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2014年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年05月

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主の山に登ろう(7)「十字架の道」


1★十字架のライン
 



ライン15
「十字架の道」 

図16

オンヌリ教会のライブ放映「2014年度受難週特別礼拝」が終わりました。
コチラから

今年は、4月14日(月)から18日(金)まででしたが、
毎夕、わが国日本の信仰者に向いていると言われている「黙想の祈り」が、
静かな賛美が流れる中で真摯に主に向かって捧げられており、
テレビやネットで視聴されていた世界中の方々も
共に素晴らしい祈りの時を持たれた事でしょう。

毎夜、素晴らしいメッセージが語られましたが、今年のテーマは「十字架の道」でした。
十字架の道」とは、私たち日本の教会が語るべきメッセージではないでしょうか?

しかし今や誇り高い国民である韓国の教会が、体の殉教だけでなく、
心の殉教をも捧げて「キリストの身丈;成熟」を目指しているのです。

聖なる主の山の頂上に到達すべく
心の垂幕を裂こうとしているのです。

日本の教会は、良いライバル心を持って
主の聖なる山の頂上を目指して、
「十字架の道」を急いで登って行きましょう。

私たちが切に願うのであれば、聖霊が助けて下さいます。





 
 
・・・・・(1)真の弟子が通るべき苦難の道・・・・

 ★キム・ジンホン伝道牧師(73歳)
425の11
金牧師がメッセージした礼拝はコチラから


メッセージ「福音の奥義」は、下記の御言葉を持って語られました。

★Ⅰテモテ1 Timothy3:16確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」

信仰の入口としての「十字架の血と死」の段階に留まっている信仰者が多いのですが、キリストの十字架の苦難を味わった後に与えられる「金」が練り出されていなければならない事を、ご自分の体験を通して語られました。

★詩篇Psalms119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました
119:72 あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。

★詩篇 Psalms119:67 苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。
しかし今は、あなたのことばを守ります。


メッセージだけの部分はコチラから38分41秒あたりから御言葉と講師紹介の後に始まります。

河ヨンジュ先生の十字架のメッセージコチラから

ドキュメンタリー「主は陶器師」はコチラから





・・・・・(2)「民族の肉の願い」から「神の霊の願い」へ・・・・

この受難週特別礼拝の最中に、高校生を乗せたフェリーの悲惨な事故がありましたが、その為の祈りも多く捧げられています。奇跡を願う祈りもありましたが、大人の無責任な行動に対する悔い改めの祈りもありました。

異端と言われている宗教団体の事も取りざたされていますが、今や、世界中のクリスチャンは、冷たい海の中で死んで行った子供たちの魂を主に御手に委ね、その家族の方々の慰めを先ず祈るべきです。

そして、ソロモンが不倫の末に生まれた赤ちゃんの死を通して御言葉を学んだように、私たち全てのクリスチャンもまた「東日本大震災」や「韓国フェリー沈没事故」の尊い犠牲を思い、イエス様の招いておられる「十字架の道」を歩もうではありませんか。

オンヌリ教会創設者の河ヨンジュ牧師もかつて、・・・また今回のメッセージの中で金ジンホン牧師も、韓国人特有の負の部分の民族性について悔い改めを語っています。

私たち日本のクリスチャンにも、イエス様の示しておられる「山上の教え」や「七つの教会への言葉」のような高き水準に外れる日本的値観(倫理感)で悔い改めるべき所を、はっきりと教えてほしいと願っています。世間的に良い事と認められる善行でも、イエス様の基準とは違っている場合が多くあるからです。

金師は、「韓国はイスラエルと共通点があって、一つは苦難の歴史がある事だ」と言い、しかし結末に違いがあって、「イスラエルは「賛美」で終わるが、韓国は「恨み」が最後に残っている」と、先ほどの119編と共に、130編の詩篇の御言葉を引用しました。

★詩篇Psalms 130:1 主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます
130:2 主よ。私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。
130:3 主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。
130:4 しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。
130:5 私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。
130:6 私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。
130:7 イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。
130:8 主は、すべての不義からイスラエルを贖い出される


そして、育ったクリスチャンホームでの苦難の日々と、ご自分自身の監獄生活で与えられた御言葉を通して、苦難の道である「十字架の道」を通らなければ到達できない素晴らしい「練り出された金」の存在を知るべき事を語っています。

