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天国への地図(4)幕屋(三)パンの机[2]「心の為のパン」

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パンの机[2]「心(霊魂)の為のパン」 
・・・私たちの霊魂が、神と共に永遠に生きる為のパン・・・


 今週も、天地創造の三日目(種のある食物・果物をつける樹)に相応している
幕屋の三番目の器具「パンの机」についての二回目です。

パンの机12
http://bibleencyclopedia.com/pictures/Exodus_25_
The_Table_of_Shewbread_inside_Tabernacle.htm 

 

先週は、私たち人間のこの世に於ける
体の命を支える為のパンを見て来ました。

本日は、私たちの心(霊魂)が神の命(ゾーエー)で輝き、
永遠に至る命の為に必要なパンについて考えてゆきたいと思います。

人は、体の餓えさえ満たされていれば、差し迫った問題はないように感じますが、
私たち人間が、心を満たす天からのパンを食べなければ単に肉の者であって、
死んだら土に帰ってしまう他の動植物となんの変わりもありません。

では、実際に食べる「心のパン」とは、何でしょうか?
そして、実際にはどのようにして、それを食べる事ができるのでしょうか? 



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ライン15
《1》信仰者の道の定番「荒野の試練」

出エジプトの荒野での飢餓の体験と、イエス様が荒野で断食中に受けた「サタンの試み」とは、多くの共通点があって、パターンにはまっています。

出エジプトの民は、紅海でモーセにつく洗礼を受けた後、御霊の柱に導かれて、荒野四十年間歩みました。この旅の道中、民は餓え乾いて不平不満を言い、神を試みました

イエス様もまた、ヨルダン川で謙ってバプテスマのヨハネに洗礼を受けた時に天から降って来た御霊に導かれて荒野に入り、四十日四十夜もの断食をした後、空腹のまま、サタンからの試みを受けました。

christ-in-the-wilderness-david-perales.jpg

そのパターンは・・・
川(海)⇒洗礼⇒御霊の導き⇒荒野⇒四十日or四十年⇒空腹⇒試み

荒野の民と、イエス様が違うのは、最後の試練に対する信仰の反応だけです。ここで重要なのは、救われて洗礼を受けた信仰者は、必ず御霊の導きで「試練と訓練の荒野」に入ると言う事です。

神様が、私たちに正しい生き方を教える為に、万事を計画的に運んでいるとしか考えられません。

最後の「試練に対する反応」だけが、私たちの反面教師「荒野の民」と、私たちにとってたった一人の真の教師「イエス様」との違いです。

荒野での試練に対するイエス様の、信仰の反応を見てみましょう。
★マタイ 4:1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。4:2 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

この箇所でイエス様が、私たちの命の源は「御言葉」だとはっきりと語っています。
私たちの体の為のパンよりはるかに尊い霊魂の為のパンは、「御言葉」です。

 Bite_Your_Bible.jpg
http://s111.photobucket.com/user/frankielucas/media/Bite_
Your_Bible.jpg.html#/user/frankielucas/media/Bite_Your_
Bible.jpg.html?&_suid=13699691391860937870864029041


体のパンでさえ、天地創造の三日目の「御言葉」によって存在したのですから、この世での体の命も、永遠の中で喜びに輝いて生きる事も、両方とも「神の口から出る一つ一つの言葉による」のです。


下記は、出エジプトの民への「神様からの言葉」です。

★申命記8:3主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった

人間は、餓えた時にはなりふり構わず必死で食べ物を求めます。私たちが、それと同様以上に神の言葉を切実に求めるべき事を教える為に、過去に荒野の飢餓の試練があり、現在にも未来にもあるのです。


