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2013年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年09月

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天国への地図(4)幕屋四燭台燭台⑤「アブラハムの生涯を導いた聖霊の灯と火」



本日は、2013.8.2コチラより始まった、燭台(聖霊)のシリーズの五回目です。

その中でも重要な、先々週コチラからの「焼き尽くす火としての聖霊」についての三回目です。(二回目はコチラから)

天地創造の七日間と幕屋の七つの器具が・・・、キリストの生涯、出エジプトの歴史、信仰者の生涯・・と対応している事を検証している「天国への地図」のシリーズは、コチラから始まっています。







1★十字架のライン
 
先週は、私たちの心の畑に生える「毒麦の正体」と、それを「焼き尽くす火」としての聖霊の役割でした。

一つのイラストにまとめてみますと、下記のようになります。

 860の14

天の父が、私たちとの真心からの礼拝を最上の喜びとされるので、強制されてではなく、自由意志から真心からの礼拝を捧げる事ができるようにと、全ての被造物に自由意志を与えました。

そして、今も「命の木の実」と「善悪を知る知識の実」が選択肢として私たちの目の前に存在しています。そのどちらを選ぶのか・・・自由意志を使うのはあくまでも人間側の信仰の決断にかかっています。

一見おいしそうな知識の実を手に載せて、私たちの目の前にちらつかせているのはサタンですが、それを食べるか否かは信仰者の側の責任です。

信仰者が人生のあちこちに稔っている「善悪を知る知識の実」を悔い改めて吐き出し、「命の木の実」を食べる事を恋い願うまでに、聖霊はとなって私たちの人生に介入し、生涯を聖さへと導こうとしておられます。

心の中に点々と育ってしまった「毒麦」を生きている間に判別させて焼き尽くして聖め、天国に「たわわに稔った良い麦の束」を、天の父へのお土産として持って帰る事ができるように、「イエス様の霊そのものである聖霊様」は私たちを助けて下さいます。

本日は、その聖霊のが、実際にどのように信仰者の生涯に働くのか、そして、実際に聖霊のはどのように毒麦(肉)を焼くのかと言う実例を、アブラハムの生涯で検証して行きたいと思います。






ライン15
燭台⑤「アブラハムの生涯を導いた聖霊の灯と火」 


・・・・・(1)アブラハムの旅立ちの時、甥のロトを伴う・・・・

天の父は、人間側の人類の父をアブラハムと定め、モリヤの山での大きな使命を果たさせる為に、偶像を造る職人であったテラの息子アブラ(ハ)ムを、偶像の町ウルから呼び出しました。

★使徒 7:2 「兄弟たち、父たちよ。聞いてください。私たちの父祖アブラハムが、カランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現われて、7:3 『あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け。』と言われました。

アブラ(ハ)ムは神から召命の声(命の木の実)である御言葉を聞いて、どこに行くかも知らずに旅立ちました。アブラ(ハ)ムの心にある良い麦が結実して、行動に現れた結果です。

故郷を離れて知らない土地に旅立ったのは、本当に素晴らしい信仰の従順です。しかし、細部まで完全に守ったかと言うと、「あなたの親族を離れ」と言う御言葉には従がっていませんでした。父のテラが主導権を持って、アブラ(ハ)ム夫妻と、アブラ(ハ)ムの兄弟の息子ロトを伴いました。

旅の途中のカランの地に、彼らは父のテラが死ぬまで住み着いてしまいました。

★創11:31 テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。 11:32 テラの一生は二百五年であった。テラはカランで死んだ

そしてもう一度、アブラ(ハ)ム七十五歳の時、カランから旅立ちます。今から約四千年前の事でした。

★ヘブル11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました

メソポタア(カルデヤ人のウル)からと、カランからの二度、旅立ったわけですが、二度目のカランからの旅立ちの時にも「相続財産として受け取るべき地に出て行け」との重要な命令には従ったものの、「親族を離れ」の神の命令までは守らず、神の御前に一人(一単位)である夫婦以外の、甥のロトを伴ってしまいました。

 830の6

アブラ(ハ)ムの心の大部分には、御言葉を尊重して従順すると言う「命の木の実」が稔っていましたが、ほんの少し、自分の考え(思弁;神の御言葉と違う判断;善悪を知る知識の実の結実;育った毒麦)がありました。

若くして死んだ兄弟ハランの残された息子ロトを、気の毒に思った優しさ故であったのでしょうが、それが善悪を知る木の実の「善の実」であったのです。

これが私たちには判別のし難い人本主義(ヒューマニズム)です。神の基準の善と、人間の考える善とは大きく違う場合があります。もちろん天地万物を造り、それを支えている神の考えの方が、被造物の私たちより正しいに決まっています。

※日本人が一般的に把握しているヒューマニズムは、「人道主義(ヒューマニタリヤニズム)」に近いように感じます。

「人本主義」とは、「神本主義」の反対で、神の判断よりも人間の判断や計画や考えを正しいとし、神の存在なしに・・・、十字架もなしに・・・、人間は自分の能力で充分に幸福に存在し得るとする「善悪を知る知識の木の実」を食した結果です。「神礼賛」ではなく「人間礼賛」です。神よりも賢い自分の善悪の知識による判断で、「御言葉」を取捨選択をする傲慢です。

聖霊のは、アブラ(ハ)ムを心の奥底で導いて、カナンの地まで連れ上りました。しかし聖霊のは、ロトを伴ったと言う「善を知る知識の実」である「毒麦」を、アブラ(ハ)ムの心と人生から引き抜いて、聖霊の火を天から降し、焼き聖めました。

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創13:8 そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。・・・ 13:11 それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。13:12 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。

新約聖書の時代になり、使徒パウロは「命の木の実(良い麦の種)」を「霊の実」と捉え、「善悪を知る知識の木の実(毒麦の種)を「肉の行い(結実)」と言い表しました。

私たちが一般の信仰者(神の民)であったり、未信者であるのなら、火の裁きは主の日の一度だけです。
★ヘブル9:27 人間には、一度死ぬこと 死後にさばきを受けることが定まっている・・・

しかし、私たちが真の主の弟子として、神の僕として、その尊い神からの使命を少しでも果たさせていただこうとするのなら、私たちは生きている間に、聖霊の火で聖められる事を願いたいと思います。

 830の14

使徒パウロがガラテヤ五章で記したように、私たち信仰者が肉の思い(知識の木の実・毒麦の種」を選択する時に、必ず肉の行い(結実)が現れて、私たちの心の中と人生を聖めます。

アブラ(ハ)ムの肉の実の結実は、争いと別離でした。下記の赤字の部分は、ロトを伴った事により現れた知識の木の実(毒麦)です。
※しかし別離は、ウルとカランからの旅立ち時本来の神の計画に強制的に従わせた結果となりました。

★ガラテヤ 5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、5:20 偶像礼拝、魔術、敵意争いそねみ、憤り、党派心、分裂、分派、5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません

このような者は、神の国を継げないし、本当の意味で神の使命を果たす事は出来ないので、聖霊の灯は関係者の心を導いて神の言葉に従わなかった結果を見せ、聖霊の火は知識の木の実(毒麦の束)を焼き尽くします。

著名なリバイバリストや、大教会の牧師、伝道法や教会形成など何かの方法論の創始者などに、権力の誇示や、金銭欲、異性問題などが見られる場合があります。
※信仰から最も遠い、未信徒に対するアプローチに於いて、教会と信仰者個人は、この世の常識、この世での善の捉え方から外れては彼らを導く事はできません。最後のリバイバルで聖霊の大傾注により聖霊ご自身が直接彼らの霊に大きく働く時までは、これらの方法論も重要な教えです。しかし何時の時代にあっても、心の動機が何であるかを、インマヌエルの聖霊は、私たちの心の奥に常駐し、絶えず探っておられます。

