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主の山に登ろう(6)「十字架の死と復活の命」


1★十字架のライン



ライン15
「十字架の死と復活の命」

私は、第二次世界大戦後のベビーブームに生まれましたが、ちょうどその戦後にアメリカより来た宣教師家族によって開かれたペンテコステ教会にて、救われました。

 411の3

当時の日本は極度に貧しかったので、食事を含む生活スタイルや、ミッション系の大学から来るキリスト教的思想など、アメリカの豊かな文化に憧れました。

実際に、アメリカ教会の、宣教師や献金、婦人会の作成した手芸品なども多く提供されていました。

しかし、同時期にアメリカの宣教師によって布教された韓国では大リバイバルとなりましたが、日本はごく小さいリバイバルがあったものの、教会は大きくは成長しませんでした。





・・・・・(1)「各国のキリスト教倫理」・・・・

その成長遅い日本に、それから五十年経った頃、聖霊派の韓国人預言者が、その優れた祈りの方法と、聖霊の力を生かした聖書解釈や伝道法などを日本に伝えようとするムーブメントが都市を中心に起こりました。

私;福田は、韓国純福音神学校に在学中から、そのネオ・ペンテコステの聖霊の臨在に惹かれて、小さな神学塾のような群れに加わりました。

アメリカからのペンテコステ系日本人教会に五十年、韓国系ペンテコステ教会に十年の間、身を置いてみて、非常に考えさせられました。

三つの国の信仰者に深くかかわってみて、その信仰の根幹は素晴らしいのですが、その国々の文化から来るキリスト教倫理の違いには、なかなか馴染む事は難しかったのです。

特に、生活を共にするような時に生じる感情的な問題に対する考え方の違いには、違和感がありました。リーダーの信仰面や単純な行動基準に従う事は問題はなかったのですが、リーダーの持つ個人的・民族的キリスト教倫理の違いは、全ての揉め事を解決する事はできませんでした。

今からのリバイバルの時、個人間、民族間に於けるキリスト教倫理の違いをどうすれば良いのでしょうか。

イエス様は、その違いの中心におられます。イエス様が直接、信仰者同士の全ての生活の問題点を指導するのなら、どの国のキリスト教倫理の違いも、個人の考えの違いも全てを超え、納得の行く解決に導く事ができます。

 411の4
 
私たち信仰者はまだ、イエス様の真の弟子の範囲に到達はしてはいないのではないでしょうか?それぞれの国にまだ、本当の意味での「真の弟子」は誕生してはいないのではないでしょうか?

★マタイMatthew 28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

それぞれに違う倫理観を持つ人々に真の福音を伝える為に、今の時の私たちは、イエス様の身丈に達して「真の弟子」となっているべきです。

全ての民族的、個人的な相違を超えて、人々に「圧倒的(天の御国)な満足」を味わっていただく為に、私たちはイエス様ご自身である「主の山」に登って行かなければなりません。

ここで、基本的な「キリストの幕屋」を復習しておきたいと思います。

イエス様の十字架上の姿が、復活までの三日間で完成された「キリストの幕屋(宮・神殿・教会)」です。

★ヨハネJohnJohn2:19 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう 2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」2:21 しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。

イエス様は、ご自分の体の神殿が十字架と復活の三日間で完成すると言われました。しかし、その奥義はパウロに示され、私たちキリスト者は「生ける宮」である事を語っています。私たちの完成すべき生ける宮であるキリストの姿を御言葉によって、検証して行きましょう。




・・・・・(2)幕屋(神殿・宮・教会)全景としてのキリストの姿・・・・・

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幕屋の器具とイエス様の姿を対比して、幕屋が、イエス・キリストを現している事を証明して行きたいと思います。

