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2014年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年08月

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究極の賛美(6)私たちに神が与えた「素晴らしい空間」


1★十字架のライン 
 

ライン15
「私たちに神が与えた素晴らしい空間」 

天地創造の六日目、神が私たち人間が造られた時、

★創世記 Genesis 1:26 神は、
「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。・・・」
と仰せられた。

・・・ 2:7神である主は、土地のちりで人を形造り、
その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
そこで、人は、生きものとなった。


 725び3 

神様が最初の人間アダムに
神の息(輝ける永遠の命の御霊)を注がれたのは
イエス様の下記の言葉から、心の奥底(腹)の空間である「霊の所」です。

★ヨハネ John 7:38 わたしを信じる者は、
聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底(※口語訳:腹)から、
生ける水の川流れ出るようになる。


神様は、私たち人間の心の奥底に、神の霊を宿らせる事のできる
素晴らしい空間を造ってくださいました。
それが、他の全ての被造物と違う所です。

しかし、下記のたった一つの神の命令を守る事ができず・・・、

★創世記 Genesis 2:16 神である主は、人に命じて仰せられた。
「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。
それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」


神の永遠に輝ける命「神の息」は死でしまいました。

その霊の所は空っぽになり、
土で造られた肉体は、その短き寿命だけしか生きる事ができず

土で造られた私たち人間の心は心は、
この世にあるどんなものをもっても、満たされる事のない空虚な空間となり、
アザミやおどろの生えるしい荒野のなってしまいました。
 
 
 
 

 
 
 



・・・・・(1)天から追いかけて来る恵みと「空」・・・・

しかし、人類をサタンの支配する不毛の荒野に降ろした神は、その後を追うかのように、良い者にも悪者にも、水を流し、雨を降らせ、太陽を照らして私たち人類が生きる事ができるようにして下さいました。

 エデンの東5
 
厳しい人生の労苦の中でも、楽しむ時を与えて下さいました。下記はソロモンの言葉と言われています。

★伝者の書 Ecclesiastes 5:18 見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。5:19 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。 

王であったソロモンは、同世代に生きていた人の中で最も快楽に明け暮れていた事でしょう。しかし、死ぬ時に言いました。

★伝者の書 Ecclesiastes  12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。・・・ 12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。・・・ 12:8 空の空。伝道者は言う。すべては空。 

ヨハネによる福音書四章で、イエス様と井戸端で語り合った、何人もの夫をとっかえひっかえしてきた婦人もまた、世と世に付くものによる空しさを味わって来た事でしょう。

 Michael_Dudash_Living_Water_700.jpg

イエス様は彼女に、そして私たち全員に向い、天からの命の水を私たちの霊の所から湧き上がって来るまでに、「霊と真からの礼拝」を捧げるようにと勧めておられます。

★ヨハネ John 4:13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」・・・4:23 「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」







・・・・・(2)ソロモンの神殿の至聖所・・・・

このソロモン王が若き日、豪華な神殿を絶てました。

 solomon_temple.jpg

その奉献式での、ソロモンの祈りが素晴らしいです。

 solomons_temple__image_8_sjpg2043.jpg

★Ⅱ歴代 2 Chronicles 6:18 「それにしても、神ははたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできませんまして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」

モーセの幕屋の至聖所も、ソロモンの神殿の至聖所も、天も、全宇宙でさえ入れきれない「偉大な神の臨在」が、私たち人間の生ける宮の至聖所である「霊」の所に宿られるのです。

 725の4
 
神が天地創造の六日目に、私たち人間を神に似せて造り、神の臨在が宿る入れ物「霊」を造って下さったのです。
 







・・・・・(3)私たち生ける宮の至聖所「霊」の所・・・・

ですから、私たち人間が空しさ「空」を感じた時、それはこの世のどんなに大きなものでも満たせないのです。

私たちの「霊」の所は、天よりも宇宙よりも広いので、神の臨在によってでなければ満足をする事ができません

★イザヤ Isaiah 40:22 主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。地の住民はいなごのようだ。主は天を薄絹のように延べ、これを天幕のように広げて住まわれる。

その偉大な神が、いなごのように小さな私たちの霊の所に住んでくださるのです。

ですから、私たちは地球上で起こる全ての問題に対して、先ず天を求めなければなりません。天から流れて来て、心の奥底の霊の所から沸き上がる「天国の命の水の川」を飲まなくては満足できません。

