが置かれている日本は、他の時代に比べ、また他の紛争地域に比べて安全です。

しかし最後の時が迫ると、イエス様が仰ったように、いまだかつてない大きな危機の時が訪れます。人間が、自分の力で、能力で、経済力で、知識で、協力で・・・、安全に生き延びる事ができる、幸せになれる・・・と傲慢になって、天地万物を造られた神に頼ろうとしないから、彼らの傲慢を砕いて天に目を向けさせるためです。

イエス様の再臨が来る前に、前兆がある事を、約二千年前にイエス様が、弟子達の質問に答える形で語っています。

★マタイ24:21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

 終わりの日の前兆

★マタイ24:29 だが、これらの日の苦難に続いてすぐに太陽は暗くなり、月は光を放たず、は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです

 ★初臨と再臨

旧約聖書は、イエス様の誕生(初臨)を、イザヤ書やミカ書など数箇所で預言しており、約二千年前に成就しました。

しかし、その旧約聖書には、イエス様の誕生の預言よりも多くの再臨の日「その日」の預言があり、もちろん新約聖書でもイエス様が、そして使徒たちが語っています。それが実現する日が迫っています。

その最後の日の直前の通常ではない天変地異の中で、私たちクリスチャンは世の人々を、最も安全な天国行きの船「テーバー」の中に導き入れる役割があります。

天地創造から額面通り、御言葉通りに計算して約六千年経った今の最後の時代が、最も重要な時です。今のこの時代の雛形は、イスラエル民族の出エジプトの出来事です。

私たちは今、パロ王(この世の君;サタン)の支配するエジプト(この世)から、小羊(十字架)の血によって贖い出され、カナンの地(天の御国)を目指して、心の中で荒野を旅をしているのです。

★Ⅰコリント 10:11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。

荒野でどんな困難があっても、主の臨在が伴って私たちを導き、助け、天の御国まで伴って下さるのですから、思いがけない、かつてない、これからもないような大きな危機があっても、ただただ主の御言葉に信頼して、多くの兄弟姉妹と共に御国に入りましょう。





エンディング

私たち日本のクリスチャンには、この再臨前のリバイバルに対して
大きな使命があるように多くの方が感じられていると思います。

しかし、私;福田のように六十歳台に入っていると、
かつてなかった天変地異の中で、雄々しく主の真の弟子として働くのは
私たちの息子・娘の代か、孫の代ではないかと感じています。

今の時の私たちは、アブラハムのように、モーセの母のように、
そして、イエス様の母マリヤのように、
息子・娘の全生涯を完全に主の御手に委ねると言う、
全き献身の心が育っているでしょうか。

彼ら三人は、私たちと同じ人間です。

全てを天の父に任せて、イエス様の十字架の道を、従がって行けるでしょうか?
自分自身と若い世代の、心の殉教と体の殉教を、天からの喜びに輝いて
全うできるように、聖霊の大傾注がある事を確信しているでしょうか?、

私たち(自分と自分の家族)がやっとやっと、身一つで天国に入るのではなく、
天の父に「良くやった、私の息子・娘」と喜んでいただいて
美しい冠をかぶせていただく事を、夢見ているでしょうか?


3ライン 







 ★花のライン17休憩
2013年7月19日(金)コチラに続きます。「モーセの心の殉教(割礼)」についてです。

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天国への地図(4)幕屋(三)パンの机[3]「裂かれたパン⑥心の割礼(殉教)の実際」

1★十字架のライン

裂かれたパン⑥「心の割礼(殉教)の実際」  
・・・聖書全編が語る「パンが真二つに裂かれる事の奥義」・・・

前回「裂かれたパン⑤割礼の奥義」からの続きです。
是非コチラから先にお読み下さい。








ライン15
《6》「心の割礼(殉教)の実際」 

・・・・・魂を包む堅い殻(垂幕)を砕く・・・・・


イエス様は生まれて八日目に「割礼」を受けられました。赤ちゃんのイエス様にとってどんなに可哀想でも、割礼を受ける事は、神の民イスラエルの民として絶対に外すことの出来ない、100%の民への義務でした。イエス様は私たちと同じように「肉体」をまとわれて地に来ましたから、痛くて火がついたように泣き叫んでいた事でしょう。見ている母マリヤも、さぞかし辛かった事でしょう。

★ルカ2:21 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。

イエスの割礼
http://www.senzoku.org/x_1216.htm

神の民に対する割礼の命令と同じように、イエス様が私たち弟子に魂の命を一粒の麦(心のパン)として裂いて死なせなさいと、心の割礼を命令しているのに、私たち教会の主の弟子達は、イスラエルの民のように、100%が「言葉に従がっているでしょうか?

