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2014年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年09月

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究極の賛美(12) 「生ける宮完成の重要性」



ただ今、当ブログはトラブル修理中です。

今月中に修理ができない時には、10月4日(金)から、
何らかの新しい方法でメッセージを続けたいと思います。

ちょうど今、大切なメッセージをお伝えしていますので
今月中は、「生ける宮完成」に留まっていたいと思います。

イエス様の完成された「生ける宮」を、イスラエルの救いの為に
異邦人の教会である 私たち一人一人が完成されて行くべきです。

★ローマ Romans  11:25
兄弟たち。私はあなたがたに、
ぜひこの奥義を知っていていただきたい。
・・・その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは
異邦人の完成のなる時までであり、
11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。


ですから今、イスラエルの平和の為に祈るだけでなく、
私たち一人一人が、キリストの身丈へと完成されているべきです。

イスラエルが第三神殿建設を完成しようとしている時
私たち異邦人は、彼ら以上の使命感を持って
生ける神殿を完成させる事に努めなければなりません。

身丈に至る事とは、心の中に進入して来るサタンからの
肉の思いに、霊的戦いをして勝利する事です。

体の殉教は一生に一度ですが、心の殉教は毎日、
毎時間、毎秒・・・です。

イエス様は、クリスマスの夜
天から神のパンとして降って来てくださり、
十字架上で全身、全魂、全霊を裂いて
私たちを永遠に生かす為のパンとなって下さいました。

私たちはせめて、十字架の犠牲に感謝して
心(魂)を毎日裂いてサタンに勝利
天の父を喜んでいただきましょう。

 621の12

それでこそ、キリストの身丈に至る(主の山の頂上)に達するのです。

 530の1

日々心の殉教(垂幕を裂く)しなければ、
キリストの身丈に至りません。
最高の栄誉を得る為の、勝利はありません。

心の垂幕を裂く事が、体の殉教と同じく
勝利者となる事です。

黙示録の七つの教会へのイエス様の言葉にあるように
信仰者が勝利してレムナント(聖い花嫁・真の弟子・御心を祈る祭司)
となる時、天の父が喜んで下さり、リバイバルの道が開かれ
イエス様の再臨の時が訪れるのです。

第三神殿の建立は必ず起こる事ですが、
その時に、私たちの中に「生ける神殿」が
確立していなければなりません。

それは私たちが心の殉教を覚悟する献身を
表明する時、聖霊が臨んで仕上げて下さるのです。

このブログをお読みの皆様、星の数ほど、
海辺の砂の数ほどに多く生まれたクリスチャンの中で
是非、一握りの残された民(レムナント)となる決心を
していただきたいと思います。


これらは、イエス様の十字架を「キリストの幕屋」として見る事なしに
その奥義を知る事はできないのです。

是非、その重要な意味を知って、生ける宮となる献身を
主の御前にして下さいますように、伏してお願いいたします。

九月中は、下記の二つのメッセージをお読み下さい。
聖霊様が、あなたを「心の割礼(殉教)」へと導いて下さいますように
祈りつつ・・・・・・。






「生ける宮」のメッセージ一回目はコチラから

「私たち教会の賛美と、イスラエルの救い」 825の2





 「生ける宮」のメッセージ二回目はコチラから 

「今、完成されるべき神殿」 

829の0

 
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究極の賛美(10)「私たち教会の賛美と、イスラエルの救い」


1★十字架のライン
 

ライン15
「私たち教会の賛美と、イスラエルの救い」

イスラエルとハマスの紛争で、双方に庶民や子供たちに犠牲が出て
それを見るイスラエルの平和のために祈る私たちは当惑しています。

★詩篇 Psalms 122:6 エルサレムの平和のために祈れ

イスラエルが、ハマス以上に攻め込んでいる印象があり
世界各国から反発を買っているからです。

 825の0
記事はコチラから

この批判は、イスラエルに向けられているようであって
実は私たち異邦人の教会がユダヤ人の救いの為に
まだ真剣に祈っていないので私たちが批判されるべきであり、、
御心に添った行動を起こしていない事に原因があります。

★ローマ Romans  11:25
兄弟たち。私はあなたがたに、
ぜひこの奥義を知っていていただきたい。
・・・その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは
異邦人の完成のなる時までであり、
11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。


私たち異邦人が、キリストの教会を完成させていない事が
本来、神ご自身が守り戦うべき戦いに於いて
イスラエルが肉の力で戦ってしまっているからなのです。

★ゼカリア Zechariah 12:3 その日、わたしはエルサレムを、
すべての国々の民にとって重い石とする。
すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける
地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。


