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究極の賛美(15)最終回「イエス様の捧げた究極の賛美」





1★十字架のライン
 

ライン15
「イエス様の捧げた究極の賛美」

★マタイ 27: 46 三時ごろ、イエスは大声で、
「エリ、エリ,レマサバクタニ。」と叫ばれた。
これは、「わが神、わが神。
どうしわたしをお見捨てになったのですか

という意味である。
 

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この叫びが、永遠の中で最も尊く偉大な究極の賛美です。
どうしてこの叫びが究極の賛美なのでしょうか?



 
 
 



・・・(1)天の父である神と人間側の父アブラハム・・・

天の父は、創世の時に被造物に自由意志を与えた以上、人間への愛を全うする為には、最初から御子イエス様の血と死しかないと覚悟なされていたと推測されます。

しかし、その使命を最も愛する一人息子に託すにあたり、理性的に納得してはいても、感情的には非常に辛かったのではないでしょうか。モリヤの山での礼拝は、完全に十字架を象徴しており、しかも、御子を象徴しているイサクではなく、御父を象徴しているアブラハムにスポットライトが当っています。、

 ★モリヤの山
 
自分自身が十字架の苦しみに遭うよりも、それを見ている父の方がどんなに辛いかを、アブラハムの一人息子イサクを御子イエス様と見立てて、同じ父親としての苦しみを、アブラハムに理解してほしかったのではないでしょうか。そして、アブラハムは、御父の心を知る、神の友と呼ばれました。

★ヤコブ¥2:23 「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。

天の父の信頼どおり、アブラハムは、神さまからの言葉に従順に従って、イサクを捧げました。

下記の御言葉は、アブラハムの生涯のいくつかの場面にあって、特にモリヤの山では、イサクが死んでも神さまには再び生かせる力があると信じてイサクを屠ろうとした御言葉への従順により、イエス様を信じる私たちをも、信仰によって義とされる道が開かれたのだと読み取れます。

★ローマ 4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。 4:22 だからこそ、それが彼(アブラハム)の義とみなされたのです。4:23 しかし、「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、4:24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです

★ヘブル11:17 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。


神の側の救いの道は、イエス様の十字架の血と死、御父の御力による復活とで完全に整えられました。しかし、それを人間が信じる事だけによって、得る事が出来るのは、アブラハムの信仰の従順を御父が確認してからの事だと考えられます。

しかし、神の側の壮大な痛みを伴う「贖いの御業」は、父なる神の決断によります。

その、愛する一人息子の苦しみを見ていると言うあまりにもむごい決断をなさった御父の勇気と犠牲を思い、イエス様は十字架で息を引き取る時、御父をほめたたえました。

★マタイ 27: 46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ,レマサバクタニ。」と叫ばれた。
これは、「わが神、わが神。どうしわたしをお見捨てになったのですか 」という意味である。
 

アブラハムには、雄羊を備えて、アブラハムの息子を失う痛みから救った御父は、ご自分の息子の十字架は回避なさいませんでした。私たち人類を愛すが故の決断でした。

★エペソ 1:4-5すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。 

★ヨハネ 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、 世を愛された


 







・・・(2)御子イエス様の十字架の決断と喜び・・・

イエス様の側からの十字架を決断した理由が、黙示録の2カ所だけに、記されています。御子は、御父の為に・・・、御父があまりに人間を愛すので、その愛をかなえてあげようと、患難の十字架を選択されました。

★黙示録5:9-10彼らは新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神の為に人々を贖い、 私たちの神の為に、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」他1:5-6

それは、御父の定めた事であり、御子の十字架しかそれをかなえる道がなかったので、御子はその十字架の苦しみの跡を見て喜びました。なんと言う気高く尊い心でしょうか。

 926の0

★イザヤ53:10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

御子の激しい苦しみの跡の報酬は、私たち人類の永遠の命でした。肉を十字架で死なせる事、自分の肉と魂の命を一粒の麦として捧げる時に産み出される壮大な収穫を見て、御子は喜びました。








・・・(3)「私たちの魂と肉体の命の殉教」と「大収穫」・・・

私たち先に救われたクリスチャンこそ、何時までも乳飲み子ではなく、父の御心をかなえる為に、心の殉教を捧げましょう。

 45の2 心の垂幕ガラテヤ
 
イエス様は、十字架の苦難によって、神を信じる全人類に永遠を与えたように、私たちがいまの時代に魂の殉教(割礼)を捧げる時、私たちはキリストの身丈に達し、生ける宮を完成して栄光が現れ、再臨前リバイバルの道を開き、神の民イスラエルの救いに至るのです。、

 124の11

★イザヤ60:1-5 「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。・・・目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。・・・そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、心は震えて、喜ぶ。海の富はあなたのところに移され、国々の財宝はあなたのものとなるからだ。」

私たちの報いはそれだけでなく、永遠に続く栄誉です。私たちが自分の肉を裂く時に、これらの全ての結果を確信し、十字架上の御子キリストのように、心からの賛美を捧げましょう。

 ★冠を受ける











 ★花のライン17休憩
この画面にて、毎金曜日に
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進捗状況をお伝えします。

 

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| Ⅵ究極の賛美 | 22:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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| | 2014/10/07 03:08 | |

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| | 2014/12/12 10:04 | |

Re: 聖所という言葉で検索しました

コメントをありがとうございました。

読んでいただき、光栄です。
心から感謝いたします。

主の祝福が平田泰三様の上に豊かにありますように。

| 福田 範菜(ハンナ) | 2014/12/12 18:00 | URL |















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