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キリストの幕屋②「四枚の幕」

 419の1四色の幕


モーセの幕屋は、教会や神殿や宮の基本です。
幕屋は、私たちに聖書の真理をわかりやすく伝える為の「絵本」で、驚くべき奥義を伝えています。

私たちの肉体が死んだら、永遠に生きる事のできる霊の体になって天国へ行きますが、その時には私たちの心(思い・感情・記憶・・)などはどうなるのでしょうか?

この疑問に、幕屋の四枚の幕が答えています。

幕屋の三つの場所と、私たち生ける宮(体・魂・霊)が同じである事を理解すると、聖書の真理がよくわかるようになります。

 419の2

幕屋の塀で囲まれた敷地内「庭」は、私たち生ける宮の「体」と対応していて緑で、建物の入口側の長方体の「聖所」は「魂(心)」に対応していてピンクで、その奥の正立方体の「至聖所」は、私たちの心の奥底の「霊」に対応しています。

 419の3対応

幕屋の建物の部分が「聖所」と「至聖所」で、この部分だけに四枚の幕(二枚の幕と二枚の覆い)がかけられています。つまり、私たちの「魂(心)」と「霊」は、四枚の幕(覆い)で覆われているのです。

その四枚の幕のそれぞれの意味を、見て行きましょう。




ライン15
(1)一枚目「四色の撚り糸で織った幕」


 419の4四色
★出26:1 「幕屋を十枚の幕で造らなければならない。
すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、
巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。」


四枚の内、一番下になるこの幕は、聖所と至聖所の天上部分になり、白地に三色の糸で刺繍された布がつなぎ合わされています。



≪四色の意味と四福音書≫

419の5四色

①亜麻布の白
マルコ9:2-3 「イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。」※マタイ17:2御衣は光のように白くなった。

②青
ヨハネ3:13 「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
ヨハネ3:31 「上から来る方は、すべてのものの上におられ、地から出る者は地に属し、地のことばを話す。天から来る方は、すべてのものの上におられる。」

③紫
ルカ 16:19 ある金持ちがいた。いつもの衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

★エステル 8:15 モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。

★ダニエル 5:29ダニエルにの衣を着せ、金の鎖を彼の首にかけさせ、彼はこの国の第三の権力者であると布告した。

④赤(緋色)
マタイ27:28-29 イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」



≪一枚目の幕の可視部分の意味≫

イエス様の霊性を表す、長さ18mと幅13m近くある幕全体28×40→1,120平方キュビトの内、見えているのは、聖所の天井部分10×20→200平方キュビト 約1/6)だけです。

この聖所は、信仰者にとっての毎日の荒野での生活であり、礼拝の日々を表わしています。

私たちは毎日、天を見上げて、御父に感謝しつつ祈りを捧げつつ、イエス様と語り合いつつ、賛美しつつ、御言葉を味わいつつ生きていきましょうと言う意味があります。

★コロサイ3:1-2「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」

★ヘブル11:27 「信仰によって、彼(モーセ)は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。」

★出エジプト17:11「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。」
・・・人生の荒野で


≪撚り糸≫

刺繍の台となる白い亜麻布も、刺繍糸も撚り糸でした。
下記は、シナイ山の麓で女性たちが、幕屋建設に必要な器具や備品の布を織っている所です。

 419の6織る

普通の時にはうなじが強く、不平不満ばかりを言ってモーセとアロンを苦しめ、神様の怒りをかっていた民ですが、幕屋(教会)建設の時には、特別に聖霊が働いて心に感動があったので、持っているものを惜しみなく余るほどに捧げ、皆それぞれの得意な事で協力し合って立派に完成させました。

私たちが教会の働きに加わる時、ひとりひとりが完全に一つとされていなければ、麗しく完成する事はできません。それは、父・御子・御霊の三位一体の神様が、それぞれの立場や働きが違っても完全に一体であるからです。

★伝道4:12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。

 419の17 三つ拠りの糸

ですから私たちは御霊を切に求め、御霊の働きによって自分の自我や計画が見えなくなる程に柔らかくされ、教会の全ての兄弟姉妹としなやかに拠り合わせていただきましょう。そして、永遠から永遠に続く、三位一体の神様のご計画の「三つ拠り糸(綱)」の中に、組み込まれて行きたいと思います。





ライン15
(2)「二枚目の幕;山羊の毛11枚をつないだ白い幕」

 419の7白
★出26:7 また、幕屋の上に掛ける天幕のために、やぎの毛の幕を作る。
その幕を十一枚作らなければならない。


≪二匹の山羊の贖い≫

 419の8山羊

イエス様が「贖いの小羊」である事はあまりに有名ですが、レビ記16章には、二匹の山羊が果たす「贖罪」の方法が記されています。
※「アザゼルの山羊」について詳しくは【2013年03月19日】の(5)にあります。

