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2013年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年11月

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天国への地図(4)幕屋四燭台⑬「ヨナの幕屋(短期宣教期間)」

1★十字架のライン
 




ライン15
「ヨナの幕屋(短期宣教期間)」

Jonah007.jpg

先週のヨセフの生涯は、幕屋の順序とピッタリと一致していました。
旧約聖書中で著しく幕屋の順序と一致しているのは、ヨセフとヨナの二人です。
二人のタイプは全く違いますが、それぞれにイエス様の生涯を象徴しています。

ヨナのニネベに対する短い宣教期間が、幕屋の構造の意味を良く表しています。

特に、イエス様の最も苦しい十字架の三日間は、
イエス様ご自身が、ヨナの魚の中の三日間にたとえておられます。

★マタイ 12:40 ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、
同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。


しかし、イエス様のご生涯の幕屋や、アブラハム、ヤコブ、ヨセフ、
モーセ、出エジプトの民・・・など他の信仰者の幕屋とは大きく違い、
試練と訓練の荒野の期間が、圧倒的に短いのが、ヨナの幕屋の特徴です。

その短さが、ヨナの幕屋(宣教期間)の最後にどんな影響があったのかを
本日はゆっくり見て行きたいと思います。

また、この短く、驚くべき奇跡に満ちたヨナの物語は、
今の終末を生きる私たちに、実に多くの教えを語っています。
その重要な教訓は、今週の最後の部分と来週の二回で説明したいと思います。






・・・・・(1)ヨナの召命以前・・・・

 1025の1

ヨナの父はアミタイと言い、「忠実」の意味です。忠実な信仰者家庭に生まれ育ち、礼拝も誠実に守っていたと推測されます。

★ヨナ1:1 アミタイの子ヨナ 
★Ⅱ列王 14:25 ・・・主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェルの出の預言者アミタイの子ヨナを通して仰せられたことばのとおりであった。


ヨナ自身も下記のように、創造主を礼拝していると、自分の事を紹介しています。

★ヨナ 1:9 ヨナは彼らに言った。「私はヘブル人です。私は海と陸を造られた天の神、主を礼拝しています。」

※Ⅱ列王のアミタイ・ヨナ親子と、ヨナ書のヨナ親子とは違うと言う説もありますが、ヨナ書の中の御言葉だけでも充分に礼拝生活が忠実であった事がわかります。

イエス様は、ヨナを預言者と呼びました。

★マタイ 12:39 イエスは答えて言われた。「・・・預言者ヨナのしるし・・・」





・・・・・(2)ヨナの召命・・・・

 1025び2

ヨナは、イエス様の弟子や、アブラハム家四代の信仰者たちのような準備期間も、教育期間も、訓練期間もなく、いきなり召命を受け、即、任地に行くように、神様から命令を受けました。

★1:1 アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。1:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」





・・・・・(3)(4)(5)ヨナの短い「試練と訓練の荒野(聖所)」・・・・
 
 1025の5



・・・(3)神の命令への不従順・・・

ヨナは、礼拝者として正しく生きてはいましたが、神に従う心がまだなく、当時のイスラエルに暴虐の鍵りを尽くしていた宿敵アッシリア帝国の首都、ニネベに対しての宣教を真っ向から拒否しました。

★ヨナ1:3 しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。

アダムとエバも、神の命令を背いて荒野であるこの地に追い出されましたが・・・、ヨナは、放蕩息子よりも強い意思で父に背を向けて、任地東のニネベとまるで反対方向、西にヨッパの港へ向かいました。

タルシシは現在のスペインの南端に当たります。

 1025の3

一方、ニネベの町は・・・、ヨナが住んでいたと推測されるガテ・ヘフェル(Ⅱ列王 14:25)がエルサレムの北ナザレの近くですから、その北東方向へ約800kmの位置にあります。

ニネベとは真逆の方向、しかも距離的には遥かに遠い町へ逃げて行こうとしました。
 
ヨナは、礼拝者として生きていましたが、心の中にあるアダム以来の原罪と言うべき、「自分の考えを神の考えよりも正しい」とし、「自分の思った道」を力の限り「迷える羊」のごとく・・・・、また「放蕩息子」のように財力に任せて突進して行きました。

★イザヤ53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

ヨナは、天地万物を創造された偉大な神様を礼拝する事と、その御言葉に従う事とはな事と考えていました。自分自身の考えを神より偉大で正当だとする「偶像礼拝」が心を支配していました。まだ信仰が幼く、ガラテヤ2:20の段階「自己(思弁)の死」を、体験した事がなかったのです。

 






・・・・・(4)ヨナ、海に投げ込まれ、大魚に呑まれる・・・・

ヨナは、神への怒りに燃えるままに、ヨッパの港に行きました。

 1025の29

下図上段左①★ 1:3 ・・・彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。

右②★1:4 そのとき、主が大風を海に吹きつけたので、海に激しい暴風が起こり、船は難破しそうになった。

 1025の4

上図下段左③★1:7 みなは互いに言った。「さあ、くじを引いて、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったかを知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった

★1:11 彼らはヨナに言った。「海が静まるために、私たちはあなたをどうしたらいいのか。」海がますます荒れてきたからである。1:12 ヨナは彼らに言った。「私を捕えて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」

右④★1:15 こうして、彼らはヨナをかかえて海に投げ込んだ。 

 1025の14

⑤★1:17 主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた

天の父は、全ての被造物を造られた時に自由意志を与えました。神を、表面的に、強制的に礼拝させるのではなく、100%の自由意志からの真の礼拝を捧げて欲しかったからです。

その為、人間の自由意志に働きかれる手段の一つは、環境を変える事でした。ここで、神の命令に従わなかったヨナに対して、①嵐を起こし、②くじを導き、③船の他の乗員の心を動かし、④巨大な魚を近くに配して、⑤飲み込ませました。





・・・・・(5)ヨナ、恐怖の三日間・・・・

★1:17 ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。

イエス様にとって、十字架の三日間は地の底である「黄泉」に下っていましたが・・・、

★Ⅰペテロ3:18 キリストも一度罪のために死なれました。・・・それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。3:19 その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。

・・・ヨナは大魚の腹の中で、海底の地のかんぬきの下におり、地獄にいるかのような三日間を過ごしました。

ヨナの幕屋(短期宣教期間)はあまりにも短いので、試練と訓練の荒野と、至聖所への垂幕に相応する最も苦しい「夜明け前の漆黒の闇」期間がだぶっていますし、ヨナ自身の祈りの言葉も時限が被っています。その恐怖と苦痛の部分を抜き出しました。

 1025の28

★ヨナ2:3 あなたは私を海の真中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました。2:4 私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。・・・2:5 水は、私ののどを絞めつけ、深淵は私を取り囲み、海草は私の頭にからみつきました。2:6 私は山々の根元まで下り地のかんぬきが、いつまでも私の上にありました

ヨブは地の底の最も低い所から、最も高い天の聖なる宮を見上げて、心を裂きます。
 
 
 



・・・・・(6)ヨナ、垂幕(思弁:魂の主張)を裂く・・・・

 1025の30
 
★ヨナ2:7 私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。2:8 むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。2:9 しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」 

天地万物の創造主である神を誠実に礼拝して来たつもりのヨナは、この時に初めて、神の考えよりも自分の考えの方が正しいとする、自分に対する偶像礼拝を空しいものとし、その分厚く頑強な魂の垂幕を裂きました。
 





・・・・・(7)ヨナの至聖所①使命達成・・・・

 1025の7

その時に、至聖所(広い良き地)へ開放されました。イエス様が復活して墓の中から破れ出でた時のように、ヨセフが自分の自慢を捨てて神の栄光を認めた時に、暗く狭い地下牢の囚人の身分から、明るい外にのびのびと開放されたように。

下図上段左①★ヨナ 2:10 主は、魚に命じヨナを陸地に吐き出させた

右②★3:1 再びヨナに次のような主のことばがあった。 3:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。」

 1025の8
 
地獄の苦しみをいやと言うほどに味わったヨナは、陸地に吐き出されて、神の言葉に従がって陸路をニネベを目指して歩き始めました。

上図下段③★3:3 ヨナは、主のことばのとおりに、立ってニネベに行った。・・

・・・・・・・・・・・
 
★3:3・・・ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町であった。3:4 ヨナは初め、その町にはいると、一日中歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」と言った。

 1025の9

★3:5 そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。

★3:6 このことがニネベのの耳にはいると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。 3:7 王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。3:8 人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行ないとを悔い改めよ。 3:9 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」


人々がヨナの言葉を聞いて悔い改めたので・・・、

★3:10 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。

ついにヨナの心配していた「神の憐れみ」によって災いが思い直される結末となり、「四十日後にニネベが滅びる」と語った自分の面子が丸つぶれとなったと感じて、ヨナはすっかり不機嫌になってしまいました。 

幼い信仰者であったヨナには、自分の立場しか考えられず、人々が災いから救われた事への喜びはありませんでした。





・・・・・(8)ヨナの至聖所②神(父)の愛を学ぶ・・・・

 1025の23

★ 4:1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、4:2 主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。4:3 主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」

