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2014年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年04月

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主の山に登ろう(3)「①欧米と②韓国と③日本の使命」


1★十字架のライン
 

ライン15
「①欧米と②韓国と③日本の使命」

終わりの日に、主の家の山が高くそびえ立ち、全ての国々がその頂上の至聖所に登ってきます。

その為に、個人の信仰者にも使命がありますが、国単位でも長い年月を通して天の父が育てた大きな使命があります。それぞれの国にも、それぞれの文化や国民性を育てて、神様の使命を果たさせる御計画がありました。

そして、その為に個人にも、国にも民族にも、主の山を登って来るように語っておられます。終わりの日が近付いているからです。登る道は、イエス様のまっすぐで狭き「十字架の道」が「小道」です。

★イザヤIsaiah2:2 終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。2:3 多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。

この主の山に登ると言うイメージは、旧約の人々の方がはっきりと掴んでいたように感じます。特別に聖霊が、彼らの霊に宿り、十字架の道を示したのです。

ノアも主の山アララテ山の頂上まで神の計画と圧倒的な聖霊の力で登り、アブラハムもモリヤの山に一人息子イサクと一緒に十字架の小道を登り、その孫のヤコブも一生涯をかけて信仰の山を登って、ダビデに「主の山を登る人ヤコブ」と歌われました。

★詩篇 Psalms24:3 だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。 24:4 手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。 24:5 その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。24:6 これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。

ダビデは、主の山の頂上である至聖所の、天の御座を象徴する契約の箱の前での礼拝を最も素晴らしい礼拝としたので、自分の足りなさ故に一生涯、切に神の御顔を求めて主の山を登って行ったヤコブを、私たちの代表と捉えました。

ダビデも、エリヤも、エゼキエルも、イザヤも・・・、主の山に登って頂上(至聖所)で神の御声を聞きました。今の再臨を迎える大切な時、私たちは、主の山の頂上に登って行くように召されています。天の父は、旧約聖書全体を通して、今の時代の私たちに、激しく主の御顔を求めて主の山を登って来るように願っておられます。私たちに同胞を導く使命、世界宣教に出て行くべき大きな使命があるからです。

 4329の4

モーセは、同胞を神の民とする契約を結ばせる為、十戒を戴くため、幕屋の建設指示を受けるため、そして天の御国を象徴する主の山の頂上(カナンの地)に導く為、二回も主の御前に立ちました。

一回目は神の山ホレブで、燃え尽きない芝の中に現れた主から同胞救済の指示を受け、出エジプトした後は、シナイ山の山頂を至聖所として降って来られた神と会いました。

モーセのそれらの体験は、今を生きる私たちに、最後のリバイバルで日本の同胞を、そして世界の国々を御国にまで導く為には先ず、御言葉を戴く為に、自分が先に「天の神の御座」に登るべき事を示しています。

モーセは民と違い、その使命のために精励に満たされましたが、私たちもまた、同じ使命を果たす事ができるように、聖霊を注がれているのです。

主が、旧約時代のモーセや他の信仰のを全うした人と同じように、今の時代の私たちに「御座(契約の箱)前での礼拝」にイエス様の十字架の道を通って、山頂に招待しているのです。聖霊の細き御声を聞き、従いましょう。

主の山の頂上での礼拝で、ダビデのように、天の御座の前に座り込み続けましょう。






・・・・・(1)礼拝の主の山とは?・・・・

礼拝の主の山の頂上(至聖所)とは、私たち生ける宮(教会)の霊の所です。私たちの霊の所には、霊である神様が宿る事ができます。

 4329の1

ソロモンは壮大な神殿を立てた時に、天も天の天も入れる事の出来ない神様の臨在を、聖所と至聖所に入れる事は不可能であると言いました。

★Ⅱ歴代2 Chronicles 6:18 それにしても、神ははたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。

しかし、神様が人間を創られた時、神の霊が存在できるように、私たちの心の奥底にある「霊の所」に空間を造られて、私たちが生ける宮として完成させて下さいました。

★使徒Acts15:16 『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。15:17 それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである

そして最後の時、聖霊を注いで私たちの霊の中に豊かにご臨在なさり、栄光を見せ、慰め、励まし、養い、豊かな愛で包み、歓喜で満たそうとしておられるのです。私たちが、神を求める者の一族ヤコブとして、切に主を求めて登って行くのならば。。。
 
 
 



