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天国への地図(4)幕屋四燭台⑥「聖霊の衣は何処で着るか?」


本日は、2013.8.2コチラより始まった、燭台(聖霊)のシリーズ六回目です。

天地創造の七日間と幕屋の七つの器具が・・・、キリストの生涯、出エジプトの歴史、信仰者の生涯・・と対応している事を検証している「天国への地図」のシリーズは、コチラから始まっています。






1★十字架のライン

私たちを愛して神の子・神の民とする為に御子を捧げて下さった
御父の愛に応えて・・・、

私たちの罪の贖いの為に十字架で死んで下さった
イエス様の御犠牲に応えて・・・、

私たちを天の御国にまで連れ上ろうとし、
そして、私たちが天の御国で御父から冠を受けるまでに
神に喜ばれる人生を歩ませようとしておられる
御霊の尊き導きに応えて・・・、

私たちは生涯、三位一体の神様を喜ばせる為に生きて行きましょう。

★Ⅱコリント5:15 キリストがすべての人のために死なれたのは、
生きている人々が、もはや自分のためにではなく、
自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。


本日は、神の真の僕・キリストの真の弟子として仕える為に
「聖霊の力の衣を着せていただける」と言うお話しです。

何時・・・? 何処で・・・? 何処から・・・? どのようにして?
 





ライン15
「聖霊の衣は何処で着るか?」

天地創造の七日間」と「キリストとしての幕屋」を注意深く見る事によって
このテーマの真理は、明確にあぶりだされて来ます。

「幕屋」は、十字架上のイエス様の姿であり
十字架の三日間で建て直された生きた宮(神殿;教会)であり
生涯の順序をも表しています。

イエス様ご自身が、十字架の三日間で
幕屋の七つの器具の全てに血を塗られ
「生ける宮;生ける神殿;生ける幕屋;生きている教会」となられました。

復活されて天の御国に入られて、生涯としての幕屋を完成させ・・・、
・・・そしてまた、救いの光としてこの世に来られ、天の安息に入られたと言う
天地創造の七日間の行程も、全うされました。

それゆえに十字架から生み出された私たちの「体」も「幕屋」であり、
私たちの信仰生涯もまた「幕屋」です。
これを覚えていただけると、本日のテーマがわかりやすいかと思います。






・・・・・(1)聖霊の力をせられる迄エルサレムに留まる弟子達・・・・

ルカは福音書の最後で、 自身が書いた使徒行伝の1.2章とその後を次のように短くまとめています。

★24:46 (イエスは)こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、 24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。24:48 あなたがたは、これらのことの証人です。 24:49 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」 24:50 それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。 24:51 そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。24:52 彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、24:53 いつも宮にいて神をほめたたえていた

ここに「着る」と言う、献身者にとっての重要な聖霊の役割を示す表現があります。

 906の4

オリーブ山の頂上で、復活されて多くの人々に会ったイエス様が、「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」 と、仰られました。」

 906の5
 
その後、天に帰られたイエス様を見送った弟子たちが、呆然としていると・・・・、

 906の6

御使いから、もう一度イエス様が同じ姿で来られる事を聞いた弟子達は、ルカの福音書によると、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、イエス様の仰っていた聖霊の力を着せられるまで、エルサレムに留まって心を合わせて祈りました。

 906の7
http://ce.ag-j.or.jp/guide/2012/0527.html
 
イエス様の弟子たちが、共に留まってただひたすら祈っているとは何と麗しい光景でしょうか?

そして、弟子達の頭上に、いと高き所(天)から火のバプテスマが降りて来て頭上に留まりました。

 906の8

その時に、実質的には弟子達は聖霊の力を着たのです。

★ルカ24:49 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。

聖霊は、イエス様が天に帰られたこそ、天から御父が降らせて下さいました。聖霊のバプテスマを受けると言う事とは、天から落ちて来たイエス様の力である衣(御霊)を着せられたと言う事に他なりません。





・・・・・(2)エリヤからエリシャへ神の力の衣をバトンタッチ・・・・

その重要な真理を象徴しているのが、エリヤが天に帰る時の様子です。

 906の12

師のエリヤが火の馬車に乗って天に帰る時、そのを下にいた弟子のエリシャに向けて落としました。

エリシャは、その衣を拾い上げた時、エリヤに宿っていた神の力を受けて、その直後から偉大な神の働きを取り次ぐ事ができるようになりました。

神の為の働きに入るには、私たちは必ず力ある聖霊の衣を受け取らなければなりません。





・・・・・(3)イエス様も、公生涯に入る前に聖霊のバプテスマ・・・・

神の御子であられるイエス様でさえも、洗礼を受けた直後、天から降りてきた御霊に満たされて、神の働きに入りました。

※私;福田は、このイエス様の頭上に降りて来た御霊は・・・、そして旧約時代の御霊は「御父の御霊」であり、弟子達と私たちが受けるのは「キリストの御霊」であると区別できるのではないかと感じています。

 908の10

そして、出エジプトをしたイスラエルの民もまた、小羊の血によって贖い出され、紅海で洗礼を受けた後、御霊の火の柱に導かれて荒野に入り、天の御国の安息を象徴する「カナンの地」まで導かれました。