★レビ16:7 二頭のやぎを取り、それを主の前、会見の天幕の入口の所に立たせる。16:8 アロンは二頭のやぎのためくじを引き、一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためとする。16:9 アロンは、主のくじに当たったやぎをささげて、それを罪のためのいけにえとする。16:10 アザゼルのためのくじが当たったやぎは、主の前に生きたままで立たせておかなければならない。これは、それによって贖いをするために、アザゼルとして荒野に放つためである。

この山羊による贖いは、①主の為の「いけにえ」と、②アザゼルの為の「神に見捨てられ、神なき荒野で一人さ迷う身代わり」です。

レビ記にある山羊としての贖いが「主」の為と言うのは、黙示録に二箇所だけにある、イエス様が十字架にかかられた理由「父のために」に通じるものが感じられます。

★黙示録5:9・・・「あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、5:10 私たちの神のためにこの人々を王国とし…」

アザゼルが、堕天使であるサタンを表す言葉であるのなら、罪のある人間が行くべきサタンの住みか「地獄]行きの身代わり(scapegoat)とイエス様はなって下さいました。

★イザヤ 53:8 「しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれた ことを。」

十字架上でイエス様は、小羊としての贖いだけではなく、主への贖いの山羊となり、そしてアザゼルへの山羊として、追放されました。

★マタイ 27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。


≪暖かい毛布≫

山羊の毛で作った白い毛布は、幕屋の建物を包んでいました。日々聖所(礼拝所)で仕えていた祭司や大祭司は、外が冷えていても暖かく過ごせた事でしょう。

聖所は「心」に対応し、至聖所は「霊」に対応していますから、私たちも、試練の荒野にあっても「心」と「霊」は、羊毛100%の暖かい毛布で暖かく包まれているのです。

 419の9毛布

私たちがもし、一人ぼっちになる事があっても、イエス様が十字架上で、アザゼルの羊となって天の父から見放される罰を受けて下さったので、私たちが神に捨てられて孤児とされる事はなく、いつも一緒にいて(インマヌエル)下さるので、私たちの心は天国の平安(安息)で満ち溢れている事ができるのです。

★ヨハネ14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません


≪白く聖い衣≫

 419の10白い衣

★黙示録 3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。    
※マタイ22:11「婚礼の礼服を着ていない者」


イエス様が流された十字架の血潮によって白くされた衣(黙7;14)で罪と汚れが覆われた私たちは、天で開催される小羊と花嫁である教会との婚礼の宴会に入る事を許可され、永遠に天の御国で父の御許で生きる事ができます。

だからこそ、私たちの内に宿った聖霊様の導きに従い、しみもしわもない美しい姿を目指し、聖い信仰を建て挙げ、その信仰から出た神からの愛の行いを積み上げて行きましょう。

★ユダ1:20-21 「しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」 




ライン15
(3)「三枚目;赤くなめした雄羊の覆い」

 419の11赤
★出26:14a「天幕のために赤くなめした雄羊の皮のおおい」


★エペ1:7 「私達は、この御子の内にあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによる事です。」

★1ペテロ1:18-19 「・・・あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」
 

この赤くなめした雄羊の皮の覆いは、日々の手足についた汚れを洗う「洗盤」と同様に、サイズが指定されてありません。

 419の19

ペテロがイエス様に質問をしました。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」

 419の15ペテロ419の16 7の70倍

ペテロの質問に、イエス様は「七度を七十倍するまで」と答えられましたが、イエス様は悔い改める者を無限に赦そうとしておられます。

 図419の20

イエス様は、たとえで語られました。
①王に一万タラント(約十六万年分の賃金)の借りのある僕が、②王の憐れみで免除されたのに、③外に出た時に自分が百デナリ(百日分の賃金)を貸している仲間に出会い、返済を要求しても返せなかったので牢に入れました。その話を聞いた王は怒って、④僕を牢に入れました。

そしてイエス様は言いました。
★マタイ18:35 「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」

雄羊の皮の覆いのサイズの指定がないのは、罪を悔い改める者にとって、十字架の血潮による罪の赦しは無限大である事を示しています。そしてイエス様は、大きく赦された者として、私たちも他人を赦す者となるようにと、望んでおられます。