しかし今、イスラエルも我々クリスチャンも
エルサレムに戦いを挑む悪の勢力を
主ご自身が、戦って下さる事を確信していません。

★ゼカリヤ Zechariah  12:8
その日、主は、エルサレムの住民をかばわれる
その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、
ダビデの家は神のようになり、
彼らの先頭に立つ主の使いのようになる。
12:9 その日、わたしは、
エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう



日本人牧師N先生はこう語りました。
イスラエルの国が、イエス様の教え、
「自分の敵を愛し、右の頬を打たれたら
左の頬を差し出す心に至っていなければ
イエス様の再臨の時は来ない」と。

★マタイ Matthew 5:38
目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、
あなたがたは聞いています。
 

今、旧約聖書の教えを尊ぶイスラエルも周辺諸国も
復習の限度を教えた「出21:24,レビ24:20の教え」に
反しています。

イエス様は、無抵抗を命じて
全ての裁きと報復を人間でするのではなく
全知全能の神の正しい裁きと報いに任せるように
教えています。

★ローマ Romans 12:17
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、
すべての人が良いと思うことを図りなさい。
12:18 あなたがたは、自分に関する限り、
すべての人と平和を保ちなさい。

12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。
神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。
「復讐はわたしのすることである。
わたしが報いをする、と主は言われる。」


※この部分は旧約聖書からです。
☆申命記32:35 復讐と報いとは、わたしのもの
それは、彼らの足がよろめくときのため。
彼らのわざわいの日は近く
来るべきことが、すみやかに来るからだ。
☆箴言20:22 「悪に報いてやろう。」と言ってはならない
主を待ち望めがあなたを救われる。


★ローマ Romans12:20
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。
渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、
あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
12:21 悪に負けてはいけません
かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。 



そして、イエス様は言われました。

★マタイ Matthew
5:39 しかし、わたしはあなたがたに言います。
悪い者に手向かってはいけません
あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。
・・・ 5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、
あなたがたは聞いています。
5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい
5:45 それでこそ、天におられる
あなたがたの父の子どもgfになれるのです。 


しかし、激しい紛争の中で、イスラエルの国が
このようなイエス様の愛の心になる事は可能でしょうか?

その鍵は、異邦人の私たちクリスチャンの毎日にあります。

私たち教会が、毎日の生活の中で心
右の頬を打たれたなら左の頬を差し出し
全ての裁きと報いを主に委ね
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈り
キリストの香りを放ち
父の愛で人々を愛し仕えるのなら・・・

イスラエルが肉の武器で復讐をせず
裁きと報いを神に委ね、憎しみに変えて
キリストの無償の愛で敵を愛すように
変えられて行くのです。

私たち異邦人の教会の一人一人が
心の中の憎しみに毎日打ち勝つのであれば・・・

 

 
 
 




・・・・・(1)「心の中がサタンとの戦場」・・・

今イスラエルは軍事力を用いて戦っていますがサタンとの戦いに於いて肉を相手に肉で戦わず、神の力で戦う事はできるでしょうか?
★Ⅱコリント 2 Corinthians 10:3 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。10:4 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。

聖書は、新旧訳全体を通して、私たちのサタンとの戦いに関して、肉対肉の戦いでない事を教えています。

イエス様も、一連の十字架の出来事に於いて、肉対肉の戦いをせず、肉の願いを滅ぼす事によって、霊的に勝利されました。

イスラエルの人々がこの肉対肉の戦いに生きるのではなく、霊の戦いに於いてサタンに勝利する為に、先ずは私たちが、サタンとの戦いに於いて「霊的戦い」をしなければなりません。

私たちの「霊・魂(心)・体」は、イエス様の十字架の三日間で「神殿(宮・教会・・)とされました。

 52の11

そして、私たちの生ける宮は、イエス様の生涯に相当し、驚くことに出エジプトの歴史と対応しています。

特に出エジプトの歴史の中で、私たちの体は「救いである小羊の贖いと、洗礼である紅海」に対応し、私たちの心(魂)は「試練と訓練の荒野」に相応し、私たちの至聖所である霊は、「カナンの地である天国」に相応しています。

 825の3

救いの段階に於ける、十字架(小羊)の血と死の贖いも、礼拝の民として確立される洗礼(紅海)に於いても、サタンとの戦いは神が全てをなされ、人間は何もできません。

★出エジプト14:13 モーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。14:14 主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」

