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天国への地図(4)幕屋(三)パンの机[3]「裂かれたパン②アブラハムの裂かなかったパン」

1★十字架のライン


裂かれたパン②「アブラハムの裂かなかったパン(肉)」  
・・・聖書全編が語る「パンが真二つに裂かれる事の奥義」・・・



イエス様は・・・、
私たちが、天の御座の真ん前に座り込んで
直接、神と語り合う事ができる道を開き

そして、
私たち肉体が、死んだら天の御国の安息の中へ
私たちの肉の心を死なせたら、心が御国の安息に入る事ができるように
十字架で真二つに裂かれる為に、天から降って来られました。

先週は主に、私たち人間の側が天に向かう方向を見て来ましたが
本日は、天の神様の側から見た「パンを真二つに裂く」意味についてです。


パンと言うのはこの場合、肉体の事であり、肉の思いの事です。

神様が、礼拝を自発的で純粋なものをする為に、
悪を選択する可能性を覚悟して、全ての被造物に「自由」を与えました。

しかし先ず、自由意志が与えられている天使の一部に、
神に逆らうサタンが出現しました。

自由意志を与えられた最初の人間アダムとエバもまた
その被造物に与えられた自由意志を働かせて、神と神の言葉を第一に敬わず、
サタンの考えを受け入れて神の言葉に逆らい、知識の木の実を食べました。

★Ⅱペテロ2:16(口語訳) 自由人にふさわしく行動しなさい。
ただし、自由をば悪を行う口実として用いず・・・、


悪を行うであろう事は想定内であったのですが、実際に世(地)が始まると、
悪ばかりが増大してしまい、神は全ての肉なる被造物を造った悔やみました。

アダム以来、人々は自分の自由意志で自由を謳歌しているつもりですが
実際には自分では気づかずに、サタンの奴隷として、
悪の道を地獄に向かってまっしぐらに進んでいるのです。

★創世記 6:5 主は、地上に人の悪が増大し、
その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
6:6 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
6:7 そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。
人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。
わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」


このノアの時、多くの偶像礼拝者・無心論者だけではなく
天地万物を造られた神を信じる人々もいたはずです。
しかし神の僕エノクの子孫も多くいたはずなのに、ノアだけが義とされています。

神様が最も心を痛めるのは、一般の人間の罪ではなく、
神を知る民が、霊である神の本体である「御言葉」に従わず
肉の悪い思いによって歩んでいる事です。

この肉の思いとは、エデンの園で人間が食べた「善悪を知る知識の木の実」により
人の心に悪いパンだね(DNA)が入って脹らんだ心こそが「肉(パン)」です。

十字架の血によって罪が贖われる以前の人間は
この被造物の肉(パン)を代表して象徴するのが、ケルビムが刺繍された「垂幕」です。

イエス様はこの肉(パン)をまとってこの世に降りて来られ、
この肉(パン)を裂いて、サタンに勝利しました。

肉(パン)が十字架上で裂かれてこそ、
エデンの園から続いたサタンの死の影響力の根を完全破壊して無とし、
人間に永遠の命をもたらすパンとなったのです。

反対に言えば、肉と肉の思いを裂く他に、サタンに勝利する方法はありません。
この世の御国(安息)に入るにも、キリストの身丈に達するのも、
この世での使命達成のカナンの地に入るのも、天の御国に行くのも、
境界に存在するのは「肉の垂幕」です。

「肉の心」を死なせるか、「体の肉」が死ぬかの二つです。
イエス様はゲッセマネの園と、十字架上で双方を死なせました。
この意味を詳しく学んでゆきましょう。






 ライン15
《2》「アブラハムが真二つに裂かなかった肉」 

先週の《1》「イエス様は裂かれる為に天から来たパン」 の続きです。

本日からは、創世記15章に於ける、神とアブラハムの契約の場面から、肉を裂かない事の結果を見てゆきたいと思います。

先ず、アブラハムの子孫に関する星の約束です。

 531の3

この約束の通りに、星の数ほどに数え切れないほどの神の民のその中に、今の私たちが存在しています。

また、使徒行伝二章で注がれた聖霊の御業の結果、私たち東側の地の果てである日本に福音が伝わり、私たちは神の民とされました。

★使徒1:8 「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

私たち日本に生まれたクリスチャンは、この創世記15章の星の約束と、使徒の働き1章の聖霊の約束の成就であり、その神の語られた御言葉が確かである事の証人です。

次にアブラハムは、約束の地カナンの所有に関する契約を、神と交わします。
このカナンの地は実際のカナンの地ではなく、そして、私たち今の時代に至るまでイエス様を信じる全ての信仰者も受け継ぐ「天の都」である事は、ヘブル書によって明々白々です。

