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ペンテコステの日「賛美礼拝」

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「ペンテコステ(五十日目)の日」特別賛美礼拝


イエス様がイースターから四十日目に天に昇られる時に、弟子たちに「聖霊のバプテスマを受けるように」と、命じられました。

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イエス様が、オリーブ山(主の山)の山頂から天に昇られた様子を、弟子たちは見ていました。

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呆然と天を見つめている弟子たちの前に二人の天使が現れ、「イエス様がもう一度、このオリーブ山(主の山)に、降りて来られる」事を告げました。

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当時の弟子たちにも、今の私たちにも、再臨されるイエス様の元にこの世の人々を連れ登る使命があります。

 ★初臨と再臨

その為には、私たちが聖霊の力 をいただく必要があります。弟子たちは急いでエルサレムに戻り、皆が一緒に聖霊を待ち望んで祈り始めました。

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熱心に祈っていた弟子たちに、聖霊がのように降りました。イエス様が、公の働きに入る前に洗礼を受けた後、働きに必要な力である聖霊(父の御霊)がのように天から降って来ました。・・・どうして弟子たちにも鳩のように聖霊が臨まなかったのでしょうか?

イエス様は罪も穢れも犯した事がなく、完全な義と愛に満ち、天の父の御言葉に完全に従がっていた全く聖い存在だったので、火に焼かれるべき何も存在していなかったからです。

ところが弟子たちも今の私たちにも、焼き尽くされなければならない「肉の性質(罪・汚れ・弱さ・限界・御言葉への不従順・不信仰・疑い・恐れ・・・・)があって、先ずそれらが燃やされる必要があります。

私たちは今、再臨前リバイバルを迎えるにあたり、まず聖霊の火で、この私たちの肉を火で死なせていただく必要があります。

★ローマ 8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

肉の思いを焼き尽くす火は、昔も今も、天から降って来ます。

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★レビ 9:24 主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。 

★Ⅱ歴代誌 7:1 ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。


68の4

私たちの心には、色々なきっかけで情熱が湧き上がって来ます。しかし、主の為に生きようと献身する時には、天から降って来る聖い火以外は、天の父にとっては憎むべき存在です。

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★レビ 10:1 さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。 10:2 すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。
 


イエス様が山上で教えられたように、私たちはいつでも天を真っ先に求めなければなりません。

★マタイ6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。

ですから、私たちが弱さを感じた時、絶望を感じた時、足りなさを感じた時・・・、使徒行伝一章の弟子たちのように、天からの聖霊の火を求めて、熱心に祈り待ち望みましょう。

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聖霊の最も重要な現れ「愛の行い」

ペンテコステの日に聖霊が降った時に、先ず聖霊の力「伝道・宣教の力」が現れました。しかし、聖霊のバプテスマを受けた時に人間に与えられるのは、キリストの全人格です。

それを本日は、使徒行伝九章から見て行きましょう。イエス様の中心的な性質(霊性)である「愛」が行動に現れたドルカス(タビタ)が、なくなった時の様子です。彼女の、キリストが湧き出た愛の行いを受けたやもめたちが、ドルカスの死を悲しんでいる様子が描かれています。

★使徒9:36 ヨッパにタビタ(ギリシヤ語に訳せば、ドルカス)という女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。 9:37 ところが、そのころ彼女は病気になって死に、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いた。 9:38 ルダはヨッパに近かったので、弟子たちは、ペテロがそこにいると聞いて、人をふたり彼のところへ送って、「すぐに来てください。」と頼んだ。9:39 そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。

ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。 9:40 ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい。」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。 9:41 そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちとを呼んで、生きている彼女を見せた。 9:42 このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。


主の聖い花嫁ドルカスは、イエス様の十字架の血と死により、全ての罪を赦されて「白い義の衣」をまとっていましたが、その白い衣の上に、聖霊の臨在のもたらす真の愛で、日々貧しい人々の為の衣に一針一針縫い取りしつつ、キリストの花嫁としての自分の花嫁衣裳に光り輝く美しい刺繍をしていたのです。

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★黙示録 19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。

キリストの真の愛こそ、預言よりも、異言よりも、知識より・・・も、私たちが最も求めるべきものです。私;福田は、中学二年生の春に異言を伴う聖霊のバプテスマを受けて、それがどれ程に素晴らしい体験であり、64歳になる今まで心の奥底におられる聖霊の臨在が不可欠であって、御言葉を教えて私を支えて下さっているかを、よく認識しています。しかしまだ、私の日々の生活の中にキリストの無償の愛が現れて来る時は稀なのです。

異言を伴う聖霊のバプテスマの価値が素晴らしい事を重々わかっていてなお、異言や預言だけを求めるのではなく・・・、自分の内にある、どこまでも自己中心の愛が死んで、キリストの愛だけが毎日現れますようにと、祈り求めて行きたいと願います。

これこそが、私たちの内に宿られた聖霊さまの最終目的地です。まず十字架の元に私たちを連れて行って「肉の思い」を死なせ、焼き尽くし・・・・、そしてイエス様の愛を現す花嫁へと変えて行くのが聖霊さまの願いです。

★Ⅰコリント13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。 ・・・・13:8愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

私たちは今、聖霊の導きによって、キリストの愛で世に、家族に愛の刺繍を完成させていただきましょう。

私が神学校で「キリスト教倫理」を学んだ時、担当なさったグッド・サマリタン・チャーチの青木牧師が、最後の授業の最後に、「私たちの心に聖霊が臨むまで待っていたら、いつまでたっても愛の行いができません。ですから自分から進んで愛の行為を行いましょう。その時に必ず『聖霊さま、私と一緒に働いて下さい。』と祈りましょう。」と教えて下さいました。


聖歌「聖霊来たれり」
素敵な伴奏コチラからと共に賛美できます。
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