しかし私たちの心(魂)に相応する、礼拝の民としてこの世を歩む出エジプトの荒野時代に於いては、悪霊を象徴するアメレク人に侵攻され、この敵と祈りつつ戦いました。

私たちの戦いは、心の中に進入して来る悪霊との戦いで、御言葉により、信仰により、祈りによって勝利して行きます。私たち信仰者のサタンとの戦いの戦場は心です。

私たちは、心にサタン・悪霊にもたらされた悪い感情(怒り・絶望・不安・不満・絶望・傲慢・・・」がないかを良く見張り、見つけたらすぐさまその思いを断ち切り、御言葉に立ち、モーセのように天に向かって祈りの手をあげて、打ち勝って行く事が重要です。

 825の2

私たち異邦人のクリスチャンが、このような荒野でのサタンに勝利する生活を送る時、イスラエルの人々がイエス様の御言葉に従った「真の戦い」をし、勝利する道が開かれます。 










・・・・・(2)私たち教会のサタンに対する「霊的武装」・・・・

サタンは今、このように最も力がある天の父の御力が発揮できないように、肉を相手に、肉の力である武力によって戦わせています。イスラエルはハマスのイスラエルへの戦略よりも、サタンのイスラエルへの「血肉による戦いをさせる」戦略を見破るべきです。

★エペソ Ephesians  6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。 6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。 6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

私たち異邦人の教会もまだ、今の段階ではラオデキヤ教会状態で、生ぬるくこの世を楽しんでいますし、日常生活に於いて、教会生活に於いて、まだまだ血肉の戦いをしています。この世はサタンの支配する王国であり、私たちはその奴隷状態にあり、今イエス様が再臨されて迎えに来られる最も緊迫した時期です。

★黙示録 Revelation  12:12 「・・・自分の時の短いことを知り、激しく怒って・・・」

私たちは敵なるサタンに騙されて、今までの六千年の歴史の中で、最も激しいサタンとの戦いの中にりう事を、ぼかされています。私たちは軍事力を使う程には大きくないものの、日常茶飯事の不愉快や揉め事の中で、霊的戦いをしてはいません。私たち教会はこの最大の霊的戦いのただ中で、心に進入して来る悪しき思いに対して、完全武装しましょう。

★エペソ Ephesians 6:14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当て 着け、 6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。 6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。 6:17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことば を受け取りなさい。 6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。 

 825の1
 
この私たちが使用するべき武具には、私たちの日常で起こる心の中の小さな不愉快・不満・憎しみ・自己実現欲・世に付くものを第一に求める心・・・などに対する武具として、つぶやき・悪口・陰口・し返し・無視・仲間はずれ・冷ややかな言動・・・などの武具は出てきません。

★出エジプト Exodus  20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

★箴言250gossip2

たとえ真実であっても、愛のないうわさ話をしてはならず、全ての無駄口は神の御前でさばかれてしまいます。もう時が迫っていますので、私たちは徳を高める言葉だけしか語る時間的猶予がありません。

★エペソ Ephesians 4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。 4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。 4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。 4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい

私たちは今の重要な時、これらの御言葉によって自分の心を見張りましょう。

 825の6

イエス様を信じる私たちこそが、このような小さいサタンとの戦いに、日々御言葉通りに生きて勝利してこそ、イスラエルの国が、新旧約聖書全巻の御言葉に従って、サタンに勝利する事となり、イエス様の再臨への道が開かれるのです。

★ローマ Romans  11:25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。・・・その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。

 

 
 


エンディング 


「賛美の力で打ち勝つ」

私たちはイエス様を見習って
サタンに勝利して天国に帰りたいと
願っています。

日々心の中に浮かぶ不愉快な感情に
勝利したいと願っています。

しかし、なかなか心が天からの喜びで
満たされない時は・・・・、

心からの賛美を捧げましょう。
その賛美の中に聖霊様が現れるからです。


★詩篇 Psalms 22:3あなたは聖であられ、
イスラエルの賛美を住まいとしておられます。


「たたえよ救い主イエスを」


「子羊イエスよ」



3ライン 



 ★花のライン17休憩


2014年9月1日(金)コチラに続きます。
今完成すべき「神殿」についてです。

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究極の賛美(9)神に捧げる唇の果実③「悪の実」

1★十字架のライン
 



ライン15
神に捧げる唇の果実③「悪の実」 

★命の木の実(御霊の実)★
★ガラテヤ Galatians  5:22 御霊の実は、愛、喜び、平安、
寛容、親切、善意、誠実、5:23 柔和、自制です。
 

 二つの実

★善悪を知る木の実(肉の思い行い)★
★ガラテヤ Galatians 5:19 肉の行ない
明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、
分裂、分派、 5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。