・・・・・(2)礼拝の主の山を登るとは?・・・

☆下記の一番左「主の山の礼拝」は、ただひたすら天を見上げて登って行きます。

☆左から二番目「イエス様のご生涯」に於いては、クリスマスの夜に天の御座から降りて来られ、三年半の宣教の使命を終えて最大の使命である十字架で死に、復活されてまた主の山の頂上である天の御座に帰ってゆかれました。

そして、もう一度山の東の頂上に降りて来られるので、多くの神の民を導いて頂上で登って来るように、その助けとなる政令を天から降して下さっておられます。

 4329の2

☆出エジプトの民は、この世に於ける至聖所カナンの地にまでは到達できませんでした。彼らの内に聖霊がなかったからです。そして、イエス様の天国に繋がる十字架の道のお手本もありませんでした。


☆しかし、今の時代の私たちには、イエス様の道が示されており、聖霊も注がれています。今から切に天を求めるのなら、圧倒的な聖霊の大傾注があります。主の山の頂上とは、イエス様の身丈です。その身丈に私たちは到達する事(ガラテヤ2:20)ができるのです。

★エペソEphesians4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです

ですから、私たちは聖所(肉の思い)に留まっていてはならず、御座におられる方の霊で生きていなければなりません。

★ローマRomans 8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

これが、個人に対する主の山登山の使命です。





・・・・・(3)①欧米と、②韓国と、③日本と中国の使命、そして・・・・

国に対する使命もまた、長い年月をかけて、主の山の頂上を目指して進んでいます。

 4329の3

①欧米の使命

近代以後になりますが、先ず、ヨーロッパから体の殉教もいとわない宣教が行われて、使徒行伝で語られたように、東の端っこの私たち日本にまでキリスト教が伝えられました。

その後、アメリカの教会によって、非常に活発に、物質や人を送り込んで世界宣教がなされました。

②韓国の使命

韓国は、申し訳ない事に日本の軍隊から迫害を受けたのですが、その熱心な祈りと賛美、聖霊による預言的な聖書解釈、そして彼らの良い意味での自尊心を神様を育てて、リバイバルの為にお使いになり、欧米も韓国も、彼らは充分にその使命を果たしました。

③日本と中国の使命

そして、ついに日本の使命を果たす時がやって来ました。日本の使命は、主君の為に命を捨てると言う心が育てられました。第二次世界大戦ではサタンにその良い性質を使われましたが、これからは、真の主人イエス様のために働くようになります。

中国の地下教会はもう既に、心と体の殉教を覚悟して主の礼拝の山の頂上に登っています。

そして、④イスラエルの使命

そして、異邦人が使命を果たし終えた時、ユダヤ人たちが私たちにはとても及ばない、真の弟子としての使命を果たし、再臨の時となります。

★黙示録Revelation14:1 また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。・・・14:3 彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。 14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。 14:5 彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。








エンディング



そのために、私たち、特に日本と韓国と中国のクリスチャン全員は、主の山の頂上に登り、一緒に世界宣教に出て行きましょう。

 4329の6
 



3ライン 










 ★花のライン17休憩

2014年4月4日(金)に続きます。
「日本の使命」について詳しく説明したいと思います。



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主の山に登ろう(2)「主の山の全貌」


1★十字架のライン
 

ライン15
「主の山の全貌」
・・・・・お子様向け、求道者さん向けのお話しです・・・・・

★321の0
©Megu.N

画面の右に見える「主の山」の、まだ十字架の門のある登山口までにはたどりついてはいませんが、この山の様子を見に、ふもとまで毎週やって来る人々がいます。彼らを求道者(道を探し求めている人)と、言います。

約2000年前、30才になったイエス様が、12人のお弟子さんに、後に「山上の教え」と呼ばれる、神の国についての大切なメッセージをする為に、この山のふもとの小高い丘(画面左)に来ました。群衆と呼ばれる大勢の人々も、後をついてきました。この人達も求道者と呼ばれる人々です。

クリスチャンホームの子供達、教会学校の子供達も、ここで聖書のお話を聴き、大好きな賛美をし、お祈りのしかたも習います。牧師先生夫妻がいつも「よく来ましたね。」とやさしく迎えてくれるし、若いお兄さん、お姉さんが一緒に遊んでくれるのも楽しみの一つです。