イスラエルの民が100%「体の割礼」を行って来た歴史は、私たち真の主の弟子の100%が「心の割礼」をしなければならにと言う神様からのメッセージではないのでしょうか。

イエス様が割礼を受けられた時、どんなに痛かったとしても、それから三年半後に受けた十字架の苦しみに比べる事は出来ません。

それと同様に、私たちがもし心の表皮を裂いたとしても、イエス様の十字架の苦しみに比べる事はできません。この「心の割礼」とは、実際には何をする事でしょうか?

 621の8

ウオッチマン・ニーは、ベタニヤのマリヤと思われる女性が割った石膏の壷を、私たちの「霊」を取り巻く「石膏の壷のように固い自我」であると、たとえています。

★ マルコ14:3 イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。

私たちの霊に、天から来る神の霊が宿っていても、頑強な自我が取り囲んでいるので、心にまで到達できないと。

マリヤがイエス様の為に石膏の壷を割った時、その中に閉じ込められていた香りは、マリヤ自身に香り、イエス様を喜ばせ、そして周囲にまでその香りが届きました。

私たちも主の為に心の表皮を裂くのであれば、先ず主を喜ばせ、天からの幸いが、魂に届き、体を健康にし、世に流れ出してゆくのです。

★Ⅲヨハネ 1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸を得ているように すべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

①霊(至聖所)⇒②魂(聖所)⇒③体(全体)・・・となると、私たち生ける宮(教会;神殿;幕屋)ですから、①霊(至聖所)と②魂(聖所)の間に「垂幕」があります。

 45の1 心の垂幕

イエス様は、十字架で死んで息を引き取られた瞬間に、ご自身の全て(霊・魂・体)が裂かれた象徴として、証拠として、神殿の垂幕が裂かれ、私たち信仰者んの体が死んだ時には天に帰る道が開かれ、生きていては天の御座の前に出て礼拝を捧げる事ができるようになりました。

 531の2

イエス様が十字架の死を通して、ご自分を二つに裂いて天からの祝福を私たちの「霊」の所に与えて下さってので、私たちは自分自身の心のパンを引き裂いて、それを自分と世に流して行く事ができます。自分の心の表皮を裂くのなら、可能です。

 705の1

韓国O教会のL牧師が、大学生時代の下宿での様子を、聖日礼拝のメッセージで語られました。

その下宿の女主人は自室で、午前中に三時間も毎日、祈りや賛美を熱心に捧げているそうです。ところが、夕方にご主人が仕事先から帰ると、とたんに大声でご主人にうらみや不満をぶつけて夫婦喧嘩が始まるのがうるさくて、勉強がはかどらなかったそうです。

ここに、私たちの問題点があります。イエス様が至聖所への道を開いて下さったので、私たちは何時間でも居たいだけ御座の前に座り込み、賛美をして明るい気持ちになり、祈りをささげ、御言葉をいただき、慰めを得、ある人は預言もいただくかもしれません。

しかし、私たちの肉の思い(心配事、恨み、不満、怒り、不愉快、悔しい事・・・)を、全て十字架に釘付けて、死なせてしまわなければ、私たちの心も、夫婦関係も、環境も・・・、何も変わる事はありません。

女主人が午前中は天から「命の木の実」を取って食べて喜び、夕方から夜にかけて、地獄のサタンから来る「善悪を知る知識の木の実」を自分と夫に話して暗黒を味わう事は、パウロの言う「魂の救いが全うされていない」事であり、霊に属してはいなく、肉に属している人であり、キリストの身丈には程遠く「信仰の幼児」であると言う事です。

★Ⅰコリント 3:1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。3:2 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。3:3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

キリストにあって大人(成人)になると言う真理は、イエス様を幕屋として見た時に初めて理解できます。本日は詳しく説明できませんが、イエス様が十字架上で、幕屋の器具と同位置に血を流されたのが、イエス様が幕屋である証拠です。本当に最近になって開かれた御霊による奥義です。

