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天国への地図(4)幕屋(四)燭台③焼き尽くす聖霊の火


1★十字架のライン
 

先週は、私たちの心の畑に生えた毒麦を、最後の刈取りの時ではなく
生きている間に、聖霊の火で焼き尽くしていただきましょう・・・と言う内容でした。

聖霊の働きの中で、最も重要と思われる働きです。
聖霊の良き実を自分の内側に稔らせ、世界の人々にまで流す通路となりましょう。

再臨前の最後のリバイバルに向けて、終わりの日の初めに炎の聖霊が注がれました。

終わりの時代の最後を迎える為に、私たちは火のバプテスマを受けて聖められましょう。


 

 

 



ライン15

燭台③「焼き尽くす火としての聖霊」


・・・・・(1)イエス様の生涯には焼かれるべきものは何もなかった・・・・

弟子達が、使徒2章で聖霊を受けた時、炎のバプテスマでした。

★使徒2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まって\\ 2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った 2:3 また、のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上とどまった

しかしイエス様が聖霊のバプテスマを受けた時には、聖霊が鳩のように降りました。洗礼を授けたバプテスマのヨハネが語っています。

★ヨハネ 1:32 ヨハネは証言して言った。「御霊がのように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。」

 802の22

人間には、どんなに聖く見える信仰者にでも、毒麦が生えています。人生の中に嘘・偽り・罪・汚れ・不信仰・何らかの偶像礼拝・傲慢・・・がない人は一人もいません。ですから、聖められる為に炎の聖霊の炎で焼かれる必要があったのです。

しかしイエス様は、その生涯の中に、たった一つの罪も、汚れも、不従順も見出す事は出来ません。

★Ⅰペテロ 2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした

私たちの罪の贖いの為に血を流し、死ぬべき私たちの身代わりに死んで下さいましたが、イエス様が裁きの激しい火の中を通られて、その体の一部でも燃えた、焼けたと言う記録もまた、聖書の何処にもありません。

そこで、十字架上での幕屋の器具の配置と、ダニエルが見、使徒ヨハネが見たキリストの姿とを見ましょう。

※十字架上のキリストが幕屋である証拠(器具に相当する所に血が塗られた)
★ヘブル9:21 彼(モーセ)は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様にを注ぎかけました。

*頭(契約の箱と蓋)・・・茨の冠によって
★マルコ 15:17「イエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、」

*右手(燭台)*左手(パンの机)・・・釘によって

*胸・心(香の壇)・・・ゲッセマネの園で(汗が血のように)
★ルカ 22:44「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗がのしずくのように地に落ちた。」

*わき腹(洗盤)・・・やりによって
★ヨハネ19:34「兵士・・がイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちにが出て来た。」 ※7:8「腹から生ける水

私;福田は、イエス様が十字架と言う偉大で完全な幕屋を通り抜け、モーセが見た通りに造れと言われた天の幕屋に、イースターの朝早く、その血の塗られた体を誰にも触らせないで天に上り、真の救いを達成したと読み取っています。イエス様は、大祭司であられ、最も優れた幕屋本体であられ、いけにえの小羊であった・・・幕屋の全てであったと確信しています。

★ヘブル 9:11 キリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

この三箇所に置けるキリストの姿の足の部分に注目をして下さい。ここに、十字架上で裁きの祭壇の火を通り抜けて、燃えはしなかったものの、焼かれる何もなかったが、精錬されて光輝く足部分が記されています。

 706の1


☆ダニエルが見たキリスト
★ダニエル10:4-6 「第一の月の二十四日に、私(ダニエル)はヒデケルという大きな川の岸にいた。私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕とは、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。」

☆幕屋の「祭壇」
★出エジプト27:1-2 「祭壇をアカシヤ材で作る。その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形(※完全)でなければならない。高さは三キュビトとする。その四隅の上に角(※救いの角)を作る。その角は祭壇の一部でなければならない。青銅をその祭壇にかぶせる。」

☆使徒ヨハネが見たキリスト
★黙示録1:9-16「私ヨハネは、・・・パトモスという島にいた。・・・そこで私(使徒ヨハネ)は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。そのは、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」

 ★altar_sacrifice


この足の部分の様子の一致が、キリストが①火の中を通られた事、しかし②焼かれる所がなかった事の証拠だと、長年「キリストの幕屋」を見つめて来た私;福田の導かれた結論ですが、皆様は聖霊様にどのように示されるでしょうか?

