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主の山に登ろう(11)「主の山を登った人々」

 


1★十字架のライン
 

ライン15
「主の山を登った人々(主の花嫁たち)」 



キリストは、私たちの罪を贖って神の子とし
永遠の命を与える為だけではなく
私たちを聖めて、ご自分に相応しい花嫁とする為
十字架にかかって下さいました。

★エペソEphesians
5:25 キリストがそうされた(教会を愛し、教会の為にご自身を捧げられた)のは、
みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、
聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。


 523の1

パウロは、私たちを花嫁とする為の
十字架上での壮絶な苦しみを思い、
自分の導いている全ての信徒を
聖き花嫁としてキリストに捧げたいと、切に願いました。

★Ⅱコリント2 Corinthians 11:2
・・・私(使徒パウロ)は神の熱心をもって、
熱心にあなたがたのことを思っているからです。
私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、
キリストにささげることにしたからです。 


それが、天地創造の以前からずっと、神の抱いておられる熱い思いであったからです。
※神の熱心(口語訳;神の熱心、新共同訳;神が抱いておられる熱い思い)

★Ⅱコリント2 Corinthians 11:3 しかし、が悪巧みによってエバを欺いたように、
523の00
万一にもあなたがたの思いが汚されて、
キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。


エデンの園では、エバは幼く、サタンである蛇に騙されて汚れてしまい
神の御言葉よりも、蛇(サタン)の言葉を信じ、従がってしまい
高き御座の東、エデンの園から、荒れ果てた地に降ろされました。
私たち全人類を従えて・・・・・。

 523の5
 
だからこそ、私たち花嫁となる献身をしている私たちは、
主の花嫁として相応しくなる為に、十字架の道を通り、
日ごとに肉の思いを死なせて、サタンに勝利し
キリストの身丈(聖さ・賢さ・愛・へりくだり・義・・・)に徐々に至り、
天の御国へ登って行く生涯を送るのです。

かつて、御父を象徴するアブラハムが、
その生涯の中で数多くの使命を果たした最後に
御子を象徴する一人子イサクに、
教会を象徴する聖い花嫁リベカを迎えて、
天の御国を象徴する父の家に連れ登る願いを
聖霊を象徴する僕に託したように・・・、

920の12

・・・天の父は、天の御国で開催される
永遠の中で最も素晴らしい子羊と教会の婚礼の宴会に、
御子の身丈にかなう、しみもシワもない聖なる花嫁を迎えようと、
今、私たち教会に聖霊を遣わせておられます。

神の子となった全ての信仰者を、聖き御子の花嫁とする事は、
御父・御子・、御霊である三位一体の神が、熱心に願う夢です。

523の2

旧約時代の主の僕たちや王や預言者や女性たちだけではなく
新約時代の弟子たちや使徒、信徒、女性たちも、
どんな種類の召命を受けていても、男女の別なく、
信仰者の目指すべき最高峰は、神の切なる願いは「主の聖なる花嫁」の身分です。 
本日は、その私たちの神の熱烈なる召命に応えて
聖なる山の頂上にまで登り切った信仰の偉人たちの生涯を
ザッとですが、見て行きたいと思います。
※先週の「神の山」の預言を見ていない方はコチラから

近い将来、この主の山登った全ての信仰者の生涯を
一人づつ詳しく説明したいと願っています。









・・・・・(3)「主の山を登った人々」・・・・
52の3

とは言っても・・・、男性の信仰者は、自分が花嫁になるとは考え難いと思いますので、本日は先ず旧約時代の預言者や王の男性信仰者が、「聖いキリストの花嫁」となるまでに、召命に応じて、主の山の頂上に登り切った様子を見て行きましょう。




 ・・・★主の聖なる山の登山者の歴史・・・




 ☆BC2400年頃「主の花嫁ノア、主の山アララテ山に登る」
523の6

ノアは、先週の「神の山」の預言のように、召命を受けて「主の山;アララテ山」の山頂に登り切りました。

主の聖なる山の頂上は、「至聖所」の「御座」ですから、そこで真の礼拝を捧げ、神の御声を聞き、全人類に対する約束をいただきました。



 
 
 

 ☆BC2000年頃 「主の花嫁のアブラハムとイサク、主の山モリヤに登る」
523の7

アブラハムもまた、召命を受けてモリヤの山に登りました。アブラハムは御子を十字架で死なせた御父を象徴し、イサクは十字架につけられた御子の象徴です。

この厳しい試練の山に登る時、若い衆に「礼拝に行く」と言ってイサクと二人で登りました。山の頂上である至聖所で、先週の「神の山」の預言と同じく、霊魂が燃えるような熱い礼拝を捧げ、本気で剣を振り下ろした時に天使に止められ、そのその神への従順ゆえに、イサクの代わりの雄羊が与えられました。