★マタイ Matthew  6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて(※口語訳;添えて)与えられます。

ですから、私たちは癒しを求めるのではなく、「癒し主」を求める時に、「癒し」は添えて与えられ、

悔しくて心がすさむ時に人に訴えるのではなく、天を求める時に、天からの圧倒的な喜びで満たされ、

この世での成功を求めたい時に、天での報いを求めれば永遠の破格の報いを受け取り、この世にあっても全てが満ち足りた幸せな一生を過ごす事ができるのです。

私たちは、この自分の霊の所に宿る偉大な神の臨在で充ちた時に・・・、天から流れて来る冷たく美味しい命の水の水で満ち足りる時に初めて、真の賛美を捧げる事ができるのです。

また、その命の川を求めて餓え乾き、激しく天を求める時、その事自体も、素晴らしい賛美dす。

私たちが、このような日々を送っているうちに、私たちの人格の身丈が、イエス様の身丈に近付いてゆきます。キリストの御岳を完成した時、至聖所である霊の所に神の栄光が輝きだします。

 725の0

これが、私たち人類をアダムの後に連ならせて、サタンの支配する荒野に降ろした理由です。

自分の肉の考えをめぐらせつつ生きるのではなく、天を見つめ、天からの御言葉を重んじ、その御言葉通りに生きて、天国に帰る人生を生きましょう。ソロモンの最後の言葉です。

★伝者の書 Ecclesiastes12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。12:14 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。












エンディング


イエス様は、井戸端の女に、霊的礼拝を捧げる時が来た事を告げました。

★ヨハネ John 4:23 「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。]

この時とは、イエス様が十字架に付けられる日の事です。イエス様は、十字架の三日間でご自分を神殿(幕屋・宮・教会)として完成させ、なおかつ私たち神を信じる者を生ける宮として下さいました。

★ヨハネ John  2:19 「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」

イエス様の十字架の死により、私たちは罪が赦されて、心の奥底「霊の所」にもう一度「神の息;永遠に生きる事の出来る輝く神の命」を与えられました。

十字架の御業に心から感謝の賛美を捧げたいと思います。


"There Is A Fountain"
聖歌428番「尊き泉あり」

①尊き泉あり  その内より
インマヌエルの血ぞ  あふれ流る

罪に悩む者  くぐり入らば
汚れは洗われ  しみは消されん

④主よ汝(な)が傷より  流るる血を
信仰の目を上げて  仰(あお)ぎしより

あがないの愛は  我が心を
なぐさめ導く  歌となりぬ

 
 


①尊き泉あり  その内より
  インマヌエルの血ぞ  溢(あふ)れ流る
  罪に悩む者  潜(くぐり)り入らば
  汚(けが)れは洗われ  染(し)みは消されん

②今わの際(きわ)にて  盗人(ぬすびと)さえ  
  喜び仰ぎし  泉なれば
  躊躇(ため)らわで  我も  彼の如く
  悉(ことごと)洗われん  汚れをみな
 ※今わの際・・・死に際、臨終

③殺され給いし  子羊なる
  主の血の力に  変わりあらじ
  世より選ばれし  神の民の
  清めの恵みを  受くるまでは

④主よ汝(な)が傷より  流るる血を
  信仰の目を上げて  仰(あお)ぎしより
  贖(あがな)いの愛は  我が心を
  慰(なぐさ)め導く  歌となりぬ

⑤回らぬ舌もて  歌いぬれど
  栄えの御国に  移されなば
  心ゆくばかり  いとも妙(たえ)に
  救いの力を  称(たた)え歌わん


3ライン
 






 ★花のライン17休憩
2014年8月1日(金)コチラからに続きます。
「賛美の実」についての予定です。



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究極の賛美(5)賛美と正反対になる言動②「空しい井戸を掘る」


1★十字架のライン

 
 

ライン15
賛美と正反対になる言動②「空しい井戸を掘る」 

天の父は、私たち神の民に向かって、下記の二点に於いて怒っておられます。

神の民の心が、様々な理由で餓え乾いた時、
①天を仰いで、天から流れて来る豊かな水を求めず
②自分で急ごしらえの壊れて不完全な水溜に、
汚い水を汲んでしまう事です。

 718の1

 ★ Jeremiah 2:13
"For My people have committed two evils:
They have forsaken Me, the fountain of living waters,
And hewn themselves cisterns-broken cisterns
that can hold no water.