 永遠の神の都6
上の絵はの2013年3月31日イースター賛美礼拝「永遠の神の都」の一部です。

★ヘブル11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。

アブラハムと息子イサクは、遺体を納める墓地以外はカナンの地を所有せず、生涯の間テント(天幕)生活をしました。ヤコブもおそらく、晩年になってヨセフによってエジプトのゴシェンに定住する前までは少なくとも(エジプトがどのような住居を準備したかわかりませんので)、テント生活であったかと思われます。

そのヤコブもエジプトには眠らず、信仰者の永住の地は「天のカナン」である事を象徴して、カナンの地にミイラとなって運ばれました。

★創世記50:2 ヨセフは彼のしもべである医者たちに、父(ヤコブ)をミイラにするように命じたので、医者たちはイスラエルをミイラにした。
★創世記50:13 その子らは彼(ヤコブ)をカナンの地に運び、マクペラの畑地のほら穴に彼を葬った。そこはアブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買ったもので、マムレに面している。


アブラハムはこの時点ではカナンの地の相続・・・、実質的には後に「天のカナンの地」を、私たち子孫と共に相続する為に、神様にその証拠を迫りました。

★創世記15:7 また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。」15:8 彼は申し上げた。「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」

すると、神は四種類、動物三匹と二羽の体を裂いて向かい合わせにするように命じました。しかし、アブラハムは大きな動物を裂く事に疲れてか、山鳩は小さいので軽んじたのか、それとも親子とも裂くのが可哀想に思ったのか・・・、山鳩の親子の二羽だけは裂きませんでした。

 531の4

この、神様の言葉(命令)を細部まで完全に守らなかったアブラハムに対する罰は、想像を絶するものでした。
先ず、アブラハムは深い眠りに落ち、ひどい暗黒の恐怖に襲われました。

 531の5

信仰者は、神様の言葉(戒め)を守らなかった時には必ず、大きな罰を受けます。
神様の私たちに対する教育法は、徹底的に体験的学習です。

下記の詩篇の著者の悟った通り、アブラハムも地獄を味わったかごとく闇の恐怖の中で、神の言葉は細部まで守るべき事を学びました。

★詩篇119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。119:72 あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。119:73 あなたの御手が私を造り、私を形造りました。どうか私に、悟りを与えてください。私があなたの仰せを学ぶようにしてください

ヨナが、神のニネベに行けとの言葉に反してに、タルシシに向かった時に罰を受けて、巨大な魚の腹の暗黒の中で地獄の恐怖を味わい、御言葉への従順を学んだ時と同じです。

★ヨナ2:3 あなたは私を海の真中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました。・・・2:5 水は、私ののどを絞めつけ、深淵は私を取り囲み、海草は私の頭にからみつきました。2:6 私は山々の根元まで下り、地のかんぬきが、いつまでも私の上にありました。

地のかんぬきがいつまでも自分の上にあったと感じたと言う事は、地獄にいるも同然の闇をヨナは体験した事になります。アブラハムもこの、御言葉を細部まで完全に守らなかった時に味わった暗闇の恐怖とは、地獄を味わったも同然の厳しさでした。

しかしアブラハムは、御言葉への不従順のもたらす結果の、さらなる重大さを知る事となります。
アブラハムの子孫が、四百年間もの長期間、外国で奴隷となると言うアブラハムへの罰です。

★詩篇15:13 そこで、アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。」

自分に対する罰であるのならまだしも、また過ぎ去ってしまう一時的な暗黒の恐怖なら忍耐すればよいものの、子孫に対する長期間の奴隷の苦しみを、自分の不従順への罰として子孫が背負うとは、アブラハムをどれ程までに後悔させた事でしょうか。

神の御計画の中で、ヤコブの最愛の息子11男ヨセフが先に奴隷としてエジプトに売られ、そこでエジプト№2の宰相に上り詰め、飢饉の時に一族をゴシェンに移住させ、そこで一族は幸せに暮らし、ヨセフが死ぬ所で創世記はハッピーエンドとして終わります。

この時代まで神の民はエジプトで特別扱いをされて幸せでしたが、ヨセフは死ぬ時に、神が自分たちを信仰者の永住の地を象徴するカナンの地に連れ帰って下さる日を望み見て、父ヤコブと同様にミイラにするように頼んでおきました。