アブラハムは、この身代わりの雄羊を用意して下さった天の父に感謝しました。

★創世記Genesis22:14 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある。」と言い伝えられている。

しかし。この身代わりの雄羊は、その後に十字架に付けられたイエス・キリストです。アブラハムに代わりを準備した天の父は、ご自分の一人息子のためには身代わりを準備しなかったのです。

アブラハムが自分の一人息子を本気で殺そうとした従順を見て、天の父は、その心「自分が苦しむよりもっと苦しい、愛する我が子を死なせる患難」を決行したアブラハムに感動され、推定二千年後に御子を捧げる患難を受け入れる決断をなされたのではないでしょうか。

私たち花嫁は、主の山の頂上で、自分のために十字架上での患難に耐えてくださった御父と御子に、腹の底から感謝の歌を歌うのです。







 ☆BC1700年頃 主の花嫁ヤコブ、一生をかけて信仰の山を登り切る
523の14
※当ブログの絵は全て、左クリックにて二段階で拡大できます 
 
アブラハムの孫、イサクの息子ヤコブは、一生をかけて「信仰の山」を、必死で登って行きました。

天の父から、生まれながらにして強情な性格を与えられ、その肉の思いで生きて行くなかで、数々の「実の刈取り」をしつつ、その霊が成長し、最後には神の御計画の全容を見渡せるまでに、主の山の高き頂上にまで達しました。

一生を終える時、悲しく、苦しく、厳しかった日々が圧倒的に多かったけれど、主の御計画の中で全てを素晴らしい益として下さった生涯を思い巡らし、息子達に神の御心を預言しました。そして、自分の死後の使命・・・信仰者は必ず「天の御国を象徴するカナンの地」に帰る事を果たす為に、息子ヨセフに遺体を故郷カナンの地に帰してくれるように約束をしました。

それを伝え聞いていた子孫によって、ヨセフ自身も出エジプトの時に遺体が「カナンの地」に運びだされました。これが信仰者に対する大きな神様の御計画だからです。信仰者の生涯の達すべき目的地は「主の山の頂上:天の至聖所」です。

ですから、ダビデが言いました。

★詩篇Psalms24:3 だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。24:4 手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。24:5 その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。 24:6 これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。

必死で天(神)を求め続けた信仰者が、一生をかけて主の山を登り切る事ができます。そしてその霊魂は、神様の御計画の全容を、鷲のように見渡す事ができるのです。








 ☆BC1400年頃 主の花嫁モーセの登った「シナイ山の頂」
  
出エジプトを導いたモーセは、これから再臨前リバイバルを導く使命のある私たちにとって、最も見習うべき存在です。

一度目の四十年間の荒野を卒業して、燃え尽きない芝の上を至聖所として臨在された主からの召命を受け、サタンを象徴するパロ王の奴隷となっていた神の民を、この世を象徴するエジプトから連れ出し、紅海にて洗礼を受け、二度目の四十年間の「試練と訓練と礼拝の荒野」に入りました。

その旅のちょうど一年目に、シナイ山の山頂に下りて来られた神と「神の民となる契約を結び、神から十戒に代表される律法を授けられ、幕屋の建て方を教えられました。

523の10

しかし、うなじの強い民の偶像礼拝に自分の能力に絶望し、心が折れて、ただただ必死で神を求めた時・・・、

★出エジプトExodus 33:18 すると、モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」
412の16もーせ岩の裂け目

主はモーセを、キリストの岩の裂け目に隠し、後姿を見せて下さいました。

★出エジプトExodus 33:21 また主は仰せられた。「見よ。わたしのかたわらに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。 33:22 わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておこう。33:23 わたしが手をのけたら、あなたはわたしのうしろを見るであろうが、わたしの顔は決して見られない。」 

★マタイMatthew 27:50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。 27:51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。 









 ☆BC1000年頃 主の花嫁ダビデ王の至聖所
 523の8
 
☆上の絵の左・・・モーセも絶望した時に激しく神を求めたように・・・、ダビデ王は主の山オリーブ山の頂上まで泣きながら登りました。熟年に達していたダビデ王は、息子に王座を追われ、はだしで主の山オリーブ山の頂上を目指して駆け上り、そこで神からの慰めを得ました。

☆絵の右・・・若き日のダビデ王は、王となった時に真っ先にエルサレムに「契約の箱」を運びいれ、その前に座り込んで「至聖所の御座の前礼拝」を捧げました。

★ダビデのミクタム 詩篇Psalms16:8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。 16:9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。