★ヨブJob 23:10 しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私はのように、出て来る。

 502弟子の道 - コピー

どんなに苦しくても私たちの道と、その道の到達点を神は知っておられるので、天だけを見上げて私たちは進めと・・・・。

★ヨブJob23:11 私の足は神の歩み につき従い、神の道を守って、それなかった。 

★イザヤIsaiahPsalms 2:3 多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。

荒野の真ん中の十字架の道を、イエス様は真直ぐに登り、ゲッセマネの園と十字架上で、魂と体の垂幕を裂き、復活されて主の山の頂上である御国に入られました。

私たちもそのイエス様の身幅だけの狭く細い十字架の道(神の道・小道)を通って、イエス様の身丈を達成しましょう。

私たちが金となって「イエス様の真の弟子」として練り出される為には、十字架(荒野)の道しかないのです。
 
 




エンディング


全ての国のクリスチャン個人と教会は、自分の魂の肉の命(自分の計画・こだわり・面子・世に付く思い・自慢・・)を、たとえこの世での常識では良い考えと思われていても捨てて死なせ、御言葉から来る「神の霊」で生きるようになる為に、「十字架(茨)の道」を通る事を忍耐しなければなりません。

 425の12

★ローマRomans8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

神様である御霊の命の中に入る事、それが本物の礼拝です。

★ローマRomans 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

まだ体の殉教の時ではないので、今は魂の命を日々生きた聖なる供え物として神の御前に差出し、霊的な礼拝を捧げましょう。イエス様が模範です。この真の礼拝を通して私たちは完成に向かうのです。

キリストの身丈に達した日本、韓国、中国、北朝鮮が、手を取って世界中に出て行き、イエス様の真の愛を伝える日を待ち望んで、毎日の心の殉教を果たして行きましょう。

 4329の6




3ライン 









 ★花のライン17休憩

2014年5月2日(金)コチラからに続きます。
「私たちと主の聖なる山」についてです。


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| Ⅴ主の山に登ろう | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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イースター賛美礼拝

お子様の為のイースター賛美礼拝

図4
※当ブログの絵は、左クリックで、全画面が二段階で見られます。







【Ⅰ】聖書のおはなし「イースターと卵」











【Ⅱ】賛美「イースターの朝には」

伴奏はコチラから(オート・リピート) 

①イースターのあさには しらゆりを いけましょう

イェスさまが いのちに かえられた よい日(ひ)です

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 (くり返し)

ああしらゆり 主(しゅ)イェスが よみがえった よいひを

きねんして かおるのか  イースターの よいひに

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②ああ冬(ふゆ)じゅう じめんの なかに居(お)った しらゆり

めにみえぬ いのちが はるをまって おったのです

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(くり返し)

ああしらゆり 主イェスが よみがえった よいひを

きねんして かおるのか  イースターの よいひに


★透過cross-008






③かみさまの よいこらは しんでもまた いきます

ほむられて いのちに かえられた 主のように

★children_of_god


(くり返し)
 

ああしらゆり 主イェスが よみがえった よいひを

きねんして かおるのか  イースターの よいひに

immagini20riflesse20gif20reflections20glitter2027.gif
 
  








 
【Ⅲ】大人の方々へ「十字架の道」の素晴らしいメッセージ
 


オンヌリ教会 受難週特別礼拝より

図16

コチラからです。







 glit86.gif
 



※通常のメッセージ4月18日はコチラから

| 賛美礼拝 | 05:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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主の山に登ろう(6)「十字架の死と復活の命」


1★十字架のライン



ライン15
「十字架の死と復活の命」

私は、第二次世界大戦後のベビーブームに生まれましたが、ちょうどその戦後にアメリカより来た宣教師家族によって開かれたペンテコステ教会にて、救われました。

 411の3

当時の日本は極度に貧しかったので、食事を含む生活スタイルや、ミッション系の大学から来るキリスト教的思想など、アメリカの豊かな文化に憧れました。

実際に、アメリカ教会の、宣教師や献金、婦人会の作成した手芸品なども多く提供されていました。

しかし、同時期にアメリカの宣教師によって布教された韓国では大リバイバルとなりましたが、日本はごく小さいリバイバルがあったものの、教会は大きくは成長しませんでした。