幕屋をそっと立てると、イエス様の姿になり、そのままイエス様の十字架つけられた姿となります。一番顕著なのが、燭台の位置です。

先ずは、幕屋とキリストの姿に共通する三つの点を、御言葉が重複しているので一緒に見てゆきたいと思います。

①イエス様の右手にある燭台
②イエス様の白い亜麻布の衣と、幕屋の塀の白い亜麻布
③イエス様の頭部に輝く冠と、幕屋の金で覆われた契約の箱


①「右手の燭台」
 
黙示録に、右手に7つの星(燭台)を持つ方と、イエス様の姿を言い、幕屋を立てた時、右の手に燭台があります。

★黙示録Revelation2:1右手七つの星を持つ方・・・


②「イエス様の衣」
 
イエス様の全体の姿を、幕屋とを比較してみましょう。

ダニエルとヨハネたち使徒が見た白い輝く衣のキリストの姿と、地面まで届く長さの白い亜麻布の幕屋の塀の一致

★出エジプトExodus 38:16「 庭の周囲の掛け幕はみな、撚り糸で織った亜麻布であった。」

(A)(ダニエルが、ヒデケル川の岸で見た、キリストの幻
★ダニエルDaniel 10:4 ~6(ペルシヤの王クロスの第三年)第一の月の二十四日に、私はヒデケルという大きな川の岸にいた。 私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのよう であり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。」 

(B)使徒ペテロ、ヨハネ、ヤコブが主の山の頂上で見たキリストの姿
★マタイMatthew 17:2「そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白く なった。」

(C)使徒ヨハネがパトモス島で見た、キリストの幻
★黙示録Revelation 1:12 ~18 「そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。 その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」

 

③「頭部に金の冠(幕屋至聖所の契約の箱)」 
 
上記の数々の御言葉にあったように、キリストの頭部と、幕屋至聖所の契約の箱が一致しています。

★黙示録Revelation 14:14「また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり・・・」

イエス様の頭の冠、顔としての「輝く純金で造られた契約の箱」からは、幕屋や神殿が完成した時のように眩い天からの栄光が溢れていました。


★出エジプトExodus 40:35 「モーセは会見の天幕にはいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。」


★Ⅱ歴代 2 Chronicles7:1 ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。7:2 祭司たちは主の宮にはいることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。

イエス様が、永遠の中で一度の「真の幕屋の完成」
★ヘブルHebrews 2:9「イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。」


④「イエス様の炎のような目と口から鋭い両刃の剣」
   
★黙示録Revelation1:14 その目は、燃える炎のようであった。1:15 その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、・・・その声は大水の音のようであった。 1:16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

私たちにいま、キリストの口から出る両刃の剣としての鋭い御言葉が、大声で語られています。

★ ヘブルHebrews 4:12「 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」

イエス様は、私たち弟子が「最後の重要な時代」にあって、真の弟子として生きているかを、炎のように燃える目で(そのは、燃える炎のようであった。)凝視し、その口から出る鋭い諸刃の剣である御言葉で、「肉である魂から出る思い」と「霊に現れる天からの思い」とを厳しく分別しようとされています。今の私たちはまだ、その基準に達していないのではないでしょうか?

★ルカLuke 18:8 「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」





・・・・・(2)十字架上で完成した「キリストの幕屋」・・・・
  
イエス様は、十字架と復活の三日間で「神殿(幕屋・宮・教会)を完成しましたが、パウロは、私たちがその「生ける宮(幕屋・神殿・教会)である事を知らないと言って怒っています。

★Ⅰコリント1 Corinthians3:16あなたがたは神の神殿(教会・宮)であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

この「生ける宮」についてはコチラから12回に分けて説明していますので、まだお読みになっておられない方は是非ご覧下さい。

生ける宮を完成する事と、主の山を登る事と、キリストの身丈に至る事と、「キリストの十字架の姿」とは同じ事です。キリストが十字架上で幕屋として完成した事は、次の御言葉によって検証できます。

★ヘブルHebrews9:11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

イエス様が幕屋として血の贖いを完成する為に、全ての幕屋の器具(祭壇・洗盤・パンの机・燈台・香の壇・贖いの箱と蓋)に血をかけました。旧約の大祭司が年に一度、至聖所に入る時に必ず行った事です。

★ヘブルHebrews9:21 また彼(モーセ)は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様にを注ぎかけました。

年に一度づつ捧げられた旧契約は「動物の血」により結ばれた比喩でしたが、新契約はイエス様の十字架の血潮によって永遠の中で一度だけ捧げられた「真の新しい契約」でした。

その全ての証拠を御言葉で検証します。

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*頭(神の箱)
★マルコMark 15:17「 そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、」