いま、この山の頂上である「天の御座の前での礼拝」が回復されつつあります。

★使徒 Acts15:16 『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。 15:17 それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。 15:18 大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。』







 ☆BC850年頃 主の聖なる花嫁エリヤ「神の山ホレブの岩 
 45エリヤの山頂
 
エリヤもまた、カルメル山で大勝利した後に落ち込み、荒野で天使に養われつつ、四十日四十夜をかけて歩き、ホレブの山頂にまで登って行きました。

★Ⅰ列王記1 Kings19:11 主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。

エリヤだけが主の山の頂上である岩の裂け目への召命を受けたわけではなく、ノアだけではなく、アブラハム・イサク・ヤコブたちだけではなく、モーセだけではなく、ダビデだけではなく・・・・・・、私たち神の子は全員、主の山の頂上にまで登るように、召命を受けています。

 516の3
※上の「神の山」の預言はコチラ

★Ⅰ列王記1 Kings 19:12 地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。 19:13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。 

私たち主の花嫁は皆、自分の力に絶望した時に、ただ神を必死で求めて主(神)の山を登り詰め、神の栄光を見たら死んでしまうので、キリストの裂かれた岩の裂け目に身を隠し、細き御声を聞き、その栄光に浴するのです。









 ☆BC700年頃 花嫁イザヤ「高き天の御座」 まで登り、「主の山」「鷲」を預言する
 523の22

イザヤは、終わりの日に生きている私たちに、「主の山に登ろう」との預言を取り次ぎました。

★イザヤIsaiah 2:2 終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。2:3 多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」  

 523の13

自分自身の霊魂が鷲のごとく、高き天の御座にまで登り詰めた体験がありました。
 
★イザヤIsaiah 6:1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、 6:2 セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、 6:3 互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」6:4 その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。

 523の15

その、天の高きに至る信仰者の条件はたった一つ・・・ヤコブのようにダビデのように「主を激しく求める者の一族」である事です。 

イザヤは、「主を切に待ち望む者」は、「鷲のように登る事ができる」との預言を、真実を持って取り次ぎました。

★イザヤIsaiah40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる

この「主を待ち望む」事が、終末のモーセとして世の人々を出エジプトさせる使命のある私たちへの、主の山の頂上への召命に応える為の第一歩です。

私たち主の花嫁候補が、この「主を待ち望む熱い心」も、「主を求めざるを得ない冷え切った心」もなく、サタンの騙しによって、砂上の楼閣のように、もうすぐに滅び行くこの世の富と名声に生ぬるく安住しているので、イエス様は私たちを叱責しています。

 ★砂上の楼閣
        
★黙示録Revelation 3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。

私たちは、イエス様の十字架の血潮で洗われて①白い衣が与えられ、十字架の道をイエス様の後だけに従がって登る時に②金となって練り出され、切に天を求める日々を送ってゆく内に、③よく見える鷲の目が与えられます。

 至EagleWink
   













エンディング


下記の絵の左側をご覧下さい。

天地創造の時、神である主は、アダムに相応しい助け手が必要だと考えました。これは、「一人息子キリスト」に助け手を得たいという、永遠の中での神の切なる願いでした。

★創世記Genesis 2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」

そこで主は、アダムを眠らせて妻を造り、助け手としてアダムと夫婦としました。

★創世記Genesis 2:21そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。2:22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。・・・・2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。

しかし妻エバは、蛇(サタン)に騙され、天の父のたった一つの「戒め」の言葉を守らず、蛇(サタン)の言葉を信じて、従がいました。その大罪により、全人類はアダムの後に付いて、茨とアザミが生えるこの地に追い出されました。

 523の3

今度は、上図の右側をご覧下さい。

永遠に、罪を犯した私たち人類は、天の高きにある御国に戻る事ができなくなりました。

そこで、自分自身の罪を贖う事のできない私たち人類のために、御父は御子をこの地に遣わし、十字架によって罪を贖い、天の高き御座にまで登って来れるように、御子の後ろにだけ従って登る事のできる十字架の細い小道を示されました。

そして、その十字架の道を通って、主の山の頂上である御国の御座前まで登りつめた二人の男性の「主の花嫁」を取り上げたいと思います。

一人は下記の絵の左のモーセ。モーセは、この世の御国を象徴する荒野の民の目的地「カナンの地」には入る事ができませんでしたが、モーセの体が御使いによって丁重に葬られた後、霊魂は丁重に天の御国に届けられたと考えられています。

 523の9
 
一方、預言者エリヤは、様々な体験をした後、死を願うほどに落ち込んで荒野をさ迷い、主からの山の頂上への召命を受けて、キリストの岩に立ち、主の御声を聞きました。

エリヤの最後は、生きたまま天の御国に火の戦車に乗って帰って行きました(上図右側)。生きたまま天の御国へ行った信仰者は、エリヤとエノクだけです。はたしてモーセとエリヤは、「神の一人息子キリストの助け手;聖くしみもシワのない花嫁」であったのでしょうか?