 419の14






ライン15
(4)「四枚目;ジュゴンの毛皮の覆い」

 419の12屋根部分
★出26:14b その上に掛けるじゅごんの皮のおおいを作る。

雨風に強い屋根と外壁を兼ねる最上部のジュゴンの毛皮の覆いは、どんなに強大な人生の嵐の中でも、私たちの霊魂を守る質実剛健な屋根となります。

しかし、誰も入りたいとは思えないこの幕屋のみすぼらしい外観は、イザヤが預言した、この地を歩まれた時の世の価値観から見たら敗北したキリストの姿です。

★イザヤ 53:2-3 「彼(イエス・キリスト)には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」

しかし、一度キリストの内側に入った者も、一度このみすぼらしく見える幕屋の内側に入った者も、その中の輝きを発見する事になります。

★ヨハネ1:14「 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

★創世記1:3 神が「光よ。あれ。」と仰せられた。・・・この言葉ご自身であるイエス様が、「救いの光」としてこの世に来られ、「幕屋」となって、私たちの真中に住んで下さったので、幕屋の内側は栄光に輝いているのです。

 419の21


★コロ2:3 「このキリストの内に、知恵と知識とのがすべて隠されているのです。」 ※今日(1982年)で10億円

この内側の輝きを知る事のできた人は稀です。

★マタイ 7:13-14「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。命に至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。 」 

しかし、一見みすぼらしく見える幕屋も、十字架も、イエス様の生涯も、その中に入った人には、素晴らしい神のご計画・力・栄光・・・を見る事となります。

★1コリ1:18「十字架の言葉は、滅びに至る人々には、愚かであっても、救いを受ける私達には、神の力です。」

その人たちは、イエス様がご再臨なさる時、イエス様の栄光の中で一緒に輝くのです。

★コロサイ 3:4 あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。(新共同訳) 





エンディング 

 私たち生ける宮(幕屋)の「心」と「霊」は、
三位一体の神様の愛に溢れた幕四枚に包まれています。

この四枚の幕に、私たちの「霊」と「魂」だけが守られて、永遠の命を得るのです。

私たちの地上での肉体は死んで、土に帰りますが、
私たちの霊魂は、霊の体を与えられて天の御国で永遠に生きるのです。

419の13


この地上で生きている間も「私たちの霊魂」は、
その暖かい愛に包まれ、力強い御腕に抱かれ、
その大きな胸の中で守られているのです。

 419の18イエスの御腕に

 聖歌495番「イエスのみ腕に」 【オルガン伴奏】
①イエスのみ腕に そのみ胸に 静かに憩(いこ)う(お) 我は安し 
天(あま)つ使いの 歌の声も 心に近く 聞こゆるなり

《折り返じ》  
イエスのみ腕に そのみ胸に  静かに憩う(お) 我は安し

②イエスのみ腕に 抱(いだ)かるれば 罪の力も 何かはあらん
疑いもなく 恐れもなく 悲しみすらも 深くあらじ
《折り返じ》 

③イエスは常世(とこよ)の 岩に在(ま)せば 生ける限りは 頼らまほし
栄え輝く 国に覚(さ)むる 常世(とこよ)の朝を 待ちわびつつ
《折り返じ》

 


 


人生の嵐の中で、試練の荒野に立つ時、
不安でいっぱいの時、
イエス様の胸に飛び込みましょう。



二番は「あなたを」を「わたしを」とか、「○○さんを」、
「▲▲ちゃんを」…に変えて賛美してみてはいかがでしょうか。



 3ライン





 ★花のライン17休憩
2013年4月26日(金)コチラに続きます。
天国(安息)への地図(1)「安息とは」についてです。






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| キリストの幕屋 | 22:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

ファティマ第三の預言とノアの大洪水について。

第二次大戦前にヨーロッパでオーロラが見られたように、
アメリカでオーロラが見られました。
また、ダニエル書の合算により、
御国の福音が宣べ伝えられるのは、5月15日だと理解できます。
エルサレムを基準にしています。


2018年 5月14日(月) 新世界           +1335日 
            ダニエル9:2         イスラエル建国70年

2018年 3月30日(金) ノアの大洪水         +1290日 過越14日-15日 
2014年 9月17日(水) ダニエル12:11            +0日
2013年 5月15日(水) ダニエル9:24  マタイ24:14    -490日  第一次中東戦争から65年


天におられるわれらの父とキリスト、
死者復活と永遠のいのちを確信させるものです。

全てあらかじめ記されているものです。
これを、福音を信じる全ての方、
救いを待ち望む全ての方に述べ伝えてください。

| マタイ24 | 2013/05/09 10:44 | URL |















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