・・・・・(1)「各国のキリスト教倫理」・・・・

その成長遅い日本に、それから五十年経った頃、聖霊派の韓国人預言者が、その優れた祈りの方法と、聖霊の力を生かした聖書解釈や伝道法などを日本に伝えようとするムーブメントが都市を中心に起こりました。

私;福田は、韓国純福音神学校に在学中から、そのネオ・ペンテコステの聖霊の臨在に惹かれて、小さな神学塾のような群れに加わりました。

アメリカからのペンテコステ系日本人教会に五十年、韓国系ペンテコステ教会に十年の間、身を置いてみて、非常に考えさせられました。

三つの国の信仰者に深くかかわってみて、その信仰の根幹は素晴らしいのですが、その国々の文化から来るキリスト教倫理の違いには、なかなか馴染む事は難しかったのです。

特に、生活を共にするような時に生じる感情的な問題に対する考え方の違いには、違和感がありました。リーダーの信仰面や単純な行動基準に従う事は問題はなかったのですが、リーダーの持つ個人的・民族的キリスト教倫理の違いは、全ての揉め事を解決する事はできませんでした。

今からのリバイバルの時、個人間、民族間に於けるキリスト教倫理の違いをどうすれば良いのでしょうか。

イエス様は、その違いの中心におられます。イエス様が直接、信仰者同士の全ての生活の問題点を指導するのなら、どの国のキリスト教倫理の違いも、個人の考えの違いも全てを超え、納得の行く解決に導く事ができます。

 411の4
 
私たち信仰者はまだ、イエス様の真の弟子の範囲に到達はしてはいないのではないでしょうか?それぞれの国にまだ、本当の意味での「真の弟子」は誕生してはいないのではないでしょうか?

★マタイMatthew 28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

それぞれに違う倫理観を持つ人々に真の福音を伝える為に、今の時の私たちは、イエス様の身丈に達して「真の弟子」となっているべきです。

全ての民族的、個人的な相違を超えて、人々に「圧倒的(天の御国)な満足」を味わっていただく為に、私たちはイエス様ご自身である「主の山」に登って行かなければなりません。

ここで、基本的な「キリストの幕屋」を復習しておきたいと思います。

イエス様の十字架上の姿が、復活までの三日間で完成された「キリストの幕屋(宮・神殿・教会)」です。

★ヨハネJohnJohn2:19 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう 2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」2:21 しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。

イエス様は、ご自分の体の神殿が十字架と復活の三日間で完成すると言われました。しかし、その奥義はパウロに示され、私たちキリスト者は「生ける宮」である事を語っています。私たちの完成すべき生ける宮であるキリストの姿を御言葉によって、検証して行きましょう。




・・・・・(2)幕屋(神殿・宮・教会)全景としてのキリストの姿・・・・・

 418の2

幕屋の器具とイエス様の姿を対比して、幕屋が、イエス・キリストを現している事を証明して行きたいと思います。

幕屋をそっと立てると、イエス様の姿になり、そのままイエス様の十字架つけられた姿となります。一番顕著なのが、燭台の位置です。

先ずは、幕屋とキリストの姿に共通する三つの点を、御言葉が重複しているので一緒に見てゆきたいと思います。

①イエス様の右手にある燭台
②イエス様の白い亜麻布の衣と、幕屋の塀の白い亜麻布
③イエス様の頭部に輝く冠と、幕屋の金で覆われた契約の箱


①「右手の燭台」
 
黙示録に、右手に7つの星(燭台)を持つ方と、イエス様の姿を言い、幕屋を立てた時、右の手に燭台があります。

★黙示録Revelation2:1右手七つの星を持つ方・・・


②「イエス様の衣」
 
イエス様の全体の姿を、幕屋とを比較してみましょう。

ダニエルとヨハネたち使徒が見た白い輝く衣のキリストの姿と、地面まで届く長さの白い亜麻布の幕屋の塀の一致

★出エジプトExodus 38:16「 庭の周囲の掛け幕はみな、撚り糸で織った亜麻布であった。」

(A)(ダニエルが、ヒデケル川の岸で見た、キリストの幻
★ダニエルDaniel 10:4 ~6(ペルシヤの王クロスの第三年)第一の月の二十四日に、私はヒデケルという大きな川の岸にいた。 私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのよう であり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。」 