イエス様以外の人間は全員、最後の日の「火」を通る時に、多少の差があれ、焼かれなければならに「毒麦;肉の思いとその結果の言動」があります。祭壇でいけにえの肉が燃やされたように、私たちの肉の思いとその結果も聖霊の火によって焼き尽くされ、聖められる事を心から願いましょう。





・・・・・(2)天から降る聖霊の火・・・・

イエス様が洗礼を受けた時に、聖い御霊が天の父の所から降って来ました。
 JesusBaptism大大

私たちの場合にも、意外かもしれませんが、肉を燃やして聖める聖霊の火は、今日でも必ず天から降って来ます。下記の五つは代表的なその証拠です。


☆モーセの幕屋の完成

 802bの21

★レビ9:24 主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くした ので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。
 


☆エリヤのカルメル山での勝利

 45エリヤ

★Ⅰ列王 18:38 すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。18:39 民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言った。


☆ダビデが、オルナンの打ち場を買い取って祭壇を築いた時(関連記事コチラ)

2オルナンの打ち場

★Ⅰ歴代 21:26 こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげて、主に呼ばわった。すると、主は全焼のいけにえの祭壇の上に天から火を下して、彼に答えられた。 21:26 こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげて、主に呼ばわった。すると、主は全焼のいけにえの祭壇の上に天から火を下して、彼に答えられた。


☆ソロモンの神殿の奉献式で

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★Ⅱ歴代7:1 ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。


☆使徒二章で弟子達に降った聖霊の火

 809の4

★マタイ15:26わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。 (口語)  

★使徒2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。2:3 また、のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった






・・・・・(3)「異なった火」・・・

この五つの証拠は何を言い表しているのでしょうか?・・・それは、どんな信仰者も、上(天)からのものだけを求めるべきだあると言う事です。

どんな優秀な聖書学者であっても、優れた伝道方式であっても、どんなに大きい教会の牧師であっても、伝道の達人であっても・・・・、私たちは先ず、天からの導きを第一に、お互いがそれぞれに求めるべきです。

★マタイ 6:33 神の国とその義とをまず第一に求めなさい。

モーセの幕屋では庭の祭壇でいけにえを焼きつくす時、聖所に於ける日毎の礼拝の務めをする時、年に一度、大祭司が至聖所で礼拝を捧げる時、神が定めた火についての詳細な規定がありました。

★出エジプト30:7 アロンはその上でかおりの高い香をたく。朝ごとにともしびをととのえるときに、煙を立ち上らせなければならない。アロンは夕暮れにも、ともしびをともすときに、煙を立ち上らせなければならない。これは、あなたがたの代々にわたる、主の前の常供の香のささげ物である。あなたがたは、その上で異なった香や全焼のいけにえや穀物のささげ物をささげてはならない

しかし、大祭司アロンの四人の息子の内、ナダブとアビフはその規定を軽視して、異なった火を炊いたので神様の怒りに触れ、自らが天から下った火によって、焼き尽くされました。この裁きの火もまた祭壇のいけにえを焼いた火と同様に、人間からの火ではなく、天から降されました。

★レビ記10:1-2 さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。(新改訳)
※新共同訳では「規定に反した炭火」

 816の2


彼らの父、大祭司アロンは、モーセの神からの預言の取り次ぎを聞いた時、息子二人への厳しい裁きに付いて何も語りませんでした。神に仕える祭司(神に近付く者)が神の聖さを現してこそ、民の前で神がご自分の栄光を現す事が出来ると、神様がはっきりと語られたからでした。

それ故に今の大切な時代、神に仕える新約の祭司(神に近付く者)となるべき私たちも、異なった火ではなく、天から下って来る神からの純粋な御霊の火によって、しみも、しわもない聖い姿へと聖められる必要があります。








・・・・・(4)その日「焼き尽くす火」・・・

★ ヘブル 12:29 私たちの神焼き尽くす火です。

イエス様に洗礼を授けたバプテスマのヨハネが、イエス様が①聖霊と火のバプテスマをお授けになる事、②裁きの日に、火を持って実の入ってない籾殻を、そして神の敵が来て蒔き育った毒麦の全てを焼き尽くす時が来る事を予言しています。

★ルカ3:16 ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊とのバプテスマをお授けになります。3:17 また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。

イエス様が雲に乗って来られた時、天に広がる驚くべき光景を見て、全ての部族は嘆くとあります。イエス様を十字架に付けた者たちだけでなく、不信者だけでなく、偶像礼拝者だけでなく・・・・、私たち信仰者も、聖書の御言葉の全ては真実であった事を目の当たりにして、もっと御言葉を重んじるべきであったと後悔しないでしょうか?