主の僕の、陥りやすい事として気を付けなければいけない三つは、①名誉欲、②金銭欲、③男女関係ですが、神のため、人の救いのため、教会や教団の発展のためとの大義名分があったとしても、それが天(命の木)から来るのか、地下(知識の木)から来るのか、自分自身の欲から来るのかを、常に聖霊の灯に頼って、御言葉に照らし合わせて把握させていただく必要があります。

そのような三大欲望が心にあり、言動まで現れ出ていたら、それは「肉の実(毒麦・知識の実)」であり、自分や団体のあり方の中に、御言葉から来ない物が混在していると言う証拠になります。天の父の完全さは、大体が正しくても、それで満足なさりません。細部までの完全を求めておられます。

天の父は農夫ですから、そのような不完全な信仰者を裁くためではなく、罪に気づかせるために、しばらくは肉の実を目で見えるまでに結ばせるままにし、後に火で降して悔い改めに導きます。

私たちはそれを、一方的な神からの火のような試練と感じる場合もありますが、試練の時には、自分の思い、言動の中に御言葉と違う所がないかを、聖霊の導きを仰ぎつつ、主の御前で検討しなければなりません。
※もちろん、試練の意味は幾つかありますが、それらも全ては神の栄光に繋がる事です。

★Ⅰペテロ 4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです

生きているうちに悔い改める機会があり、キリストの聖さに近付くチャンスがあるのは、本当に幸いな事です。






・・・・・(2)山鳩の親子・・・・

アブラハムの肉の性質は、一朝一夕では取り除かれませんでした。

大方で神からの召命に従ったものの、最後の詰めで肉の思いを通してロトを伴い、御言葉への完全な従順を学んだアブラ(ハ)ムでしたが、創世記十五章にて、もう一度小さい部分にまで従順しなかった事で、大変な思いをします。

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神からの命令(命の木の実)に従順に従い、大きな動物三頭(三歳の雌牛・三歳の雌やぎ・三歳の雄羊)を屠って裂き、向かい合わせにしたものの、山鳩とそのひなは、自分の肉の判断(知識を知る木の実)で、裂きませんでした。

大きなものを裂いたからもう大体良しと思ったのか、疲れたのか、ロトを伴った時のように、山鳩とそのヒナが可哀想に思った(善の実)のか、御言葉に完全には従いませんでした。

普通の人間の考えでは、動物や鳥の命を哀れん殺さないと言うのは「善」です。しかし、神の御計画の中にあって、たとえ動物や鳥の命を奪っても、痛がっているのを見ていても、大きな目的のために実行する事が「神の善」です。

被造物の私たちが、神の善の意味がわからなくても、従わなければならないのは、私たちの思いが神の思いよりも極めて低く、その差は天と地ほどに違うからです。

※私たちが、小さい子供やペットなどに対して、彼らが願っている事でも、危険な事、不幸に繋がる事でしたら、彼らが理由を理解できなくても、彼らの願わない事を実行するのと同じです。たとえば、ペットのネコなどがどんなに外で遊びたがっていても、台風が来る事がわかっていたら、早めに家に連れ帰ります。それが知能が高い立場の者のするべき事です。

アブラ(ハ)ムは、この「遥かに高い神の考え」をまだ充分に理解していなかったので、将来の重要な使命を果たす為に、毒麦が芽の内に取り除くために、火のような裁きを体験しました。

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この地獄のような暗黒だけでなく、子孫への大きな試練も告げられました。

★創15:13 そこで、アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。 15:14 しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。」

自分自身が体験した暗黒の恐怖も辛かったのですが、子孫への苦しみを思うと、アブラ(ハ)ムは、どんなに苦しくても、神の御言葉(命の木の実)を細部まで守る信仰者へと成長して行きました。

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イエス様は、私たちに完全を願っておられます。

★マタイ5:48 あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい

私たちは無理だと最初から諦めていますが、天の父のように「完全になり得る事」をアブラハムを通して見せておられます。これは聖霊の働きの賜物です。モリヤの山に上る時、聖霊が助けて下さり、心の内は殉教者たちのように、圧倒的な命に輝く神の御霊が熱く燃え上がっていた事でしょう。





・・・・・(3)肉の子・霊の子・・・・

信仰者であるアブラ(ハ)ムの妻サラ(イ)も、アダムの妻エバのように、善悪を知る知識の木の実(肉の思い)を夫に勧めました。

★創世記 16:1 アブラムの妻サライは、彼に子どもを産まなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。 16:2 サライはアブラムに言った。「ご存じのように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにおはいりください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。

そしてアブラ(ハ)ム夫妻は、二人が合意の上で、アダム夫妻のように「善悪を知る知識の木の実(肉の実)」を食し、女奴隷のハガルのお腹にその肉の実が結実しました。

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その時に穏やかであったアブラ(ハ)ム家は、肉の実(知識の木の実)が結実し、女性同士の火花が散る戦場と化してしまいました。パウロの言う肉の行い(結実)が、ロトの時のように火として現れました。下記の赤字の他に、心の苦しさのあまり、酩酊もあったかもしれません。

★ガラテヤ 5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。

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そして年月が経ち十七章の時、神はアブラムに新しい名前アブラハム(多くの国民の父)を与え、妻サライはサラ(王女)になりました。

サラとなって、かねてからの約束の子イサク(霊の実)が生まれなした、しかし、イサクの乳離れのお祝いの次の朝、肉の子イシュマエルは、母ハガルと共に、寂しくもアブラハムの家から去ります。

人間目線でどんなに善に見えようとも、人間の思いでは残酷に感じようとも、全ての肉の実は信仰者の生涯から取り除かれなければ聖い働きには加われません。

 830の3

パウロは私たちに、肉の思いではなく、徹底して御霊による思いで生きる事を勧めています。

★ローマ 8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。







・・・・・(4)二度目の同じ失敗・・・・

アブラ(ハ)ムがカランから旅立ってカナンに入ってすぐの頃の十二章に於いて、エジプトで妻を妹と偽って事件になった事がありました。二十章ではゲラルの王アビメレクに対して同じ失敗をしました。

★創世記12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。

召命を受けた時に、アブラ(ハ)ムに対する祝福と安全を御言葉(霊:命の木の実)を保証されていたのに、アブラハムは自分の頭で考えた方法(肉の思い:知識の木の実)で、自分の命を守ろうとしました。

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神がアビメレク王の夢の中に現れ、聖霊の灯が王の心を導いたので、アブラハムは、偶像礼拝をする王に叱責されて恥ずかしい思い(聖霊の火の裁き)をしたものの、御言葉の約束通りに守られ、祝福を受けました。

 830の5

神の側は、七度を七十倍する以上に悔い改める者を赦します。私たちの側はその神の愛ゆえの忍耐に応えて、何度も同じ罪や失敗を繰り返したとしても、その結果である火の裁きを刈取りつつ、イエス様の聖さを第一の目標として成長し続けて行きましょう。

最後の日に焼かれる以前に、生きている間に毒麦を焼き尽くされましょう。その最後の日に、信仰者の永遠での評価は決まってしまいます。天国に入ってから、後悔の涙を流し、歯噛みをしないように・・・。

不信者にとっても今は恵みの時、救いの日ですが、信仰者にとっても世の終末である主の日までの期間、個人の終末である寿命が来るまでの期間が、悔い改めて聖められ、天国に行って神の評価を得る事の出来る「恵みの時」なのです。

★Ⅱコリント 6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」

天国に身ひとつで、ようやっと入ったものの、高き御座近くに招かれず、小羊の宴会に入れないで、歯噛みしつつ自分の人生を後悔しないように、聖霊の灯の導きに従い、生きている内に辛くても聖霊の火の裁きで聖められ続けましょう。






・・・・・(5)信仰者を導く聖霊・・・・

アブラハムの生涯のほんのいくつかの場面を見てきましたが・・・、このように、聖霊はとして信仰者の生涯を導き、環境や周りの人物に働きかけて裁きのとして裁きながら悔い改めさせて、神の望む聖さを育てて行きます。

この聖霊は、旧約時代には特別な使命がある人物や王、預言者だけに注がれていました。
ノア・アブラハム・モーセ・ダビデ・・・・・

それも、ノアやアブラハムの生涯を見ると、その大きな使命を果たす間だけに注がれているように感じます。
ノアも方舟後、安息に入り、ぶどう酒を飲んでのんびりと暮らしていました。

アブラハムも、モリヤの山で重要な使命を果たした後に安息に入り、祝福のうちに老後を送りましたが、やっと普通の人が求めるような一般的な結婚生活に入ったように感じます。最後に、イサクの嫁を迎えるように働いた後、記録が途絶えました。

旧約時代では、使命を果たしたら、もう聖霊の役目も終わったのでしょうか?
聖霊は、祝福だけ残してアブラハムやノアから去ったのでしょうか?