(B)使徒ペテロ、ヨハネ、ヤコブが主の山の頂上で見たキリストの姿
★マタイMatthew 17:2「そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白く なった。」

(C)使徒ヨハネがパトモス島で見た、キリストの幻
★黙示録Revelation 1:12 ~18 「そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。 その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」

 

③「頭部に金の冠(幕屋至聖所の契約の箱)」 
 
上記の数々の御言葉にあったように、キリストの頭部と、幕屋至聖所の契約の箱が一致しています。

★黙示録Revelation 14:14「また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり・・・」

イエス様の頭の冠、顔としての「輝く純金で造られた契約の箱」からは、幕屋や神殿が完成した時のように眩い天からの栄光が溢れていました。


★出エジプトExodus 40:35 「モーセは会見の天幕にはいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。」


★Ⅱ歴代 2 Chronicles7:1 ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。7:2 祭司たちは主の宮にはいることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。

イエス様が、永遠の中で一度の「真の幕屋の完成」
★ヘブルHebrews 2:9「イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。」


④「イエス様の炎のような目と口から鋭い両刃の剣」
   
★黙示録Revelation1:14 その目は、燃える炎のようであった。1:15 その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、・・・その声は大水の音のようであった。 1:16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

私たちにいま、キリストの口から出る両刃の剣としての鋭い御言葉が、大声で語られています。

★ ヘブルHebrews 4:12「 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」

イエス様は、私たち弟子が「最後の重要な時代」にあって、真の弟子として生きているかを、炎のように燃える目で(そのは、燃える炎のようであった。)凝視し、その口から出る鋭い諸刃の剣である御言葉で、「肉である魂から出る思い」と「霊に現れる天からの思い」とを厳しく分別しようとされています。今の私たちはまだ、その基準に達していないのではないでしょうか?

★ルカLuke 18:8 「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」





・・・・・(2)十字架上で完成した「キリストの幕屋」・・・・
  
イエス様は、十字架と復活の三日間で「神殿(幕屋・宮・教会)を完成しましたが、パウロは、私たちがその「生ける宮(幕屋・神殿・教会)である事を知らないと言って怒っています。

★Ⅰコリント1 Corinthians3:16あなたがたは神の神殿(教会・宮)であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

この「生ける宮」についてはコチラから12回に分けて説明していますので、まだお読みになっておられない方は是非ご覧下さい。

生ける宮を完成する事と、主の山を登る事と、キリストの身丈に至る事と、「キリストの十字架の姿」とは同じ事です。キリストが十字架上で幕屋として完成した事は、次の御言葉によって検証できます。

★ヘブルHebrews9:11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

イエス様が幕屋として血の贖いを完成する為に、全ての幕屋の器具(祭壇・洗盤・パンの机・燈台・香の壇・贖いの箱と蓋)に血をかけました。旧約の大祭司が年に一度、至聖所に入る時に必ず行った事です。

★ヘブルHebrews9:21 また彼(モーセ)は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様にを注ぎかけました。

年に一度づつ捧げられた旧契約は「動物の血」により結ばれた比喩でしたが、新契約はイエス様の十字架の血潮によって永遠の中で一度だけ捧げられた「真の新しい契約」でした。

その全ての証拠を御言葉で検証します。

418の3
 

*頭(神の箱)
★マルコMark 15:17「 そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、」

*右手(燭台)と左手(パンの机)両足(青銅の祭壇)は、十字架に釘付けられて血を流しました。

★詩篇Psalms22:16 ~18犬どもが私を取り巻き、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。 私は、私の骨を、みな数えることができます。彼らは私をながめ、私を見ています。彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。

★ヨハネJohn 20:25 しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。




*腹(洗盤)
★ヨハネJohn 19:34「兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちにと水が出て来た。」

*心(香の壇)
★ルカLuke 22:44「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗がのしずくのように地に落ちた。」

イエス様は、十字架の前夜、ゲッセマネの園でご自分の心をパンの如く裂かれました。その苦しみで、汗が血のように地に落ちました。事実をたんたんと語る聖所が、わざわざルカによる福音書に、「汗が血のしずくのように」と記しています。イエス様の心は「香の壇」であり、そこに血が流されました。下記の聖歌を歌う時に、その苦しみがいかばかりだったのかと、申し訳なさを感じます。

★聖歌401番「御手と御足のみか、心も裂けて、君は死に給いぬ、我らの為」



 