*右手(燭台)と左手(パンの机)両足(青銅の祭壇)は、十字架に釘付けられて血を流しました。

★詩篇Psalms22:16 ~18犬どもが私を取り巻き、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。 私は、私の骨を、みな数えることができます。彼らは私をながめ、私を見ています。彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。

★ヨハネJohn 20:25 しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。




*腹(洗盤)
★ヨハネJohn 19:34「兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちにと水が出て来た。」

*心(香の壇)
★ルカLuke 22:44「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗がのしずくのように地に落ちた。」

イエス様は、十字架の前夜、ゲッセマネの園でご自分の心をパンの如く裂かれました。その苦しみで、汗が血のように地に落ちました。事実をたんたんと語る聖所が、わざわざルカによる福音書に、「汗が血のしずくのように」と記しています。イエス様の心は「香の壇」であり、そこに血が流されました。下記の聖歌を歌う時に、その苦しみがいかばかりだったのかと、申し訳なさを感じます。

★聖歌401番「御手と御足のみか、心も裂けて、君は死に給いぬ、我らの為」



 

 

・・・・・(3)「イエス様の身丈」に至って「真の弟子となる」・・・・
 
幕屋を、イエス様の十字架として立てて見た時、至聖所の入口の大きな幕には、イエス様の十字架の姿が、そのまま投影されていたかの如く、イエス様の心と体が、真二つに裂けた証拠として、至聖所の垂れ幕が真二つに裂けたのでした。

★マタイMatthew 27:51「すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。」

イエス様は、私たちを贖って永遠に神の子とする為に、「パン」としてご自分の心と体を裂いて下さいました。私たちもまた、今は体が殉教する時ではなくても、心(魂の命;プシュケー)を死なせて、リバイバルへの道を開く使命を果たしましょう。

イエス様の登られた主の聖なる山は、自分に与えられた十字架を背負い、イエス様の歩んだ御国(至聖所である頂上)に向かって、ただただイエス様の十字架の小道を歩んで行く使命を果たしましょう。
 

 913の8

具体的には、下記のイラストで表しましたが、イエス様の十字架である主の聖なる山を登り切るためには、私たちの心を一粒の麦として死なせる(垂幕)事しかありません。

906の9
 

私たちが魂の命を死なせなければ、イエス様の身丈に達する事はありません。信仰者の体の死が天の御国に入る条件であるのと同様に、心が死を通らなければ心に「御国」が訪れませんし、それを世に大きく流す通路とはなれません。弟子の道をイエス様ご自身が、その生涯で示して下さったのです。

131び4

だから、イエス様は、このように仰いました。

★ヨハネJohn 12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。12:25 自分のいのち(魂の命;プシュケー)を愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのち(輝く神の永遠の命)に至るのです。

使徒パウロは、迫害の時代にありましたから体の命の殉教を日々覚悟し、また魂の命をも毎日殉教死させて、イエス様の教えに従っていました。

★Ⅰコリント 1 Corinthians15:31 兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。 

★(新共同訳)兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます










エンディング


日本に与えられている使命である「自分の魂の命を捨てて垂幕を裂く」、主の聖なる山の位置を目指して、韓国の教会が既に登ろうとしています。

下記は聖霊派と言える二つの教団ですが、趙ヨンギー師率いる「純福音教会」は、その熱烈な祈りと十字架の血に頼って「韓国のリバイバル」に大きく貢献しました。

その次に現れた、河ヨンジュ師が導き李ジェフン師が継いだ「オンヌリ教会」は、かつて趙ヨンギー師がまだ時でないので諦めた「十字架の死(魂の命の殉教死)」を貫こうとしています。

 418の6

今週は受難週にあたり、受難週特別礼拝が持たれ、その「十字架の道」を夜十時からライブで放映しています。

最初の日コチラからの素晴らしい礼拝をご紹介します。

ライブは本日まで続いていますので、ご参加くださる事をお勧めします。是非、ネットでご覧下さい。そのために本日はアップの時間を早めました。受難週特別礼拝「十字架の道」の録画はコチラから






3ライン 









 ★花のライン17休憩
2014年4月25日(金)に続きます。
「十字架の道」についてです。

20日のイースターの朝早くには、賛美礼拝をアップコチラします。


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