イエス様は、御霊の導きによって荒野に入り、そこで飢饉の時に信仰者はどのように過ごすべきかの模範を教えようとするとする神様のご計画の通りに・・・

・・・空腹になり、サタンの試みを受け、体の為の「パン」を選ばず、永遠に生きる霊魂の為の「御言葉」を選択し、サタンに勝利し、荒野の飢餓のテストに合格しました。

天の父が、「彼の言う事を聞きなさい。」と、私たち信仰者に向かってイエス様を模範とするようにと言うはずなのです。なぜならば、イエス様は十字架の贖いの為にこの世に来られただけではなく、私たち信仰者に「私は道」と、信仰者の生き方を教える御計画の中で、この地に肉となって降ろされたからです。

★マタイ17:5 見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。

イエス様ご自身も、語っておられます。


ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。
「わたしがであり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」







ライン15
《2》「御言葉の本体である御子」 

ヨハネによる福音書には、創世記一章の天地創造のを受けて人間の知恵では知りえない奥義が記されています。「イエス様が、光輝く永遠の命そのものであり、生きている御言葉の本体である」と。

 図92

★ヨハネ 1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
 

イエス様が永遠に変わらないお方なので、御言葉も同じく永遠に変わりません。

★黙示録 22:13 「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」



六日間の創造の言葉は全て、神(御子イエス様の言葉)であった!」と、語っています。そして、ご自身がまことの光であり、永遠の命であり、言葉本体であるイエス様が命じて、暗闇の中に光を創造し、全ての被造物に命を与えられたのですね。

 Sabc112 4hi

★創世記1:1 初めに、神が天と地を創造した。 1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。 1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。 


御父、御子、御霊は、三位一体で、天地が創られる以前から、存在していました。
★コロサイ1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

この御言葉の本体であられる、三位一体の神の中の御子が、この世に肉をまとって降りて来られ、この地をいかに生きて行くべきかを教えられました。この地にあって、御言葉の本体であるイエス様が、私たちと同じ肉体の弱さと限界の中にあって、御言葉の真理に忠実に歩まれたのです。

天地万物を創造されたイエス様でさえ、この世の荒野を御言葉を食べつつ歩まれたのであれば、被造物である私たちはなお更のこと、天から毎朝降って来る御言葉のマナを恋い慕い、生きてゆきましょう。

私たちは、傍らにあっていつでも読める聖書を軽んじているように感じます。
御言葉が、神の本体であり、神ご自身であるとの実感が乏しいようです。
御子イエス様は、その当時は旧約聖書中に書かれた御言葉を神本体として尊重し・・・、
御霊によってその時その事に語られる父の言葉に、無条件で従いました。


ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」







 ライン15
《3》天から降ってきたパン「キリスト」
t_Communion016.gif

しかし、イエス様は驚くべき事を仰いました。
自分自身が「天から降って来た命のパン(マナ)であると・・・。

イエス様は、約二千年前のクリスマスの夜、天より静かに、この地にパンとして降って来られました。

524の5

イエス様は、私たちの食べるべき御言葉本体でおられるだけでなく、十字架上で血を流し、肉を裂き、その血と肉をパン(マナ)のように私たちに食べるようにと言っておられます。

★ヨハネ6:48 わたしはいのちのパンです。

6:49 あなたがたの先祖は荒野でマナ(※体の命の為の天から降ってきたパン)を食べたが、にました。
6:50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。6:51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」


4582266.jpg
http://firenze.blog.so-net.ne.jp/2006-09-01


★マタイ26:26 また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
26:27 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
26:28 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。


イエス様こそ、エデンの園でアダムとエバが、その実を食べ損なって永遠の霊魂の命を失った「命の木」です。

 jesus_tree_命の木 


 ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
 









 エンディング 

どのようにして、
御言葉の本体であるイエス様の言葉と肉を、
食べる事ができるのでしょうか?