しかし、イエス様が十字架の贖いを成し遂げ、復活されて天に帰、安息である天の御国におられますが、昇天直後も今も、信仰者に聖霊を送り続けておられます。

アブラハムの生涯は、聖霊が心の奥底にある油注がれた私たち信仰者の模範です。私たちには他の時代の信仰者にない責任があります。何が霊から来るのか、どれが肉から来ているのかをアブラハムの人生の後半「モリヤの山」でのように、判別して従順できるようになっていなければなりません。

特に最後の時が迫っている今の時、もっと盛んに聖霊を傾注させようとなさっています。
最後の魂の大収穫が迫っているからです。

その時、私たち先に救われた者は全員、アブラハムのように、モーセのように、重要な神の大事業に使っていただく事になります。

今までのように聖霊の力を、自分の心が満たされたい、慰められたい、祝福されたい、癒されたい、働きの為に力をいただきたいと言う自分の為に役立って欲しいとする段階だけではなく・・・

・・・火としての聖霊に私たち自身の思いを取り扱っていただき、聖霊が最も連れて行きたい十字架の元に走り寄り、肉の思いを悔い改めて焼き尽くしていただき、御国の発展に役立つ聖なる者と変えられる為の聖霊の存在を求める時です。

その生涯に毒麦の一本も生えていなかったイエス様の似姿、特に神からの御言葉だけを行うと言う「従順さ」、神に全て栄光をお返しすると言う「謙遜さ」に至っていなければ、とてもではないですが、終末の大リバイバルの大きな働きを任せる事はできません。

★ヨハネ14:12 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。

終末の大リバイバルの為には、聖霊の火による取り扱いを受けて、何処までもキリストの身丈に迫る聖なる者とされていなくてはなりません。

全ての肉の性質や言動を焼き尽くしていただいて、百%天から来るイエス様の聖き純粋な霊だけで生きる者とされましょう。

 830の12






  ★花のライン17休憩
2013年9月6日(金)に続きます。
燭台⑥「聖霊の衣は何処で着るか?」(コチラ)についてです。 
 
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天国への地図(4)幕屋(四)燭台④「良い麦とは?毒麦とは?」


1★十字架のライン
 

先週は、イエス様には十字架で火を通った時に、
焼かれるべき毒麦の何もの(罪・汚れ・不従順・・・)も、
その生涯の中になかった事を様々な角度から検証しました。

しかし、私たちの生涯には、
残念ながら裁きの日に、火の中を通った時に焼かれてしまう毒麦が誰にも存在します。

それを、私たちは生きている間に、聖霊の火で焼かれましょうと言うお話しでした。

本日は、その焼かれるべき毒麦は何か、
金・銀・宝石と評価される良い麦とは何かを見て行きましょう。







ライン15 
燭台④「良い麦とは何か?毒麦とは何か?」


先週(燃え尽くす聖霊の火コチラ)に引き続き、「種を蒔く人」のたとえ話(※関連記事「心は土」はコチラから。)の直後にイエス様が語られたこの「毒麦のたとえ話」を、ひとりひとりの心の中の畑として捉えて行きたいと思います。

★マタイ 13:24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。13:25 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。13:26 麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。 13:27 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』 13:28 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』 13:29 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。13:30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」

 823び11

人間の心の奥底に良い種を蒔いた人とは誰でしょうか、
毒麦を蒔いて行ったのは誰でしょうか?


・・・創世記一章の、神が人間を創造された所から始めたいと思います。

 エデンの園でのアダム

天の父は、最初の人間を神の形に似せて造りました。そしてその心の内に、ガラテヤ2:20(キリストの似姿)に達する事ができるように、イエス様の種である御言葉の種先ず一粒だけ蒔きました

天の父が人類に与えた最初の「良い麦の種」とは、下記の一戒です。

 823の2

天の父は、「善悪を知る知識の木」以外の、エデンの園にある「命の木」を含むどの木から取って食べても良いと言いました。それらを食べて、心も体も麗しく成長してゆけるのでした。特に「命の木の実」を食べる事は、イエス様の輝く「永遠に生きる命のパン」を食べる事です。

天の父(ある人)が、自分の愛するアダムたちの心の畑に、「善悪を知る知識の木」以外の「命の木の実と他の木の実を食べなさい」との「御言葉の種;良い麦の種」を蒔きました。

 823の3

しかしアダムとエバは、神の御言葉の意味を深く悟る事ができませんでした。二人は神の輝く命を吹き込まれていて心が満ち足りていましたが・・・、裸でも自分を見ずに神だけを見つめていたのですが・・・、純粋で聖かったのですが・・・、罪を犯してはいませんでしたが・・・、あまりにもまだ幼かったからです。

信仰が幼いと、神の偉大さも、力も、聖さも、御言葉の信憑性も、どれ程までに自分を深く愛して下さっておられるかも・・・、悟る事ができません。

 御言葉の種

そして天の父の敵であるサタン(蛇)が来て、アダムたちの心の畑に蒔かれた御言葉の良い種の間に、毒麦の種を蒔いて行き来ました。聖けれども幼かったアダムたちは騙されてそれに引っかかり、まんまとその毒麦の種を受け入れ、心の中で大きく育ててしまいました。

 823の4

農夫である天の父が、私たちを愛するが故に成長させようと心の畑に蒔いてくれた「御国に繋がる御言葉の種」を悟れずに、受け入れられずに発芽できなかったのは、ひとえにアダムたちの幼さにありました。信仰者が、イエス様の身丈(ガラテヤ2:20)に至るまで日々必死で成長してゆかなければならない理由がここにあります。

天の父の御言葉に忠実に、いのちの木から実を食べていれば、アダムたちは、良い実を結んでイエス様の身丈へと日々近付いていたのですが・・・。

 823の6

アダムたちが「毒麦である知識の木の実」を食べてその種が心の内で育ってしまったので、その結果、全ての人間の心には、「毒麦の種(善悪を知る知識の木の実のDNA)」が存在しています。不信者はもちろんの事、信仰者であってもです。

 823の5

信仰者の場合は、命の木の実の種である御言葉(良い麦)と、知識の木の実(毒麦)が両方、心の畑の中に育っています。

この「善悪を知る知識の木;毒麦」の悪の知識の捉え方は、そして特に善の知識の捉え方は、私たちにとって、非常に理解が難しいのです。

なぜならば、私たち人間の心にはあまりに多くのサタンの送った毒麦の種が発芽し結実していて、その結果である一般社会の常識で見た善にかなっていれば、通常ではそれを良しとして疑わないからです。また自分や家族や所属団体の感情、気分、面子、損得計算・・・の満足が、善悪の第一の判断基準となっている場合が日常的です。

私たちの心のどこかに、天の御言葉から来る善悪の判断が浮世離れしている常識はずれに純粋すぎる戒めだとして、まともに実践するのをはばかり、ある程度は割り切って現実的に生きようとする気持ちがあります。

信仰者同士で話し合う時、それぞれ互いに自分たちの豊富な知識から良い頭で考えて結論を導き出すので、それが世間の善悪の判断から見ても正しいと合意したとしても、実は「善悪を知る木の実」を食べた結果で一致している場合があり得ます。