‥‥私達が、試練の荒野をさまよっている時、心の乾きをしずめようと、
その場しのぎに不完全な自分の為の水溜を掘って、
底にかろうじて残った泥水を飲んでしまいます。

一時的に乾きは治まるものの非常に後味が悪く、
しかも前よりももっと乾き、心の中がざらざらとしてきて不安になり、
次から次へと違う水溜を求めて歩き回る事になるのです。








・・・・・(1)「万年雪をたたえる神の山」・・・・

私達が、あざみとおどろが生える荒野を旅する中で、切なる飢え乾きを持って、必死で神を求めて心を掘り下げて行く時、なみなみと豊な水をたたえている『生ける水の川』に出会う事が出来るのです。

その川は、万年雪をいただく雄大な山脈から流れ出て来る雪解け水で決して枯れる事がなく、その水は清らかで冷たく、ひからびたのどを、渇き切った心の隅々までを潤す、新しい命を与える水なのです。

神の民は、目を上げると常に白い雪をたたえたレバノン山脈(最高峰ヘルモン山)を見て、元々石灰質で白い山肌の山であった事もあり、決して水に乾く事はないと、安心していました。

その山の頂上は、天の御座を象徴していて、そこには生ける水の川が流れています。旧約時代の神の民も、今を生きている神の民である私たちも、この天にある、決して枯れる事のない水がめを忘れてしまい勝ちです。
 
 718の2
 
★ Jeremiah18:13 ・・・The virgin of Israel has done a very horrible thing.18:14 Will a man leave the snow water of Lebanon,Which comes from the rock of the field?Will the cold flowing waters be forsaken for strange waters? 18:15 "Because My people have forgotten Me,They have burned incense to worthless idols. 

 718の3

今の私たちクリスチャンは、どんなに苦しくても偶像礼拝に走る人はいないと思います。

しかし教会内外で、自分に悪評判が立てられた時、悔しい思いをした時、全てを正しく公平に裁いて下さる神の審判に任せず、神の時を待たず、神ではなく人に自分の言い分を理解してもらって、心を晴らしたいと思う時はないでしょうか?

それが、①天にそびえる万年雪の積もる山脈を忘れて、湧き水の泉である天の神を見限る事であり、

②その天からの冷たく美味しく永遠の命をもたらす水路が絶たれたとし、自分で自分の周りから泥水を汲み上げて飲む行為です。



 

 
 
 





・・・・・(2)「エジプトに頼る神の民」・・・・

このような神の民の思いと言動を「肉」と言い、「エジプトに頼る偶像礼拝」と、神様は認識してきました。

せっかく、数百年をかけて「サタンの支配する王国」から神の民を脱出させ、至聖所を象徴するカナンの地に導きいれたのに、神の民は絶えずエジプトを慕っていました。

イザヤやエレミヤなどの神の預言者たちは、神からの最も大きなメッセージ「神に頼れ!エジプトを求めるな!」を民達に告げていました。

しかし、神の民も、ともすると今の私たちも、人間の肉の力を先ず求めてしまいがちです。

 718の4

★ Isaiah 31:1 Woe to those who go down to Egypt for help,And rely on horses,Who trust in chariots because they are many,And in horsemen because they are very strong,But who do not look to the Holy One of Israel,Nor seek the Lord!

31:3 Now the Egyptians are men, and not God;And their horses are flesh, and not spirit.When the Lord stretches out His hand,Both he who helps will fall,And he who is helped will fall down;They all will perish together.


 718の5
 
預言者イザヤが取り次いだ神からの言葉は大変に厳しいものでした。神ではなく人(エジプトの富や軍隊)に頼る者も、神にではなく肉に頼る者を助ける側の者も、みな共に滅びると・・・・。

エジプトに帰りたがっている民に、「エジプトに帰るな!」との預言を語り続けたものの、共にエジプトに連れて行かれてエジプトで死んだとされる「涙の預言者エレミヤ」も、神の言葉を、これからの真の出エジプトが決行される時代に生きる私たちに伝えています。

★エレミヤ Jeremiah 17:5 主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。 17:6 そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。

私達は、どう生きるべきでしょうか?