 

・・・・・(3)「イエス様の身丈」に至って「真の弟子となる」・・・・
 
幕屋を、イエス様の十字架として立てて見た時、至聖所の入口の大きな幕には、イエス様の十字架の姿が、そのまま投影されていたかの如く、イエス様の心と体が、真二つに裂けた証拠として、至聖所の垂れ幕が真二つに裂けたのでした。

★マタイMatthew 27:51「すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。」

イエス様は、私たちを贖って永遠に神の子とする為に、「パン」としてご自分の心と体を裂いて下さいました。私たちもまた、今は体が殉教する時ではなくても、心(魂の命;プシュケー)を死なせて、リバイバルへの道を開く使命を果たしましょう。

イエス様の登られた主の聖なる山は、自分に与えられた十字架を背負い、イエス様の歩んだ御国(至聖所である頂上)に向かって、ただただイエス様の十字架の小道を歩んで行く使命を果たしましょう。
 

 913の8

具体的には、下記のイラストで表しましたが、イエス様の十字架である主の聖なる山を登り切るためには、私たちの心を一粒の麦として死なせる(垂幕)事しかありません。

906の9
 

私たちが魂の命を死なせなければ、イエス様の身丈に達する事はありません。信仰者の体の死が天の御国に入る条件であるのと同様に、心が死を通らなければ心に「御国」が訪れませんし、それを世に大きく流す通路とはなれません。弟子の道をイエス様ご自身が、その生涯で示して下さったのです。

131び4

だから、イエス様は、このように仰いました。

★ヨハネJohn 12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。12:25 自分のいのち(魂の命;プシュケー)を愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのち(輝く神の永遠の命)に至るのです。

使徒パウロは、迫害の時代にありましたから体の命の殉教を日々覚悟し、また魂の命をも毎日殉教死させて、イエス様の教えに従っていました。

★Ⅰコリント 1 Corinthians15:31 兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。 

★(新共同訳)兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます










エンディング


日本に与えられている使命である「自分の魂の命を捨てて垂幕を裂く」、主の聖なる山の位置を目指して、韓国の教会が既に登ろうとしています。

下記は聖霊派と言える二つの教団ですが、趙ヨンギー師率いる「純福音教会」は、その熱烈な祈りと十字架の血に頼って「韓国のリバイバル」に大きく貢献しました。

その次に現れた、河ヨンジュ師が導き李ジェフン師が継いだ「オンヌリ教会」は、かつて趙ヨンギー師がまだ時でないので諦めた「十字架の死(魂の命の殉教死)」を貫こうとしています。

 418の6

今週は受難週にあたり、受難週特別礼拝が持たれ、その「十字架の道」を夜十時からライブで放映しています。

最初の日コチラからの素晴らしい礼拝をご紹介します。

ライブは本日まで続いていますので、ご参加くださる事をお勧めします。是非、ネットでご覧下さい。そのために本日はアップの時間を早めました。受難週特別礼拝「十字架の道」の録画はコチラから






3ライン 









 ★花のライン17休憩
2014年4月25日(金)に続きます。
「十字架の道」についてです。

20日のイースターの朝早くには、賛美礼拝をアップコチラします。


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主の山に登ろう(5)「韓国の使命と日本の使命の違い」


1★十字架のライン
 

ライン15
「韓国の使命と日本の使命の違い」 

旧約聖書は今の時を預言して、主の山の頂上に登る様に教えています。

かつて、ノアが、アブラハムが、イサクが、ヤコブが、
モーセが、エリヤが、ダビデが・・・登った主の聖なる山に、
「終わりの日」間近い今の時は、私たちが登って行くのです。

★イザヤIsaiah
2:2 終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、
丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。
2:3 多くの民が来て言う。
さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう
主はご自分の道を、私たちに教えてくださる
私たちはその小道を歩もう。」
それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。


主が教えて下さる「小道」とは、
イエス様が十字架を担って登られた「十字架の道」ではないでしょうか?