それがまだ、「悪の知識」であるのならまだ判断が付きやすいのですが、「善の知識」であると、神の考える「善」との見分けが非常に難しいのです。

ですから、信仰者同士の会議等に於いて、祈って始める事はもちろんの事、聖霊の導きを各自が求める事が何よりも重要ですし、導かれた御言葉を語る事が、自分たちの感情や意見を述べる事よりも先立つべきです。

重要な物事を決定する場面に於いては私たちひとりひとりが、世間の基準ではそれで良い人、良い考え方とされても突っ走らずに一度立ち止まり、神と一対一で、語り合う必要があります。特に良心に引っかかりが感じられたら、静まって神の細き御声を聞く時です。

「善悪を知る知識の木の実」をアダムが食した為に、全ての人間は、神の御言葉とは異なっていても、神の思いよりは低くても、神の道から外れていても・・・、傲慢にも「思弁;自分の判断」を神の考えよりも正しいと考え、おのおの自分の道を歩んでしまいます。

★イザヤ55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。――55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」

低き地上にいて、自分と自分の周りだけを見て「桁外れに高い神よりも正しい」とする傲慢が、全ての人間の原罪で、その為にイエス様は十字架で死んで下さいました。

 エデンの東7


★イザヤ53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた

魂の大収穫を迎えようとしている今の時、「教会と、個人の信仰者の善の知識の実の刈取り」が課題であるとの預言的メッセージが、語られています。私たち教会は、何処までも聖くされる為に、今の時期に「悪の知識の毒麦」はもちろんの事、「善の知識の毒麦」も聖霊の火で焼き尽くしていただきましょう。

★Ⅰペテロ4:17 さばき神の家から始まる時が来ている…。

★エペソ5:26 キリストがそうされた(キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた)のは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、5:27 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

★ルカ 12:49 わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。

★マタイ3:11この方(キリスト)は、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。

★ヘブル12:29 私たちの神焼き尽くす火です。


※関連記事「パラドックス・パラダイム」と「人間の原罪とは何か」については、タイトル「エデンの東コチラ」の後半に詳しく説明してあります。とても重要な真理です。
※関連記事ウオッチマン・ニーの「善の実の捉え方」はコチラから





  ★花のライン17休憩
2013年8月23日(金)コチラに続きます。
燭台⑤「アブラハムの生涯を導いた聖霊の灯と火」 についてです。 
 


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天国への地図(4)幕屋(四)燭台③焼き尽くす聖霊の火


1★十字架のライン
 

先週は、私たちの心の畑に生えた毒麦を、最後の刈取りの時ではなく
生きている間に、聖霊の火で焼き尽くしていただきましょう・・・と言う内容でした。

聖霊の働きの中で、最も重要と思われる働きです。
聖霊の良き実を自分の内側に稔らせ、世界の人々にまで流す通路となりましょう。

再臨前の最後のリバイバルに向けて、終わりの日の初めに炎の聖霊が注がれました。

終わりの時代の最後を迎える為に、私たちは火のバプテスマを受けて聖められましょう。


 

 

 



ライン15

燭台③「焼き尽くす火としての聖霊」


・・・・・(1)イエス様の生涯には焼かれるべきものは何もなかった・・・・

弟子達が、使徒2章で聖霊を受けた時、炎のバプテスマでした。

★使徒2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まって\\ 2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った 2:3 また、のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上とどまった

しかしイエス様が聖霊のバプテスマを受けた時には、聖霊が鳩のように降りました。洗礼を授けたバプテスマのヨハネが語っています。

★ヨハネ 1:32 ヨハネは証言して言った。「御霊がのように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。」

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人間には、どんなに聖く見える信仰者にでも、毒麦が生えています。人生の中に嘘・偽り・罪・汚れ・不信仰・何らかの偶像礼拝・傲慢・・・がない人は一人もいません。ですから、聖められる為に炎の聖霊の炎で焼かれる必要があったのです。

しかしイエス様は、その生涯の中に、たった一つの罪も、汚れも、不従順も見出す事は出来ません。

★Ⅰペテロ 2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした

私たちの罪の贖いの為に血を流し、死ぬべき私たちの身代わりに死んで下さいましたが、イエス様が裁きの激しい火の中を通られて、その体の一部でも燃えた、焼けたと言う記録もまた、聖書の何処にもありません。

そこで、十字架上での幕屋の器具の配置と、ダニエルが見、使徒ヨハネが見たキリストの姿とを見ましょう。

※十字架上のキリストが幕屋である証拠(器具に相当する所に血が塗られた)
★ヘブル9:21 彼(モーセ)は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様にを注ぎかけました。

*頭(契約の箱と蓋)・・・茨の冠によって
★マルコ 15:17「イエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、」

*右手(燭台)*左手(パンの机)・・・釘によって

*胸・心(香の壇)・・・ゲッセマネの園で(汗が血のように)
★ルカ 22:44「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗がのしずくのように地に落ちた。」

*わき腹(洗盤)・・・やりによって
★ヨハネ19:34「兵士・・がイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちにが出て来た。」 ※7:8「腹から生ける水

私;福田は、イエス様が十字架と言う偉大で完全な幕屋を通り抜け、モーセが見た通りに造れと言われた天の幕屋に、イースターの朝早く、その血の塗られた体を誰にも触らせないで天に上り、真の救いを達成したと読み取っています。イエス様は、大祭司であられ、最も優れた幕屋本体であられ、いけにえの小羊であった・・・幕屋の全てであったと確信しています。

★ヘブル 9:11 キリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

この三箇所に置けるキリストの姿の足の部分に注目をして下さい。ここに、十字架上で裁きの祭壇の火を通り抜けて、燃えはしなかったものの、焼かれる何もなかったが、精錬されて光輝く足部分が記されています。

 706の1


☆ダニエルが見たキリスト
★ダニエル10:4-6 「第一の月の二十四日に、私(ダニエル)はヒデケルという大きな川の岸にいた。私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕とは、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。」

☆幕屋の「祭壇」
★出エジプト27:1-2 「祭壇をアカシヤ材で作る。その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形(※完全)でなければならない。高さは三キュビトとする。その四隅の上に角(※救いの角)を作る。その角は祭壇の一部でなければならない。青銅をその祭壇にかぶせる。」

☆使徒ヨハネが見たキリスト
★黙示録1:9-16「私ヨハネは、・・・パトモスという島にいた。・・・そこで私(使徒ヨハネ)は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。そのは、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」

 ★altar_sacrifice


この足の部分の様子の一致が、キリストが①火の中を通られた事、しかし②焼かれる所がなかった事の証拠だと、長年「キリストの幕屋」を見つめて来た私;福田の導かれた結論ですが、皆様は聖霊様にどのように示されるでしょうか?