まだ洗礼は受けていなくても、神様の守りの中、愛の中にいます。画面下の大きく開かれた「救いの門」の内側にいるからです。

そして主の山に登って行く人々の様子を見る事が出来ます。一歩一歩頂上に近づくにつれて、その人達はどことなくイエス様の姿に似て行く様に見えます。

そんな様子を、時々ちらっと見るとはなしに見ながら、子供達は主の山のふもとを、教会の中を、幕屋の庭を、元気に走り回っています。騒がしい程です。今が2000年前なら、会場係をしていたイエス様のお弟子さん達に、叱られたかもしれません。
 
でもイエス様は、お弟子さん達が子供達を追い払おうとした時、止めました。イエス様は子供達を愛しているので、大歓迎です。イエス様は、子供達の正直でありのままが好きです。そして‥‥‥‥‥、大人達も、正直でありのまま、主の山のふもとに来てほしいのです。

いじめられている人でも、いじめる側の人でも、汚職をして新聞にテレビに顔が大きく出てしまった政治家でも、倒産してしまった会社の社長さんでも、リストラされたお父さんも、不倫をしている主婦でも、援助交際をしている女子高生でも、その相手のおじさんでも、暴れまくっている暴走族のおにいさんでも、頑固なお爺さんでも、子供を愛す事の出来ないお母さんも、献金するお金がない人も、不登校の人も、人付き合いの苦手な人も、心の病気の人も、体の病気の人も、誰でもどんな状態にある人でも、全てありのまま、借金のあるそのままで来て下さい。そして居続けて下さい。イエス様はそう願っています。

病院は、病気が治ってから行く所ではないように、教会も又、正しい人になってから、借金を返し終わってから、全てを悟ってから、何もかもが整えられてから行く所ではありません。

もしそうだったら、全人類の罪を赦す為、苦しみから解放する為に、イエス様が十字架で死んで下さった意味がありません。   
 
ご求道中の皆様、山のふもとに十字架の登山口が見えますか。そこでイエス様が待っています。イエス様は「私は道である。」と言われました。あそこにあなたが探し求めてきた、唯一の永遠の命に至る真理の道があります。そこを通らずには、だれも父(天のおとうさま)のみもとには行く事は出来ないのです。




今、主の山のふもとにいる求道中の方に、教会学校の生徒さん達に、お願いしたい事があります。
 
毎日曜日に、教会の礼拝に来続けて下さい。

あなたが今まで会ったどの人よりも、これから会うどの人よりも天のお父様はあなたを愛しているからです。神様を礼拝する事はとてもうれしい事ですが、天のお父様もあなたをとても喜ばれるのです。 

ですから、あなたが他の神々を拝む事があったら、とても悲しみます。占いや、こっくりさんなども、しないようにしましょう。仕事の関係、家族の関係、友達の関係で誘われたりしたら、大騒ぎせずに、そっとそこから離れましょう。

◆◇とてもつらい事があったら、「イエス様、助けて!」と、叫んで下さい。

その時は、教会の牧師先生、教会学校の先生にも相談してお祈りをしていただきましょう。何かを始める時、決める時、良い事があった時も忘れずに、お祈りしていただきましょう。

◇◆◇まだ、長い時間お祈りしたり、聖書を毎日たくさん読む事は出来ないと思います。でも賛美はたくさんしましょう。気分が落ち込んだ時、悲しい時、心配がある時、むなしく感じる時、賛美をするとイエス様が心の中を暖かくして下さいます。賛美のCD やテープを聴くのも良いですね。

◆◇◆◇子供の時、求道者の時が最も一般の人と考え方が近く、気持ちが通じ合います。クリスチャンとしての生活が長くなると、価値観が少しずつ違ってきます。ですから気が合う今のうちに、お友達や、近所の方、家族を気軽に教会に誘ってあげる事が大切です。そしていっしょに山に登りましょう。

◇◆◇◆◇神様が、あなただけに下さっている才能や、良い性質があります。

将来、その得意な事や、それをしていると楽しい事が、神様の喜ばれる奉仕となります。それを今の内に、良くできるように、熱心に練習して下さい。又、どんなに損をする事があったとしても、神様からいただいた良い性質をなくさない様にしましょう。
 
又、その良い性質や良い環境、得意な事は、あなたが自慢に思ったり、他人をばかにしたり、批判する為に神様が与えて下さったのではありません。それらの良い事を心から神様に感謝し、人の為に神様の為に使ったら、神様はその良い事を何倍、何十倍にもして祝福して下さいます。 