★ 4:5 ヨナは町から出て、町の東のほうにすわり、そこに自分で仮小屋を作り、町の中で何が起こるかを見きわめようと、その陰の下にすわっていた。4:6 神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上のとして、ヨナの不きげんを直そうとされた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ

 1025の24

★ 4:7 しかし、神は、翌日の夜明けに、一匹の虫を備えられた。虫がそのとうごまをかんだので、とうごまは枯れた。4:8 太陽が上ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は衰え果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」

 30-JonasUnderTree 
 
★ 4:9 すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」

 1025の25

★4:10 主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。4:11 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」  


ヨナは、試練と訓練の荒野の期間があまりにも短かった為に、魂が一度は論理的に悔い改めても、感情的な部分でキリストの身丈までには達しておらず、至聖所①の死から復活して使命を果たしたキリストの段階を通ったものの、契約の箱の贖いの蓋の部分に相応する「御父の愛を知り、御国の安息と平安」を味わう事ができませんでした。

そこで御父から、トウゴマの木を教材にして、体験的に「神の愛と安息」を学ぶ必要があったのです。



 




エンディング


ヨナを通して学ぶ①
「信仰の達成を目指して」
 
ヨナは、私たち信仰者の一生の課題、「キリストの身丈」に至ってはいませんでした。

生まれた町で礼拝者であった時、Ⅰ列王によれば、預言者であった父アミタイ(忠実)の、御言葉への忠実さにはまだ至っていませんでした。幼い信仰者であったのです。

★ヘブル 5:12 あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。5:13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。5:14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。 

イエス様の説いた「十字架の道」とは、成人の信仰者だけが歩む事の出来る道であり、そして「堅い食物」とは、主の真の弟子になろうとする献身の心のない乳児には食べる事ができません。

★マタイ10:38 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。10:39 自分のいのち(プシュケー;魂の命)を自分のものとした者はそれを失い、わたしのために 自分のいのち(プシュケー;魂の命)を失った者は、それを自分のものとします。

ヨナの頭の中には、この自分の魂の命をなんとしても守りたいと言う頑強な思いが、とぐろを巻く海草のように自分自身に絡み付いていました。大魚の腹の中でも、それ以前からも、それ以後も・・・。

 1025の12

真の主の弟子になろうと献身して、一度でも魂の命を死なせた時、心の中に御国の平安と喜びが湧き上がって来ます。その心の中の御国を味わう体験を日々繰り返してゆく中で、私たちはキリストの身丈へと成長してゆくのです。

パウロは、心の死も体の死をも含めて言いました。

★Ⅰコリント15:31 兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。





ヨナを通して学ぶ②
「救いは神の闘いの分野・人間は伝えるだけ」

しかし聖書は、私たちの側の信仰の良し悪しや、環境の良し悪しに関らず、時の良し悪しに関らず、「福音」を世の人々に語りなさいと教えています。

★Ⅱテモテ 4:2 みことばを宣べ伝えなさい時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。

それは、人間の救いは、神の側の仕事であり、人間の側は、ただ神の手となり、足となり、声となって、神の言葉をそのまま人々に伝えるだけがするべき事であるからです。その結果は全て、神様の側の責任であり、功績です。

この事実を最もはっきりと語っているのは、出エジプトの歴史です。

下図左側の、新生の段階(血による贖いと、サタンの追撃から完全に守って救いを確定する洗礼)に於いては、神の側のサタンとの闘いなので、「人間は手を出すな!」と神が語られました。

★出エジプト 14:13 モーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。14:14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」

血の贖いによる救いを受けた神の民を、再びサタンの王国へ引き戻そうとするサタンとの闘いには、神が勝利して紅海の藻屑とし、二度と民はエジプト兵を見る事はありませんでした。

 1025の22
 
しかし、信仰者の心を象徴する「荒野」に於いては、私たち自身が、心の中に進入して来る悪しき思いと戦って勝利しなければなりません。(上図右側)

荒野でアマレク人が攻めて来た時、ヨシュアたちは実際に敵と戦い、モーセは至聖所を象徴する丘の上で、手を天に向かって上げて祈っていました。私たちは、荒野(聖所;心;日々の礼拝の所)で、実際にサタンと戦い、祈りによって勝利してゆくのです。

★出エジプト17:8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。17:9 モーセはヨシュアに言った。「私たちのために幾人かを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」 17:10 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。 17:11 モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。

ヨナは、心の中に進入して来て、神様よりも自分の感情や考えが正しいと頑強に思い込ませるサタンに、祈りによって勝利する事はできませんでしたが、神の領分である「人々の救い」の御業の実現には、貢献する事ができました。

ヨナが、神から授かった御言葉をそのまま伝えただけで、人々は悔い改めました。

★マタイ 12:39 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。・・・・12:41 ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜならニネベの人々はヨナの説教で悔い改めた からです。

ですから、私たち信仰者は、まだ神様を信じたばかりの初心者でも、ヨナのように礼拝生活は長いだけで幼い信仰者であっても、ベテランであっても・・・、時が良くても悪くても、環境が整っていてもいなくても・・・、御言葉を宣べ伝えましょう。

★ローマ10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

御言葉を取り次いで、世の人々が救われたら、天の父と共に喜びましょう。

用いていただいた事に、感謝しましょう。

また、多くの人が救われたとしても、大きな奇跡の働きをしたとしても、多くの病人を癒したとしても、素晴らしい預言を取り次いだとしても・・・・、それらは神様の側の働きであり、神様の力の現われですから、決して、自分を誇る事がないように気をつけましょう。

栄光をこまめに神様にお返しする事を、リバイバルが始まる前に、私たちの習慣としましょう。



3ライン 







 ★花のライン17休憩
2013年11月1日(金)(コチラ)に続きます。ヨナから学ぶ「荒野の価値」についてです。
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| Ⅲ天国への地図 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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天国への地図(4)幕屋四燭台⑫「王権を得たユダの生涯(幕屋)」



1★十字架のライン 

ヨセフは、三位一体の第二格(№2)であるイエス様の雛形として相応しく、
当時のエジプトのパロ王の№2となりました。

しかし、ヨセフは永遠の中で「長子の権」を取得しましたが、
最も重要な「王権」を得たのはヤコブの四男ユダでした。

ヤコブの12人の息子の中で、神様の目から見て最も出世したのはユダでした。

ユダの人生には失敗が多く、ヨセフよりもパッとしない生涯であったのに、
どうして王権を得たのでしょうか?

また、ユダの生涯に於ける神さまからの一番の使命は何だったのでしょうか?




 

ライン15
「王権を得たユダの生涯(幕屋)」 



・・・ユダ誕生の背景・・・ 

その昔
ヤコブが母リベカと結託して、父イサクを騙して長子の祝福を祈ってもらったので
兄エサウは怒り、弟を殺そうとしたので、
ヤコブは故郷を離れて母リベカの故郷へ旅立ちました。

父イサクは、エサウの現地人の嫁たちに悩まされている妻リベカの様子を見て、
ヤコブにリベカの兄ララバンの娘の中から結婚相手を選ぶように勧めました。

ヤコブがラバンの家に近付いた時、彼の二人娘の妹ラケルと出会い、
恋に落ち、彼女との結婚を望みます。

しかし、ヤコブやリベカと同じ策略家のラバンは、目の弱い姉のレアの将来を案じて、
ヤコブを騙してレアを先に結婚させ、二人の姉妹は共にヤコブと結婚する事となります。

 1018の0

ヤコブがあまりにラケルだけを愛す様を見て、心を痛めるレアを神様が憐れみ、
ラケルの胎を閉じ、レアの胎を開いて、先ず次々と男の子が四人生まれました。
その四男がユダです。

姉レアと妹ラケル、そしてそれぞれの女奴隷の計四人による出産バトルが、
息子達も巻き込んで始まりました。

このような複雑な家庭環境で、ヤコブの子供たちは育ちました。






・・・・・(1)ユダの幕屋の庭(子供)時代・・・・

 1011の21

しかし、ヤコブの最愛の妻ラケルに長男のヨセフが、11番目の息子として生まれた時、この兄弟たちの確執は激化してしまいます。

ヤコブはヨセフを特別に袖付きの長服を与える程に人目もはばからずに溺愛し、しかもそれに乗じてヨセフは兄たちの悪口を父に伝えたので、兄たちは穏やかにヨセフと話が出来ないほど、彼を憎みました。

ヨセフが17才になった時、夢で兄たちが自分に仕える夢を見、それを彼らに伝えたのでヨセフは殺されかけ、ユダの発案で、ちょうど現れたイシュマエル人の商人に奴隷として売られ、ヨセフはエジプトで試練と訓練の苦しい荒野に入ります。





・・・・・(2)荒野の入口・・・・

 1018の2

ヨセフが、彼の荒野(聖所)への狭き門に入ってエジプトに行き、奴隷として彼の荒野生活が始まった頃、ユダは一人、自ら荒野に出て行きました。

★創 38:1 そのころ(ミデヤン人はエジプトで、パロの廷臣、その侍従長ポティファルにヨセフを売った)のことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、その名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。

