FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

天国への地図(2)救いの段階

先週は、ヘブル書三-四章を通して、出エジプトの民の最終目的地「乳と蜜の流れるカナンの地」と、神様の「天地創造」の七日目の「安息」とが同じである事を観て来ました。

今週は、「天地創造」と、「キリストの生涯」もまた一致して、大きな真理を語っている事を学んで行きましょう。

先ず下記の最初の図で、「天地創造」と「幕屋の器具」とは一致している事を観て行きましょう。
三位一体の神様は、人間が目的とすべき「神の給う安息」について、聖書全巻を貫いて教えています。
これは、人間が贖われて神の子とされ、天の御国に至るまでの順序で、「天地創造」と「幕屋の構造」による「天路歴程」と言えます。

下の図・・・「天地創造」と「幕屋の器具」のそれぞれの対比が、「キリストの生涯(幕屋)」と一致し、そして「天地創造」と「幕屋の器具」と「イスラエル民族の出エジプトの歴史」を通して、天地万物を造られた神が、私たち人間に望んでおられる「執着地点(天地万物の創造の目的)と、その「過程(道)」を示しておられます。

そして、「イスラエル民族の出エジプトの歴史」は、神様の目的である「安息」に入れなかった反面教師としての荒野の民の生き方とは反対に、全て天の父の目的通りの生涯を送ったイエス様の生涯の順序です。

503の4503の5

上記の図を大まかに見ていただき、大きく三段階に分かれている事を確認して下さい。

①幕屋の「庭」に相当する「救い(新生)」の段階。

②番目に幕屋の「聖所」に相当する信仰生涯を表す「試練と訓練の荒野」の段階。ここは日々の礼拝(御言葉・聖霊・祈り)を通してキリストの身丈に向かう「聖化」にあたります。

全体としての順序の中にあって、この「聖所;荒野」の部分だけは、礼拝の三つ(御言葉・聖霊・祈り)が、平行して同時に進んで行きます。

③の「至聖所」の部分は、キリスト(御子)の身丈に至る部分と、「天の安息(御父)です。

本日は、この①の部分、幕屋の「庭」に相当する「救い(新生)」の段階を見て行きたいと思います。





ライン15
(1)「暗黒」







ライン15
(2)「救いの光」

・・・そして約二千年前「世に来た!」・・・

The_Shepherds011.jpg

このクリスマスの日の意味が、
ヨハネによる福音書第一章の御言葉でイエス様が救い主として世に来た事と、、
創世記第一章の天地創造の第一日目の「光」と、
幕屋の器具の一つ目「祭壇」と対応していますし、
出エジプトの小羊の血による贖い出しと対応しています。

下記の図は、聖所部分(天地創造の一日目と二日目、幕屋の器具の一つ目と二つ目、出エジプトの最初の二段階・・・に対応しています。①の真ん中の列をご覧下さい。それぞれが一致している事を見ていただきたいと思います。

503の6503の7


天地創造の一日目の「光」は、「救いの光」に対応しています。
※「この方」とは神様の一人子「イエス・キリスト」です。

★創世記1:3 神は「あれ」と言われた。すると光があった。
★ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。1:2 この方は、初めに神とともにおられた。1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一ない。 1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった


sweetbabyjesus1cp.gif


出エジプト時の民はまだ、荒野で幕屋が出来る前ですから、出エジプトにあたり、小羊の血の贖いによって、サタンを象徴するパロの奴隷状態から贖い出されました.

 passovernf lamb

幕屋の最初の器具「祭壇」は、神の民は、祭壇で動物をいけにえとして捧げて罪の赦しを祈りました。永遠から永遠の中で一度の「イエス様の十字架の贖い」以前だったので、罪を犯すたびに贖罪の儀式が行われていました。

 altar-sacrifice.jpg

全ての人間は罪を犯したので天の御国に入る事はできませんでしたが、イエス様の十字架の血潮に於いて罪が赦され、神の子とされ、永遠に天の御国で生きる事ができるようになりました。これが「救いの光」イエス様の贖いです。