イエス様以外の人間は全員、最後の日の「火」を通る時に、多少の差があれ、焼かれなければならに「毒麦;肉の思いとその結果の言動」があります。祭壇でいけにえの肉が燃やされたように、私たちの肉の思いとその結果も聖霊の火によって焼き尽くされ、聖められる事を心から願いましょう。





・・・・・(2)天から降る聖霊の火・・・・

イエス様が洗礼を受けた時に、聖い御霊が天の父の所から降って来ました。
 JesusBaptism大大

私たちの場合にも、意外かもしれませんが、肉を燃やして聖める聖霊の火は、今日でも必ず天から降って来ます。下記の五つは代表的なその証拠です。


☆モーセの幕屋の完成

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★レビ9:24 主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くした ので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。
 


☆エリヤのカルメル山での勝利

 45エリヤ

★Ⅰ列王 18:38 すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。18:39 民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言った。


☆ダビデが、オルナンの打ち場を買い取って祭壇を築いた時(関連記事コチラ)

2オルナンの打ち場

★Ⅰ歴代 21:26 こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげて、主に呼ばわった。すると、主は全焼のいけにえの祭壇の上に天から火を下して、彼に答えられた。 21:26 こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげて、主に呼ばわった。すると、主は全焼のいけにえの祭壇の上に天から火を下して、彼に答えられた。


☆ソロモンの神殿の奉献式で

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★Ⅱ歴代7:1 ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。


☆使徒二章で弟子達に降った聖霊の火

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★マタイ15:26わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。 (口語)  

★使徒2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。2:3 また、のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった






・・・・・(3)「異なった火」・・・

この五つの証拠は何を言い表しているのでしょうか?・・・それは、どんな信仰者も、上(天)からのものだけを求めるべきだあると言う事です。

どんな優秀な聖書学者であっても、優れた伝道方式であっても、どんなに大きい教会の牧師であっても、伝道の達人であっても・・・・、私たちは先ず、天からの導きを第一に、お互いがそれぞれに求めるべきです。

★マタイ 6:33 神の国とその義とをまず第一に求めなさい。

モーセの幕屋では庭の祭壇でいけにえを焼きつくす時、聖所に於ける日毎の礼拝の務めをする時、年に一度、大祭司が至聖所で礼拝を捧げる時、神が定めた火についての詳細な規定がありました。

★出エジプト30:7 アロンはその上でかおりの高い香をたく。朝ごとにともしびをととのえるときに、煙を立ち上らせなければならない。アロンは夕暮れにも、ともしびをともすときに、煙を立ち上らせなければならない。これは、あなたがたの代々にわたる、主の前の常供の香のささげ物である。あなたがたは、その上で異なった香や全焼のいけにえや穀物のささげ物をささげてはならない

しかし、大祭司アロンの四人の息子の内、ナダブとアビフはその規定を軽視して、異なった火を炊いたので神様の怒りに触れ、自らが天から下った火によって、焼き尽くされました。この裁きの火もまた祭壇のいけにえを焼いた火と同様に、人間からの火ではなく、天から降されました。

★レビ記10:1-2 さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。(新改訳)
※新共同訳では「規定に反した炭火」

 816の2


彼らの父、大祭司アロンは、モーセの神からの預言の取り次ぎを聞いた時、息子二人への厳しい裁きに付いて何も語りませんでした。神に仕える祭司(神に近付く者)が神の聖さを現してこそ、民の前で神がご自分の栄光を現す事が出来ると、神様がはっきりと語られたからでした。

それ故に今の大切な時代、神に仕える新約の祭司(神に近付く者)となるべき私たちも、異なった火ではなく、天から下って来る神からの純粋な御霊の火によって、しみも、しわもない聖い姿へと聖められる必要があります。








・・・・・(4)その日「焼き尽くす火」・・・

★ ヘブル 12:29 私たちの神焼き尽くす火です。

イエス様に洗礼を授けたバプテスマのヨハネが、イエス様が①聖霊と火のバプテスマをお授けになる事、②裁きの日に、火を持って実の入ってない籾殻を、そして神の敵が来て蒔き育った毒麦の全てを焼き尽くす時が来る事を予言しています。

★ルカ3:16 ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊とのバプテスマをお授けになります。3:17 また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。

イエス様が雲に乗って来られた時、天に広がる驚くべき光景を見て、全ての部族は嘆くとあります。イエス様を十字架に付けた者たちだけでなく、不信者だけでなく、偶像礼拝者だけでなく・・・・、私たち信仰者も、聖書の御言葉の全ては真実であった事を目の当たりにして、もっと御言葉を重んじるべきであったと後悔しないでしょうか?

★黙示録1:7 見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。  

★初臨と再臨

一度目、二千年前のクリスマスの日、この地に無力な小さな赤ちゃんとなり、十字架に至るまでへりくだって救いを全うして下さったイエス様は、二度目である再臨の時には厳格な裁き主として、「裁きの火」として天に現れます。

その最初の二千年前の時に見たイエス様の姿が、あまりに謙遜で愛に溢れて柔和であったので、また十字架の時につばを吐かれても打たれても何を言われても黙していたので・・・、
・クリスチャンである私たちであっても、イエス様の言葉を甘く考えてはいないでしょうか?
・聖書に書かれた神の命令を侮ってはいないでしょうか?
・気に入った部分だけ、自分が守れそうな御言葉だけを受け入れてはいないでしょうか?
・十字架の贖いによって全ての悔い改めた罪は赦されると安易に予測して、日々聖められて行く事を求めず、聖霊が心に悔い改めを迫っても無視してはいないでしょうか・・・?
・遠い未来の話だからと、たかをくくってはいないでしょうか?
(※私;福田は、御言葉に忠実に生きようとしていますが、上記の全てに当てはまっています)

しかしイエス様は、「裁きの火」として天空に確実に現れます。

初臨の時には愛であり義であるイエス様の「愛」の面が色濃く見えていましたが、再臨の時には揺るぐ事のない「義」が厳然と前面に現れます。

十字架に付けられる前の日曜日、弱々しく見栄えもしないロバの子に乗ってエルサレム入場をされた、柔和で謙遜なイエス様は・・・、
★マルコ11:7ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた

 ★ろばと白馬

・・・闘いに向かう時には、雄々しくも厳しい王の王、主の主として天の軍勢を率いて、、抜き身の剣を持って白馬に乗って突き進で来ます。

★黙示録19:11 私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。19:12 その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。19:16 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。 

イエス様の口から出ている抜き身の剣は御言葉です。私たちが今、実感出来ようと出来まいと、全ての被造物は御言葉によって裁きを受けるのです。信仰者である私たちでさえ、御言葉を充分には重んじていませんでした。この黙示録の未来の事も実感が沸きません。

しかし「再臨(裁きの日)」については、新約聖書にも旧約聖書にも多くが語られていたのを、私たちはしっかりと見ています。

★ゼカリヤ14:4 その日主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ
★イザヤ66:15 見よ。まことに、主は火の中を進んで来られる。その戦車はつむじ風のようだ。その怒りを激しく燃やし、火の炎をもって責めたてる。66:16 実に、主は火をもってさばき、その剣ですべての肉なる者をさばく。


私たち信仰者でさえ、自分の信仰生涯を振り返って後悔する事があるのなら、まだ神様を信じていない人々はどうなってしまうのでしょうか?

★Ⅰペテロ4:17 なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まる のだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。4:18 義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。

★イザヤ33:14 罪人たちはシオンでわななき、神を敬わない者は恐怖に取りつかれる。 「私たちのうち、だれが焼き尽くす火に耐えられよう。私たちのうち、だれがとこしえに燃える炉に耐えられよう。」

イエス様も詳しく話しましたが、パウロもはっきりと語っています。

先週の御言葉(ゼカリヤ・ヨハネ)では、イエス様がオリーブの木であり、ぶどうの木であるとたとえられていたように、パウロは、イエス様が私たちが生涯に建てる信仰生涯の家(神殿)の土台だと言っています。

私たちが生涯の間、しっかりとぶどう(オリーブ)の木に繋がっていれば、私たちは立派な生ける宮(キリストの教会・神殿)として完成しますし、その心の奥底の霊の中にキリストの宝(金・銀・宝石)が蓄えられてゆきます。

★Ⅰコリント3:10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上にを建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。3:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためす報いを受けます。 3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります

3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。


 土台の上に

この最後の火に耐えられるように、聖霊の火が今、私たちの肉の部分(草やわら;聖霊から来ていない思いと言動)をあらかじめ燃やし、土台にしっかり繋がって「金・銀・宝石・・・」など火に耐える部分(実)を私たちの中に生み出そうとしています。

今日は、裁きの日の火にあらかじめ供える為に、最後の日に燃えてしまうものを、今この世に生きている段階で、あらかじめ燃やして私たちを聖めようとする、「燃やし尽くす火としての聖霊」の働きについてお話しをしています。

信仰者である私たちが先ず、この信仰人生の中に肉なる者を燃やされて、天から降る聖霊から来る御霊の実を結んでゆかないでは、まだ神を知らない人々を天国に招く使命を果たす事ができません。

★マタイ 24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。 24:31 人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

 2nd coming

この最後の時に、まだ信仰を持っていない人も、私たち信仰者も決して後悔しながらでなく、喜びつつ再臨の主を迎え、大勢の不信者を神の民として、歓喜の中で御使いと共に天に上げられる時を迎えたいと思います。


















  ★花のライン17休憩
2013年8月23日(金)(コチラ)に続きます。
燭台[3]「良い麦とは何か?毒麦とは何か?」 についてです。 
 

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天国への地図(4)幕屋(四)燭台②聖霊の実を結んでいるか?