イエス様の身幅だけの狭く、私たちが従うべき「真直ぐに御国に続く道」です。


天の父は、私たち教会にも国ごとに使命を与え、
小道を示して、最後の大リバイバルの頂上へ招いています。

 411の7

欧米は、命を捧げて宣教する宣教師を世界中に遣わして使命を果たし、
韓国も熱烈な祈りによって、自国の使命を充分に果たしました。
これからは、日本が使命を果たす当番です。

日本の使命は、山の高き位置にありますが、
上下でどちらが尊いと言う意味はありません。

私たち信仰者は、与えられた使命や結果の評価を気にするのではなく、
神様から与えられた、自分と自国への使命を果たす事を第一として生きるべきです。

この世に於ける約束の地(カナン)とは、再臨前リバイバルです。
私たち日本人信仰者が、その扉(垂幕)を開くのならば・・・、
世界中に聖霊の大傾注があり、御霊による大リバイバルが始まるのです。

 
 
 



・・・・・(1)韓国の文化と使命・・・・

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私は50歳になってから、韓国のリバイバルの秘訣を学びたいと、純福音(フルゴスペル)神学校に入学しました。

そこで、十字架の血の尊さや、幕屋の祈りを学びました。毎日授業が始まる前に短い礼拝があるのですが、そこで十字架の賛美(♪罪重荷を除くは血の力 ♪十字架の陰になど)が歌われずに礼拝が始まった事はありませんでした。

それ程までに十字架の血を称え、感謝し、その血に頼っての癒しの祈りによって大きくリバイバルして来た韓国の教会ですが、日本の使命である「十字架の死」に対する使命はなかったと、ペンテコステ神学の金サンマン教授は、「文化神学」の授業の中で語りました。

金師は、カール・ユンの心理学からの論説「無意識と繋がった土着化」の観点から、「各民族には、民族の歴史を伝わって遺伝してきた集団的意識の原型があり、その集団的無意識の深さにまで入って、福音を伝道しなければならない」と語り、それが「文化神学」であると言いました。

そして、その韓国人の無意識の深さにある彼らの必要を満たす分野を見出して伝道をしたのが、チョー師であると・・・。

チョー師は、自国の国民性に於ける問題点と願いを深く知り、その思いの中に育てられた民族に対する使命を見出しました。伝道を始めた時期には、国民の大多数が数々の戦乱や国の分裂によって悲痛な痛みや悲しみを体験し、個人も国も自尊心をなくし、病いや貧困で苦しんでいました。

かつて、チョー・ヨンギー師が「十字架の死(心と体の殉教)」についてメッセージをすると、会衆はシーンとして元気がなくなったそうです。その当時の韓国の使命にはなかったのです。

しかし、十字架の血による癒しを語り、実際に熱心に祈って人々が癒されると、人々が喜びのあまり教会に雲のように集まって来たそうです。

それは、韓国民族の潜在的に求めているのは『福』であって、メッセージで祝福を受ける話をしてあげると、皆が心から大きく「アーメン」と言って無意識の中から喜び、純福音の教会は爆発的に成長して行きました。

又、韓国の隠れているもう一つの原型的イメージは、国として侵略されてきた『恨み、哀しみ』の深いイメージがあり、ました。それを、金曜徹夜礼拝で、思いっきり大声で「主よー!」と叫んで心の恨みを晴らし、神の前で圧倒的な喜びに変わるので、この祈りの方法は韓国中に広まり、韓国全体を覆った祈り方となりました。。

また、大きな問題がある信徒には、断食しながら長期間祈れる祈祷院を作って、祈りによって人生に於ける様々な危機に勝利する道を開きました。そして、名誉を重んじる性質は、教会の中での熱心な奉仕による評価で各自が満たされ、今や韓国はキリスト教大国となりました。
 
 
 


・・・・・(2)日本の文化と使命・・・・

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授業の最後で金師から、「日本でも無意識の中の遺伝的、文化的原型を見つけだして、その部分に訴える福音伝道の仕方を発見してゆくべきです。韓国の率直な民族性とは違って、日本人には本音と建て前があるので、大きな声で祈るのを恥ずかしがります。日本人には、「黙祷の祈り」が合っているのではないか‥‥」と、アドバイスがありました。

私たちも今、日本国民の心の奥底にある苦しみは何か、願いは何かを深く知り、それらを満たしつつ祈って行く事が、日本の使命を果たす事への道ではないかと思います。

また、韓国民族の願いは一言で「福」でしたが、日本人は「和」であるように思います。しかし、日本人の「主君のために命を捨てる心」がサタンに利用されて戦争に使われたように、日本人の長所であり願いである「和」も、「仲間はずれ」にサタンが用いる場合もあります。

