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(5)「義の御座」③「教会」の二段階の「裁き」

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(3)「教会」への二段階の「裁き」
・・・3月1日(金)から続いています・・・

既に、いのちの書に名前が記されていて、永遠に父の家で住む事が保証されているクリスチャンにとって、単に良い行いをしたとか、罪を犯したと言う一般的な行いではなく、クリスチャンとして神さまの御心(聖書の御言葉)を行なったかと言う面が裁かれます。

私たちの心が日々、いのちの木であり、ぶどうの木であるイエス様に繋がっていて、イエス様の心へと変わっているのなら、私たちは心に実を結んでいるはずです。

御霊の実 ぶどうの枝

このイエス様の心である御霊の結実により、私たちの人生の全ての行動が影響されていなければなりません。クリスチャンは、最後の日に「裁きの火」の中を通り、全ての行動が火で試されます。

そればかりか、終末の働きに備える為にこそ、必ず主の僕は御霊の実を結び、イエス様の身丈に至っているべきです。

御霊の実の中で最も重要なのは「愛」ですが、終末の働きには「イエス様の謙遜」が必須です。なぜならば、終末のリバイバルの時には、イエス様のなさっていた奇跡の業、いな、もっと大きい業を聖霊様が起こすからです。

 ★パンと魚の奇跡
二匹の魚と五つのパンで男だけで五千人を養った奇跡 

★まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。(ヨハネによる福音書14:12) 

今や霊となられて天に帰られたイエス様の手足となり、声となって御業を取り次ぐ私たちクリスチャンが、奇跡を取り次ぐたびに高慢になり、自分の栄光と思ってひけらかすようになっていては、この地に御国が訪れる事を阻止しようとして、私たちの心に高慢のパンだねを仕込み続けているサタンの思う壺になっていまいます。

愛と義である御座の上に、神様父子の壮絶な痛みの上に十字架が立てられ、天の御座の岩のように頑丈な土台が、私たちの心の奥底にある「霊」の所に据えられました。その岩から、私たちは天にある全ての良いものを受け取る事ができるようになりました。

私たちの生涯の言葉と行いが、天からの「いのちの木の実といのちの水の川の水(聖霊)」によってなのか、サタンが植え込んだ「善悪を知る知識の木の実」によってなのかによって、私たちの生涯の働きに対する神様からの評価が分かれます。

御霊の実を動機として生まれた言動か、生まれつきの性質(良くても)や、この世の常識的な善から発生した言動なのかが問題です。

私たちの目線からの善悪の判断(パラダイム)は、どんなにこの世の基準では正しく見えても、私たちの生涯の働きへの神様からの判断(パラドックス)からの評価は低いのです

※パラドックスとパラダイムについては下のページを見て下さい。
■2013.1.25(金)クリック⇒【 】(やや下方に)
■2013.2.1(金)クリック⇒【 】(ウオッチマン・ニーの見解)


★私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。 

というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。

 
 土台の上に

もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。(Ⅰコリント3:9-15)

この世に生まれて来た人の中に、この裁きの火に耐えて全ての思いと言動が神さまからの報いを受けた人はいません。イエス様だけが全く罪も失敗もなく、天で栄光をお受けになりました。

★「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10) 


イエス様は、十字架の死の三日間、地獄の裁きの火の中を通られたはずです。イエス様のお姿を見た使徒ヨハネは黙示録でこう語っています。

★その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり(黙示録1:15)

なんとイエス様は神であられるのに、その全ての言動は御父の御心を聞いてから行なわれましたから、焼かれるものは何一つありませんでした。

★私が天から下って来たのは、自分の心を行う為ではなく、私を遣わした方の御心を行う為です。 (ヨハネによる福音書6:38)

★わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。(ヨハネによる福音書12:49)


イエス様のご生涯の、御父の御言葉に対する忠実さに比べたら、私たちの言動の動機は、自分(肉)の思いである場合があまりに多く、それらが火で焼かれてしまう事は明白です。