 




・・・・・(3)「天から流れて来る生ける水を求めて生きる」・・・・・

私たちの心の奥底は「霊」の所です。私たちはひたすら、自分の心の奥底(霊)に、高き天の御座から流れて来る命の水の川を求めて生きるべきです。

★マタイ Matthew 6:33「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」
★黙示録 Revelation 22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、22:2 都の大通りの中央を流れていた。


718の17
 

私たちの心には、多くの肉の計画があり、頑固な思いがあり、肉と肉の結集に頼りたい思いがありますが・・・、聖霊の導きにより、祈りつつ、賛美しつつ、御言葉を黙想しつつ、天から流れて来る命の川の水脈にまで、心を掘り下げて行きましょう。

718の10

この湧き水は、イエス様が十字架で開いて下さいました。私たちは裂かれた岩から流れて来る岩清水を飲むのです。

イエス様の腹から流れて来る水は、私たちの心の底(腹)から湧き出て来るのです。

 718の15
 

★エレミヤ  Jeremiah 17:7 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。 

6の6の2
 








 エンディング

718の12

★ヨハネ John 4:13 「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちでとなり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」


Fill my cup, Lord


1
Like the woman at the well, I was seeking
For things that could not satisfy.
And then I heard my Savior speaking—
“Draw from My well that never shall run dry.”
Fill my cup, Lord;
I lift it up Lord;
Come and quench this thirsting of my soul.
Bread of Heaven, feed me till I want no more.
Fill my cup, fill it up and make me whole.

2
There are millions in this world who are seeking
For pleasures earthly goods afford.
But none can match the wondrous treasure
That I find in Jesus Christ my Lord.

3
So my brother if the things that this world gives you
Leave hungers that won’t pass away,
My blessed Lord will come and save you
If you kneel to Him and humbly pray—


心から天よりの水を求める賛美礼拝です


:
オルガン伴奏
 

※この賛美の日本語の歌詞「井戸端の女のように」を探しています。


3ライン 









 ★花のライン17休憩

2014年7月25日(金)コチラに続きます。
「私たちの素晴らしき器」についてです。


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究極の賛美(4)賛美と、正反対になる言動①「不平・不満」


1★十字架のライン
 

ライン15
 賛美と、正反対になる言動①「不平・不満」 


韓国のC牧師は言いました。

「私たちが神に対して不平・不満を言う時、
それはサタンを賛美している事になる」と。


私たちは、真の礼拝者となる為に創造されたのに、

また御父と御子が真心からの礼拝で喜ぶ為に、
大きな「十字架の艱難」と言うリスクを覚悟してまで、
我々に「自由意志」を与えたのに、

私たちが不平・不満をならすのならば、
「サタンよ、あなたは私たちを不幸にする力がある」と、
ほめたたえる結果となります。

逆に、心にある不平・不満・絶望を語るのなら
全てを善きにして下さる全知全能の神をのろい、
神の御言葉を信じるに足りないと決め付け、
「あなたには私を幸福にする力がない。
聖書の御言葉は真実ではない。」
と不信仰告白をしている事になります。

イエス様の十字架の贖いによって救われた私たちであっても、
天を仰いで感謝と賛美を捧げる時もあれば、
心に不平不満を抱き、唇は、つい嘆いてしまう時があります。

しかしそれは、私たちが思う以上に罪深い事です。

★ヤコブ James 3:9 私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、
同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。
3:10 賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。
私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません


※ピリピ Philippians  4:6 何も思い煩わないで
あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます


私たちの心の中に、神の賢い知恵ではなく、
傲慢で愚かな知恵が満ちているのは、
エデンの園でアダムとエバが
「善悪を知る知識の実」を食べた結果です。

※今の時代にあっても、私たちは自由意志をもって
この「善悪を知る知識の実」を食べてしまいます。
今は特に「善の実」が問題です。


711の0

この実を食べて神の命令に背いた結果、
アダムとエバの心の奥底にあった神の霊が死に
私たち人類の心の中に、神より自分の方が偉いとする
「自分が善悪を判断する」と言うサタンの傲慢が芽生え
その結果、人類はやがて朽ちて死んでしまう肉体を着ました。

そして、サタンの支配する地へと、人類は降ろされました。


 