先週の「命の木の実」である「御霊の実」は
愛や喜びや平安が、この世からのものではなく
天の命の水の川から来るものでなければ
良いように見えて、本物ではない事を学びました。

今週は、「善悪の知識の木」になる「肉の実」でも
「善の実」と「悪の実」の二種類あって、見分け難いし
その処置によっては「賛美のいけにえ」と変わる事を
学んで行きたいと思います。
 
 





・・・・・(1)善悪の知識の木の「(あく)の実」・・・・


 815の1

善悪の「悪の実」は見分け方が簡単です。この心にある思いが行いに外に現れたら、誰が見ても悪です。

この世の常識や、一般人の良心や道徳心、悪である事は誰の目にも明白です。クリスチャンであっても、世の人であっても、子供でも老人でも、避けるべきはこの明白な悪の行いです。場合によっては法律に照らし合わせて、犯罪にまでなる場合もあります。思いの中にあるうちに排除すべき悪です。

 
 
 







・・・・・(2)善悪の知識の木の「(ぜん)の実」・・・・

しかし、一般の人にとっても、クリスチャンにとっても一見善に見える悪があります。

 815の2

それは、表面は美しく、白くても、白く塗られた墓のように、中は汚れたものが詰まっている状態で、偽善とも言います。

またイエス様が指摘した、体の姦淫はもちろんの事、心の姦淫も罪であると言う意味の悪です。表面は友好的であっても、心に憎しみがあっては、イエス様の目から見たら落第です。

★マタイ Matthew 5:27 『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 5:28 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。

旧約時代は、まだ信仰者の心の奥底に聖霊が宿っていませんでしたから、天地を造られた創造主だけを愛して礼拝をし、盗んだり、殺したりする行動の罪を犯さなければ充分でした。

しかしイエス様が十字架に付けられて生ける宮を完成し、心の奥底である霊の所を至聖所として聖霊が宿るようになった今、聖霊が直接的に、天の高き基準を心に教えるので、聖く生きる事が要求されています。

★エレミヤ  31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ。――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。31:34 そのようにして、人々はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。

イエス様が最も嫌ったのは、表面だけを美しく飾り、その心の内に神に対する真摯な礼拝も、人に対する真の愛もない、当時の宗教界の指導者(パリサイ人・律法学者・祭司・レビ人・サドカイ人・・・)でした。

彼らは、神の御言葉を基準には全く達っしておらず、自分たちの考える表面的な基準だけを守り、その実は天からのものではありませんでした。

自分で考えた善とは、知識の木の実を食べた結果で、知的で良いように見えて邪悪な善でした。神であるイエス様は人間を造られたので、その人の表面だけでなく、心までを、霊までをも見通されるお方です。

★Ⅰサムエル  1 Samuel  16:7 「人はうわべを見るが、主は心を見る。]

 815の3

人目のある所では親切であっても、心に真実の愛がないので、イエス様は「善きサマリヤ人」の話をして、彼らの偽善を指摘しました。(ルカ10:25ー36) パリサイ人のような偽善が、私たちクリスチャン全員の心にもあるからです。

私たちの心の中にある、「善悪の知識の木」の「悪の実」だけでなく、「善の実」も毎日悔い改めて吐き出し、天から来る命の水を飲み、命の木の実である御言葉を食べましょう。

 815の4

しかしイエス様は、私たちに偽善を慎むだけでなく、真の愛からくる良い行いを奨励しています。私たち天から来る愛をいただいている者が、パリサイ人の偽善に劣るような事があったはなりません。

★マタイ Matthew 5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。

ましてや、世の人である異邦人(サマリヤ人)の親切に勝って、愛の人となりましょう。

★エペソ Ephesians  4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。





・・・・・(3)悪の実のなる木の根・・・・

知識の木から来る善の実も、悪の実も、それをずっと手繰り寄せて行ったら、その根は地獄にまで到達してしまいます。

 815の7

善悪を知る木は、サタンの性質そのもので、神の判断よりも、自分の判断のほうが賢い、正しいとする傲慢で、絶えず自分の栄光を輝かせようとします。

被造物であり、罪と汚れに満ち、イエス様の十字架の犠牲によって神の子とされて永遠の命を与えられた私たちは、イエス様の再臨の時に、イエス様の栄光の中で輝きましょう。

★コロサイ Colossians 3:2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。 3:3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます

神にとっても、私たちにとっても忌まわしい悪の実が、それを即座に切り離し、捨て去り、殺し、思いから離れる事によって、サタンに勝利して、栄光の中への準備となります。

★ヘブル Hebrews  4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

この剣はイエス様の口から出ていて私たちが思う以上に鋭いのです。イエス様の目は燃える炎のように私たちを見つめています。私たちはイエス様の真剣な思いを知るべきです。

★黙示録 Revelation 1:14その目は、燃える炎のようであった。・・・ 1:16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった

イエス様は十字架上で肉を裂いて勝利を受けたので、私たちも日々、自分の肉の思いを裂いて、サタンに勝利し、凱旋パレードの列に加わる事となるのです。黙示録二章三章にあるように、勝利を受けた者に対する報いは永遠で、壮大なものです。本当に感謝な事です。
 
 
 





3ライン 

本日の「善悪の知識の実」の真理を理解するのに
下記の素晴らしいメッセージを参考になさって下さい。


メッセージ「弟子道の代価」 李(イ)・ジェフン牧師
2014.8.4アップオンヌリ教会聖日礼拝コチラから
礼拝が始まって35分あたりからメッセージが始まります。

★テキスト箇所★
★ルカ Luk 14:25 さて、大ぜいの群衆が、イ
エスといっしょに歩いていたが、
イエスは彼らのほうに向いて言われた。

14:26 「わたしのもとに来て、
自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、
そのうえ自分のいのちまでも憎まない者
は、
わたしの弟子になることができません

14:27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、
わたしの弟子になることはできません


14:28 塔を築こうとするとき、まずすわって、
完成に十分な金があるかどうか

その費用を計算しない者が、
あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。

14:29 基礎を築いただけで完成できなかったら、
見ていた人はみな彼をあざ笑って、
14:30 『この人は、建て始めはしたものの、
完成できなかった
。』と言うでしょう。

14:31 また、どんな王でも、
ほかの王と戦いを交えようとするときは

二万人を引き連れて向かって来る敵を、
一万人で迎え撃つことができるかどうかを、
まずすわって、
考えずにいられましょうか


14:32 もし見込みがなければ、
敵がまだ遠くに離れている間に、
使者を送って講和を求めるでしょう。

14:33 そういうわけで、あなたがたはだれでも、
自分の財産全部を捨てないでは、
わたしの弟子になることはできません

14:34 ですから、塩は良いものですが、
もしその塩が塩けをなくしたら
何によってそれに味をつけるのでしょうか。
14:35 土地にも肥やしにも役立たず、
外に投げ捨てられてしまいます

聞く耳のある人は聞きなさい。」



李牧師はこの本文から三つの重要な、メッセージを語りました。

イエス様は、多くの群集を求めたのではなく
たった一人でもイエス様だけを愛し従がう
真の弟子の存在を求めた。

イエス様を最も愛すなら
他の全ての人々をより深く愛す事ができる。


家族よりも主を愛した韓国の殉教者と妻の実例
世での命を願う家族に対する殉教者の言葉
殉教死を覚悟して洗礼を受ける北朝鮮の信仰者の実例


③真の弟子に必要なのは「代価
値なし救いを受けた私たちの払うべき「人生に於ける代価」
代価を払わない信仰者は、霊的戦争に勝てず、
信仰の家を立てられない、塩気を失った塩のような人生
偽の信仰を見分ける「苦難の試金石」

(1)建築のたとえ
★エペソ Ephesians 2:20 あなたがたは使徒と預言者という
土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
2:21 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、
主にある聖なる宮となるのであり、
2:22 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、
御霊によって神の御住まいとなるのです。


弟子の完成、神の住まいの完成とは
キリストの土台の上に
信仰から始まって、天からの愛に至るまで
日々、代価の石を積み上げる事です。

★Ⅰペテロ 2 Peter 1:5 こういうわけですから、あなたがたは、
 あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、
1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を
1:7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛にはを加え(積み上げ)なさい。 


捨てるべきものは「感情・憤り・利己心・節制できないもの」です。

(2)戦争のたとえ
信仰は戦いであり霊的戦争である。イエス・キリストの
内にあるのなら時には逆境に遭い、葛藤や対立が生じる。
個人的な力では勝てない。私たちよりも強い国、神の力を求める。

神の力を求めるだけでなく、自分の中にある敵の攻撃目標である
習慣や所有物・・・を捨てるべきものを捨てる。
時には自分の所有物をも捨てて戦うべき。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



約十年前、私;福田が神学校を卒業して、
入間愛の教会に実習に行った時の事です。
フィリピン人礼拝のメッセージで、
イーダ先生(女性)が下記のように語っていました。

