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主の山に登ろう(13)垂幕を裂く事への報い


1★十字架のライン
 

ライン15
「垂幕を通り抜ける事への報い」 
59の3

イエス様は、一度目に弱々しい赤ちゃんとして来られ、十字架上で命まで捧げて私たちの贖いを全うされ天に帰りました。しかし、二度目に来る時には、裁きの火と共に現れます。

 ★初臨と再臨
 
★ヘブル9:27 人間には、一度死ぬこと死後にさばきを受けることが定まっているように、 9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

★Hebrews 9:27 And as it is appointed for men to die once, but after this the judgment,9:28 so Christ was offered once to bear the sins of many. To those who eagerly wait for Him He will appear a second time, apart from sin, for salvation.

私たちは余りにも愛の神様として捉えていたので、神様の存在も裁きの実態も甘く見ています。しかし、天に万群の御使いを従がえて現れる時、私たちの一生が裁かれます。私たち罪人にとって、キリストの十字架の血と死による贖いは本当に感謝な事なので、そこに留まってしまいがちですが、未信者にとっても信仰者にとっても、永遠の中で受ける報いがこの時に決まってしまいます。

未信者の方にとっても、信者にとっても、永遠の報いを素晴らしいものとできる猶予期間「恵みの時、救いの日」は本当に残りわずかなのです。

★Ⅱコリント 6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」 確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。6:3 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、 6:4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。






・・・・・(1)「二種類の報い(裁き)」・・・・

最後の審判で、私たち一人一人は、私たちの一生の心と言動の全てが記された御使いの書によって、裁かれます。

最も重要な書は「いのちの書」で、ここに名前が記されていなければ、御国に入り、神の民、神の子として永遠の命に与る事はできません。

★黙示録20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた

聖書の、特に福音書と黙示録でのキリストの教えには、私たちの言動に対する多くの報いがあって、私たちを励まし、また警告を与えています。

★マルコ9:41 あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです。 9:42 また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。
★ Mark9:41 "For whoever gives you a cup of water to drink in My name, because you belong to Christ, assuredly, I say to you, he will by no means lose his reward.9:42 "But whoever causes one of these little ones who believe in Me to stumble, it would be better for him if a millstone were hung around his neck, and he were thrown into the sea.

天の父は、私たち人間の全ての行いに、ご自分の基準で報います。そこで私たち信仰者が知っておかなければならないのは、自分の基準で自分を義認したり、他の人を裁いたりする事です。

 6の6の1

★Matthew23:27 "Woe to you, scribes and Pharisees, hypocrites! For you are like whitewashed tombs which indeed appear beautiful outwardly, but inside are full of dead men's bones and all uncleanness.23:28 "Even so you also outwardly appear righteous to men, but inside you are full of hypocrisy and lawlessness.

パリサイ人的行動主義は、二千年経った私たちの時代にあっても、サタンの最強の策略です。私たち教会が、神の為と最初は思いつつも、自分と自分の教会の栄誉の為に心が駆り立てられ、人を駆り立てて、その心の中心が天に向かなくなってしまう事があり得ます。

多くの「神からの報い」に関する本やメッセージが、イエス様の十字架の道(神本主義)を説くよりも、人間の知性と行動とその結束を持って教会を建て上げようとしているかのように、強調してしまう場合が多くあります。

もちろん人間の力の結集は大切ですが、神を待つよりも、その方が近道だと勘違いしてしまう場合があり得ます。

リーダーが、命令に従がう事を強要すると、イエス様の「仕える心」から遠ざかってしまいます。神様からの権威を与えられた人が、イエス様の仕える僕の心で教会を形成してゆくのなら、人々もイエス様の謙遜を獲得して素晴らしい働きをする結果となります。

今日の勘違いは、権威を行使する前段階として「仕える段階」があるとの認識です。O教会の若きリーダーL牧師のメッセージによると、「最も低くなって人々に仕える事が、キリストのリーダーシップの完成形」であると言う事を語りました。イエス様の最も深い教え「十字架の道」をよく理解しているなと私;福田は感心しました。

さて・・・・、イエス様が十字架に付けられるその時代、祭司やパリサイ人達は、神の子の御言葉よりも、自分たちの培って来た行為の習慣を重要だと考えて、最も素晴らしい十字架の道を悟らず、語らず、実行しませんでした。

人間に自由意志を与えた神様は、最後のリバイバルの時の私たちが、ちゃんと十字架を悟り、語り、お互いに励ましあって実行しているかを心配しておられます。

★ルカ18:8 「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

そしてイエス様は、先ほどの取税人とパリサイ人のたとえ話をしたのです。

★ルカ18:9 自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。

私たちの言動は、心遣いは、人間の水準での義に留まらずに、肉の思いを十字架に釘付けて死なせ、天の御国から来る神の基準の善を行い、真の賛美の礼拝を捧げるまでに成長すべきです。