新約聖書の中に、二人が出て来ます。

イエス様が弟子たち(ペテロとヤコブとヨハネ)を導いて、高い主の山に登りました。ここも、父の語られる声を聞く事ができる至聖所です。そこに天の御国にいるはずのエリヤとモーセが現れ、彼らはイエス様と語り合っていました。

 523の16

ある牧師先生の解釈だと、これから起こる十字架や復活の相談をしていたのかもしれないとの事でした。離しの内容が何であるかを知る事はできませんが、イエス様は神様で、エリヤにもモーセにも語り合わなければならない事はないはずです。

しかしイエス様は、わざわざ主の山を登って、彼らと親しく話し合いました。そうです。彼らはイエス様の「助け手;花嫁」であるからです。何と光栄な事でしょうか!

★アモス Amos3:7 まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない

しかし、粗野な生まれたままの私たちを、その聖なる花嫁となるまで、聖霊は育てて下さるのです、十字架の元に導き、御言葉を教え、イエス様を、そして天の父を愛する愛を育てて下さるのです。

 920の3
 
自己中心的であった私たちは、その心の奥底に聖霊が宿り、人間の愛ではなく、神の大きな愛を根拠に、人を愛すようになって行きます。

先週ご案内した、ヒックス先生の「あなたは成長できる」コチラから="には、三種類の白い衣の説明があって、主の聖なる花嫁の白い衣には、刺繍がしてあると言う事です。

★黙示録Revelation19:6 また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。 19:7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」 19:9 御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。」と言い、また、「これは神の真実のことばです。」と言った。

花嫁は神の愛で人を愛し、使徒行伝9章に出て来る女性「ドルカス」のように、イエス様に頂いた白い衣に、人々への愛を一針、一針刺繍して美しいドレスとして仕上げて、天国に行きましょう。

★使徒Acts 9:39 ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。

 523の4



ここで、モーセの幕屋の二枚の覆いと、二枚の幕に関係があるので、少しお話します。
※詳しくはコチラを

 419の13


幕屋には計四枚の幕がありましたが、聖所と至聖所の天井部分は、亜麻布(白)に三色(青・赤・紫)の拠り糸でケルビムをししゅうしました。

★出エジプトExodus 26:1 幕屋を十枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布色、色、色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。

 419の4四色

日々、礼拝の中で見上げる天井には、キリストの四つの品性を現す四色の刺繍が縫い込まれていました。

 419の5四色
 
ですから、私たちは毎日キリストを見上げて、神の品性をを自分の性質の中に縫いこんでゆく過程が重要です。なぜなら、評価されるのはキリストから出た霊のものだけで、私たち肉から出たものは悪であれ、善であれ、エデンの園の「善悪を知る木の実」から来ているからです。

私たち亜麻布に少しでも多くの神の品性が刺繍されていくのなら、そして毎日十字架の道を歩んでエデンの園で食べた善悪の実である肉の思いを死なせてサタンに勝利するのなら、私たちの生涯に金が練り出されて来ます。

私たちのドレスは「、その金で黙19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣」となります。


天国で、光り輝くウエディングドレスを着て、宴会に参加できるのです。どんなに素晴らしい事でしょうか。

その宴会で、アブラハムも、イサクも、ヤコブ・・・も、キリストの花嫁である教会として、子羊との婚礼の宴会の席についています。、私たちも是非、その中の一人として、一緒にご馳走を食べましょう。

 523の21
 
Matthewマタイ 8:11 あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。8:12 しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
 

美しい花嫁となり、宴会に参加できる私たち自身も、光栄で嬉しいのですが、天地創造の以前から、三位一体の神様が聖い花嫁の誕生を熱心に待ち望んでおられました。私たちは是非、大人になって神様を喜ばせる側になりましょう。

私たちの「光り輝くドレスを着た花嫁」への献身の思いが、御霊によって日々大きくされますように・・・・・。








3ライン 




 
 






 ★花のライン17休憩

2014年5月30日(金)コチラからに続きます。
本日の続き「日本への預言」です。



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| Ⅴ主の山に登ろう | 22:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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| | 2014/06/06 03:34 | |















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