「私の友人が、頭の無い巨大ロボットが
列をなして行進する幻を見ました。

これは、現代の教会はまだ主に、キリストの頭がなく、
人間の考えとその結集で教会が運営されている」
と仰いました。

 815の5

私たち信仰者個人の生ける宮も
キリストの花嫁である集合体の教会もまた
まだ、完全にはキリストの身丈に至っていません。

パウロがいらだつようにしてコリント教会に
伝えたのは、「私たちは生ける宮(教会)」である事でした。
※当ブログでは第一回目コチラより
生ける宮(神殿・教会)のテーマを扱っております。 


★Ⅰコリント 1 Corinthians 3:16
あなたがたは神の神殿(教会・宮)であり、
神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。


イエス様の身丈「キリストを頭」に達するには日々、
肉の思い(御言葉と異なる善)をも十字架に付けると言う
「代価」を日々支払うと言う「献身」が必要です。

イエス様が私たちのために十字架と言う
壮大な代価を払って下さったので
弟子である私たちも小さな十字架の代価を
日々支払い続けてゆくべきです。

★ガラテヤ Galatians
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。 

★ルカ Luke
14:27 自分の十字架を負って
わたしについて来ない者は、
わたしの弟子になることはできません。


私たちがキリストの基礎の上に
自分の代価を積み上げて
生きた家(塔・宮・神殿・教会・・)を
建て切れなければ、サタンの笑い者です。

私たちが笑われるだけでなく
イエス様の十字架の本当の価値が
贖いの段階だけに終わり、
私たちの最終目的達成に発揮されません。

キリストの身丈達成に至る事とは
私たち自身の肉の力では足りず
献身(心と体の殉教の覚悟)と、
聖霊の大傾注が全ての教会と
信仰者の上に降るように必死で願います。

 815の6

再臨の日の「焼き尽くす火」に焼かれる前に
善悪を知る木の実である「木やわら・・」を
自ら御言葉に照らし合わせて悔い改め
捨て去り、焼き尽くすのなら
それが立派な「神へのいけにえ」となります。

全ては私たちのために十字架で忍耐して
下さった、聖なる父子のために
全てを捧げ、全てを益に変えていただきましょう。
最後の日が来る前に。。。。

★エペソ Ephesians 5:26
キリストがそうされた(教会のためにご自身をささげられた)のは、
みことばにより、水の洗いをもって、
教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、
聖く傷のないものとなった栄光の教会を、
ご自分の前に立たせるためです。

 
 ★_church

しみもしわもないキリストの花嫁;栄光の教会を完成するために
私たちは毎日、ぶどうの実であるイエス様に繋がって
御霊の実を結んで、主の御前に捧げ

種々の悪の実、この世に付く肉の実を
十字架につけ、燃やし尽くして、サタンに勝利し、
賛美のいけにえをとして、神様の御前に捧げるのです。

★ガラテヤ Galatians
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです


毎日、御霊の実を結んで生ける宮のレンガとし
心に沸き上がる善悪の知識の木の実を
裂いて、捨て去り、いけにえとして捧げて
私たちの生ける宮は、徐々に完成してゆくのです。

韓国は第二次世界大戦の時に
申し訳ない事ですが、日本軍によって
多くの殉教の血が流されました。

日本では、既に多くの殉教の血が流されています。
荒井白石は、「凡そ二、三十万人」のキリシタンが殺された.
と書き記しています。

この殉教者数は、
イスラエル(AD70年ローマ軍による
エルサレム攻撃と神殿破壊の時
百万人の殉教者(殆どがユダヤ人)
日本はこれに続いて世界第二位の殉教国です。

※新井白石が『天主教大意』に、徳川三代目将軍家光の時代に、
「凡(およ)そニ、三十万人のキリシタンが誅せられた」
と記されています。
(誅す;悪人や罪のある者を殺す。成敗する。)

いま現在の日本のクリスチャンに対する使命は
体の殉教ではなく、魂(肉の思い)の殉教です。

パウロのように毎日肉を十字架に付ける
弟子の道を歩み、教会の建築材料である石や木を
イエス様の土台の上に積み上げて行きましょう。

★Ⅰコリント 15:31
兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です
これは、私たちの主キリスト・イエスにあって
あなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。
 

必ず、生涯を終えるまでに、完成させていただきましょう。
聖霊が助けて下さいます。



エンディング










 ★花のライン17休憩
2014年8月22日(金)コチラに続きます。
「私たち教会の賛美と、イスラエルの救い」


| Ⅵ究極の賛美 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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究極の賛美(8)「神に捧げる唇の果実②善の実」


1★十字架のライン
 

ライン15
「神に捧げる唇の果実②善の実」

神様は、私たちに、いつも喜んで、
感謝しているようにと願っておられます。

 ★Ⅰテサロニケ 1 Thessalonians 5:16 いつも喜んでいなさい
5:17 絶えず祈りなさい。5:18 すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。