だからと言って、私たちの長い生涯の中での、礼拝、奉仕、賛美・善行・・・の全てが天(霊)からではなく、自分の肉の思いから出たものであると判定され、良い事を行なって来たつもりなのに、それが人間社会の道徳の範囲であって神の愛から出ていないとして、全てが火で焼かれてしまったら、どれ程に悔しく悲しい思いをするでしょうか。

私;福田は神学校時代に、グッドサマリアン・チャーチ青木靖彦牧師に「キリスト教倫理」を教えていただきました。その授業の最終日、それも最後の言葉を忘れる事ができません。

「私たちがキリストの身丈に達するまで善行を行なわないのだとしたら、何時までたっても行なう事はできません。ですから、私たちが善をしようと思う時、『聖霊様、ご一緒に行なって下さい。』と祈りつつ行ないましょう。」と・・・。

ですから、賢い五人の娘のように、私たちは常に聖霊様に聞き、聖霊様と行動を共にしていなければなりません。
 10人の乙女
 
そして、自分の中に自己中心や傲慢、自己義・・・が見つかった時、すぐに十字架の元に駆け寄り、そのたびそのたひ悔い改めましょう。

聖霊様が、私たちを真の悔い改めに導いて下さいます。

そして聖霊様が、この世のある私たちを、毎日連れて行きたい所は、「十字架の御許」です。

 ★悔い改め

一度、悔い改めて十字架によって贖われた私たちは、日々の罪・汚れをこまめに洗い流していただく事と、毎日イエス様の霊性(ご性質)を少しづついただく事が、最後の火に備える生き方です。

聖霊様の導く悔い改めは、他人に指摘される時や後悔のように肉の思いから来る痛いだけの悔い改めではなく、癒しの油を伴っていますので、この世では味わえない歓喜に満ちた天の慰めを味わう事ができます。




ひとつの説として捉えて、心に留めていただきたいのですが・・・・・、預言的メッセージによると、一般の人たちへの「最後の審判」と、再臨の日のクリスチャンへの火の裁きとは別ではないかと推測されており、しかもクリスチャンの火の裁きは、「千年王国」にどのような立場で入るかと言う違いだそうです。

そして、再臨の日に火を通る(二段階)前に、今生きているうちに第一段階として日々聖霊の火で神の子として相応しくな部分を焼いていただき、日々聖められている必要があると言う事です。

十人の花嫁の付き添いのたとえ話のように、聖霊の油を常に常備してイエス様に繋がっていなければ、小羊の婚礼の席に着くことも、永遠に王の王であるイエス様と共に、王となって、世を治める側とはなれないと言う意味です。

イエス様は、私たちを神の民・神の子として十字架上で贖って下さいましたが、単に民として天国に入るのか、王として天国に入るかの二つの身分があります。

聖霊の油注ぎを受け続け、照らされた御言葉に従って歩むのならば、私たちは「聖い花嫁・イエス様の通った十字架の道をついて行く純粋な弟子・御父の御心を知ってとりなす祭司・・・」となって、燃えないものが残る生き方が可能となり、婚礼に招待され、王とさせていただく事になります。

★「私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」(黙示録5:10)

ですから世の人々にとってだけでなく、私たちクリスチャン自身にとっても、今が恵みの時なのです。現在の私たちの信仰生活を、真剣に考え直し、見直さなければならない重大問題なので、祈りつつ聖書をよく読んで、真理の御霊に理解を導いていただきましょう。

①いのちの書に名前が記される資格である「イエス様の十字架の血と死による贖いの御業」は、100パーセント神さまの側のなさられた事で、私たちの行動の良し悪しには何の関係もありません。

しかし②私たち神の子に言動に於ける義が、一般の人々やパリサイ人に劣っているようでは、私たちの心の中にキリストが現れていない事になります。

私たちはパウロのように天国での賞を目指して、心の一新により、上からの聖霊の御力により、自分を打ち叩いてでも、御言葉に従って行けるように、天を求めて生きて行くべきです。
 