お話をしているうちに、十字架の門の前まで来ました。

002教会の主の山ppt
©Megu.N

イエス様の心である聖霊様があなたに触れて心を感動させて下さった時、素直に心を開いてイエス様を受け入れましょう。

牧師先生や教会学校の先生方が、今まで神様の愛に気付かずにいた事を悔い改めるお祈りを、短く区切りながら教えて下さいます。そのあとを繰り返してあなたの口でお祈りし、十字架の門をくぐりましょう。そして新しく生まれ変わる為に、洗礼を受けましょう。

そして、主の山の頂上を目指して、教会の先生方やお友達と一緒に登り始めましょう。

自分の力では出来なかった「素晴らしい自分」に、だんだんに近付いて行けます。主の山を登って行くにつれて、「イエス様の聖さ、正しさ、やさしさ・・・」が、心の中に湧き上がって来るからです。










ここからはベテランのクリスチャン向けの「主の山の全貌」です


・・・・・「何故、今の時に主の山の頂上まで昇るのか?」・・・・

★イザヤIsaiah(ミカMicah4:2-3)
2:2 終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、
丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。
2:3 多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう
主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」
それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。
 
 

なぜ今の時代に私たちが一般の人々を導いて、主の山の頂上にまで導く使命があるのでしょうか?

それは、約二千年前のクリスマスの夜に天から地に降りて来て下さった(初臨)イエス様が、再び私たちを迎えに降りて来られる(再臨)からです。

 ★初臨と再臨

主の山」とは、約二千年前にイエス様が天から赤ちゃんとして降りて来られた「ベツレヘムの丘」であり、弟子達を連れて登られた「非常に高き山」であり、

 321の6

★マルコMark 9:2 イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。 9:3 その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。9:4 また、エリヤが、モーセとともに現われ、彼らはイエスと語り合っていた。・・・・・ 9:7 そのとき雲がわき起こってその人々をおおい、雲の中から、「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした

十字架をかついで登られ、十字架に付けられて私たちの罪の為に死んで下さった「カルバリ山」です。

 321の5

十字架の死から三日目に復活されて、多くの人々に会った後、「最たる主の山;オリーブ山」の頂上から弟子たちにしばしの別れを告げました。

★使徒Acts 1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

このように天に昇られたイエス様が、万軍の御使いを従えて、もう一たびオリーブ山の東の面に立たれます。 

 321の1 

★ゼカリヤZechariah 14:4 その日主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ

イエス様を見送って呆然としていた弟子たちの前に二人の天使が現れて言いました。

 906の6

★使徒Acts 1:12 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。1:13 彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がった。

そして、エルサレムの泊まっていた家の屋上間で「聖霊のバプテスマ」を求め、使徒の働きの二章で上より降った御霊を受けて、力に満たされて伝道、宣教を始めたのでした。

私たちを迎えにオリーブ山の頂上に降りて来られるイエス様の所まで、多くの神の民を連れ登る使命が、私たちイエス様の弟子たちにはあるのです。

私たち先に救われているクリスチャンは、この世の多くの人をオリーブ山の頂上に連れ上る為に、先ず私たち自身が主の山の頂上(キリストの身丈;ガラテヤ2:20)に至っていなければなりません。

★ガラテヤGalatians2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです

そればかりではなく、私たちの霊魂が鷲のように天高く御座にまで達して、人々を励まし導く癒しの風を羽ばたかせる使命があるので、聖霊の助けを受けて、高き所におられる主を見上げ続けて行きましょう。

 321の7


今の重要な時、私たちが鷲の目を持ち、神の御計画の川の全容を見る必要があります。下記は、私たち終末の教会(ラオデキヤ)に対するイエス様からの命令です。

★黙示録 Revelation3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。

 至EagleWink
 
私たちの霊魂が鷲のように、天の御座まで昇って行って力を得る為に座り込んで神様と二人だけで語り合う必要があります。これが神からの御声を待つ「瞑想の祈り」であり、「至聖所での祈り」であり、「御座前の祈り」であり、「ダビデの幕屋の祈り(御座を象徴する契約の箱の前での祈り)」です。

 228の67

十数年前から世界中でこの祈りが持たれるようになりました。神の御声を聞き、聖霊と交わり、その命の水の川をこの血に流す通路となる祈りです。

★使徒Acts15:16 『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。15:17 それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである

神様からの使命を受けている私たちは是非、この祈りの輪に入りましょう。

私たちクリスチャンの心に、霊魂が天高く神の御座にまで高く舞い上がりたいとの思いを、与えられておられる天の父は・・・・・、、
 0048gif★
314の5 

私たちの愛する日本人同胞の心に、東日本大震災と津波を通して、「いそいで主の山の頂上に登らなくては!!!」と言う願いを植えつけました。









 ★花のライン17休憩

2014年3月28日(金)コチラに続きます。
主の山に登ろう(3)「①欧米と②韓国と③日本の使命」についてです 


| Ⅴ主の山に登ろう | 22:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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(1)「さあ、皆で主の山に登ろう」


1★十字架のライン
 


「さあ、みんなで主の山に登ろう!」 
  002教会の主の山ppt©Megu.N

★イザヤIsaiah2:3 「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。
私たちはその小道を歩もう。」


私;福田は、ちょうど五十歳の時に神学校に入りました。
今から十三年前のことです。

最初の授業の時から、「キリストの幕屋」の解き明かしが与えられました。
その数多くの素晴らしい真理の中で、「主の山」について深く教えられました。
※上記の絵は、その時に与えられたイメージです。

そして、イエス様の再臨前の今の時代、
とても重要な認識が「主の山を登る」事であると学びました。

当初、これは自分の考え出した個人的な見解だと思いましたが、
聖霊様は、預言者が「主の山」について書いた本に次々と出会わせて下さり
「主の山」が重要な真理である事を証明して下さったのです。

「心のチャペル」は今まで、この「主の山」を語りたくて
少しづつ「キリストの幕屋」の説明をして来ました。

ウオッチマン・ニーなどの預言的聖書解釈だと、
多くのクリスチャンは理解しやすいと思いますが
映像的な預言には、拒否反応を感じやすいかと思われます。

しかし、これからの時代、映像として示された預言の理解と
解釈をも、しっかりと把握している必要があるかと思います。

下記は私たちが常に心がけようとしている三つの重大な教えです。

★Ⅰテサロニケ1 Thessalonians 5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。5:18 すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。


しかし、この御言葉に続いて語られている
御霊を消さない事、そして預言を無視しない事も重要な教えです。

★Ⅰテサロニケ5:19 御霊を消してはなりません。
5:20 預言をないがしろにしてはいけません


終末の時に語られた預言を、多くの聖書の御言葉の裏づけから、
またキリストの幕屋の真理から詳しく説明をして
私たちが今の時に至るべき、主の山の頂上について説明をして行きたいと思います。
 








・・・・・(1)イエス様の心配と願い・・・・

★ルカLuke 18:8 「・・・人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか

イエス様は、今の時期の私たち信仰者が、イエス様の望む高き信仰を持っているかを心配なさっています。

なぜならは、再臨前には天変地異があって、神様は自分たちの力や経済で生きていけると傲慢になっているイエス様を知らない人々の心に強烈に語りかけるのですが、肝心の先に救われた私たちがしっかりとした信仰に至っていなければならないからです。

イエス様が、弟子たちに「再臨の日」を聞かれた時、まだ前兆がないから心配しないように言われました。しかし今の時代は再臨に限りなく近付いています。
※天変地異なら過去、地球上にあったと思われるかもしれませんが、頻度が全く違います。

 314の3

しかし、クリスチャンである私たちの信仰状態でさえイエス様が心配なさっているのなら、一般の方々はどうなってしまうのでしょうか。

下記は、イエス様が十字架にかかられる時に、エルサレムの都を見下ろして嘆かれた言葉です。

★ルカLuke 19:41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、19:42 言われた。「・・・それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」

世界のリバイバルの突破口となるべき使命がある日本を、そして大きな都「東京」を見下ろして、再臨なさろうとしているイエス様は今、私たちクリスチャンが「神の訪れの時を知らない」と、嘆かれておられるのではないでしょうか。

 314の4

私たち先に救われているクリスチャンは、この日本の同胞の救いの為に、ソドムとゴモラの町をとりなしたアブラハムのように、神様の御前に平伏して祈る時ではないでしょうか?