 530の12
 
私たちはパリサイ人のようではなく、主の聖なる山の頂上にまで、自分の垂幕を裂いて登って行かなければなりません。それでこそ、私たちはしみもシワもない聖い花嫁に、外側だけでなく内側まで白く聖い信仰者となれるのです。










・・・・・(2)「勝利を得る者に対する最高位の報い」・・・・

その時に天から来る報いは、素晴らしいものです。

私たちが、イエス様の謙遜の身丈に達し、人の為に自分の魂の命、時によっては体の命をも十字架に付けられるので、自分たち被造物である人間の力と力の結集ではとても得られない、大きな収穫の時を迎える事ができます。

 124の11

★ヨハネ12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。 12:25 自分の(魂の)いのちを愛する者はそれを失い、この世でその(魂の)いのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。

そして、この「魂の殉教者;真の主の花嫁」に対する報いは、大きいのです。天でのキリストと教会との結婚の宴会に招かれ、美味しいご馳走を皆でいただくのです。永遠から永遠の中で、宇宙の中で、最も素晴らしい宴会に参席できるのです。

 59の15

私たちはつい、天国さえ行ければそれで結構、永遠の命をいただければ何も要らないと思いがちです。しかし、せっかく神様を信じて子供とされたのに、成長して成人とならなければ、宴会の外の暗闇に投げ出されて、地上での生涯を悔いて泣き叫ぶ事になるのです。

救われて日がない信仰者だったら、救われるだけで本当に感謝な事なのですが・・・。





・・・・・・(3)七つの教会へ「勝利を得る者への数々の報い」・・・

山上での教えのように、天に昇られたイエス様が、パトモス島に島流しにあった使徒ヨハネに現れ、私たち個人と、全ての教会に向かって語りました。

★黙示録1:10 私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。 1:11 その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」 1:12 そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。1:13 それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。

★Revelation1:10 I was in the Spirit on the Lord's Day, and I heard behind me a loud voice, as of a trumpet, 1:11 saying, "I am the Alpha and the Omega, the First and the Last," and, "What you see, write in a book and send it to the seven churches which are in Asia: to Ephesus, to Smyrna, to Pergamos, to Thyatira, to Sardis, to Philadelphia, and to Laodicea." 1:12 Then I turned to see the voice that spoke with me. And having turned I saw seven golden lampstands, 1:13 and in the midst of the seven lampstands One like the Son of Man, clothed with a garment down to the feet and girded about the chest with a golden band.

 820の59色台

★黙示録1:17 それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、 1:18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。 1:19 そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。1:20 わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち七つの燭台は七つの教会である。



イエス様は、十字架上で肉の命が死んだ時にサタンに勝利しました。私たちの肉の思いが十字架で殉教した時、また体の殉教をした時に勝利を得る者とされます。

垂幕を裂き、勝利を得た者への数々のご褒美が黙示録の最初に、使徒ヨハネによって記されています。

 ・・・エペソの教会へ・・・
66の1

★黙示録 2:1 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。

★黙示録2:7 「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」 


 6の6の2





 ・・・スミルナの教会へ・・・
66の2

★黙示録2:11 「勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」 
 
 



 ・・・ペルガモの教会へ・・・
66の3

★黙示録2:17 「わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」
 
 



 ・・・テアテラの教会へ・・・
66の4

★黙示録 2:26 「勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。2:27 彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。2:28 また、彼に明けの明星を与えよう。」




 ・・・サルデスの教会へ・・・
66の5

★黙示録3:5 「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。」  


 ・・・フィラデルフィアの教会へ・・・
66の6

★黙示録3:12 「勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。」 
 
 



 ・・・ラオデキアの教会へ・・・
66の7

★黙示録 3:21 「勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。3:22 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」 

誰が、どの素晴らしい報いを得るかは、私たちには知る事はできません。







 

 
 


エンディング


しかし、黙示録の最後には、勝利者の受ける永遠の報いの数々が書いてあります。

★黙示録 21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」


★黙示録21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

私たちが歩んだ「イエス様の身幅だけの狭く真直ぐな十字架の道」は、御国の門を潜ると「御座にまで続く大道」となり、その真ん中には「命の水の川」が御座から流れており、私たちが勝利者となるのなら、この世に生きていて、その生ける水の川を世に流し、その命の水を飲み、世の人に飲ませ、命の木の実を食べ、食べさせる事ができるのです。

★黙示録22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

そして、勝利者は、「永遠に王である」と記されているのです。
私たちは、永遠の中で、王の王であるイエス様と共に、世を治めるのです。

★黙示録22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、22:4 神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。 22:5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である 

★黙示録 2:26 「勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。2:27 彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。」



3ライン 







 ★花のライン17休憩
2014年6月13日(金)コチラからに続きます。
今の時代に祈るべき「私たちの祈り」についてです。 





0604.jpg
※6月8日(聖日)早朝に
「ペンテコステの日・特別賛美礼拝」をアップします。




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