私たち日本人が、自分達の使命である「垂幕:魂の命の殉教死」をして、天の御座の前で黙想の祈り(ダビデの幕屋祈祷)を捧げるのであれば、人間の愛ではなく、天の父の愛で人々が愛し合う素晴らしい教会となる事でしょう。

文化神学はともかく、イエス様は私たち弟子の候補に向かって語っています。

★マルコMark8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

私たち日本人には、この魂の命(プシュケー)を捨てると言う、垂幕を裂く使命が、クリスチャンにも、まだイエス様を信じていない人々(群集)にもあるのです。
 





エンディング


日本人が魂の命を一粒の麦として死なせてこそ、再臨前大リバイバルが始まります。日本の地には、世界第二位の多数の殉教者キリシタンの血が既に流されているのですから、大リバイバルが心の殉教を果たした時に始まるのです。

★ヨハネJohn12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。12:25 自分の(魂の)いのちを愛する者はそれを失い、この世でその(魂の)いのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。

 124の11

かつてない大リバイバルが始まる時、聖霊が全ての国の信仰者に注がれますから、全ての神を信じる民は、真のイエス様の弟子となり、魂の命も、体の命も捧げて全世界の宣教に出て行きます。

各民族がそれぞれ育てられた文化から来る長所の上に、聖霊の大いなる力が与えられて、最初の段階に於いては、東の果ての日本と韓国と中国とが手を結んで、西に向かって、イスラエルに向かって宣教に出て行くのではないでしょうか。

 411の5
 

★イザヤIsaiah59:19 そうして、西のほうでは、主の御名が、
日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。
主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。



3ライン 







 ★花のライン17休憩
2014年4月18(金)コチラからに続きます。
主の聖なる山における「十字架と復活の位置」についてです。 



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≫ EDIT

主の山に登ろう(4)「再臨前リバイバルに於ける日本の使命」


1★十字架のライン
 

ライン15
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「再臨前リバイバルに於ける日本の使命」

日本は真珠の国です。日本は、東の果ての国です。

★イザヤIsaiah59:19 そうして、西のほうでは、主の御名が、
日の上る
ほうでは、主の栄光が恐れられる。
主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。


★マラキ Malachi4:1 見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。
その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行なう者は、わらとなる。
来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。
――万軍の主は仰せられる。―
4:2 しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、
その翼には、癒しがある
。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。


その東の果ての真珠の国日本が今、再臨前リバイバルの門の扉を開けようとしています。

 44の2
 
天の御国の門の扉は、大きな真珠で出来ています。
この地に於ける御国とは、再臨前リバイバルです。
その扉を開けるのが、日本の使命です。








・・・・・(1)イエス様の苦難の生涯・・・
 
天の父は、私たち人間を愛して、私たち人間の罪を贖って神の子とする為に、一人息子のイエス様を私たちに差し出してくださいました。

 44の3

天の御国の大きな真珠の門扉は、私たちに永遠の命を与えるために、イエス様が苦難に苦難を重ねて塗り重ねた生涯を象徴しています。イザヤ書53章には、イエス様が真珠の層の様に塗り重ねた苦難の数々が記されています。最も大きな苦難は十字架でした。

★イザヤIsaiah53:1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。
53:2 彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。 53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられた のだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた
53:7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
53:8 しいたげと、さばき によって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
53:9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。


 2三本の十字架

しかし、それ程までの数々の耐え難い苦難を、イエス様は一言の不平も言わずに、使命に従順に忍耐したばかりか、それによって私たち人間を贖って永遠の神の子とできる事を知っていたので、その苦しみ自体のもたらす素晴らしき結果を思い、満足なさいました。

★イザヤIsaiah53:10 しかし、彼をを砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。 



 


・・・・・(2)日本人の通った苦難・・・・

私たち日本人の信仰者は、イエス様の苦難に遠く及ばない程の軽い苦難であっても、その小さな苦しみを通してイエス様の苦難のいかばかりかを、そして御父よりの使命を果たした時のイエス様の「真の喜び」の素晴らしさを体験しようとしています。

私たちもイエス様の弟子として、苦難と御言葉によって心が聖められ、使命達成時の素晴らしき結果を思った時に、人知では計り知れない喜び「十字架の喜び」を体験していなければなりません。