旧約時代の動物による罪の贖いは、イエス様の十字架の贖いを私たちに教える為です。

特に幕屋は、私たちが先ず求めるべき「神の国とその義」であって、救いの構造を私たちにわかりやすく教える絵本(視覚教材)のような存在です。特に出エジプトの際の、神の民の家の門柱と鴨居に塗られた小羊の血は、私たちがサタン(パロ王)の支配するこの世(エジプト)から贖い出されて、神の国(カナンの地)へ旅立つ為に不可欠な最初の段階です。
 lamb blood


現在の私たちは恵まれた時代に生きており、何と言っても経済的にも豊かで、福祉制度も充実しているので、食べ物や着るものに不足してはいないです。しかし、救い主イエス様を受け入れる前の人々は、死の奴隷であり、サタンの奴隷です。本当は暗黒の世界に繋がれているのに、滅び行くこの世の空しいつかの間の繁栄を見せられているにすぎません。

人類にとって、天地創造の第一日目の「光」指し示しているのは、救いの光である「イエス様の十字架の贖い」です。






ライン15
(3)「聖めの水」


天地創造の二日目、そして幕屋の器具の二つ目は、「水」の段階でした。

★創世記1:6 ついで神は「大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように。」と仰せられた。 1:7 こうして神は、大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。するとそのようになった。 1:8 神は、その大空を天と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第二日

 503の12

2節には、この水は大いなる水であったとあります。

★創世記1:1 初めに、神が天と地を創造した。1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。

進化論に対抗して創造論に立つ、何人かの聖書教師や学者の方々は、ノアの方舟の大洪水は、天地創造の二日目に天と下に分かれた、空の上にある水の全てがたらいの水をひっくり返すようにどっと降り、空の下にあった地下水も湧き上がったと教えています。

 flood.jpg

罪にまみれた地を覆い尽くしたこの「大いなる水」とは、聖めの水です。

幕屋で聖所に入る祭司達、至聖所まで入って仕える大祭司は、聖所に入る前、この洗顔で汚れのついた箇所を洗い聖めました。

この洗盤はサイズの指定がなく、罪を七の七十倍まで赦す神様の心が表れています。
詳しくは(13)CT(キリストの幕屋)「②四枚の幕」(3)「三枚目;赤くなめした雄羊の覆い」をご覧下さい。

そしてまた、イエス様がペテロの足を洗いながら言ったように、罪を告白して十字架の血潮で聖められて神の子としていただいた者は、日々汚れた部分だけを洗い聖めていただけば良いのです。

★ヨハネ13:9 シモン・ペテロは言った。「主よ。わたしの足だけでなく、手も頭も洗ってください。」 13:10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。」

 419の19


この②水盤の位置は、「洗礼」と「日々の洗い」を意味します。
上記のイエス様の教えは、一生に一度の十字架の血潮による罪の赦しを「全身水浴」を洗礼式と捉え、日々の罪・汚れからの聖めを「手足だけの洗い」としていますが、幕屋の器具もそれを裏付けています。

祭司は聖所に入る前に、洗盤で手を洗いますが、それは祭壇の所での贖罪を済ませてもなお数歩洗盤の所にいたるまでに、砂漠である地面(この世)を歩む時に汚れた足をもう一度聖めます。

なぜなら・・・、★ヘブル 12:14 聖くなければ、だれも主を見ることができません

下記の図で、、天地創造の二日目と幕屋の器具の二つ目が「水」である事に注目して下さい。

出エジプトの民も、私たちも血の贖いの後に「洗礼」を受けました。

★Ⅰコリント 10:1 私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。10:2 そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、 

私たちもまた、キリストにつくバプテスマを受けました。
民もすっぽりと紅海の中を歩みましたが、イエス様もまた川で全身が水に浸かりました。
ノアの方舟の時に、大いなる水が地球上の全てを覆い尽くしたように、私たちがもし滴礼を受けたとしても、全身も過去も全て聖められたと堅く信じましょう。