ある方がメッセージで、荒野の民を導く柱の本体は、夜に見えている神の御霊のであって、昼間は明るいので雲の柱として見えているが、火の柱である事には夜も昼も変わりないと仰いました。

私たち信仰者の生涯は、神の臨在が聖霊の火の柱となって、力強く導いておられるのです。私たちの肉の目にはそれが見えていませんが、心の目でしっかりと「聖霊の火」の存在を見つめ続けて行きましょう。

 906の11
 
イエス様も、洗礼を受け、聖霊のバプテスマを受け、その御霊に導かれて試練と訓練の荒野に入り、十字架で垂幕を裂いて、復活し、天の御国の安息に入ったのです。

出エジプトの民も、私たち信仰者も、洗礼を受けた後に、御霊に導かれて荒野に入るのです。イエス様は、その道を私たちへのお手本として示しました。

もちろん、聖霊の存在なくしてはイエス様を救い主として、信じる事はできません。

しかし、牧師、伝道師、宣教師の働きに入る時には、必ず神の御前に座り込み、ペンテコステの日までの弟子達のように、天から来る御霊の火を求める必要があります。

教会の奉仕者だけでなく、神様の御前にへりくだり、真の弟子として、とりなしの祭司として、聖い花嫁として献身の心を持っている信仰者の全ては、御父に喜ばれる聖い生涯を送る事ができます。

★ダニエル 10:12 彼(受肉以前のキリスト)は私(ダニエル)に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。」

一般の信徒だからと言って遠慮せずに、天に行った時に冠を受け、小羊の宴会にアブラハムたちに肩を並べて出席し、御使いたちの前でほめられ、多くの報いを受ける事の出来る人生を共に歩みましょう。

その為に最低一生に一度は、時の経つのも忘れて神の御前に静かに座し、天よりの特別な力を受け取る時を持ちましょう。大きな確信を得るまでは、何度も挑戦して下さい。





・・・・・(4)大祭司が聖霊の衣を付ける位置・・・・

真の大祭司であるイエス様が、洗礼を受けて、公生涯に入られる前に、天よりの御霊を受けられました。

この地上の人間の大祭司たちもまた、装束を身にまとう所は、なんと洗礼を示す「洗盤」と、この地に於ける神の働きに従事する期間を象徴する「聖所」の入り口の間でした。聖所での務めに入る前に、装束ました。

 802の4

★レビ16:3 アロンは次のようにして聖所にはいらなければならない。罪のためのいけにえとして若い雄牛、また全焼のいけにえとして雄羊を携え、 16:4 聖なる亜麻布の長服を着、亜麻布のももひきをはき、亜麻布の飾り帯を締め、亜麻布のかぶり物をかぶらなければならない。これらが聖なる装束であって、彼はからだにを浴び、それらを着ける

※幕屋での大祭司の働きの順序が、器具の並びに添って、祭壇⇒洗盤⇒(装束)⇒聖所(パンの机・燭台・香壇)⇒詩聖所であるように、イエス様の生涯も、私たちの信仰生涯も、幕屋の器具の順序、天地創造の七日間の順序に添って、天の安息に向かっているのです。

聖所は、試練と訓練の荒野を表し、私たちの信仰の礼拝生涯を表し、神の僕・キリストの弟子にとっての主の働きに加わる期間を表します。その聖所に入る前に注がれた「聖霊」によって、イエス様も、イエス様の弟子の私たちも導かれてゆくのです。

906の15

天地万物を造られた神は、驚く事に、なんと全て(天地創造の順・幕屋の器具の順・イエス様の生涯・信仰者の生涯を象徴する出エジプトの歴史・・・)を、天地万物と人間を造られた神の最終目的(生きていては心の中での御国の安息・体が死んでからは天の御国での安息)を目指して、順序よく導いておられるのです。

※上記のイエス様の生涯を、「キリストの幕屋」の横軸として。下のエンディングの図の左側を「キリストの幕屋」の横軸としての十字架上のキリストの身丈と捉えて下さい。






エンディング



最低限、御国に入れていただくだけでなく、神の僕としてその生涯を通して神に喜ばれる道を歩むには、イエス様の身丈に至り(ガラテヤ2:20)、イエス様の身幅だけの狭い道を、イエス様の後だけに従がって真直ぐ御国まで付いて行くしかありません。

下記の二つの御言葉は、キリストの幕屋と聖書の全ての箇所を照らし合わせて初めて理解する事ができます。

★ローマ 13:14 主イエス・キリストをなさい。

★Ⅱコリント 5:4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。5:5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。

私たちが弟子として幕屋(キリスト)を着る事とは、イエス様の身丈としての縦軸と、イエス様の生涯の歩みを横軸として、それに自分の人生を当てはめて行く事です。

 906の9

※十字架上のキリストが幕屋であった事の証拠(ヘブル9:21各器具に血)
①祭壇(足)釘 ②洗盤(腹)やり ③パンの机と④燭台(両手)釘 ⑤香壇(心)前日ゲッセマネの園で血の汗⑥契約の箱と⑦贖いの箱(頭部)茨の冠



3ライン 










 ★花のライン17休憩
2013年9月13日(金)(コチラ)に続きます。
「天国への地図の全貌」より、「天の御国に入る二つの道」です。

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