・・・・・(1)新しい霊・新しい衣・・・・

しかし、私たちを愛する神は、私たちの為にたった一つしかない贖いの方法「十字架」を決行して下さり、

私たちの心の奥底にある「霊」の所に、神の霊「聖霊」を注ぎ、死んで土に帰る私たちの体に変えて、「輝く神の永遠の命」で霊魂を包んで下さいました。

悔い改めて十字架により救われた私たちの内側には、心にキリストの知恵と知識の宝を詰め込まれ、

★コロサイ  Colossians  2:3 このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

 744の1

外側は、キリスト(の幕屋)を着る者として下さいました。私たちはもう,、内側からも、外側からも新しく生まれ変わった者です。

★コロサイ Colossians  3:9・・・あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。

ですから、クリスチャンは皆、新しい人として、その外側のキリストに相応しく、そしてまた、心の奥底に宿られているキリストに相応しく歩んでいるべきです。

そして、自分の肉の思いで良しとするどこまでも自分本位で小さな愛ではなく、キリストの真の愛から出る思いで天の父と人々を愛し、良い行いをもって生きて行きましょう。

★ヤコブ James 3:13 あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを良い生き方によって示しなさい。  

真の神を知る私たちの正しさと善行が、パリサイ人や律法学者に、ましてやこの世の人々の正しさと善行に、劣る事が決してあってはなりません。私たちクリスチャンに対するイエス様からの命令です。

★マタイ Matthew 5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。
 

 
 
 



・・・・・(2)サタンの支配する地(荒野)にあって・・・・

私たち神を信じる者も信じない者をも、わざわざサタンの支配する呪われた荒野の降ろされ、体は死んで土に帰る空しい存在とされました。

★創世記 Genesis 3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。 3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」

エデンの園の神の庭で、「聖かったけれど幼いアダムとエバ」が、神の御言葉の真実を試練の中で見出し、天の御国に「聖く、しみもしわもなく、大人となって帰ってこさせる」目的があったからです。

イエス様が、この地に降りて来て、どのようにサタンからの肉の思いを滅ぼし、天にまで帰って来るかを、「十字架の道」によって示しました。

 Animated jesus

★ルカ Luke  9:23 イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。9:24 自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

サタンによって心の中に埋め込まれたDNA「善悪を知る木の実の種」は、「肉の思い」です。サタンの手下悪霊が、日々送り込む「自分の判断が神よりも優れていると考える肉の思い」を、日々十字架に付けて死なせなければなりません。

それがレムナント(真の弟子・聖い花嫁・御父の心をとりなす祭司)の辿るべき、十字架の道です。

★Ⅰコリント 1 Corinthians 15:31 兄弟たち。私(使徒パウロ)にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。

これが、私たちがサタンの支配する荒野で持つべき「真の礼拝」であり、イエス様がその生涯と十字架上で、私たちに示して下さいました。

★ ローマ  Romans 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
 




 

 
 
 


・・・・・(3)天をみつめて「賛美のいけにえ」を捧げる礼拝・・・・

そうして、その礼拝に於いて、この世にあっては苦しみがあり、絶望があり、不平があり、不満があっても・・・・、天での報いはこの世で王として宮殿で生きるよりも素晴らしいと確信したモーセのように・・・、

★ヘブル  Hebrews 11:24 信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、 11:25 はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。 11:26 彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。

アブラハムは、聖書の最後、黙示録21章、22章に約束されている「天の新しい都」を、聖書の最初の創世記の中で確信していました。信仰によって天と天で与えられる破格に素晴らしい祝福を待ち望んでいたのです。

 kataki.jpg


★ ヘブルHebrews  11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

私たちも、モーセのように、アブラハムのように、聖書に出て来る、試練や苦難や患難の中で信仰を守り通した信仰の先輩に見習って、桁外れに大きな十字架の患難を耐え忍んで下さって栄光を受けたイエス様を見習って、キリストの栄光の中で輝く日を夢見て、生きて行きましょう。

★コロサイ Colossians  3:1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。:2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。3:3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。3:4 私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。

私たちは今、まだ体の殉教を捧げる時ではありません。しかし、心(魂)を一粒の麦として砕いて神の御前に捧げましょう。この世の人々と同じ価値観からすれば「敗北に見える十字架に代表される試練」の中で、その「世と同じ価値観である麦」をいけにえとして、賛美のいけにえを捧げましょう。

★ヘブル  Hebrews 13:14 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。 13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。 13:16 善を行なうことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。

私たち主にあっての兄弟姉妹が、この世にあって共に集まり、強き信仰者、ガラテヤ2:20の「キリストの身丈」に達した成人の礼拝者として、共に「賛美のいけにえ」、「御名を称える唇の果実」をお捧げしましょう。