試練と訓練の荒野へ、自らの自由意思でふらふらと入って行ったのは、アブラハム一族では、ユダしかいませんでした。

★イザヤ 53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。

信仰者が試練と訓練の荒野(聖所)に入るきっかけ(狭き門)はそれぞれです。しかし、主の真の僕は必ず荒野(試練と訓練、そして日々の熱き礼拝堂である聖所)に、狭き門より入ります。

弟ヨセフ(下図下段左)は、エジプト(奴隷と囚人)と言う荒野に強制連行され・・・、
父ヤコブ(上段右)は、兄を騙して殺される事を恐れて荒野に逃げ・・・、
子孫のモーセ(上図右)もまた、エジプト兵を殺して命を狙われ、追われるようにしてミディアンの荒野に一人寂しく向かいました。

 1018の10

祖々父のアブラハム(上図上段左)と祖母のリベカ(上段中)だけが、召命(求婚)により、その神の言葉と聖霊の導きに従順に従って、荒野に入りました。

イエス様(下段右)も私たちの道となる為に、洗礼を受けた直後に天から降った御霊に導かれて荒野に入りました、

その道を辿る信仰者の生涯を象徴する出エジプトの民(下段中)は、紅海で洗礼を受けた後、そこまで導いてきた御霊の柱に導かれて、本格的に試練と訓練の荒野に、天の御国を象徴するカナンを目指して入りました。

神の僕にとって、荒野(聖所)に入る入り口は狭き門(聖所の入口五本の柱の間)であり、大抵の信仰者は、自分の失敗や、足りなさ、罪から、仕方なく入って行くのです。自分の自由意志で入ったとしても、御霊はそこで試練を通して僕を訓練します。ユダはその試練と訓練の荒野で結婚をし、三人の男の子に恵まれました。

★創世記38:2-5 そこでユダは、あるカナン人で、その名をシュアという人の娘を見そめ、彼女をめとって彼女のところにはいった。彼女はみごもり、男の子を産んだ。彼はその子をエルと名づけた。彼女はまたみごもって、男の子を産み、その子をオナンと名づけた。彼女はさらにまた男の子を産み、その子をシェラと名づけた。





・・・・・(3)試練と訓練の荒野(聖所)時代・・・・

 1018の3

しかし、ユダが他の信仰者と違って、試練と訓練の荒野に召命によって入らなくても、強制連行でなくても、罪と失敗から仕方なく入ったわけでなくても・・・、自分の自由意志で入ったとは言え、全てをあい働かせて益とする神は、彼の人生を御霊によって導いて下さいました。

★ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

ユダは、この三人の息子を通して、創世記に記されている限りにおいては、他の歴代の信仰者や、ヤコブの息子たち12人の兄弟の内の誰よりも辛い経験、誰も味合わなかった恥ずかしい体験をする事になります。先ず、長男のエルが神に殺されました。

★創38:6 ユダは、その長子エルタマルという妻を迎えた。38:7 しかしユダの長子エルは主を怒らせていたので、主は彼を殺した

エルにまだ子供がいなかったので、次男から子供を得ようとしましたが、次男のオナンはそれを拒否し、神を怒らせて殺されました。ここまで聖書は、あからさまな事実(恥)を書き残しているので、私たちは聖書の記述が真実である事を信じる事ができます。

★創38:8 それでユダはオナンに言った。「あなたは兄嫁(※タマル)のところにはいり、義弟としての務めを果たしなさい。そしてあなたの兄のために子孫を起こすようにしなさい。」38:9 しかしオナンは、その生まれる子が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないために、兄嫁のところにはいると、地に流していた。38:10 彼のしたことは主を怒らせたので、主は彼をも殺した

そこでユダは、まだ小さい三男が成人するまで、長男エルの妻タマルを里に帰しました。三人の息子の内の長男、次男を失ったユダの悲しみと、神に対する恐れは、どれ程であった事でしょうか?

★創 38:11 そこでユダは、嫁のタマルに、「わが子シェラ(※三男)が成人するまで、あなたの父の家でやもめのままでいなさい。」と言った。それはシェラもまた、兄たちのように死ぬといけないと思ったからである。タマルは父の家に行き、そこに住むようになった。

ユダは三男までが不従順をして神に殺されたくなかったので、タマルを戻す気はありませんでした。しかし、ユダの妻が死んだと知った時、タマルは娼婦に変装し、舅のユダから直接に子種を得る作戦を実行しました。

 Vernet_Judah_Tamar2.jpg

★創38:13 そのとき、タマルに、「ご覧。あなたのしゅうとが羊の毛を切るためにティムナに上って来ていますよ。」と告げる者があった。38:14 それでタマルは、やもめの服を脱ぎ、ベールをかぶり、着替えをして、ティムナへの道にあるエナイムの入口にすわっていた。それはシェラが成人したのに、自分がその妻にされないのを知っていたからである。38:15 ユダは、彼女を見たとき、彼女が顔をおおっていたので遊女だと思い、38:16 道ばたの彼女のところに行き、「さあ、あなたのところにはいろう。」と言った。彼はその女が自分の嫁だとは知らなかったからである

その際、証拠となる品を要求していたタマルは、無事に双子の息子を出産します。、

★創 38:24 約三か月して、ユダに、「あなたの嫁のタマルが売春をし、そのうえ、お聞きください、その売春によってみごもっているのです。」と告げる者があった。そこでユダは言った。「あの女を引き出して、焼き殺せ。38:25 彼女が引き出されたとき、彼女はしゅうとのところに使いをやり、「これらの品々の持ち主によって、私はみごもったのです。」と言わせた。そしてまた彼女は言った。「これらの印形とひもと杖とが、だれのものかをお調べください。」38:26 ユダはこれを見定めて言った。「あの女は私よりも正しい。私が彼女を、わが子シェラに与えなかったことによるものだ。」こうして彼は再び彼女を知ろうとはしなかった。38:27 彼女の出産の時になると、なんと、ふたごがその胎内にいた。

エサウとヤコブの双子の弟ヤコブを主が愛したように…、
ヤコブが死ぬ間際、ヨセフの二人の息子の弟の方を祝福したようrに…、
タマルの産んだ双子は、弟のぺレツ(パレツ)が『アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図』に名を連ねています。

★マタイ 1:3 ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、

しかし、ヨセフを奴隷商人に売り飛ばし、その長服を動物の血に染めて父ヤコブを騙して絶望的な悲しみに追い込み、結婚生活では息子の教育に失敗し、至らなさに満ち、家庭に罪と汚れが溢れ、恥にまみれ、悲しみと苦しみばかりのユダの人生の荒野は、まだまだ続きます。

いったい何時、ユダはこの荒野から開放されるのでしょうか?
いったい何時、ユダは失敗だらけの自分が、尊い王家の血筋に属していると、知り得るのでしょうか?

この後にユダは父ヤコブの家に戻り、他の兄弟の家族と共に、「飢饉」と言う荒野を歩む事となります。





・・・・・(4)垂幕期・・・・

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ユダの「垂幕」にあたる、自分の肉の思いを裂いた時とは、いつでしょうか?それは、飢饉の時に訪れました。

42章の時、エジプトで、7年の豊作が終わり、次の七年の飢饉が、世界中に、そしてカナンの地にも訪れていました。ユダはいつの間にかカナンの父の元に戻っていたので、ヨセフ以外の兄弟は勢ぞろいしていました。

一度、ヨセフの兄たち10人は、エジプトに食料を買い出しに行きました。ヨセフと知らずに会った宰相から、次回は末の弟を連れて来るように言われて戻って来ます。

兄弟たちは、最愛の妻ラケルとのもう一人の息子ベニヤミンを、ヨセフに続いて失う事を恐れていたヤコブを説得する事が出来なかったので、エジプトに買出しに行けず、飢饉に苦しんでいました。

しかし食料が底を付いた時に、ユダは、自分を差し出して、ヤコブを説得しました。

★創世記43:8-9 ユダは父イスラエルに言った。「あの子を私といっしょにやらせてください。私たちは出かけて行きます。そうすれば、あなたも私たちも、そして私たちの子どもたちも生きながらえて死なないでしょう。私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。」

エジプトに買い出しに行ったものの、案の定、ヨセフはベニヤミンを奴隷としてエジプトに残すと言いました。その時、自分の息子二人を失って、二度までも息子を失う父の心を知っていたユダは、自分が身代わりとなって奴隷になるので、ベニヤミンを父の元に帰すように、ヨセフに言います。

★創世記44:30-34「私が今、あなたのしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちといっしょにいなかったら、父のいのちは彼のいのちにかかっているのですから、あの子がいないのを見たら、父は死んでしまうでしょう。そして、僕どもが、あなたの僕である白髪頭の私たちの父を、悲しみながら、よみに下らせることになります。というのは、この僕は私の父に、『もし私があの子をあなたのところに連れ戻さなかったら、私は永久にあなたに対して罪ある者となります。』と言って、あの子の保証をしているのです。ですから、どうか今、この僕を、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。あの子が私といっしょでなくて、どうして私は父のところへ帰れましょう。私の父に起こるわざわいを見たくありません。」