1★十字架のライン
 

先週は、「聖霊の基本」として、私たちを救いに導く聖霊、十字架の道を天国まで連れ上る聖霊、私たちをイエス様の花嫁として整く整えて天での祝宴にまで導き育てる聖霊の役割について学びました。

そして、最も純粋な聖霊の油を切らさない為に、オリーブ油である聖霊の油の供給源であるイエス様に、オリーブ(ぶどう)の木の枝として繋がり続けましょうと言うお話でした。

本日は、私たちがイエス様の木の枝としてつながり続け、豊かな実を結んでいるかどうかを見て行きたいと思います。





・・・聖霊の実・・・

七つの燭台の真中に立ち、右手に私たち教会である七つの星を握り締めておられます。

私たちキリストの体である教会に、そして生ける宮である私たちひとりひとりの心の奥底に、無尽蔵の聖い油を豊かに注いでおられます。

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果たして私たちは、聖なる油を絶えず受け取り、その枝にキリストの御霊の実を豊かに結んでいるでしょうか?

本日のテーマは、リバイバル(世界の魂の大収穫)の事ではなく、私たちの信仰生涯に結ぶ実の収穫についてを扱って行きます。

★マタイ 7:19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。 7:20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。 7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

自分の人生の中に、イエス様に繋がっていて良い御霊の実を豊かに結んでいるでしょうか?

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それとも、イエス様以外に繋がっていて結実したや、自分の考えや欲から出た肉の実の方が多く稔っていないでしょうか?





自分の心の畑を見る

イエス様は、世界規模で起こる「魂の借り入れ」に関して「良い麦と毒麦のたとえ話しをしています。

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★マタイ13:24 「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。13:25 ところが、人々の眠っている間に、彼のが来て麦の中に毒麦を蒔いて行っ13:26 麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。13:27 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』13:28 主人は言った。『のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』13:29 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。」

 809の11

しかし、本日の場合は、このたとえ話を私たちひとりひとりの心の畑の実として見て行きましょう。

809の9
http://www.cherokeepresbytery.org/praying-toward-general-assembly

この話の直前には、私たちの心に蒔かれた御言葉の種のたとえがあります。
※関連記事「心は土」はコチラから。

 心は畑3

 心は畑

毒麦の話を、私たちの心の畑で考えてみると、正直に言えば人間は誰であっても、心に毒麦があります。
常に、御国から来る聖霊の導きによって考え、行動している人は誰もいません。

★ローマ3:10 「義人はいない。ひとりもいない。」

この世に生まれた中で、イエス様以外の人間は、信仰者であっても、心に毒麦がない人誰もいません。私たちの人生は、誰もが玉石混合です。最後の火を通過する時に、焼かれてしまう毒麦や、実の入っていない籾殻も多くあります。

 その非

もみがら


個人の人生の最後であるか、この世の最後の収穫の日にまで、その毒麦をそのままにしておくわけにはいきません。その毒麦をあらかじめ聖霊が御言葉を照らして教え、悔い改めに導いてくれます。

私たちは、最後の火で試される前に、生きている内になるべく多くの毒麦を焼いてしまい、心の中に多くの良き麦が育っていたいと願います。

★ルカ 12:49 わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたら と、どんなに願っていることでしょう。

このイエス様の願いを私たちは受け入れ、私たちの聖くない実を聖霊の火で焼いていただきましょう。
聖霊の油で、先ず心の中に聖霊の実を豊かに結びましょう。

 御霊の実 ぶどうの枝

天の父が農夫ですから、私たちの畑を耕す時、枝を選定する時、痛む事があっても、良い実を結ぶ為の試練として、天国での冠を楽しみに忍耐をしましょう。

 j心の畑の開墾

★Ⅰペテロ 4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。

私たち信仰者が先ず、心に良き麦を結ぶのならば、私たちは世界を多い尽くす魂の大収穫を迎える事ができるのです。私たちの心の割礼こそが、この世に御国の祝福を通す通路となるのです。

 再臨前の大収穫

★ローマ2:29 “霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。 (新共同訳)







 ★花のライン17休憩
2013年8月16日(金)(コチラ)に続きます。
燭台[3]「焼き尽くす聖霊の火」 についてです。
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天国への地図(4)幕屋(四)燭台①「聖霊の基本」(後半)


昨日からの続きです。

・・・・(2)イエス様の花嫁に相応しく聖く育て導く聖霊・・・・

私たちが、死ぬ直前だったとしても、救われて神の子・神の民となり、永遠に天の御国で神の栄光の中で生きる事とは、それだけでどんなに素晴らしい事でしょうか?

(※死ぬ直前にイエス様を信じれは天国に入れますが、それはあくまで特別な救済措置であって、即死する場合には主を呼び求めるチャンスはないかもしれなくて危険ですから、人生のなるべく早い段階で救い主を信じる事が大切です。)

しかし、人生の時間を残してイエス様を信じた人には、果たすべき大きな使命があります。それは、地上での使命を果たして復活されたイエス様の似姿に創造された私たちが、イエス様に似る者と日々変えられて行く「成長する事(ガラテヤ2:20)」です。

神の子・神の民とされただけではなく、人間の創造の本来の目標「神の形」まで少しでも近付いてから天国に戻る事を天の父は望んでおられます。この「神の形」に近付く事は、訓練と試練の荒野を通過しなければなりませんが、通り抜けた時に永遠の中で大きな報いがあります。天の父の人間を造られた目的が、御子に似る信仰者を得る為だからです。

(※その前に、洗礼を受ける必要性を少しだけ別な面からお話しします。・・・死ぬ間際にイエス様を信じたのなら、サタンに取り戻される時間はなくて安全ですが、死ぬまでに期間がある時には、しっかりとした「洗礼」の契約が必要です。出エジプトをしたイスラエルの民が紅海まではエジプト兵に追いかけられたように、洗礼を受けるまではサタンは諦めません。)

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紅海で洗礼を受けたイスラエルの民の救いは確定し、対岸に到着後、感謝の賛美を捧げて礼拝の民とされました。

・・・そして荒野に入ります。イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けた後に、天から御霊を受けて荒野に導かれたように、洗礼を受けた信仰者は全て荒野に入ります。この荒野が、信仰者を成長させるので必ず通る所です。

 329御霊の雲

そこで、天の御国を象徴するカナンの地に行くまで、御霊の雲が信仰者を導きます。

 802の12

天の父は、私たち人間にわかりやすく理解させる為に、紅海で洗礼を受けた出エジプトの民を荒野に導き、聖霊の雲を先頭に立てました。

それは、私たち信仰者の全てを、心の中で荒野を旅をさせてイエス様の似姿を完成させ、イエス様に相応しい聖い花嫁として、天に迎えるためです。

それは、一人息子のイサクに相応しい花嫁を迎えたいと願ったアブラハムに象徴されます。天の父は、一人息子イエス様に相応しい聖い花嫁を迎え、イエス様と花嫁なる教会に、全ての財産を任せてそれをしっかりと治める事を願っておられます。

その命を受けた聖霊を象徴する僕が、リベカを見出し、荒野を通ってイサクの所まで連れ上る間に、色々と教育したと推測されますが、聖霊は私たちをイエス様に相応しくしみもしわも一切ない聖い花嫁としようとして、荒野を天国に着くまで道案内をする間中、教育します。