★創世記50:24 ヨセフは兄弟たちに言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」50:25 そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください。」と言った。50:26 ヨセフは百十歳で死んだ。彼らはヨセフをエジプトでミイラにし、棺に納めた。

 531の7

しかし・・・
★出エジプト1:6ヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。・・・1:8 さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。

イスラエル12部族は、このようにしてエジプトの奴隷となりました。

 531の6

この苦しみの四百年間、神の民の叫ぶ声は天に確実に届いていました。

そこで神は御計画の内にモーセを誕生させ、エジプトの王子として40年、羊を飼う羊飼いとして荒野の40年間訓練をした後、エジプトに遣わします。

★出エジプト3:7 主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。・・・・3:9 見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。 3:10 今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創世記15章でアブラハムに語られた、多くの財産を持って出てくる事も、四代目の者たち(※ヨセフをはじめとするヤコブの息子イスラエル12部族の長たちと推測)がカナンの地に戻って来る言葉も成就しています。

★創世記15:14 しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。・・・ 15:16 そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。

おそらく、創世記50章でヨセフがイスラエルの子らに、遺体をミイラにして必ずカナンの地に携え上ってくれるようにと頼んだ時、彼らはヨセフだけでなく、12部族それぞれの自分たちの父親の遺体も一緒にミイラにして連れ上ろうと決意したに違いありません。

★出エジプト12:35 イスラエル人はモーセのことばどおりに行ない、エジプトから銀の飾り、金の飾り、それに着物を求めた。12:36 主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプトは彼らの願いを聞き入れた。こうして、彼らはエジプトからはぎ取った

★出エジプト 13:19 モーセはヨセフの遺骸を携えて来た。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない。(創世記50:25-26)」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせたからである。 


これらの宝石や着物は、シナイ山の麓で幕屋を建設する時の材料となりました。

あるメッセージでは、神は義なる方なので、エジプトでの奴隷としての労働への当然の報酬として、きっちりとエジプト人に払わせたのだと語られていました。
※下は、神の民がエジプトから剥ぎ取った宝を持って、紅海の水の中を歩んでいる希少な絵です。 

 531の8

神様は、アブラハムが山鳩とそのひなの肉体(パン)を真二つに裂かなかった事により、アブラハム本人よりも子孫に長期間苦しみを受けさせました。

民は自分の罪の罰でもないのに、四百年間も神の御前にその苦しさを叫び続け、その声は確かに天に届いていたものの、殆どの民はそれすらも知らず、一筋の光明も見えないままに他国エジプトで死んで行きました。、

それなのに、アブラハムは一時の暗黒の恐怖の後、この地で生きている間に祝福を受け、老後は平安(安息)の内に長寿を全うします。生きている間に祈りの結果を見なかった多くの民とは正反対です。

この後にアブラハムはどんな人生を歩んだのか、神の御言葉に対する心にどんな変化が起きたのか・・・、来週から詳しく検証して行きたいと思います。






エンディング 

「パン」と言う時に、「①体の食物のパン」と「②心の食物の御言葉」の意味があります。

そして「イエス様がパン」と言う時、「①御言葉(パン)の本体であるイエス様」と
一粒の麦として「②ご自分の全て(肉体と肉の思い)を裂かれたパンであるイエス様」の
二つの全く別の真理を表していますが、その二つの真理は密接に結び付きます。


今週からは「①肉と②肉の思いを裂かれたパン」としてのイエス様を見ています。

神様の言葉を、この世の全てに優るものとして尊重し、その為に命を捨てる事は
「① 体のパン(肉)を裂くこと;体の殉教」です。
天国に行った時、最も位が高いのは殉教者です。

神様の言葉(命令)を尊重して、それに対立する自分の考えを死なせて退ける人は
「②心のパン(肉の思い)を裂くこと;心の殉教者」です。
心の殉教は、体の殉教に先立っています。
体の殉教をよしとする人は、とっくに心の殉教をしている人です。

「神の本体である御言葉」に対立する「肉と肉の思いは、サタンから来たものですから
これを裂かなければサタンに勝利する事はなく、御国の前進に役立つ事もありません。


ですから、アブラハムは15章に於ける契約の儀式の時に、
神の本体である「御言葉(命令)」を細部まで完全に守らず、
御言葉に逆らって立つ自分の「肉の判断」を退けず(裂かず)に
これまた象徴的に、山鳩の肉を裂かなかった事の罰として
子孫に大きな苦しみを負わせました。

信仰者が御言葉を尊重しない時に、御国は大きく退きます
反対にどんなに苦しい場面でも、信仰者が御言葉に従えば
それに続く未来の人々の前に、御国が大きく開かれて行きます