下記の図を見ていただくと、イエス様の頭部が「至聖所(天の御国の領域)」であり、両手と胸の位置が「聖所」です。

イエス様は十字架で垂幕を裂かれて天に帰られたゆえに、の部分が「垂幕」であり、私たち信仰者が一度でも、自分の肉の思いを裂いて「心の殉教(心の割礼)」をするのなら、背は低くてもキリストにあって成人となるのです。

 705の2

キリストの身丈に達するとは、ガラテヤ2:20のラインに達すると言う事です。

★ガラテヤ 2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

先ほどの下宿の女主人のようにわかりやすくはなくても、私たち信仰者は誰でも「命の木の実」を食べたり、「知識の木の実」を食べたりの繰り返しです。でも、一度でも心の殉教をした時、決して世からは味わえない、イエス様の仰っていた何かを体験します。イエス様がなぜ、私たちの為にご自分の全てを捨ててくださったのかの片鱗を、味わう事となります。

下に、ガラテヤ2:20のラインを、至聖所への垂幕として、具体的に何をすべきかを表してみました。

 621の7

十字架(殉教)の堅い骨の入っていない「善悪を知る知識の木の実」を吐き出して(悔い改め)しまい、「イエス様の十字架(殉教)の木の実」を食べましょう。

サタンは、信仰者が殉教する時に、この世に神の御国が激しく臨むのがわかっているのでで、心の殉教も、体の殉教も阻止しようとして、肉の心が喜びそうな食べ物(この世の快楽、この世の名誉、この世の富・・・)を食べさせようとします。

イエス様の来臨と共に、この世はサッと閉じてしまいます。韓国のF教会のT牧師が、子供時代に海へ遠足に行った時の事を、再臨をたとえていました。

海辺の砂で、子供たちは夢中になって山とか、お城とかを造って遊んでいた。しかし、教師が「ピーっ!」と帰りの合図をしたとたん、子供たちはせっかくの作品を見向きもせず、帰りのバスに乗って去ったと。

 ★砂上の楼閣

そのあとで、満ち潮になったら、これらの力作は跡形も残りません。サタンは、その去ってしまうものに、私たちクリスチャンの目を釘付けにしようとしています。

アブラハムの甥のロトの家族が、最後の日を象徴するソドムとゴモラの滅亡の日に救い出されました。しかしロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱となってしまいました。

 RH-Sodom_DSC_0071.jpg

あるカトリックの修道女のメッセージでは、ロトの妻が実際に振り返ったのは「自分の世と世に付く思い」であったと語られました。

真のエクソダス(出エジプト)しようとする再臨の間近き今、私たちクリスチャンがすべきは「心のエクソダス(出エジプト」です。

今の重要な時代を生きる私たちクリスチャンは、リバイバルである魂の大収穫を迎える為に、「心のエクソダス;心の割礼:心の殉教」を捧げて行くべきです。

 45の5 心の垂幕 通り良き管

この限りある世の栄光「世と世に付くもの」を求めさせて、夢中にさせるのがサタンの常套手段で、残念ながら私たちクリスチャンは今の所、その策略にまんまとはめられてしまう場合が多いように感じます。

サタンの方がよほど私たち信仰者よりも、下記の御言葉の意味を知っていて、体の命を捧げる殉教者の存在が、そして信仰者が生きていて心の殉教者になる事が、どれ程までにこの地に大きく御国を開くか知っていて恐れています。

★ヨハネ 12:23 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。12:25 自分の>(魂の)いのちを愛する者はそれを失い、この世でその>(魂の)いのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。12:26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。

私たちは、イエス様がパンとなって天から降り、全身・全魂・全霊を裂いて私たちの命のパンとなって下さったので・・・・、

私たちが生きている間は、心であるパン(麦)を毎日裂いて、御国を流す通路となりましょう。そして、魂の死を体験するたびに、キリストの高き身丈へと成長して行きましょう。

 45の4 心の垂幕 リバイバル


二千年前にイエス様が十字架で、私たちの罪を贖うために苦しまれたのだから、現在の私たちは、苦しむ必要は全くないと言う考え方があります。

もちろんイエス様のように大きな痛み苦しみではなく、イエス様が私たちにその一部を分け与えて、弟子の証拠として私たちの人生に、その指先でチョンと付けて下さった「本当に小さな十字架の痛み」を耐え忍んで、イエス様の高さ、深さ、広さ・・・のほんの少しでも知るよすがとしましょう。




 ★花のライン17休憩
2013年7月12日(金)に続きます。
「心の割礼(殉教)の実際・・・二人の信仰の母」についてです。

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