それは、エステルが王様の后になる為に磨かれて行ったように、聖霊の油が化粧して美しい花嫁として育てて行きます。

それは、この地上にあっては、羊飼いイエス様の婚約者として、幼い羊たちの養育の為に献身的に仕える心を育てる為・・・、

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そして来るべき世にあっては、天の壮大な婚宴の席に招待されて大きな喜びを主と共に味わうに相応しく整えられるためです。

 328の4

それを導き、育てるのが聖霊の灯の役割です。

これが、最低限、死ぬ直前に救われた人と、人生の貴重な時間を神の目的の為に生きた人との違いです。

 802の27聖霊の灯

永遠の命を得るのは本当に素晴らしい事で、一人でも多くの神の息子・娘が死ぬ間際でも天国行きの切符を手に入れて欲しいと天の父は願っておられ、この救いの門に入れる事が教会の未信者に対する第一の使命ですが・・・、信仰者の成長は、私たち自身に対する神からの使命であり、父の願いです。

それを、私たちは聖霊に導いていただこうとしているのです。











・・・・・(3)聖霊の油の供給・・・・・

パウロは父の心を、そしてイエス様の願いを代弁しています。
★Ⅰコリント11:2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。

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では、私たちはどのように聖霊の油を途切れずに手に入れる事ができるのでしょうか?ヨハネ15章とゼカリヤ4章に答えがあります。

★ヨハネ 15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

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聖霊の油を切らさないとは、イエス様のぶどうの木に離れないで、天の御国から来る命の川の水を飲み続けていなければならないと言う事です。

・・・最近はエアコンが主流ですが、我が家では灯油ストーブを使っていて、灯油が切れるたびに寒い中、廊下や玄関のポリタンクに給油に行くのが面倒ですし、ガソリンスタンドから重いタンクを運ぶのも大変です。

宣教師の家で、家に横付けされているドラム缶から直接に家の中のストーブに繋がっているのを見た時には、なんて便利だと驚きましたが、途切れる時は来ます。ガソリンスタンドの隣に住んでいてもずっと供給し続ける事は出来ません。半永久的に供給をしたかったら、油田から直接給油できる管が必要ですが、永久ではありません。

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ゼカリヤは、御使いに幻を見せられました。

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★ゼカリヤ 4:2 彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」そこで私は答えた。「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。4:3 また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一本はその左にあります。」

聖霊の灯が燃えている燭台は、オリーブの木に繋がっていて、直接オリーブ油が給油されていました。

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★ゼカリヤ4:12 「二本の金の管によって油をそそぎ出すこのオリーブの二本のは何ですか。」4:13 すると彼は、私にこう言った。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」4:14 彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ。」


ゼカリヤ書で二人の油注がれた者とは、直接的には「祭司職(ヨシュア)」と「王権(ゼルバベル)」を指しているようです。しかし、「王の王」であり、「真の大祭司」はイエス・キリストです。

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先週に学んだように、十字架上のイエス様から生み出された私たちは、イエス様の「王権・祭司職」も受けついでいるので、この油を注ぎ出すオリーブの枝として世に仕える事ができますし、誰よりもイエス様が、私たちは「ぶどうの」だと言っています。

また黙示録11章には、特別な二人の証人が、二本のオリーブの木として、二つの燭台として出て来ます。

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★黙示録11:3 それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。」11:4 彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。11:5 彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。

この二人の証人がどのような存在かを知る事はできません。

しかし、私たちはオリーブの木ではありませんが、オリーブの木であるイエス様に繋がる枝であり、イエス様の右の手に握られた七つの星である教会です。イエス様が握っておられる限り、私たちが離れない限り、永遠に輝き続ける事ができます。

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七つの金の燭台の真中に立ち(黙1:12.13)、永遠にオリーブ油を流し続ける本体であられるイエス様のオリーブの木(ぶどうの木)に一時も離れずに繋がっていましょう。そうすれば、私たちはキリストの証人であり、世の光となって、いよいよ暗さを増す世にあって人々を照らす光の役割を果たしてゆくことができます。

★マタイ 5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

★イザヤ 60:1 起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。60:2 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。60:3 国々は あなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。

★使徒 1:8 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたはを受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」


私たちは、イエス様の再臨の間近き今の終わりの時、ただただ聖霊が激しく私たちクリスチャンに、そしてこの世に、注がれるように祈り求めましょう。

使徒2章で、ペテロが聖霊降臨についてヨエル書の引用から「終わりの時」と言いなおしています。

★ヨエル 2:28 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。2:29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。2:30 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。2:31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。2:32 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。

★使徒 2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。・・・・ 


使徒行伝2章が終わりの時の始まりならば、今は終わりの時の終わりの時代です。

私たちはオリーブの木であり、ぶどうの木であるイエス様から絶対に離れず・・・、
イエス様の方舟の中に留まり続けましょう。

ある説教者が言いました。

自分の能力や計画で、救いの御業を導こうとしてイエス様の方舟の中から手や頭を出すなら、サタンに狙い撃ちをされて殺されてしまうと・・・。

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他の誰にも、どんな方法論にも第一に従うべきではありません。イエス様お一人だけが最も純粋で聖い油を永遠に供給する方です。特に最後の時代には、偽キリスト、偽天使などまでもが現れて信仰者をまどわします。

私たちは再臨前リバイバルを迎えるに当り、徹底してイエス様だけの中に留まり続ける為に、聖霊に信頼し続けて行きましょう。

★ゼカリヤ4:6「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。」と万軍の主は仰せられる。


















エンディング




♪「主はぶどうの木」♪





3ライン 







 ★花のライン17休憩

 2013年8月9日(金)(コチラ)に続きます。
燭台②「焼き尽くす火としての聖霊」についてです。



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≫ EDIT

天国への地図(4)幕屋(四)燭台①「聖霊の基本」(前半)

※右側にカレンダー等が出ない状態です。ただ今メンテ中ですが、とりあえず本文は読めます。



1★十字架のライン


本日より、燭台の意味について学びたいと思います。

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天地創造の日目「太陽・月・星」に対応している、幕屋の第の器具「燭台」は「聖霊」を表します。

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「燭台」は聖所の二番目の器具で、下図の聖所の中で、至聖所に向かって左側にあり、聖所の中を明るく照らしています。奥の「香の壇」の手前にあって、右に見える「パンの机」と左右対象の位置にあります。

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この「燭台」をなぜ、聖所の二番目(全体では四番目)として捉えるかと言うと、モーセがシナイ山で神から幕屋建設の命令を受けた時に、「契約の箱」の次に造り方を指示されたからです。

①あかしの箱(契約の箱・神の箱)とケルビムを載せた贖いの蓋
★出エジプト25:10 アカシヤ材のを作らなければならない。
★出エジプト 25:17 また、純金の『贖いのふた』を作る。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。25:18 槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。


②パンの机
★出エジプト 25:23 をアカシヤ材で作らなければならない。

※聖なる香油を注ぐ記述の順番もこの通りです。
★出エジプト 30:26 この油を次のものにそそぐ。会見の天幕、あかしの箱、
30:27 とそのいろいろな器具、燭台とそのいろいろな器具、香の壇、 30:28 全焼のいけにえのための祭壇とそのいろいろな器具、洗盤とその台。


この幕屋の器具の順番を示されて初めて、天地創造の三日目(小麦に象徴される植物の創造)と四日目(照らす光の想像と、幕屋の器具の三番目「パンの机」と四番目「燭台」との順序が一致し、全てが神の御計画の内に幕屋や天地創造を含み全てを造られた事がわかりました。

このブログで順を追って説明をしてゆきますが、イエス様のご生涯も、出エジプトの歴史も、アブラハムの生涯も、ヤコブやユダやヨセフの生涯も、モーセの生涯も・・・、そして我々信仰者の生涯も、この順を辿っています。