しかし、私たちの心に湧き上がる喜びや嬉しさが
どこから来るのかが、とても重要な事です。

本日は、それをエデンの園の出来事から見て行きましょう。
 
 88の1

もし、私たちの喜びや嬉しさが、命の木であるイエス様から
来るのであれば、それは天の命の川から流れてきた
「命の木の実」を食べた事で素晴らしい喜びです。

しかし、善悪を知る知識の木の実から、
それも一見正しいと思われる「善の実」を食べて
心が一時でも満たされ、喜んでいるのなら
世の普通の喜びであって、
天から来る特別の喜びとは大きく違います。

これから最後のリバイバルを迎えようとしる今、
善悪の知識の木の実の「善の実」の把握が重要です。

「悪の実」は「肉の思いからの言動」で、直ぐに判別できますが・・・、

★ガラテヤ Galatians 5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。
不品行、汚れ、好色、5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、
党派心、分裂、分派、 5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。


・・・「命の木の実」である「御霊の実」は
御言葉に100%生きる事かあもたらされ
この世から来る普通一般の「善の実」と
区別する必要があります。

★ガラテヤ Galatians  5:22 御霊の実は、愛、喜び、
平安、寛容、親切、善意、誠実、5:23 柔和、自制です。 




 



・・・・・(1)命の木「キリスト」から出る善だけが「命の木の実」・・・・

「命の木の実」である「御霊の実」は、一見すると世の善と喜びなどの嬉しい感情と似ていますが、全く異なるものです。

限りあるこの世での善は、一時だけのものであり、永遠の命にも、永遠の中での破格の喜びには比べる事はできません。

イエス様の十字架が「命の木」であり、イエス様の復活が「命の木の実」であって、私たちは受ける恩恵は永遠のものであり、宇宙よりも壮大で価値ある実です。

から出た良きもの(善)だけが、「命の木の実:御霊の実」であって、サタンの提供したこの世レベルの「肉の善」とははっきりと区別しなければなりません。

 ★ローマ Romans  8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。 8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。 8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。

ですから私たちは、イエス様だけを求めて生きましょう。

 88の2


 
 
 




・・・・・(2)イエス様はぶどうの木、私は枝です・・・・

ですから、イエス様ははっきりと言いました。

★ヨハネ John 15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。

 御霊の実 ぶどうの枝

イエス様から出て、心に実った御霊の実から出た善だけが、最も素晴らしい金・銀・宝石などの、最後の火に耐え得る報いとなります。

 823の7

★ヨハネ John 15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

ですから私たちは、心の奥底に湧き出る天からの水の川を求めて心を掘り下げて行くのです。

 718の17

私たちが、御言葉に従って御言葉の約束だけを待ち望まず、自分の肉の力で生きようとするので、農夫である父なる神が御言葉の種を撒き、、私たちの環境に働いて刈り込みをし、その心の中を耕して、心の奥底の命の川の泉にまで導きます。

★ヨハネ John  15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。15:2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

 j心の畑の開墾

天の父が、私たちを愛すればこそ荒野である心を耕す事を、試練とも言います。

しかし、試練があってこそ、天からの命の水の川は泉となって、私たちの心の奥底「霊」の所に湧き上がって来るのです。

 kokoro no
 


 








 




・・・・・(3)生ける水の川・・・・

この命の川の泉が、イエス様が井戸端でサマリアの女に話した生ける水の川であり、イエス様が祭りの終わりの日に叫んだ「心の奥底(腹)から湧き出る「生ける水の川」です。

 88の5

★ヨハネ John 7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。

この、ペンテコステの日以来、私たちの心の奥底から湧き上がる聖霊は、天の御座の下から流れる水晶のように光る命の水の川から流れて来ます。

★黙示録 Revelation 22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種のがなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

 6の6の2

私たちには餓え乾いた試練の時、天に万年雪を湛える乾く事のないヘルモン山のような山脈があります。この世からの泥水を自分の為に汲もうとせずに、心を掘り下げて天からの水を必死で求めましょう

★エレミヤ Jeremiah 18:14 レバノンの雪は、野の岩から消え去るだろうか。ほかの国から流れて来る冷たい水が、引き抜かれるだろうか。

 88の4
 
これからの重要な時代、教会は麗しく完成に向かいます。その為にも私たち一人一人が天からの水(聖霊)の油注ぎを、天の父が注いだ大祭司キリストの頭上からの尊い油注ぎ受けて、私たちの教会に、この世に流していただきましょう。

 88の3

救われた私たちが、天から注がれる愛で互いに愛し合う時、教会はどれほど迄にに麗しい所として、この世の人々を迎え入れる事ができるででしょうか?