★詩篇  Psalms 35:1「私は大きな会衆の中で、あなたに感謝し、強い人々の間で、あなたを賛美します。」

決してサタンに騙されて、この世の常識で見た「不平・不満・不信仰・絶望・・・」を告白してサタンを喜ばせ、神様を悲しませる事のないように、神と、神の御言葉への信仰に立ちましょう。私たちの神は、ほめたたえるに相応しい神です。

★詩篇 Psalms 145:7 人々はあなたの豊かないつくしみの思い出を熱心に語り、あなたの義を高らかに歌うでしょう。 145:8 主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。 145:9 主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。 145:10 主よ。あなたの造られたすべてのものは、あなたに感謝し、あなたの聖徒はあなたをほめたたえます

 

 
 





エンディング

一緒にさんびしましょう!!!


なんと素晴らしい あなたの愛は
雲より高く 天より高く

ほめよ イエスを あがめよ イエスを
この命にまさる 主の愛は


3ライン 







 ★花のライン17休憩

2014年4月18日(金)コチラに続きます。
賛美と正反対になる言動②「空しい井戸を掘る」



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究極の賛美(3)「神の与えた自由意志と賛美の関係」


1★十字架のライン
 

ライン15
「神の与えた自由意志と賛美の関係」 

先週と先々週で、①「全ての被造物と神の民が捧げる賛美礼拝」コチラと、②「キリストの高き身丈に迫った信仰者の捧げる高きレベルの賛美礼拝」コチラの二種類の賛美礼拝がある事を学びました。

天の父の最大の喜びは何でしょうか?

その一つは間違いなく、①「全ての被造物と神の民が捧げる賛美礼拝」です。

下記のイラストの右側、「救いの門」をくぐり、イエス様を救い主として信じた「主の山を登り始めたばかり人」も含めた全ての神の民と、天の聖なる生き物や御使いたち、そして霊はないけれども全ての動物等の被造物による宇宙最大の賛美礼拝です。

 74の2

しかし、最も天の父の霊魂が喜びで輝く時は、私たち信仰者の中に聖霊として宿った霊による②「キリストの高き身丈に迫った信仰者の捧げる高きレベルの賛美礼拝」です。

上記のイラストの左側、キリストの身丈に至って成長し、主の山の頂上で、腹の底から賛美を捧げる信仰者です。先週の十四万四千人の、御座にいる神と長老と生き物以外には誰も理解できない気高い賛美を捧げた人たちの賛美で、個人(の集合)の賛美の最高峰です。

※この個人の賛美の最高峰については、山の頂上の主の花嫁の招集に関しては、コチラをも是非ご覧下さい。


 

 
 
 



・・・・・(1)神の与えた自由意志と賛美の関係・・・・

この二種類の素晴らしい賛美を受ける事を最高の喜びとする、天地万物を創造された神は、その為に大きなリスクを覚悟して、全ての被造物に自由意志を与えました。

人を作り、その心の奥底までを知り得る神は、ロボットのように義務だから真心も入れずに行う表面的な礼拝を見て、満足なさるような鈍感なお方ではありません。

礼拝者が神を中心から愛し、何にも優って神との交わりを求める、火のように燃え上がる礼拝の時を持つ為に、自由意志を与えました。

しかし、エデンの園で生まれたアダムとエバは罪を犯して地に降ろされ、そこで生まれた人類は、その自由意志で罪や汚れに走って自分の欲望を満たし・・・、神を愛し、敬い、感謝し、真心からの礼拝を捧げる人間は殆どいませんでした。

 74の4

そこで神は怒り、人を造った事を後悔し、全ての造られたものをこの地上から消し去ろうとされました。

★創世記 Genesis 6:5 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。6:6 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。 6:7 そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」

 74の3

そこで神は、神の心にかなうノアを選び、大洪水で全ての生き物を消し去る計画を告げ、方舟を作ってその中に入るように命じられました。

 74の7

ノアとノアの家族の計八人、そして全ての動物を一つがいと、聖い動物七つがいとが、方舟に入った時に大洪水が始まり、地球は完全に水に覆われてしまいました。

水が引いた時、方舟はアララテ山の山頂に着き、そこでノアの一家と動物達は、天の御座で再臨後に行われる神の民と全ての被造物による賛美礼拝を象徴的に行いました。

 523の6

神はそこで、「虹の契約」・・・どんなに人が罪・汚れを犯しても、これからは決して水で全ての生き物を消し去る事はないと、約束の言葉を語られました。

神は、私たち人間の心までも造られた方です。

その行動の動機までをも見通されているお方が、この時から今に至るまで・・・・、創造主を知らない人々の偶像礼拝も、また御言葉を信じている人々であってもおざなりな表面的礼拝をも、この世を一番に思って神と神の国とを第一に求めない信仰者や、人間の作り出した律法の細目に守る事で自己を義としているパリサイ人のような信仰生活をも見て、「皆、すぐにでも滅ぼしてしまいたい!」激情をずっと忍耐されておられるのです。

私たち神の民と、全被造物との礼拝を持つ素晴らしい日を夢見て!!!