神様が決断している天変地異を少しでも小さくしていただき、救い主を信じない内に死んでしまう同胞がいないように・・・、

そしてそれを祈る私たちが。少しでもイエス様の身丈に近付き、天の御座に近付いて天の父の御心を深く知ってとりなす事ができるように。






・・・・・(2)日本のリバイバルと「主の山に登る事」・・・・

今週は、2011.3.11の東日本大震災を思い出し、津波の中で死んでゆかれた人々を・・・、残された方々へ苦悩を・・・、日本中が思って過ごしました。

預言者チャック・ピアス師は、東日本大震災と津波に先立つ事六年前の2005年に、北海道でのセミナーで、次のような日本に対する神からの預言をしました。

 314の5
 
また、三陸よりももっと広範囲に巨大津波訪れる「南海トラフ」かと思われる預言もありました。

1998年8月にFGBMFIジャパン全国大会で、米国の預言者リチャード・メーデン師が、「霊的なものか実際かどうかはわかりませんが、日本に来る前に、別に見たくはなかったのですが、ベトナムから太平洋にかけて200フィート(約60メートル)の高さの津波が押し寄せている幻を見ました。」と、語りました。

現在では、この南海トラフの巨大津波を思わせる預言は、預言者によっては語られていませんが、テレビの番組では頻繁に語られています。

 314の2

そして、繰り返し、繰り返し、地震があったらすぐさま「高き所を目指して移動するように」と頻繁に語られています。これが、「主の山の高き頂上まで登って来るように」と天の父が私たち日本人の心の奥底に植えつけた思いです。
 





・・・・・(3)私たちクリスチャンの使命・・・・

再臨前リバイバルの時とは、本当に素晴らしく心踊る時です。

★イザヤIsaiah60:1 起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。60:2 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。60:3 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。60:4 目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。60:5 そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、心は震えて、喜ぶ

本当に喜びの時ですが、決して華やかで浮ついた肉の喜びの時ではありません。

その大リバイバルの祈り手であるクリスチャンが、先ず主の山を登るのですが、その主の山の頂上への道は、イエス様の十字架の道を辿る事しかないからです。

リック・ジョイナー著「ファイナル・クエスト」の山の上空にいた鷲たちは皆、過去の傷が金で覆われていました。苦しみの中で必死に主を求めて得た特別な「恵み(奥義・隠されたマナ)」を体験した事がなければ、イエス様の愛で、父なる神の愛で人々を主の山の頂上まで導く事は出来ないからです。

 301の1

もし私たちが、神の栄光が現れるリバイバルを、自分や自分の属する団体の誉れとしようとする心がどこかにあるのなら、イエス様が二千年前に心配された低き信仰レベルになってしまいます。

一粒の麦として、自分の肉の魂の命を毎日毎日、十字架に釘付けて歩まなければ、決してイエス様の心となる事はないし、十字架の道(ご自分の道・小道)をイエス様の後だけに従がって行かなければ決して頂上にまで達しないのです。本当に地道な主との語り合いの毎日を過ごして行きましょう。

★イザヤIsaiah2:2 終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。2:3 多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。
 

 
 







 ★花のライン17休憩
2014年3月21日(金)コチラに続きます。
「主の山の全貌」についてです。





| 賛美礼拝 | 22:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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贖いの蓋「天地創造の目標と目的」


1★十字架のライン
 


 
 
ライン15
贖いの蓋「天地創造の目標と目的」 

契約の箱と贖いの蓋を一つとして把握される方が多いのですが、箱と蓋とは完全に別の目的で造られています。

★出エジプトExodus25:10 アカシヤ材のを作らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。これに純金をかぶせる。それは、その内側と外側とにかぶせなければならない。その回りには金の飾り縁を作る。・・・25:13 アカシヤ材で棒を作り、それを金でかぶせる。25:14 その棒は、箱をかつぐために、箱の両側にある環に通す。・・・25:16 わたしが与えるさとし(十戒の二枚の板)をその箱に納める。

箱はイエス様の頭部を表します。旧契約では十戒の板を収納される目的で造られ、十字架後の新契約に於いては「十戒の板」だけではなく、箱の前に置かれていた「マナの壷」と「アロンの杖」が収納されました。前回までに何度か説明をしました、キリストの身丈に至った信仰者が「心の板に直接書かれる神の言葉」、「奥義としてのパン」、「父の御心を祈る聖なる祭司」となる事ができます。

しかし、箱の上に乗せられる「贖いの蓋」上に天と地の境のエデンの園の門に象徴される門番としての「ケルビム」が置かれ、その二体の隙間から、天の御座からの神の栄光が、命の水の川が差込み、天の御座におられる天の父と語り合う事ができます。