私たちはその為に毎日毎日、主の山の頂上である至聖所の御座の前で、腹の底からの賛美を捧げたいと願います。

 74の2













エンディング

 

 主はぶどうの木
 

You Are The Vine
 



3ライン 








 ★花のライン17休憩

※本日はアップの時刻が遅くなってしまいました。
来週より、通常通り金曜日22時アップとしたいと思います。

2014年8月15日(金)コチラに続きます。
「神に捧げる唇の果実③悪の実」についてです。


| Ⅵ究極の賛美 | 23:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

究極の賛美(7)「神に捧げる唇の果実①」


1★十字架のライン 
 

ライン15
「神に捧げる唇の果実①」
 




・・・・・(1)全ての被造物による「十字架の御業」をたたえる賛美・・・・

私たちはこの世の荒野での歩みの中で、
出エジプトをした時のイスラエルの民のように、
神に対して日常の中での不平不満をつぶやく時が多くあります。

しかし何があったとしても、私たちはこの世に於いても、天に於いても、
「十字架につけられた小羊である御子」と、
わが子が苦しむ姿を見ている方がもっと辛いのにそれを決行して下さった
「御父」に向かって、「救いの御業」に感謝の賛美を捧げるべきです。

★黙示録 Revelation  5:11 また私は見た。
私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。
その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。
5:12 彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、
力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」
5:13 また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、
およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。
御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」


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・・・・・(2)神に最も喜ばれる「レムナントの賛美」・・・・

全ての被造物の礼拝に於いては
まだ救われて間がなく
贖いの御業に感謝しても
イエス様の身丈には達しておらず
御父を喜ばせる段階には至っていない
人々が多く存在します。

それでも天の父は一人でも多くの魂が
救われて天の御国に入る事を喜ばれます。

しかし、いつまでも乳と離乳食だけを食べている
幼い信仰者ではなく、キリストの身丈に至って、
ノアやアブラハムやモーセやパウロやペテロのように
「賛美のいけにえ」を捧げて天の父を喜ばせる
レムナント(聖い花嫁・忠実な祭司・真の弟子)となりましょう。

★ヘブル13:14 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、
むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。
13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ
すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、
神に絶えずささげようではありませんか。
 

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この賛美のレベルは、初心者でも、一般信徒の段階でもありません。
アブラハムのように、モーセのように、天での住まいと栄誉を求めて生きる
天の父からレムナント(残りの民)と呼ばれる信仰者の賛美です。

★へブル Hebrews  11:10 彼(アブラハム)は、
堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。
その都を設計し建設されたのは神です。

★へブル Hebrews  11:26 彼(モーセ)は、
キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。
彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。


神を信じた私たちは全て、このような賛美を捧げる人となりたいと思います。
神に喜ばれる素晴らしい賛美と、素晴らしい信仰(礼拝)生活は同じです。

★へブル Hebrews 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、
神を求める者には報いてくださる方であることとを、
信じなければならないのです。


私たちが、来るべき永遠の都と報いとを、どこまで信じるかが重要です。



 

 
 
 


・・・・・(3)賛美のいけにえ・・・・

私たちが、永遠の都と天での報いを確信したのであれば
この世の人たちのように、まだ神を信じたばかりの人のように

荒野である仮の住まいで、このだけでの価値観から来る
不平・不満・絶望・悲しみ・不愉快・自己実現欲・・・の心を
いけにえとして十字架につけて死なせ、

全てを良きに変えて下さる
善き神の御言葉に信頼して、賛美の実を捧げましょう。

もう一度、本日の御言葉を読んでみましょう。

★ヘブル13:14 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、
むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。
13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ
すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、
神に絶えずささげようではありませんか。


私たちが置かれた試練と訓練の荒野で捧げる賛美のいけにえ
★00

私たちの捧げるべき賛美のいけにえは、私たち自身の心にある肉の思いです。

★ガラテヤ Galatians  5:24 キリスト・イエスにつく者は、
自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、
十字架につけてしまったのです。




 
 





エンディング



マジェスティ 主をあがめよ
誉れと 賛美ささげよ
マジェスティ 王なるイェスの
力は流れる 御座(みざ)より

高く掲げよ 主の御名(みな)を
御前(みまえ)にひれ伏し ほめよ主を
マジェスティ 王なるイェスの
十字架の御業(みわざ)を たたえよ






3ライン 






 ★花のライン17休憩

2014年8月8日(金)コチラに続きます。
「神に捧げる唇の果実②」についてです。


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