・・・・・(5)至聖所時代①・・・・

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その時、ヨセフの心が動きました。先週も読んだ箇所もありますが、ユダと他の兄弟の立場から、もう一度読んでみましょう。

★創世記45:1-8 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい。」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。

私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。」


エジプトの宰相がヨセフだったと知り、兄弟達はどんなに驚いたでしょうか。昔ヨセフを売った事で、長年いつ罰が下されるかと恐れていた兄たちは、今こそ仕返しをされるかと脅えました。

しかしヨセフは兄たちに、一族を生き永らえさせるために先に自分がエジプトに遣わされた事を告げ、これからも続く世界規模の飢饉の中で、父と兄弟の一族をエジプトに住まわせ、養う事を約束します。何と言う、突然の祝福の訪れでしょうか。

★45:9-11 「それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。ききんはあと五年続きますから、あなたも家族も、また、すべてあなたのものが、困ることのないように、私はあなたをそこで養いましょう。』と。」 

※至聖所①とは、イエス様が十字架と復活で使命を果たした位置であり、信仰者も使命達成の所です。ヨセフの使命達成はヨセフ30才の時であり、それから10年の歳月が流れて、ヨセフ40才の時に、ユダが使命を果たして父親を説得し、ヨセフの心を溶かして、兄弟が和解し、一族全員が飢饉の荒野を脱出し、食物が豊かにあって安全なゴシェンの地に住む祝福を得ました。





・・・・・(6)至聖所時代②・・・・

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ヤコブと、ヤコブ(イスラエル)の12人の息子たちは、その連れ合いと子供達、彼に属する全てのものと一緒にエジプトに向けて旅立ちました。彼らの先祖や関係者たち(アブラハム・イサク・ハガル・・・)が祭壇を築いて神を礼拝した所、ベエル・シェバに来た時、そこで祭壇を築いていけにえを捧げ、神に礼拝を捧げ、神の御声をお聞きしました。まさに、ここは至聖所の贖いの蓋の前、神の臨在に触れて、御声をお聞きする所です。

至聖所②は、天の御国の象徴であるこの世での安息を表していますが、天の御国の安息が最終的な安息です。

※ゴシェンは、ヤコブ一族の飢饉の時だけの臨時の「天の御国の象徴」です。本当の天の御国の安息のp象徴は「カナンの地」で、ヤコブは葬儀の時にミイラでこ運ばれ、ヨセフも、出エジプトの時にミイラでカナンの地に運ばれました。

私たちはこの世にいる限り、いつ天変地異が襲うか、いつ仕事や収入が途絶えるか、いつ健康を失うか、いつ愛する者を失うか、いつ食べ物が手に入らなくなるか・・・、誰にでも、少なからず何かの不安があります。ヨセフがエジプトに一族の住む所と食べるものを用意したように、私たちの為には、イエス様が天の御国に住む所を用意しておられます。

ヤコブの元に車が迎えに来たように、イエスさまが天の軍勢と聖徒たちを引き連れて、雲に乗って迎えに来る日が迫っています。聖書の御言葉は、それまでの道中、常に主が共におられ(インマヌエル)、私たちの生活を守って下さる事を約束しています。私たちは聖霊の油を絶やさず、主が迎えに来る日に備えて待っていましょう。
 
★創46:1-7 イスラエルは、彼に属するすべてのものといっしょに出発し、ベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえをささげた。神は、夜の幻の中でイスラエルに、「ヤコブよ、ヤコブよ。」と言って呼ばれた。

彼は答えた。「はい。ここにいます。」すると仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」それから、ヤコブはベエル・シェバを立った。

イスラエルの子らは、ヤコブを乗せるためにパロが送った車に、父ヤコブと自分たちの子や妻を乗せ、また彼らは家畜とカナンの地で得た財産も持って行った。こうしてヤコブはそのすべての子孫といっしょにエジプトに来た。すなわち、彼は、自分の息子たちと孫たち、自分の娘たちと孫娘たち、こうしてすべての子孫を連れてエジプトに来た


天の父は、神を信じる者の家族も一族もみな、天の御国へ連れ登らせたいと願っておられます。

★使徒16:31 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたあなたの家族も救われます。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、そのヨセフがヤコブの目を閉じる時が訪れました。ユダは神様からの素晴らしい評価(御計画)を知る事となります。ヤコブは、12人の子供たちや孫達に預言をする中で、ユダに言いました。

★49:8 ユダよ。兄弟たちはあなたをたたえ、あなたの手は敵のうなじの上にあり、あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。49:9 ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。49:10 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。

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ユダの子孫は、ダビデを経て、キリストにまで直接繋がる栄誉を受けるのです。

★黙示録5:5 すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」







エンディング


ユダの使命は、最愛の息子ヨセフを失った父ヤコブの心を体験的に知って、ベニヤミンをエジプトに連れて行く事を承諾させ、ヨセフにベニヤミンを会わせて、一族救済の最後の道を開く事でした。

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愛する二人の息子を失った時に初めて、ユダは父ヤコブの息子ヨセフを失った悲しみを理解できました。また、自分が二人目の息子を失った時の辛さから、ベニヤミンまで失った時の父ヤコブの心境を推測し、自分を身代わりに奴隷として差し出して、それを阻止しました。

私たち信仰者全員もまた、罪の故に父から遠く離れてしまった人類を思う御父の心を知る事が重要な使命です。そして私たち人類を愛して、その為に最愛の一人息子の十字架を忍耐して下さった御父の苦しい心を知らずして、本当の伝道・宣教が出来るでしょうか?

アダムは、自分の息子アベルの死に遭遇した時、初めて天の父の愛を実感し、自分たちがエデンの園の門を出て行く後ろ姿を見送る御父の悲しみを理解できた事でしょう。

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アブラハムもまた、イサクをモリヤの山頂で捧げる時、御父の十字架で一人子を捧げる時の苦しみを味わいました。アブラハムもまたユダと同じく、生涯の使命は、「御父の息子を失う壮絶な悲しみを知る」と言う事でした。ヤコブも、最愛の息子ヨセフが死んだと思い込んでいた長い年月、御父の悲しみを共感していたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかしユダは、母の悲しみをも知っていました。

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母の苦しみ悲しみをずっと幼い日より見ていたレアの息子ユダは、ヨセフが生まれた時からは更に増してヤコブの差別に心を痛め、また母の悔しさ、悲しさを思ってやりきれない思いをしていました。その頃から既に試練の荒野の人生が始まっていました。

ユダの母レアは、妻として、妹に比べてヤコブに愛されなかった辛さから神から目を離さずに生き、四男が生まれた時には感謝して「賛美(ユダ)」と名づけた程に、信仰深い母でした。

聖書の中の兄弟姉妹(カインとアベル・エサウとヤコブ・ヨセフの二人の息子・ユダの双子の兄弟・優秀な兄たちとダビデ・マルタとマリヤ・・・)は、殆どが兄と姉よりも、弟や妹の方が霊的で信仰的です。

どの信仰者もその人生は、最初は肉的で、様々な荒野の体験を通して、霊的に成長する事を象徴しています。私たちは最初は信仰者であってもアダムのように肉的であり、徐々にキリストの身丈へと信仰が成長してゆく事を象徴しているのです。(ガラテヤ2;20)

★Ⅰコリント 15:46 最初にあったのは血肉のもの(アダム)であり、御霊のものではありません。御霊のもの(キリスト)はあとに来るのです。 

しかし、姉のレアは聖書中の人物としては珍しく、妹のラケルよりも霊的であり、信仰的でした。彼女の心に貧しさがあり、弱さがあり、絶えず葛藤があって、天に目を注ぎ続けていたらです。

★マタイ5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。5:4 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。

つまり、ユダがどうして主に愛されたかと言うと、父ヤコブも、母レアも共に「主の御顔を激しく求める信仰者」であったからです。

ある意味ではヨセフより厳しく長い荒野の人生でした。この世の安息に入ったのはヨセフ40才の時でしたから、それプラスαの長い年月、荒野で神を見上げていたのです。

ヤコブも息子の教育に失敗し、ユダも失敗だらけの人生でしたが、私たち信仰者が子孫に残すべき最も重要な資産とは、親が常に「神を常に見つめ、切に求めて生きる」事です。

どんな失敗も、どんな汚れも、どんな恥も、どんな不成功も・・・、この遺産さえ残せば、永遠の御国の中に価値ある者として、私たちの愛する子孫は入るのです。

★詩篇24:6 神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブ…

★マタイ6:33 神の国とその義とをまず第一に求めなさい。

★アモス5:4 まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。」



3ライン 









 ★花のライン17休憩
2013年10月25日(金)(コチラ)に続きます。「ヨナの幕屋」についてです。

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≫ EDIT

天国への地図(4)幕屋四燭台⑪「使命を与えられた信仰者ヨセフの生涯(幕屋)」






1★十字架のライン



先週まで、信徒代表ヤコブの「主を激しく求めた生涯」を見てきました。

★詩篇24:6 神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブ


反対に主を切に求めないラオデキア教会員を表す兄エサウ
その信仰の中に主を知る知識の宝を得る事はなく
最後の裁きの火を通った時には、全ての行いが焼き尽くされ
身一つで天の御国に入り、弟ヤコブに仕える側になった事でしょう。