・・・・・(2)イエス様の贖いは誰のため?・・・・

その切なる御父の夢をかなえようとされたのが、御子イエス様でした。

イエス様は、愛する父が地上を見下ろし、放蕩息子のように自分の道をさ迷って罪の道にどんどん進んで行く様を見ては悲しみ、悔い改めて戻ってくる息子・娘を喜んでいる姿を御使いと共に天国で見ていて、父の為に人々の罪を贖って神の民とし、礼拝者としようと十字架にかかって下さいました。

※永遠から永遠の中で、時を超越して生きている三位一体の神は、天地創造の前から、自由意志を与える事、罪を犯すであろう事、罪のない神しかそれを贖う事はできない事は把握しておられたと、私;福田は推測しています。

 31一粒の麦キリスト
 
黙示録五章の御座の前での礼拝では、下記の新しい歌が歌われています。御子イエス様は、天の父の為に、私たちの罪を贖って神の民とされる為に十字架を選択したのだとの歌詞を、聖なる四つの生き物と、二十四人の長老が賛美しています。

 ★小羊の御座s

★黙示録 Revelation 5:9「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、 5:10 私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」

ここにも、全ての被造物物による賛美礼拝の「あらゆる部族や国語の神の民」の存在と、神に特別に喜ばれるキリストの身丈までに成長している「祭司」の存在がはっきりと記されています。

キリストの身丈に成長していて、その賛美が特別に喜ばれる信仰者は、ある時は旧約の「神の僕」であり、「十四万四千人」であり、ある時は「しみもしわもない聖なる花嫁」であり、自分の魂の命を捨てて、自分の十字架を負ってイエス様の跡にだけ従う「真の弟子」であり、御父を愛して父の御心を祈る「忠実な祭司」です。

 1108の18

総称して「レムナント(残りの民)」と言い、その定義は次の御言葉です。

★イザヤ Isaiah  10:20 その日になると、イスラエルの残りの者、ヤコブの家ののがれた者は、もう再び、自分を打つ者にたよらず、イスラエルの聖なる方、主に、まことをもって、たよる。 10:21 残りの者、ヤコブの残りの者は、力ある神に立ち返る。 10:22 たとい、あなたの民イスラエルが海辺の砂のようであっても、その中の残りの者だけが立ち返る。

創世記以来、神は海の砂のように、空の星のように神の民が増えても、「主と主の言葉だけに信頼する、キリストの心を持つ者」をずっと残して来ました。

アダムの息子二人のうちアベルを、エノクを、ノアを、アブラハムを、イサクを、ヤコブを、ヨセフを、モーセを、ダビデを、ダニエルを・・・、新約時代でも、マルタとマリヤ姉妹のうち、マリヤの中に「主と主の言葉に頼る心」を残してきました。

虫けらのように小さく罪に汚れ、弱く無価値な私たちを愛して下さり、その霊の交わりを最上の喜びとして、十字架の大艱難を決行して下さった御父と御子に感謝し、私たちも自分からレムナントとして生きる献身を決断しましょう。





 


・・・・・(3)私たちの賛美は?・・・・

私たちもまた、世界中に多くのクリスチャンが存在する中で、どんな時にも「主と主の言葉」にだけ信頼を置く、真の信仰者と成長し、天の父の喜びとなり、人生を通して心の底からの賛美を捧げましょう。

イエス様は、御父を喜ばせたいが為に、十字架で殉教なさいました。そして、私たちレムナント候補に向かって・・・・最も大切な命令をしました。

★マタイ Matthew 7:13 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

★ルカ Luke  9:23 イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。9:24 自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。
★ルカ Luke 14:27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません

★ヨハネ John 12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。 12:25 自分の(魂の)いのちを愛する者はそれを失い、この世でその(魂の)いのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。