私たちの祖先アダムとエバは、エデンの園で、
神様の「善悪を知る知識の木の実を食べてはいけない」との
たった一つの戒めの言葉を守れずに、
サタンの王国であるこの荒地に下ろされました。

 tlc-003.jpgtlc-004.jpg

★創世記3:17 アダムに仰せられた。
「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないと
わたしが命じておいた木
から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。
あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ
、あなたは、野の草を食べなければならない。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。 


神様が、人間をサタンの地に下ろしたのは、
私たち人間に、試練と訓練の荒野で、
神様の本体である御言葉の偉大さと、
神様の愛と義を体験的に学ばせる為です。

ですから、私たちは置かれた所で
ただひたすら御言葉により頼み、祈りつつ、賛美しつつ、
何かの御言葉を悟らせて下さろうとしておられる神に感謝して
心の中で、ずっと神様にその御言葉の意味を聞き続けましょう。

砂漠の厳しい環境の中で最もしていけない事は、
イスラエルの荒野の民のように不平不満を鳴らす事です。

不平不満とは、サタンへの賛美です。
「あなたは私を不幸にする力がある。」と賛美する事で、

神様に向かっては「あなたは私を幸福にする力がない」と
不信仰告白する事です。

ですから、私たち先に救われている信仰者の使命とは、
日々の生活の中で不平や不満や悲しみや怒りや絶望・・・
不愉快が起こった時・・・、

御言葉を信頼して、全ての思いを御言葉の本体であるイエス様に話す事です。

試練の中では、今から「祈りましょう」とか、「賛美しなければ」とか、
取り立てて特別な時間を持たずとも、心配や絶望が心から一時も離れnいので、
ずっとイエス様と語り合わざるを得ません。

普段の時には、困った問題点は自分の力や、周囲の助けで解決できます。

しかし、神様が「ここぞ!」と言う、試練の荒野にあなたを導いた時、
人間の力や、ましてや他の人に頼っては
神様の計画が元も子もなくなってしまいます。

自分を含めた人間に頼る事とは、「善悪を知る木の実」を食べる事で
イエス様(御言葉)に頼る事が、天国の園の「命の木の実」を食べる事です。

モリヤの山の山頂で、我が子イサクをいけにえにしようとした時、
アブラハムは天の父と、ずっと語り合っていました。
アブラハムは患難とも言うべき厳しい試練の中で、
一瞬たりとも目を離さずに神と見詰め合う事を「礼拝」と呼びました。

神様は、息子が死んでも必ず復活させる力があると信じました。

私たちも、日々に起る小さな試練の時、
また、長い人生の中で稀に起こる火のような試練の時、
「御言葉に信頼して神と語り合う」事によって、
神様のテストに合格して、信仰が飛躍的に成長します。


これが、試練の荒野での、心(霊魂)の為のパンの食べ方です。





聖歌 500番 「みことばなる」(新聖歌316番)
"When we walk with the Lord"

神様が創造の三日目に造られた植物の美しい成長の映像が
全編に溢れています。

特に冒頭の、発芽の瑞々しさや、
根を下ろして行く場面が感動的です。

この、光を浴びてすくすくと育ってゆく植物を見て、
私たちも、御言葉の光に照らされて麗しく成長したいと、励まされました。

このビデオを作られた方も、御言葉と植物とを、
関連付けて捉えておられるようです。



最後に、ほんの1分足らずのメッセージがありますが、
本日の御言葉と同じ箇所があり、神様の導きが感じられて感謝です。

賛美は英語ですが、ご一緒に日本語で歌えます。



①御言葉なる 光のうち 主とともに歩まば
行く道すじ 照らし給わん より頼むわれらに
げに主は より頼みて 従ごう者を 恵み給わん

②御顔の笑み 輝く時 雲きりは消えゆき
疑いなく 憂いもなし より頼むわれらに
げに主は より頼みて 従ごう者を 恵み給わん

③祭壇に行き 身も心も 献ぐると同時に
喜びをば 満たし給わん より頼むわれらに
げに主は より頼みて 従ごう者を 恵み給わん

④いかにきよき 交わりぞや 妨ぐるものなし
昼も夜も 臨在あり より頼むわれらに
げに主は より頼みて 従ごう者を 恵み給わん




3ライン  

 ★花のライン17休憩
2013年5月31日(金)コチラに続きます。
「裂かれたパン①至聖所に香壇」についてです。


 
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