しかし、そのヤコブが高い地位になった場面は創世記には書かれていません。
黙示録に、記されています。

★黙示録 2:26 勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、
諸国の民を支配する権威を与えよう。 


主を激しく求めて勝利を得、諸国を支配する権威が執行される様子は、
ヨセフの生涯を通して、描かれています。


結果的に、神からの役割の中でこの世で華々しい結果を見たヨセフですが…、

…私たちが、地上に於いてどのような使命をあたえられていようとも
ヤコブのように苦しみのみが多い人生であっても…、
人間の目から見て、この世に於ける華々しい結果を出す役割であっても…、
そうでなくても…、
私たち信仰者は先ず「主を切に求めて生きる事」、これが最重要です。

★マタイ6:33 神の国とそのとをまず第一に求めなさい。
★アモス5:4 まことには、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。」

この、神さまからの最重要命令
天で与えられる栄誉が私たちの目標である事とを念頭にしっかり置いて、
ヨセフの生涯(幕屋)を見て行きましょう。
 





ライン15
「使命を与えられた信仰者ヨセフの生涯(幕屋)」 

ヨセフの生涯は、どの信仰者の生涯よりも、イエス様の生涯を表しています。

※この真理を余す所なく言い尽くしているのが、
Westwood,Tom 著「ヨセフ」(伝道出版社)です。
以前、この小冊子は190円で販売されていましたが、今は絶版となっています。
キリスト教の本中心の図書館などに行った際は、目を通される事をお薦めします。


だからこそ、イエス様の生涯の幕屋の順序に、ピッタリと当てはまります。
下記を見ていただくと、幕屋の三部分と、出エジプトの歴史、アブラハムの生涯(幕屋)、
そしてイエス様の生涯(幕屋)が一致している事がわかります。
主を切に求めて生きる信仰者は、自分勝手に人生を歩んでいるようであっても、
必ず聖霊に導かれて、幕屋の順に、イエス様の足跡を辿っているのです。

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・・・・・(1)「ヨセフの幕屋の庭時代」・・・・

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ヨセフは、信仰者の家庭に生まれ、17才になるまでヤコブの家に兄弟と暮らしていました。ヨセフの「幕屋の庭時代」は17年間です。

※イエス様は、30才になるまで「幕屋の庭時代」で、信仰者の家庭で生まれて育ち、30才で公生涯に入られました。モーセは乳母の役目の実母から植えつけられてア信仰を持ちつつ王宮で王子として過ごして、試練と訓練の荒野に入るまでの40年間が、「幕屋の庭時代」です。

父のヤコブには二人の妻がいましたが、ヤコブの愛するラケルにはなかなか子供が出来なくて、やっと11男として誕生したラケルの長男ヨセフをヤコブは溺愛しました。

★創世記 37:3 イスラエル(ヤコブ)は、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた

小さい頃は、父のヤコブに偏愛された上、それに乗じて兄達の悪口を父に伝え、予言的な夢を見てそれを兄達に伝えた為、腹違いの兄達に憎まれていました。

★創世記37:2-4「これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。・・・彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。」

※私たちは、クリスチャンとなっても、また小さい時から教会に通っていても、子供の頃、若い頃は、まだ神の訓練が始まっておらず、それぞれが幼い信仰者であるので、妬んだり、恨んだり、それぞれ自分の心の赴くままに、喧嘩をします。
★Ⅰコリント3:1-3 「さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。」  

ヨセフが、兄たちに言って余計に憎まれるようなった二つの夢です。

★創 37:5+9 あるとき、ヨセフはを見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。
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・・・・・(2)「ヨセフの狭き門」・・・・

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この話の後に、父やコブは野で羊の世話をしている兄たちの様子を見させる為に、ヨセフを野に遣わしました。ところが、ドタンで彼らに追いついたヨセフを見て、兄たちは彼を殺す事にしました。

★創37:18-20 彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。彼らは互いに言った。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。さあ、今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、悪い獣が食い殺したと言おう。そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」

しかし、長男のルベンはヨセフを後から助けようと、穴の中に入れる事にしました。兄たちがヨセフの袖つき長服を剥ぎ取り、穴に入れました。しかし三男のユダもヨセフを殺す事に反対し、近くをエジプトに向かっているイシュマエル人の隊商が見えたので、奴隷としてヨセフを売ろうと言う事になりました。

 




・・・・・(3)「ヨセフの荒野①奴隷」・・・・

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あのミデヤン人はエジプトで、パロの廷臣、その侍従長ポティファルにヨセフを奴隷として売りました。

★創 39:1 ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。39:2 主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。39:3 彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。39:4 それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた

人間の中で最も身分の低い、家畜同然の奴隷となったヨセフは、主が共におられたのでなすことが皆栄え、主人の好意を得て、全財産を任されるまでになります。

・・・今の時代、主の僕を育てている多くの神学校などで、主の僕の陥りやすい三つの欲に注意するように教えています。天の父もまた、将来大きな富と権力を委ねるヨセフに対して、徹底的にこの三点を訓練をしました。

①名誉欲

ヨセフは子供時代、12人の息子達の中で特別扱いされて優越感にひたっていましたが、今となっては奴隷の身分となり、その葛藤の中で聖霊に正しい認識を教え導かれた事でしょう。

②金銭欲

奴隷の身分であって財産を任されたとは、どれほどに気を遣って金銭を管理した事でしょう。

③男女関係の欲

しかし、この男女関係に関する潔癖さは、自分の側の聖さだけでは危険である事を、ヨセフはいやと言うほど学ぶ事となりました。

ポティファルの妻に誘惑されて逃げた所、上着を証拠にヨセフの側が誘惑した事にされ、冤罪で監獄に入れられてしまいました。

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・・・・・(4)「ヨセフの荒野②囚人」・・・・

この件に関しては全くの無実の罪でしたから、ヨセフは最後まで納得をする事はできなかったでしょう。しかし、奴隷であった時も、監獄にいた時も『彼と共におられた』(創39:2,23)主の御霊は、彼の心の想いの中でも共におられ、この問題に関する悟りを導かれたのではないでしょうか。

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いくら囚人の管理と、監獄内の全ての管理を任せられていたとは言え、捕らわれの身のせつなさから物思いにふける時、遠い日の兄達の仕打ちもさる事ながら、奴隷の身分であった自分が、長い年月、全力を注いで勝ち得た信用を一瞬で失わせた、人妻の自分本位の情欲の恐ろしさを始終思い出し、こう肝に銘じたのに違いありません。

『自分はこの先、牢を出る事があったら、異性に対しては充分に気をつけよう。絶対に誤解されるような状況にならないようにしよう。部屋の中などで、結婚相手以外の女性と2人きりになるような事態には決してなるまい。』と。

神は、当時世界一の富と膨大な食料の備蓄と、それら全てを自由にできる権力をヨセフ1人に集中させる計画があったので、女性問題に関しても徹底的に備えさせる為、ポティファルの妻との事件を通して、ヨセフを訓練したのではないでしょうか。

特にヨセフは、体格も良く、美男子であったという事ですし、頭も良かった事でしょう。その上、神が共におられてなす事みな栄えていたのですし、将来大きな権威をあたえられたら、よほど注意深く生活しなければならない事を体験的に学ばせたのでしょう。

★創39:6ヨセフは体格も良く、美男子であった。





・・・・・(5)「ヨセフの荒野②最も苦しい期間(28才から二年間)」・・・・
夜明け前の漆黒の闇・・・神に頼らず、人に頼った結果の苦しみ

ヨセフに最も辛い時期が訪れました。それは、監獄内でパロの廷臣である二人の囚人に夢の解き明かしをした所、その内の一人献酌官長がヨセフの預言通りに釈放されたので、彼にパロ王に自分の無実を訴えて欲しいと頼みました。

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★創40:14「あなたがしあわせになった時には、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください。私のことをパロに話してください。この家から私が出られるようにしてください。実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は投獄されるようなことは何もしていないのです。」

神に信頼しきれず、神の時を待てず、パロの献酌官長に頼った!