私たちは、父を喜ばせたいと願って、十字架で死んで下さったイエス様を見習い、そのイエス様の身幅だけの十字架の細く真直ぐな道を、生きている限り、ずっと付いてゆきましょう。

★黙示録14:3 彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く

聖書の中には、たくさんの薦めと良い報いと悪い報いが記されており、全てが真実です。

しかし、私たちはイエス様が弟子達に命じた上記の三つの「十字架の道」の御言葉を尊重しなければ、意味がありません。旧約聖書マラキ書には、十一献金の薦めがあり、その約束は真実です。

★マラキ Malachi  3:10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。 3:11 わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。――万軍の主は仰せられる。――


人間にとって、この世での生活で経済が守られる事は最も切なる願いです。その経済の面に於いて、十一献金が信仰者の生涯の経済(必要以上の贅沢ではなく、満ち足りて欠ける事のない生活)が保証され、天に於いて豊かな報いも受けます。

しかし、私たちが神様が御言葉を守る時に与えられる豊かな報いを経済面で体験的に知ってこそ、最も大切な御言葉を守るようにとのメッセージが隠されている事に気づかなければなりません。

イエス様こそ、永遠から永遠の中で、最も何が素晴らしい永遠での報いを受けるかをよく知っておられたので、「十字架の道、魂と体の殉教」を、愛する弟子である私たちに勧めているのです。

どうかパリサイ人のように、自分の基準での善行に満足して傲慢にならず・・・、日々肉の思いを十字架に付けて魂の殉教を遂げ、弟子の道を歩み続けてイエス様の謙遜の身丈に達し、最も神の御座の近くまで高く引き上げられて、最上の賛美を主に捧げる私たちとなりますように・・・・。



 
 


エンディング

御父と御子は、私たちの捧げる真の賛美礼拝を最上の喜びとし、その為に自由意志を与えたがために、十字架と言うリスクを負ってくださいました。

御座の前の礼拝では、その十字架を背負って下さった御子と、その一人息子の苦しみを見ているほうがよほど辛いのを忍耐し、決断して下さった御とに、神の民、御使い、聖なる生き物、全ての被造物が賛美を捧げます。

★黙示録 Revelation 5:11 また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。5:12 彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」 5:13 また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」 5:14 また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれ伏して拝んだ。

私たちは天の御座を取り囲んで、十字架への感謝と復活の勝利、その二つによって輝きを増した栄光を褒め称える以外の賛美を歌う事はあり得ません。ですから、今の世にあっても、御父と御子の十字架の忍耐への感謝、神の輝かしい栄光を、常に賛美の中心としましょう。


レムナントの賛美「望みはただ主の 血と義にあるのみ」(旧聖歌236番)
 

1.のぞみはただ主の 血と義にあるのみ
いかでか他のもの 頼りとなすべき

(*折り返し)イエスこそ岩なれ
堅固なる岩なれ、ほかは砂地なり

2.みかおを見ぬ日も めぐみの手はあり
なみかぜなにかは いかりのあるみに。(*)

3.みちかいたのめば 大水もおそれじ、
ものみなき消ゆとも のぞみは主にあり (*)

4.ラッパの音ひびく日 義のきぬまといて
おそれずみまえに この身は立つをえん (*)



★詩篇 Psalms
62:5 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む
私の望みは神から来るからだ。
62:6 神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。
私はゆるがされることはない。
62:7 私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。
私の力の岩と避け所は、神のうちにある。
62:8 民よ。どんなときにも、神に信頼せよ
あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神は、われらの避け所である




※聖書の中で、常に主の山の頂上は岩場であり、そこは至聖所です。

十字架上の「キリストの幕屋」から見る時、
イエス様の頭部には岩のように硬い「契約の箱」があり、
その蓋の隙間から、天からの栄光が差し込んで来ます。

私たち生ける宮は、心が聖所であり、霊の所が至聖所であって、
その真ん中には象徴的に「契約の箱」である「キリストの岩」があります。

その蓋の、二体のケルビムの隙間から、
天の御座の下から流れ出る「命の水の川」が流れて来ます。
その冷たく、美味しい、飲むと永遠に生きる命の水を、
私たちは、自分の砕かれ裂かれた魂を管として
この世に流して行くのです。

74の5


3ライン 










 ★花のライン17休憩

2014年7月11日(金)コチラに続きます。
賛美と、正反対になる言動①「不平・不満」についてです。


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