★黙示録1:7 見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。  

★初臨と再臨

一度目、二千年前のクリスマスの日、この地に無力な小さな赤ちゃんとなり、十字架に至るまでへりくだって救いを全うして下さったイエス様は、二度目である再臨の時には厳格な裁き主として、「裁きの火」として天に現れます。

その最初の二千年前の時に見たイエス様の姿が、あまりに謙遜で愛に溢れて柔和であったので、また十字架の時につばを吐かれても打たれても何を言われても黙していたので・・・、
・クリスチャンである私たちであっても、イエス様の言葉を甘く考えてはいないでしょうか?
・聖書に書かれた神の命令を侮ってはいないでしょうか?
・気に入った部分だけ、自分が守れそうな御言葉だけを受け入れてはいないでしょうか?
・十字架の贖いによって全ての悔い改めた罪は赦されると安易に予測して、日々聖められて行く事を求めず、聖霊が心に悔い改めを迫っても無視してはいないでしょうか・・・?
・遠い未来の話だからと、たかをくくってはいないでしょうか?
(※私;福田は、御言葉に忠実に生きようとしていますが、上記の全てに当てはまっています)

しかしイエス様は、「裁きの火」として天空に確実に現れます。

初臨の時には愛であり義であるイエス様の「愛」の面が色濃く見えていましたが、再臨の時には揺るぐ事のない「義」が厳然と前面に現れます。

十字架に付けられる前の日曜日、弱々しく見栄えもしないロバの子に乗ってエルサレム入場をされた、柔和で謙遜なイエス様は・・・、
★マルコ11:7ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた

 ★ろばと白馬

・・・闘いに向かう時には、雄々しくも厳しい王の王、主の主として天の軍勢を率いて、、抜き身の剣を持って白馬に乗って突き進で来ます。

★黙示録19:11 私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。19:12 その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。19:16 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。 

イエス様の口から出ている抜き身の剣は御言葉です。私たちが今、実感出来ようと出来まいと、全ての被造物は御言葉によって裁きを受けるのです。信仰者である私たちでさえ、御言葉を充分には重んじていませんでした。この黙示録の未来の事も実感が沸きません。

しかし「再臨(裁きの日)」については、新約聖書にも旧約聖書にも多くが語られていたのを、私たちはしっかりと見ています。

★ゼカリヤ14:4 その日主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ
★イザヤ66:15 見よ。まことに、主は火の中を進んで来られる。その戦車はつむじ風のようだ。その怒りを激しく燃やし、火の炎をもって責めたてる。66:16 実に、主は火をもってさばき、その剣ですべての肉なる者をさばく。


私たち信仰者でさえ、自分の信仰生涯を振り返って後悔する事があるのなら、まだ神様を信じていない人々はどうなってしまうのでしょうか?

★Ⅰペテロ4:17 なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まる のだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。4:18 義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。

★イザヤ33:14 罪人たちはシオンでわななき、神を敬わない者は恐怖に取りつかれる。 「私たちのうち、だれが焼き尽くす火に耐えられよう。私たちのうち、だれがとこしえに燃える炉に耐えられよう。」

イエス様も詳しく話しましたが、パウロもはっきりと語っています。

先週の御言葉(ゼカリヤ・ヨハネ)では、イエス様がオリーブの木であり、ぶどうの木であるとたとえられていたように、パウロは、イエス様が私たちが生涯に建てる信仰生涯の家(神殿)の土台だと言っています。

私たちが生涯の間、しっかりとぶどう(オリーブ)の木に繋がっていれば、私たちは立派な生ける宮(キリストの教会・神殿)として完成しますし、その心の奥底の霊の中にキリストの宝(金・銀・宝石)が蓄えられてゆきます。

★Ⅰコリント3:10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上にを建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。3:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためす報いを受けます。 3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります

3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。


 土台の上に

この最後の火に耐えられるように、聖霊の火が今、私たちの肉の部分(草やわら;聖霊から来ていない思いと言動)をあらかじめ燃やし、土台にしっかり繋がって「金・銀・宝石・・・」など火に耐える部分(実)を私たちの中に生み出そうとしています。

今日は、裁きの日の火にあらかじめ供える為に、最後の日に燃えてしまうものを、今この世に生きている段階で、あらかじめ燃やして私たちを聖めようとする、「燃やし尽くす火としての聖霊」の働きについてお話しをしています。

信仰者である私たちが先ず、この信仰人生の中に肉なる者を燃やされて、天から降る聖霊から来る御霊の実を結んでゆかないでは、まだ神を知らない人々を天国に招く使命を果たす事ができません。

★マタイ 24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。 24:31 人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

 2nd coming

この最後の時に、まだ信仰を持っていない人も、私たち信仰者も決して後悔しながらでなく、喜びつつ再臨の主を迎え、大勢の不信者を神の民として、歓喜の中で御使いと共に天に上げられる時を迎えたいと思います。


















  ★花のライン17休憩
2013年8月23日(金)(コチラ)に続きます。
燭台[3]「良い麦とは何か?毒麦とは何か?」 についてです。 
 
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