天地万物を造られた創造主に頼らず、被造物に過ぎない人間に望みを置く事は、神の統治と力を侮り、私たちを愛して最善を準備なさっておられる良き神を信じない事になります。

★イザヤ2:22「 鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。」

献酌官長がパロ王に自分の事を話してくれ、釈放されるのは今か今かと待ちわびていたヨセフの失望は、どれ程までにヨセフを苦しませた事でしょうか。結局、献酌官長はヨセフの頼みをすっかり忘れていました。

★創40:23 ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった   

天の父が私たち信仰者に望む事は、創世記の時代にあっても、再臨の日を迎えようとしている今も、主と主の言葉に信頼する事です。

★イザヤ10:20その日になると、イスラエルの残りの者、ヤコブの家ののがれた者は、・・・イスラエルの聖なる方、主に、まことをもって、たよる。  





・・・・・(6)「ヨセフの垂幕を裂く時(30才)」・・・・

それから二年後、神の定めた時(カイロス)がやってきました。

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パロ王が、「太った七頭の牛と、それを食べてしまったやせ細った七頭の牛」の夢を見、その解き明かしを求めている時、例の献酌官長がヨセフの事を思い出し、王にその事を告げました。

★創1:14 そこで、パロは使いをやってヨセフを呼び寄せたので、人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。彼はひげをそり、着物を着替えてから、パロの前に出た。

そこで、質問をしました。これは、ある預言者は、神からの「荒野卒業試験」だと言いました。

★創41:15 パロはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。あなたについて言われていることを聞いた。あなたは夢を聞いて、それを解き明かすということだが。」 

そして下記の答えで、ヨセフは神様からの「試練と訓練の荒野の卒業試験」に合格しました。

★創41:16 ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」  

体格が良く、美男子であり、夢を解き明かすと言う特別な賜物があり、頭も良かったヨセフは、父ヤコブに溺愛された自信もあって、一方ならぬ自意識がありました。しかし、パロに質問された時、「自分ではない、神がなさる」と、完全に傲慢が消え、謙遜な人となっていました。
 
 
 




・・・・・(7)「ヨセフの至聖所①」・・・・

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ヨセフは、パロ王に幻を解き明かし、七年の豊作と、七年の飢饉がある事を告げると、その対策を委ねられてエジプトの№2として権威を与えられ、全てを任された宰相となりました。ヨセフが厳し荒野を体験して「使命達成」の段階に入った瞬間です。御霊が常に伴って下さり、ここまで導いて下さいました。

ヨセフは、17才より13年間の試練と訓練の荒野(聖所)を通り抜け、自我の垂幕を裂いて、イエス様が使命を果たした所である「至聖所」に入りました。

幕屋の六番目の器具「契約の箱」は、イエス様の身丈を表し、十字架と復活によって使命を果たした位置を示し、その身丈に、使命達成に私たちが至れるようにと、天地創造の六日目に、神(御子)の形に私たちは創造されました。

・・・また、至聖所とは神の御国を表していますが、それを出エジプトの目的地カナンの地が象徴しています。神はホレブの岩で、燃え尽きない芝の中から、モーセに出エジプトの目的地カナンを紹介して言いました。

★ 3:7 主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。3:8 わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。」

至聖所とは、ヨセフが暗い地下牢の囚人の立場から、外の広く自由な所に出されて自由人となった事で、心と体が開放された事です。

★イザヤ 61:1 神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、

しかし、ヨセフはまだ心の奥底に傷があって、完全には開放されてはいませんでした。エジプトで宰相になってまだ、心が完全には御国の安息には入っていませんでした。結婚して息子が生まれましたが、名前にその心の奥底の苦しみが出ています。

★創 41:50 ききんの年の来る前に、ヨセフにふたりの子どもが生まれた。これらはオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテが産んだのである。41:51 ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた。」からである 41:52 また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた。」からである。

また、ヨセフの兄たち10人が飢饉の為にエジプトに食料を買いに来た時、素直に身分を明かさず、小さな嫌がらせをしました。しかし、それが癒される日がやって来ました。

幕屋の契約の箱本体(六つ目の器具・天地創造の六日目)は、十字架の使命を果たし、復活されたイエス様を表します。同じくヨセフはこの時点で、自我を十字架に付け、墓から蘇られたイエス様のように、地下牢(41:13)から広い地に心も体も開放され、エジプトの宰相となる使命を果たしました。

しかしまだ、至聖所の二段階目(天地創造の七日目)、贖いの蓋の隙間に天から来る、父の給う安息・平安・慰め・摂理を知る・・・段階には至っていませんでした。
 
 
 




・・・・・(8)「ヨセフの至聖所②」・・・・

 1011の8

ヨセフは、兄たちや愛する弟ベニヤミンを前にして、激情を抑える事ができなくなり、隣の宮殿にまで聞こえる程の大声で泣き、心のわだかまりが消えました。心に神が給う、天地創造の七日目「御国の安息」が、幕屋の器具の七つ目の贖いの蓋のケルビムの間から来る「天から来る慰め」が訪れました。

★創45:1 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい。」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。45:2 しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた

そして、自分自身で頭では理解していても、心の中では納得できていなかった「自分が先にエジプトに遣わされたのは「神の御計画」だと、心の底から兄たちに告げました。

★45:3 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。 45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。45:5 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです

この後、会いたかった父やコブと再会し、ゴシェンに住まわせ、この世での安息を味わい、死んでからはミイラとして、天の御国を象徴するカナンの地に、モーセたちの出エジプトの時に帰りました。

 

本当に神様は、天地創造の以前から、全ての重要な真理を「天地創造の七日間」と「幕屋の七つの器具」で表し、その順序が「イエス様の身幅だけの細く真直ぐな十字架の道」を辿る事となります。

私たちが、人生の道に迷った時にこの真理に当てはめて、自分が「天路歴程(天国への地図)」の何処にいるのか、そして何をすれば良いのかを、御霊の助けにより御言葉を照らしていただき、その時々に知る事ができます。






エンディング


本日は、ヤコブの「主を切に求める信仰」を受けついだヨセフの生涯を見て来ました。ヨセフは、「勝利を得る者」に与えられる来るべき世界での「支配者」を象徴しています。先ほどよりも一節多く御言葉を見て行きましょう。

★黙示録 2:26 勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。2:27 彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。

ヨセフが勝利を得た所とは、試練と訓練の荒野を忍耐して、最後に「ではありません」と、自我の垂幕を裂いた所です。

ヨセフは、この27節の御言葉そのままに、飢饉の時に民を養うに当たり、厳しく治めています。

★創 47:13 ききんが非常に激しかったので、全地に食物がなく、エジプトの地もカナンの地もききんのために衰え果てた。47:14 それで、ヨセフはエジプトの地とカナンの地にあったすべての銀を集めた。それは人々が買った穀物の代金であるが、ヨセフはその銀をパロの家に納めた

★47:15 エジプトの地とカナンの地に銀が尽きたとき、エジプト人がみなヨセフのところに来て言った。「私たちに食物を下さい。銀が尽きたからといって、どうして私たちがあなたさまの前に死んでよいでしょう。」47:16 ヨセフは言った。「あなたがたの家畜をよこしなさい。銀が尽きたのなら、家畜と引き替えに与えよう。」47:17 彼らがヨセフのところに家畜を引いて来たので、ヨセフは馬、羊の群れ、牛の群れ、およびろばと引き替えに、食物を彼らに与えた。こうして彼はその年、すべての家畜と引き替えた食物で彼らを切り抜けさせた。

★47:18 やがてその年も終わり、次の年、人々はまたヨセフのところに来て言った。「私たちはあなたさまに何も隠しません。私たちの銀も尽き、家畜の群れもあなたさまのものになったので、私たちのからだと農地のほかには、あなたさまの前に何も残っていません。 47:19 私たちはどうして農地といっしょにあなたさまの前で死んでよいでしょう。食物と引き替えに私たちと私たちの農地とを買い取ってください。私たちは農地といっしょにパロの奴隷となりましょう。どうか種を下さい。そうすれば私たちは生きて、死なないでしょう。そして、土地も荒れないでしょう。」47:20 それでヨセフはエジプトの全農地を、パロのために買い取った。ききんがエジプト人にきびしかったので、彼らがみな、その畑地を売ったからである。こうしてその土地はパロのものとなった

★47:23 ヨセフは民に言った。「私は、今、あなたがたとあなたがたの土地を買い取って、パロのものとしたのだから。さあ、ここにあなたがたへの種がある。これを地に蒔かなければならない。 47:24 収穫の時になったら、その五分の一はパロに納め、五分の四はあなたがたのものとし、畑の種のため、またあなたがたの食糧のため、またあなたがたの家族の者のため、またあなたがたの幼い子どもたちの食糧としなければならない。」47:25 すると彼らは言った。「あなたさまは私たちを生かしてくださいました。私たちは、あなたのお恵みをいただいてパロの奴隷となりましょう。」


ヨセフの統治は、愛を貫き、義を全うする厳しさがありました。そして最終的には、王の恵みに応えて、民が自ら「王の奴隷(神の僕)」として献身を表明します。

しかし、神の愛と義を貫くと言っても、権威を授けられた勝利を得た人々は、天に於いて暴虐な「鉄の杖による支配」をするわけではありません。


韓国のO教会のR牧師が、多くの人々は下記の御言葉を誤解していると語りました。

★マルコ10:44 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。 10:45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」


