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主の山に登ろう(8)私たちと「主の山」

1★十字架のライン
 

ライン15
「再臨前の今の重要な時を生きる私たちと『主の聖なる山』との関係」 




 52の10

★イザヤIsaiah
2:2 終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、
丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。
2:3 多くの民が来て言う。
さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう
主はご自分の道を、私たちに教えてくださる
私たちはその小道を歩もう。」
それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。


今回からしばらく、
預言的メッセージを、御言葉に照らし合わせて
終わりの日に私たちが登るべき「主の山」を、
詳しく検証して行きたいと思います。

本日は先ず、どのようにこの真理に導かれたかを
お伝えしたいと思います。


 
 
 



・・・(1)「主の山」への導き・・・
 52の1

今から十三年以上前、五十才になった私は、二十歳の頃から憧れていて道が開かれなかった神学校に三十年も経って、大いなる希望に溢れて入学しました。

その最初の週の二つの授業で、二つの同心円の図解を学びました。

一つは「幕屋」の授業で、もう一つは「幕屋の祈り」の授業でした。

 52の11

この二つの図を比べてみた時、クリスチャンの体は「生ける宮(神殿・教会)」で、霊は至聖所であり、心(魂)は聖所であり、体は幕屋の塀で囲まれた庭(幕屋全体)である事がわかりました。 

私のそれまでの教会では、あまり「霊・魂・肉」の関係のメッセージを聞いた事がなかったので、驚きました。

私たちの神学校は、日本語のできる韓国人を含む外国人と日本人が一緒に学んでいましたが、日本人神学生は皆「幕屋の祈り」に感動し、早速その祈り方を取り入れて祈っていました。

そんな「モーセの幕屋」に注目する中、幕屋を立てたら十字架になるのではないかと考えて、後輩Mさんに下記左側の絵を描いていただきました。後にネットで調べると、幕屋が十字架になっているイラストは欧米に多く存在していましたが、その頃の私は「これは本当かしら?」と、半信半疑でこの絵を眺めていました。
 
 52の13

しかし、それから間もなく、私の左に座って常に色々な面で助けて下さっていたT先輩が、「とても素晴らしい本があって売切れそうだからあなたの分も注文しておいたわ」と言って、ヒックス先生著「幕屋の尊い宝石」と言う信仰書を手渡して下さいました。

その本を早速に開くと、上記右側の「幕屋としての十字架上のキリスト」の絵がありました。

私はそれまで、一度も十字架としての幕屋の絵に、キリストの姿を重ねた事はありませんでしたので、この絵に非常な感動をおぼえ、これは何かを神様が語ろうとして下さる事を感じました。

ところが、ヒックス先生が預言的解釈で描いたこの絵の説明には、使徒ヨハネがパトモス島で見たキリストの姿から、右手に持つ「燭台」だけが、説明として書かれていました。

★黙示録1:12 …私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。1:13 それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。1:14 その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。1:15 その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。1:16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

 418の2
 
十字架上のキリストの幕屋であるのなら、その全ての器具部分には、血が塗られているはずです。

★ヘブル9:21 また彼(モーセ)は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様にを注ぎかけました。

足と手は釘によって、頭は茨の冠によって、腹は兵士のやりによって、それぞれの器具に血が塗られました。

しかし、どうしてもキリストの胸に当たる「香壇」には、血の塗られた理由がありません。そこで御言葉の検索をして、ゲッセマネの園で「汗がのように流れ」た証拠を見つける事ができました。

★ルカ 22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。

 418の1

このように神学校一年目の春、十字架上のキリストが「生ける神の宮(神殿・教会)」であり、私たちがガラテヤ2:20の「キリストの身丈」に至る時、私たちもまた「生ける宮」を完成する事・・・、

そして、イエス様がまだゲッセマネの園で生きておられる時に、「心を裂いた事」、それが私たち弟子に語られた「体の殉教(十字架)」に先立つ、「魂の殉教(十字架)」である事がわかりました。

 52の12

キリストを唯一の救い主と信じる者は、体が死ねば真の主の山の頂上である「天の御国」に入る事ができるのですが、私たちが魂の殉教を捧げるのであれば、心(魂)がこの世にあって、主の山の頂上である「御国」を味わう事ができるのです。

★ルカ17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

キリストの幕屋は、天にある神の国に入る為に、体の死があるように、この世にいて神の国を体験する為には、心の主張が死ななければならない事を教えています。

幕屋の垂幕も、イエス様の十字架も、この世と天の御国(主の山の頂上)の境には「垂幕」が存在している事を語っています。

そして毎日、心の殉教を捧げる礼拝によって、私たちは日々御国を心に体験し、キリストの身丈としての主の山の頂上に昇って行く事ができるのです。

 51の15

イエス様こそが、その真の霊的礼拝を、十字架上と、その前夜にゲッセマネの園とで捧げられました。

★ローマ12:1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

私たちは今、生きているので、心の殉教を捧げて霊的礼拝をし、主の山の頂上であるイエス様の身丈へと毎日近付いてゆきましょう。

そして、私たちを良き管として、私たちの霊の所から湧き上がって来る「天の御国からの命の川の水」を、この世に流して行きましょう。








 ★花のライン17休憩

2014年5月9日(金)コチラからに続きます。本日の続きです。

  
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| Ⅴ主の山に登ろう | 22:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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| | 2014/05/08 22:45 | |















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