信仰者が御言葉に従う事とは、私たちが考えるより遥かに重要です。

★出エジプト20:5 「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、
わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施す


アブラハムは、神の言葉を細部まで完全に守らなかった罰として
子孫が四百年間も、他国で奴隷となり、苦しみを受けました。

最初の人間アダムは、たった一つの神の御言葉(一戒)
「善悪を知る知識の木の実を食べてはいけない」を守れず
アダムの子孫である私たち全ての人間は、アダムの後ろについて
サタンの支配する、汚れてのろわれてしまった
荒野であるこの地に降ろされてしまいました。

イエス様だけがこの地に於いて、どんなに苦しくても痛くても悲しくても
百パーセント、神の言葉に従いました

ゲッセマネの園では、ご自分の肉からの思いを、正直に祈りましたが、
その肉の願いを退け、御心(神の御言葉)に従いました。

★マタイ14:35 それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、
もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るように と祈り、
14:36 またこう言われた。
「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。
どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください
しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」


天の父は、聖かったけれども、幼い信仰者であった故に
神を信頼し、神の御言葉を尊重出来ずにサタンに負けてしまった
アダムとエバを荒野である、サタンの支配しているこの地に降ろし、
そこで失敗をしても、道に迷っても、汚れにまみれても、重罪を犯しても
その悪の実を刈り取る辛さを体験して、
御言葉の正しさを一つづつ知り、神の偉大さを一つづつ学んで
サタンに打ち勝つ事のできる、成人(キリストの身丈)に達した信仰者となって
天の御国に戻って来てほしいと、願っています。

★ガラテヤ 4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで
私は再び あなたがたのために産みの苦しみをしています。

★ガラテヤ 2:20 私はキリストとともに十字架につけられました
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。


私たちの為に全てを裂いて、
御国への帰り道を開いて下さった御子に、そして・・・

一人息子の苦しむ姿を見ていると言う患難で心が引き裂かれても
私たちを愛するが故に、御子の十字架を忍耐して下さった御父に
自分の全てを捧げる献身を決断しましょう。






♪聖歌582番「神の御子に在(ま)すイエスの為に」



①神の御子にます イェスの為に 
罪を敵として 立つは誰(たれ)ぞ
《くり返し》 
全てを捨てて 従いまつらん
我が全てにます 王なる主イェスよ

②富の楽しみと 地の位(くらい)に
目もれずイェスに 付くは誰ぞ
《くり返し》

③罪に囚(とら)われし たましいをば
イェスに連れ来たる 勇士は誰ぞ
《くり返し》

④我が持てる物は 主よなが物
きよき御戦(みいくさ)に 用い給え
《くり返し》


3ライン 







 ★花のライン17休憩
2013年6月14日(金)(コチラ)に続きます。







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旧ホームページのご案内

イスラエルの出エジプトの歴史を通して、全ての信仰者に次の事を教えています。

     ☆ エジプト(この世)
     ☆ パロ王(この世の君サタン)
     ☆ 奴隷(罪の奴隷)
     ☆ 小羊の血による贖い(十字架の血による贖い)
     ☆ 紅海(洗礼)
     ☆ 荒野(試練と訓練)
     ☆ アマレクとの戦い(祈りの手を挙げ続けている間はサタンに勝利)
     ☆ 雲の柱・火の柱(聖霊の導き)
     ☆ 日ごとのマナ(日ごとの御言葉)
     ☆ 岩から水(キリストの岩から命の水の川)
     ☆ 幕屋(①個人がキリストの身丈に至る ②集合体としての教会の完成)
     ☆ ヨルダン川(契約の箱であるキリストで一致して渡る)
     ☆ カナンの地(天の御国・心の御国)

「出エジプトの民の歴史は信仰者の型」は、
私;福田の最旧ホームページに詳しく解説してあります。

「リバーサイド・ライフチャペル」
左の列から「今週のメッセージ」をクリックし、
上段の右にある「バックナンバー」から、2004年7月4日から始まっている
「出エジプトの民の歴史は信仰者の型」を
出エジプト記をお読みになりながら参考になさって下さい。

神学校を卒業したて時期の文ですし、
まだ充分に真理を学んでいない頃のものですが、
基本的な意味は、詳しく記してあります。

故障によって中断してしまったので、直しようがなくて途切れたままになっていますが、
もう一度、最新情報と共にわかりやすく書き直し、続きを加えたいと願っています。

他の二つのホームページのURLにつきましては
整備が終わり次第、お知らせします。


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