牧師が語るに、「私たちは自分が支配者になる為に、仕える段階を我慢して通るのだと誤解しているが、『へりくだって僕として仕える事そのものが、この世にあっては私たちの完成形であり、最終目的である」と。

全ての人に仕える立場が、すなわち最も位の高い王なのだと。

そして、神の国では仕える事と治める事とは同じ事であると・・・。

それが、王としてこの世に来、僕としてご自分の命までを捧げて、全ての人間の僕になって下さったイエス様の私たちに対する模範です。

★ピリピ2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました

私たちは、この完成形「へりくだって神と人とに仕える僕の姿」を目指して、この世での心の旅路を歩んで行きましょう。

3ライン 






 ★花のライン17休憩
2013年10月18日(金)(コチラ)に続きます。「ユダの生涯(幕屋)」についてです。
 

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≫ EDIT

天国への地図(4)幕屋四燭台⑩「信仰者代表ヤコブの職業」

1★十字架のライン
 




先週は、同じく創造者を信じる双子の兄弟エサウとヤコブのお話でした。

私たちの信仰の父アブラハムは、天の父を象徴し
その息子イサクは御子イエス様を象徴し
御霊を象徴する僕によって父の家まで導かれて来た
夫の家業羊飼いの妻に相応しく
家畜に水を与える労を厭わない花嫁リベカは、教会の象徴です。

イサク(御子)の祈りにより、リベカ(教会)が生み出した
双子の兄弟は、信徒を象徴しています。


双子の兄、性格が良かったかれども肉的信仰者のまま生涯を終わったエサウに対し、
性格は悪かったけれど、徐々に霊の目が開かれて神の御計画の成就を見るに至った、
弟ヤコブに対する御霊の介入の様を見て来ました。

同じ母なる教会から生まれた信徒でも、兄エサウの信仰の状態は、
今の時代を象徴するラオデキヤ教会の教会員を表しているように思います。
エソウのように、天の御国には関心を向けず、
この地での目先の満足だけに目を向けている終末の教会の信仰者に対して、
イエス様は叱っておられます。

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★黙示録 3:15 わたしは、あなたの行ないを知っている。
あなたは、冷たくもなく、熱くもない
わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
3:16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、
わたしの口からあなたを吐き出そう。
3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、
実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。


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★3:18 わたしはあなたに忠告する。
豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。
また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。
また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。


ヤコブは自分の罪と失敗の故、
その報いをまともに受けて苦難の多い人生でした。
心が悲しみと苦しみで冷え切っていたので
熱く主を求め続けた人生でした。

ヤコブの、木や草やわらのような肉の言動が、
生きている間に裁かれて火で燃やされたので、
苦しさのあまりに激しく天を見つめ
キリストの内にある宝を掴んだのです。

★コロサイ 2:3 このキリストのうちに知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

 その日

そうです。
私たち信徒代表のヤコブは、
長い人生の全ての言動の中で、
最後の裁きの火に焼き尽くされてしまう肉の行いも
数多く存在していた事でしょうが、
焼き尽くす火に耐えて残った「神に喜ばれた金・銀・宝石・・」が
多く点在していました。

どんなに良い人格の人間であっても、私たちの肉の内には
神から高い評価を受けるものは何一つありません。
心の中に現れたイエス様だけが、宝の働きです。

しかしヤコブはいったい、どんな日常生活を送っていたのでしょうか?

本日は、私たちも天で父に喜ばれる者となる為に・・・、
精錬された金を得、
白い衣を着る事が赦され、
霊の目が見えるようになったヤコブの、
地上での具体的な生き方(職業)を見て行きたいと思います。
 






ライン15
幕屋四燭台⑩「信仰者代表ヤコブの職業」


・・・・・(1)信仰者の尊い職業「羊飼い」・・・・
≪イエス様も、アブラハムも、イサクも、ダビデも、モーセも、そしてヤコブも・・≫

先週のイラストの、羊飼いの部分にスポットを当てたいと思います。

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クリスマスの夜、天使と、空一面に広がるおびただしい天の軍勢を見、その素晴らしい賛美の声を聞き、イエス様の誕生を告げられ、真っ先に生まれたばかりのイエス様に会ったのは・・・、その頃、エルサレムには多くの立派な信仰者が住んでいたのにもかかわらず、荒野に居た貧しい羊飼い でした。

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それは、彼らが真に謙遜な神を愛する人たちであって、この世からの何らの栄誉も評価も求めず、誰からも見られない暗い野原で、ただひたすら忠実に羊を守っていたからでした。
 
この羊飼いの仕事は・・・、表向きどんな立場にあり、どんな仕事に携わっている信仰者にとっても、天の父が望む職業です。

★ヨハネ21:17 イエスは彼(主を愛すると告白したペテロ)に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」

しかも、神を愛する私たちに神が望んでおられるのは、神(父)の羊を飼う事です。イエス様こそ、天の父の羊(私たち)の良き羊飼いでした。

★詩篇 23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

イエス様は、私たちの成長に合わせて、新鮮で美味しい御言葉の草を噛み砕いて食べさせ、天からの「生ける命の水の川」にいざない、その永遠に生きる水で、私たちの乾いた心を潤してくださいます。

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神に愛されたダビデの職業もまた、父エッサイの羊を飼う羊飼いでした。ダビデは、羊を守る為に、サタンを象徴する狼とも勇敢に戦い、どんな危険からも父の羊を守りました。下記は、若き日のダビデがゴリアテと戦おうとして、サウロ王に自分の羊飼いとしての実績を紹介した言葉です。

★Ⅰサムエル17:34 ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼っています獅子や、が来て、群れの羊を取って行くと、17:35 私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。17:36 このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」

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モーセは、王子の身分から退いて、試練と訓練の荒野に入り、祭司の娘と結婚をしました。そのの飼っている羊の羊飼いをして、40年間を過ごしました。

★出エジプト 3:1 モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。

その後には、天の父の羊たち(出エジプトの民)の羊飼いとなり、40年を過ごしました。当時も、イエス様の時代も・・・、羊飼いは最も身分の低いとされる職業でしたが、神様の目から見ると最も尊い職業です。モーセにとっても、エジプトの王子よりもはるかに価値のある職業でした。

そして・・・、私たちの代表ヤコブもまた、試練と訓練の荒野で結婚し、舅ラバンの羊を飼う羊飼いでした。

エジプトに行ってからも、ヤコブの一族はゴシェンの地で羊や家畜を飼いました。エジプトに移住した時、ヤコブの5人の息子はパロ王に謁見した際に、こう言いました。

★出エジプト 47:3 パロはヨセフの兄弟たちに尋ねた。「あなたがたの職業は何か。」彼らはパロに答えた。「あなたのしもべどもは羊を飼う者で、私たちも、また私たちの先祖もそうでございます。」

私たちの主イエス様も、私たちの信仰の父アブラハムも、イサクも、私たち信仰者代表のヤコブも、ダビデも、モーセも・・・、そしてクリスマスにイエス様に最初に会う栄誉に輝いた素晴らしい信仰者も、皆「羊飼い」でした。






・・・・・(2)生ける水の井戸(ヤコブの井戸で)・・・・

イエス様は、スカル(シェケム)にあるヤコブの井戸のほとりで、異邦人であるサマリヤの女性と「永遠に生きる命の水」について語り合いました。

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このヤコブの井戸は、ウィキペディアによりますと、下部は石灰石の岩盤を掘り込み、上部は石組みがなされており、きれいな水を汲み上げる事のできる井戸であったそうです。命の水のたとえにふさわしい井戸であったのですね。

イエス様が、サマリヤの女に「わたしに水を飲ませてください。」と言ってから、話しが始まりました。サマリヤの女は言いました。

★ヨハネ4:12 「ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」

女は、イエス様の言う命の水の意味を理解できませんでした。

★ヨハネ4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちでとなり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

イエス様が祭りの終わりの日に叫んだように、イエス様を救い主として信じる者は、イエス様の時代の信仰者も、今の時代の私たちも、永遠に生きる水を飲む事ができるのです。旧約のヤコブたちもまた、この井戸から肉体に必要な水を飲み、そして、心の奥底に湧き上がって来る、永遠に生きる命の水も飲んでいました。

★ヨハネ7:37 イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

サマリヤの女はまだ信仰の目が開かれておらず、イエス様の為に水を汲み上げようとはしませんでした。しかし私たち教会は、ヤコブの母リベカのように、①その命の水を汲み上げ、②乾いている魂に労をいとわずに飲ませてあげるのが、父が私たちに望む職業「良き羊飼い」となりたいと思います。

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そして、私たち羊飼いの私たち羊飼いのこの二つの行動の中で、天の御座から流れて来る新鮮な命の水を毎日汲み上げるが、重要です。

※私たちは誰もが牧師でなくても、教会学校の教師でなくても、神様から任されている子羊が、私たちの周りにはいます。どんな形であれ、私たちはその子羊たちに、永遠に生きる命の水と、御言葉の草を・・・、そして肉体の食べ物・飲み物に窮しているなら、パンと水を差し出す良き羊飼いとなりましょう。