まだ説明を書き終えていませんが、一応その表の主なる所だけを先に載せておきます。天地創造の七日間と幕屋の順序の目標(キリストの似姿に到達)と目的(御国の安息)が、イエス様の生涯と信仰者の生涯と一致している事を確認して、神様の天地創造の以前からの御計画の素晴らしさを知っていただきたいと思います。

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726び4

特に、幕屋の器具六番目の「地上での使命を果たして復活されたキリスト」の位置の一致が語る事とは、私たちがイエス様の似姿になれるように、あらかじめ天地創造六日目に「神の形に人を創造された」と言う驚くべき事実です。

★ガラテヤ 2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。

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この表を見ていただくと、イエス様が十字架上で垂幕を裂いた位置は、①私たちが心の垂幕を裂く(心の割礼)のであれば、イエス様の身丈(ガラテヤ2:20)に達し、また②私たちの体が死んだ時には、復活されたイエス様のように霊の体が与えられて天の御国(至聖所)に入る事がわかります。


・・・さて、天地創造の一日目の光と、四日目の光の違いをもう一度説明しておきたいと思います。

一日目(一つ目)の光は救いの光です。
★ヨハネ 1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。

四日目(四つ目)の光は聖霊の光です。
★創世記 1:14 ついで神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。 1:15 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」 ★ヨハネ14:16 父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。14:17 その方は、真理の御霊です。

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しかし、この四日目(四つ目)聖霊は、私たち信仰者の中に働く御霊であって、最初の永遠から存在していた神様ご自身が御霊であられる意味とは違います。
★ 創世記1:1 初めに、神が天と地を創造した。 1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。

三位一体の神様(御乳・御子・御霊)は、完全に霊であられ、その霊を私たちに天から送り込んで下さっておられるのです。
★ヨハネ4:24 神は霊ですから・・
★ヤコブ 4:5 「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。」


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そしてイエス様はその燭台の間中に立たれ、七つの光の燭台を右の手に持っておられます。

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★黙示録1:12 そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。1:13 それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。1:14 その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。1:15 その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。1:16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

ちなみに、この御言葉の中にも右手の燭台の他に、イエス様が幕屋である事の示唆があります。
足まで垂れた衣は、地面まで垂れている幕屋を取り巻く白い亜麻布の塀のようであり・・・、
炉で精錬されて光り輝く真鍮のような足は、幕屋でイエス様の足の部分に対応するいけにえが焼かれる「祭壇」・・・、
顔は光り輝く太陽のようとあるのは、イエス様の頭部に当る金の契約の箱の輝きのようです。

前置きが長くなりました。早速、本日のテーマに入りたいと思います。










ライン15
《四》天地創造の四日目幕屋の四つ目の器具「燭台」(1)「聖霊の基本」」 


・・・・・(1)救い主の御許に導く光としての聖霊・・・・・

①具体的に、聖霊の光は「御言葉」を照らします。

私たちが行く道を探している時、心に苦しみや悲しみがある時、その時に応じて天からの導きや慰めの御言葉に導かれます。

私たちの心に、御言葉を照らし出すのが「導く光」としての聖霊の役割ですが・・・、


②まだイエス様に出会った事のない人を、救い主イエス様の元に導く光としての役割は、クリスマスのに象徴されています。

★創世記1:14 神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。1:15 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」と仰せられた。するとそのようになった。1:16 それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。またを造られた。

 503の16

約二千年前のクリスマスの夜、東の国の三人の博士たちは、ベツレヘムの上空に輝く大きな星を目当てに、救い主イエス様に会いに来ました。

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三人の博士も、荒野の羊の番をしていて天使たちに救い主の誕生を知らされた羊飼いたちも、どうして赤ちゃんのイエス様に会った時に、これが「メシヤ(救い主)」とわかったのでしょうか?

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③イエス様を救い主として示す聖霊

人間が、どんなにイエス様に対する知識があっても、救い主であると信じられるのは聖霊の働きです。
★ Ⅰコリント12:3 聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。


④天国までの十字架の架け橋
イエス様はどのように、私たちの救い主となられたのでしょうか?それは十字架の血の贖いによってです。

 802の33救い主

私たち人類は、心に行動に罪があって神との断絶があり、天の御国への道は閉ざされ、神の子・神の民となる事はできませんでした。

 802の25

しかしイエス様が、十字架で血を流して罪を贖い、私たちの罪の身代わりとなって死んでくださったので、私たちは神の子・神の民とされ、輝く永遠の命をいただいて永遠に神の御国に住めるようになりました。

 802の26救いの2


⑤天国行きの船
天国行きの船が、ノアの方舟に象徴されています。多くの人間達の中で、ノアの家族の八人だけが神様からの御言葉を信じて、全世界を包み込もうとしている大洪水の前に方舟に乗り込みました。

神様が来るように心に命じられた動物たちは、その訳もわからずに従がって、方舟に乗り込みました。、

 図4

今の時代、唯一の天国行きの方舟は、イエス様の教会です。入口の扉も十字架であるし、その道はイエス様の狭き身幅だけの細く真直ぐな「十字架の道」です。

 十字架を通って天の御国へ

これから後、かつてなかった天変地異の中で、永遠の命が保証されるのはイエス様の中に居る人だけです。聖書の御言葉の約束を信じて、その中に留まるしか天国への道はありません。

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火山が噴火しても、大津波が押し寄せて来ても、星が降って来ても、かつてない暴風雨が吹き荒れても・・・、イエス様の中に留まる人は安全です。

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この世にどんなに安全で快適なシェルターがあったとしても、そのシェルターは天にまでは、そして永遠の命の中にまでは上っていきません。


⑥最も高い礼拝・・・天の御座の前の礼拝に連れ上る聖霊
ノアの方舟は、天の御国を象徴する山の頂上(至聖所)まで上りました。

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藤城清治影絵http://www.kageenomori.jp/fujishiro.html


全ての被造物の代表として、動物や鳥などと共にノアの一族は、天の御座の前での礼拝を髣髴とさせる、素晴らしい礼拝を持ちました。

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※救いを受け入れる時に留意する事①唯一の救い主
救いの最低条件は、イエス様を救い主と信じる事です。地震や津波、事故などによって私たち人間はいきなり個人の終末である死を迎える場合があります。そんな緊急事態にあって、神様は救い主を呼び求める者の永遠の命は、救われる事を保証しています。

★ヨエル2:31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。2:32 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。

しかし、イエス様を唯一の救い主として、心の真実より叫び求める人だけです。他の偶像を一緒に求める事とは、言葉と裏腹に、イエス様を救い主として信じてはいない証拠になります。

もし、イエス様を救い主として信じきれなかったら、「イエス様、信じさせて下さい!」と心から祈りましょう。聖霊が助けて信仰を持たせてくださいます。


※救いを受け入れる時に留意する事②期限
そしてもう一つ、重要な事があります。

そのイエス様を救い主として叫び求めて、天国行きの船に乗り込めるには期限があると言う事です。それは聖書に「主の日・主の恐るべき日・・・」と各所に記されている、イエス様がもう一度この地に現れる再臨の日です。再臨の日までは、私たちが救われる事が可能な日々です。

これはノアの方舟が山の頂に到着した時に、礼拝の中で「虹による契約」が告げられています。

★創世記 9:14 わたしが地の上に雲を起こすとき、が雲の中に現われる。9:15 わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。9:16 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」 9:17 こうして神はノアに仰せられた。「これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」

しかし、この憐れみの期間が今、閉じられようとしています。天国行きの方舟の十字架の入口が、ノアの時のように神様の御手によって封印されてしまう時間が迫っています。

★創世記 7:15 こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところにはいった。7:16 はいったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、は、彼のうしろの閉ざされた

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★Ⅱペテロ 2:5 また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。

★ルカ17:26 人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。17:27 ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。

★Ⅱコリント 6:2 確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。









・・・文が長すぎるため、後半は明日8月3日(コチラ)に続きます・・・



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