★出エジプトExodus25:17 また、純金の『贖いのふた』を作る。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。25:18 槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。25:19 一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に作る。ケルビムを『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作らなければならない。25:20 ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。25:21 その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。25:22 わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう

 ★円形の栄光

ですから贖いの蓋とは、その隙間に天の御座から来る場所であり、十字架以後の主を必死で求める信仰者が体験できる天の御座の体験です。ですから、イエス様の身丈(頭部;契約の箱自体)は、信仰の主の山の頂上であり、御父の栄光はその隙間から来る「天」のものであり、遥かに高い天の御国の御座で生きている時には、鷲のように霊魂が飛んで体験できるものです。

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・・・・・(1)天国への三つの門・・・・

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私たちが天国に行く地図には、三つの入口(門)があります。

①世に向かって広く開けられた救いの門・・・イエス様がこの世に救いの光として下られました。私たちにとってはイエス様の十字架の御業が「救いの門」です。

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②人がやっと通れる狭い聖所への入口・・・イエス様を救い主として信じ、洗礼を受けたら、御霊を受けて聖所(試練と訓練の荒野・日々の礼拝)の門に入ります。聖所の入口には五本の柱があり、その間を幕を潜って入ります。

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③イエス様が十字架で裂いた至聖所への垂幕・・・イエス様がゲッセマネの園でご自分の肉の思いを裂いたように堅い魂の命(プシュケー)を裂けば「心が御国」に入り、体の命が死ぬか再臨の時に霊の体を与えられた私たちの霊魂が、「天の御国」に入ります。十字架の三日後に復活された後、天に帰られたイエス様のように。

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・・・・・(2)クリスチャンにとっての広い道と狭い道・・・・

イエス様を知らない人々にとっては、救いの門に入る事が「狭き門」になります。あまりにも多くの人が滅びに向かって人生を歩んでいるからです。

しかし、狭い門に入りなさいとは、山上の教えで、主に信仰者(弟子たち)に語られた言葉です。

★マタイMatthew7:13 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。


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救われても、まだまだこの世の何かを持って歩むのであれば、天国に身ひとつで入り、父の御許近くで喜ばれている聖徒たちを歯噛みして悔しがる(うらやましがる)立場になってしまします。

私たちは全員主の弟子として、イエス様の身幅だけのイエス様の身幅だけの狭き道を、自分の小さき十字架を背負って従う時に、狭き道を通り、天の御国に至って冠を受け、イエス様の聖い花嫁としてアブラハムたちと共に宴会の座に着きます。そのような価値の高い人生を送るように全ての人間は創世の以前から召されています。

★エペソEphesians1:4 神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました

私たちは全員、召命に気づいていないだけです。私たちが試練と訓練の荒野を通っている事自体が、その召命がある事の証拠です。どうぞ、救われている方も、まだイエス様を信じていない人も、その召命に従がっていただきたいと願います。
 

 
 
 


・・・・・(3)「天地創造の目標と目的」 ・・・・

そのために、天の父は私たち人類を「試練と訓練の荒野」に降ろしました。

それはあらかじめ、私たちをイエス様に似た者(ガラテヤ2:20)にさせる為に、私たちを「十字架の使命を果たして復活されたイエス様」の姿に創造して下さったのです。

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そのイエス様の姿(ガラテヤ2:20)に私たち異邦人がなる時、イスラエルの人々がすくわれます。私たちの使命は偉大で、それ故に全ての被造物がクリスチャンの成長を待ち望んでいます。私たちは先ず、「イエス様の身丈に達する事」が何よりに優先する「目標」です。

★ローマRomans8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。8:20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。8:22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。

そして、天地創造の目的は、そして幕屋の最後の器具「贖いの蓋」のケルビムの隙間は、「天の御国の安息」です。

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そして私たちは今、信徒の生涯を象徴する出エジプトの民の殆どが体験できなかった「カナンの地(リバイバルの地)に入る時です。私たちがキリストの身丈に至るのであれば・・・・・。イスラエルの民には聖霊が宿っていなかったのですが、主を切に求める私たちは間もなく聖霊の大傾注の時を迎えて、キリストの身丈に至れるのです。私たちの存在が御国からの通路になるのです。ハレルヤ!!!
 

 
 






 ★花のライン17休憩
2014年3月14日(金)コチラに続きます。
新シリーズ「さあ皆で主の山に登ろう」が始まります。
※明日、あさっての二日間でもう少し御言葉を書き加えたいと思います。


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