・・・・・(3)敵にふさがれた井戸を再び掘る柔和な羊飼いイサク・・・・

しかし、このように水を汲み上げる尊い井戸(泉)が、私たち信仰者の敵なるサタンによってふさがれ、埋められてしまう事件がありました。

★創世記 26:15 それでペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸に土を満たしてこれをふさいだ

※私たちも、井戸から命の水を一度汲み上げても、毎日そこから飲んでいなければ、敵なるサタンに埋められてしまいます。また、信仰者自身の目がこの世を向き、世からの水を慕い、世の楽しみや富、世の思い煩いで、井戸がふさがってしまう事もあります。いずれにしても、天からの水の供給が途絶える事は、敵なるサタンの勝利です。

・・・しばらく、ヤコブの父イサクの羊飼いの職務で重要な「井戸を掘り、汲み上げる事」の実際を見てみましょう。


・・・アブラハムの跡継ぎとして財産を受けつぎ、羊飼いして放牧生活をしていたイサクは、飢饉になった時、父もテントを張って滞在していたゲラルに来ました。父アブラハムと同様に、いつも神さまが共におられてなす事が皆栄え、裕福になりました。

★まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。(詩篇 1:2-3)

しかし、神の祝福を妬んだ地元のペリシテ人に、父アブラハムの代に掘った井戸を埋められてしまいました。ゲラルを追い出され、ゲラルの谷に住み着きました。イサクは、イエス様誕生のずっと以前に生まれましたが、その心は、聖霊によってイエス様の謙遜と柔和の心を至っていたので、争わずに移動したのです。

★マタイ5:38「『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。39 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。

しかしイサクの一行は、ここでもまた父アブラハムの死後に埋められていた井戸を掘る事となり、湧き水を堀り当てました。

命の水の川7

★創世記26:17-18イサクはそこを去って、ゲラルの谷間に天幕を張り、そこに住んだ。イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘ってあった井戸を、再び掘った。それらはペリシテ人がアブラハムの死後、ふさいでいたものである。イサクは、父がそれらにつけていた名と同じ名をそれらにつけた。イサクのしもべたちが谷間を掘っているとき、そこに湧き水の出る井戸を見つけた。

私たち信仰者は・・、父の母などの肉親や教会の兄弟姉妹、先生方の祈りによって・・・、イエス様を唯一の救い主として信じ、神の子、神の民とされました。

しかし何時までも、信仰の先輩達の汲み上げた命の水を、飲ませてもらうばかりの幼い信仰者ではなく、自ら自分の心を掘り下げて、先ずは自分の心を潤し、そして周りの人々の乾きを癒す成人の信仰者とならなければなりません。

★創世記26:23 彼はそこからベエル・シェバに上った。26:24 主はその夜、彼に現われて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」26:25 イサクはそこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべらは、そこに井戸を掘った。 

イサクは、父アブラハムの埋められた井戸を掘り返しただけでなく、その信仰の「心の旅路」に於いて、新たな井戸を掘り続けました。

イサクは特に、キリストの宝(御霊の実である聖なる人格・御国の知恵と知識)の井戸から、平和の君、柔和な人としての命の水を汲み上げ・・・、

★イザヤ9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

★ゼカリヤ9:9 見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。


・・・アブラハムに約束された天の御国を相続し、神を見、神の子とされました。

★マタイ5:5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。・・・
5:8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
5:9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。


私たちの人生の目的は、絶えず天下の生ける聖霊の水を汲み上げ続けて、心にキリストの聖なる人格である御霊の実(愛・喜び・平安・寛容・慈愛・誠実・柔和・自制・・・)を結び、そのキリストの愛・・・の心で、世の人に天からの水を流す奉仕をする事です。

その為に、絶えず井戸を組み続け、ふさがった時には再び堀り、また新しい泉も見出してゆく信仰者となりたいと思います。






・・・・・(4)井戸から日々新しい命の水を汲み上げる真の羊飼い・・・・

奇しくも、アブラハム三代の羊飼いが宿営していたこの荒野は、ベエル・シェバ(七つの井戸)と言う意味です。

アブラハムの時代、アブラハム家を追われたハガルが息子イシュマエルと共に、井戸に導かれた所です。

アブラハムがかつて掘った井戸を、再びイサクが掘り返したように、今も変わりなく生きて働いておられるアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、ヨセフの神、モーセの神、ヨシュアの神、ダビデの神・・・、パウロの神、ペテロの神・・・に、私たち自身も同じように神の御前に進み出て、心を掘り下げ、心の奥底の井戸を発掘しましょう。

神の小羊キリストは、十字架の壮絶な苦しみによる血の贖いによって、生ける水の井戸(泉)の七箇所を開いて下さいました。

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ベエル・シェバ(「七つの井戸」又は「誓いの井戸」)の名前は、信仰者の井戸を埋めようとする敵なるゲラルの王アビメレクと、アブラハムの間に立てられた契約のしるしとして、アブラハムが七頭の子羊を差し出した事に由来します。

★創世記21:27 そこでアブラハムは羊と牛を取って、アビメレクに与え、ふたりは契約を結んだ。 21:28 アブラハムは羊の群れから、七頭の雌の子羊をより分けた。21:29 するとアビメレクは、「今あなたがより分けたこの七頭の雌の子羊は、いったいどういうわけですか。」とアブラハムに尋ねた。 21:30 アブラハムは、「私がこの井戸を掘ったという証拠となるために、七頭の雌の子羊を私の手から受け取ってください。」と答えた。21:31 それゆえ、その場所はベエル・シェバと呼ばれた。その所で彼らふたりが誓ったからである。

イエス様は、十字架上で血を流し、肉の命を死なせて下さり、天の御国(至聖所)とこの地(聖所)の境の垂幕を裂いて、私たちに天よりの命の水を流して下さいました。私たちの心の奥底には、天からの命の水の川が流れ出る井戸です。

しかし、この霊のところにある井戸から、私たちはなかなか水を汲み上げて、心を満たし、体を健やかにし、環境とこの世の人にまで流す事ができません。

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ウオッチマン・二ーの教えの骨子を用いさせていただくと・・・、その原因を、キリストの香り(天から命の水・聖霊のかぐわしい油)が流れてきているのに、私たちの肉の思いの堅い殻(垂幕)が覆っていて、出てくる事ができないと言っています。

★マルコ14:3 イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。

 621の9
 

私たちの霊は、この命の水(聖霊の油)がひたひたと注がれ続けている「杯」です。私たちは心を砕いて、この杯の溢れている水を常に飲んでいたいと願います。

心を砕きさえすれば・・・、御言葉に従順に従いさえすれば・・・、悔い改めた心を捧げれば・・・。心が暗くても神をほめたたえて賛美のいけにえを捧げていれば・・・、私たちは周囲の人々にキリストの香りを放つ者とされるのです。

 1004の5

私たちが、堅い殻である肉の思い(思弁)を十字架に付けて裂くのであれば、私たちが閉じ込めていた命の水の川がたちまち心の中に溢れ、体に流れ、世にまで豊かに流れて行きます。

 1杯


良き羊飼いになるべく、私たちは先ず神の国の命の水を熱心に求め続けましょう。















エンディング

《井戸から日々新しい命の水を汲み上げる真の羊飼いとなる為に》

地球は周って一日が終え、また新しい朝を迎えます。
しかし、もう一度、朝が来たと言っても、同じ朝は二度と来ません。

天の父の御計画の川は、天にある天の川のように雄大に流れていて
最初の永遠から最後の永遠に、地球の自転の早さで進んでいます。
一度も停滞する事なく、御国の完成に向かっています。

 地球2
 
ところが人間は一度、聖霊の油注ぎを受け、命の水の川を飲むと
そこで満足して、立ち止まってしまいがちです。

一日経ったら、それは古い油であり、古い水です。
三位一体の神の流れからは、取り残されてしまいます。

私たちは、良き羊飼いとして、毎日新しい水を汲み上げ
その冷たくて美味しい命の水を、牧場の羊に飲ませましょう。






Great is thy faithfulness
「父の神の真実は」



①父の神の真実は とこしえまで変わらず
慈しみと憐れみは 尽きる事がありません。

※すばらしい主 その真実は 朝ごとに新しく
★71067-005-64-1074
深い恵み知らされて 賛美します 主の御名


②春も秋も夏冬も 月も星もすべては
主の真実と憐れみと 尽きぬ愛を現す。

※すばらしい主 その真実は 朝ごとに新しく
★71067-005-64-1074
深い恵み知らされて 賛美します 主の御名


③罪を赦し平安を 主は与えて励まし
力に満ち祝福に あふれさせて下さる。

※すばらしい主 その真実は 朝ごとに新しく
★71067-005-64-1074
深い恵み知らされて 賛美します 主の御名




日本語と英語によるアレンジされた賛美(トリニティー)




3ライン 








 ★花のライン17休憩
2013年10月11日(金)(コチラ)に続きます。「聖霊に導かれたヨセフの生涯」についてです。

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