日本は今まで、最近の歴史の中でも「原爆被爆や東日本大震災」など、世界中のどこの国にもない大きな苦難を通って来ました。第二次世界大戦では、日本が軍国主義に陥って、申し訳ない事に他国に攻めて行ったのですが、反対に極めて大きな攻撃も受けました。

東京大空襲も悲惨でしたが、原子爆弾を被災された人々の痛み苦しみはどれ程であった事でしょう。

 44の8

三年前、2011年の3月には、大地震、大津波、原発事故によって、東北の方々は未曾有の苦しみを受けました。

 44の9

神様が、私たち日本を激しく揺り動かし、目を天に向けさせ、神様の目的の為に使おうとしておられます。
 
 




・・・・・(3)真の主君イエス様の為に・・・・

天の父は、私たち日本人に長い年月をかけて、その使命を果たすように育てて下さいました。その一つが主君に対する忠誠心です。この忠誠心を、サタンは戦争に用いて大いなる苦しみを近隣諸国に、そして日本民族にもたらしました。

 44の7

しかし、この最後の時、真の主君であるイエス様の為に、命を捨てて宣教に出てゆく日本民族となります。サタンにそのかされて世界に出て行った時は、 他国も自国も苦しみを受けました。しかし、天の父の御心で世界に出て行きます。それはそれは全人類にとって、素晴らしい結果となります。

今の時代を生きる私たち信仰者だけでが困難の中にいるのではなく、日本には多くの殉教者の尊い血が流されました。

殉教を覚悟して日本宣教に来たフランシス・ザビエルによって、1605年には日本のキリシタン(クリスチャン)は推定75万人となっていました。

しかし、多くの殉教者が出ました。荒井白石が「凡そ二、三十万人」のキリシタンが殺された. と書き記しましたが、日本はイスラエル(AD70年ローマ軍によるエルサレム攻撃・神殿破壊・死者百万人の殆どがユダヤ人)に続いて世界第二位の殉教国です。

※新井白石が『天主教大意』に、徳川三代目将軍家光の時代に、「凡(およ)そニ、三十万人のキリシタンが誅せられた」と記しています。(誅す;悪人や罪のある者を殺す。成敗する。)

この流された血の故に、日本に大きなリバイバルが訪れるのです。

今の時代を生きる私たち日本人が天変地異の中で、弟子として召しておられる天の父の心を理解した時、壮絶な苦難の中で私たちの為に死んで下さったイエス様の為に生きようとの思いが与えられます。

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★Ⅱコリント2 Corinthians5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

そしてその為に、世の始まる前から私たちは使命を与えられ、リバイバルの推進に必要な国民性を育てていただおているのです。

44の6
 






エンディング



その良き国民性と、東日本大震災の時に現れました。「日本は、地震で破壊された道路をたった6日で修復する。」と世界中の人がその仕事ぶりに驚嘆しました。

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また、被災者の礼儀正しく、沈着冷静な様子が、海外メディアでも話題となり、賞賛されました。下記はその時の記事です。

『整然と列を作って並び、炊き出しのおにぎりや毛布を「ありがとうございます」と言って受け取る。惨禍を免れたコンビニやスーパーで食料を買うときに金の持ち合わせがないと、店員は「後でいいです」と言い、実際、客は必ず後に支払いに来たという。店員がいないと、カウンターに代金を置いて商品を持ち帰ったという話もある。

これが外国の災害では悲鳴が絶えず、大騒ぎになる。商店の窓ガラスを破って商品を盗むなど無秩序な混乱が広がり、救援物資は奪い合い、刃傷沙汰に及ぶこともある。

これに比べて「日本人はなんて秩序正しく、マナーを身につけた国民か」と「日本人の美徳、民度の高さ」が世界に発信された。』

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このようなレベルの高い性質の集団である事を世界に知らしめた後、私たちの国は大リバイバルを迎え、イエス様を真の主君として命を捨てて、韓国、中国の人々と共に世界宣教に出て行くのです。

宣教はイスラエルから東に向かって進んで、東の果ての日本にまで届き、私たちが神の民・神の子となりましたが、今度は逆に西に向かって「愛の御旗」を掲げて出て行くのです。


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3ライン 




 ★花のライン17休憩


2014年4月11日(金)コチラに続きます。
「韓国の使命と日本の使命の違い」についてです。




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