現に今、農夫である天の父は、私たちの環境を通して、試練を通して、御言葉を通して、決して燃えない金や銀や宝石のような行いをする聖なる者と、私たちを変えようとしておられるのではないでしょうか。

金塊1

五人の賢い娘と愚かな娘のたとえも、忠実な僕の話も、ただ一般のクリスチャン(神の民)か、小羊の婚礼に入れるのか入れないのか、王の王であるイエス様と共に王として地を治めるか 鉄の杖で治められる側なのか、天の父の御側でご褒美をいただけるか、天国の外庭に出されて罰を受けるのかの違いです。
(天国に入れるか入れないかではなく、天国に入る前に、悔い改めの済んでいない部分を深く反省し、神様の掟をよく理解するまでの一定期間と思われます)

イエス様がなさたこれらのたとえ話での報いと罰は、①罪が十字架によって赦されて天国へ入るか入らないかの問題ではありません。②永遠に天の御国の住民となれても、報いが何もないと言う残念な状態がると言う事です。そして報いがなかった時の時に私たちの落胆は大きく、歯がみをするほどであり、・・・そして、人生を神さまの目的(御言葉)に沿って生きなかった一定期間の罰は、地獄ではなく「暗闇」で、火のように激しい後悔です。

信仰の父のアブラハムでさえも、神さまの命令を細部まで守れなかった時に、一時的にですが罰としての暗闇を体験しました。

アブラハムへの不従順アブラハムへの罰

★日が沈みかかったころ、深い眠りがアブラムを襲った。そして見よ。ひどい暗黒の恐怖が彼を襲った。(創世記15:12)

私たちはこの世で生きている今の段階に於いて、日々御言葉を読み、聖霊様に悔い改めを導かれ、暗闇の中ではなく、光の内を歩んでいる事が大切です。

光の内を歩む事とは、聖霊の真昼のように明るい光に御言葉を照らしていただいて、あからさまに罪を指摘され、最後の審判と火の時を待たずに、日々この地にありながら悔い改めつつ、何処まで聖くされながら歩む事です。

ですから天の父は、再臨前のこの重要な時、他の誰よりにも先立って裁きの日を待たずに教会から裁こう、クリスチャンから聖めようとしておられます。

千年王国のリーダーの養成も重要ですが・・・、先ずはこれからの再臨前リバイバルの時に用いる為には、私たちクリスチャンと教会が、イエス様の身丈に達して、イエス様の愛と正義とへりくだりに達しているべきだからです。

★しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。(ルカによる福音書18:8)

★なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。(Ⅰペテロ4:17)


その為に、私たちは足りない者、弱い者として生まれ、ヤコブやヨセフのように欠点の多いものとして育ち、小さい頃から既に特別に他の人よりも厳しい環境の中に生き、今も大きな問題を抱えているのではないでしょうか。
その大きな葛藤の中で私たちは初めて、神様を激しく求め、御言葉を探し、悔い改め、熱心に祈り、逆境の中にあって真心からの賛美を捧げ、主と主だけに頼る聖なる者とされるのです。心が貧しいからこそ、「天の御国」をこの世にあって体験し、来るべき天に於いては、天の御国の中心部、御座の近く、御父のふところにまで近づけるのです。
★心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。(マタイによる福音書5:3)

もし今、自分が特別な試練の中にいると感じておられるクリスチャンがいましたら、天の父が、再臨前リバイバルに備えて聖別なさっている最中であると悟って、ますます信仰に励みましょう。
 
★賞を受けられるように走りなさい。1コリ9

★試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。(ヤコブ1:12)

 ★冠を受ける

私たちは、この栄冠を目指し、再臨前リバイバルでへりくだった器として用いられ、千年王国ではイエス様と共にこの地を支配させていただく事のできる、御父の善の基準に適う者と成長をさせていただきましょう。

 ★冠

・・・良いことを励み(聖霊様と共に) 流れのそばで お受けいたしましょう たまの冠を・・・











聖歌687番「まもなくかなたの」
まもなくかなたの



 












★花のライン17休憩
・・・3月12日(火)コチラ続きます・・・
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