503の6503の7


さて、上のイエス様の生涯の列を見てください。

イエス様は信仰者の家庭に生まれて信仰の歩みを家族としていましたし、神の御子ですから罪と穢れの一切がなかったのですが、「洗礼」を受けてくださいました。

それはイエス様が、私たち信仰者の道を示すためです。
ですから、かつて荒野の民が失敗してしまった、一度エジプトに退き、出エジプト(この世からの脱出)からカナンの値(天の安息)に至る道筋を、今の私たちに示す為に、洗礼を受けて下さったのです。

★ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもと(天の安息)に来ることはありません。」

天の父は、荒野の民を反面教師とし、御子イエス様をただ一人の教師として、この再臨を迎えようとする重要な時期、私たちに安息に入るようにと願っておられます。

イエス様が洗礼を受けた時の御父の言葉です。

★マルコ1:9 イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
1:10 そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
1:11 そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」


そして、イエス様が高い山に上られた時の御父の言葉です。

★マタイ17:5 見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。

私たちは、ただただイエス様の後ろに従がって、この世の終わりの重要な時代を迎えるための使命「安息」に入りましょう。





エンディング 



本日は、「天路歴程」の第一段階、「救い(新生)」を観てきました。

ここで重要な真理があります。

紅海で、神の民を奪還しようと追って来たエジプト兵(サタン)と神のみが戦いました。
救いの段階に於いて、人間は何もする事はありません。
私たちはただただ罪を悔い改め、
罪を十字架で血を流して贖ってくださった救い主を信じ、頼るだけです。

神様がパロ王の心をかたくなにさせ、サタンに見たたて
私たちに「救いにおける神の力」を学ばせました。

それと共に、「洗礼」の大切さも示されました。
私たちは「洗礼」を形式的なものと考えがちですが、「洗礼」とは救いの確定です。
神の子の身分、永遠の命」を奪還しようとする
サタンの追撃が届くのは「洗礼」までです。
サタンは、洗礼を受けた者の「この世の命」を奪う事はできても、
「永遠の命」は奪えません。
「救いの門」の内側に留まっている限り・・・、

★出エジプト14:13 モーセは民に言った。「恐れてはいけない。
しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。
あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
14:14 主があなたがたのために戦われる
あなたがたは黙っていなければならない。」


出エジプトの民は、モーセが神の力である「杖」を延べた時、
開かれた紅海を渡って行きました。

 crossing_the_red_sea すば

民全員が、海を渡り切った時・・・

★出エジプト14:26 このとき主はモーセに仰せられた。
「あなたの手を海の上に差し伸べ、
水がエジプト人と、その戦車、その騎兵の上に返るようにせよ。」

 L14-28CHARIOTS-DEMISE

14:27 モーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海がもとの状態に戻った
エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、
主はエジプト人を海の真中に投げ込まれた

14:28 水はもとに戻り、あとを追って海にはいった
パロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。
残された者はひとりもいなかった
14:29 イスラエル人は海の真中のかわいた地を歩き、
水は彼らのために、右と左で壁となったのである。
14:30 こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた
イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た



私たちは、神様の側がなされた救いの御業を忘れる事なく
常に十字架の血潮の力に頼り
天国に帰りつくまで、感謝し、賛美し続けましょう。

 ★レビ 17:11 わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、
これをあなたがたに与えた。
いのちとして贖いをするのはである。


血潮の賛美の歌詞と伴奏はこちらから⇒聖歌425番「罪・重荷をのぞくは」





 3ライン





 ★花のライン17休憩
2013年5月10日(金)コチラに続きます。
「天地創造の三日目・四日目・五日目」についてです。










スポンサーサイト

| Ⅲ天国への地図 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑















非公開コメント

http://riversidechapel.blog.fc2.com/tb.php/35-cb19cae0

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。