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(4)エデンの東「①私たちの心が荒野である理由」

先週は、天の御国から私たちの心の奥底に流れて来る、命の水の川の源泉を、主に「黙示録」から見て来ました。黙示録は、聖書の後半にある新約聖書の最後の書で、使徒ヨハネが見た天国の様子と、未来に起きる事の幻が記されています。

新約聖書は、今から約二千年前の、数十年の短期間の記録で、
① イエス様の生涯と教え、
② 弟子達の活動の記録と、弟子達の書いた手紙とで成り立っています。

前半の旧約聖書は、天地創造からイエス様の誕生までの期間の記録で
① 神の選民「ユダヤ民族イスラエル」の記録と、彼らに対する天の父の言葉と律法
② 預言(神さまの言葉)も多くの預言者を通して取り次がれていますが、主には、彼らが待ち望んだメシヤ(救い主)イエス様の誕生の預言が記されていますが、所々に黙示録のような、天の御座の様子や未来の事(今の時代も含めて)の預言もあります。

また旧約聖書の中には、イエス様が祭りの最後の日に叫んだ、私たちの心の砂漠に湧き上がる「命の水の川」の預言までもあって、神様は預言者イザヤを通して、それは「新しい事だ」、「もうすぐ起こる」と民を励ましています。

★見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。(イザヤ 43:19)

心の荒地

心の奥底に天からの川の水門が開かれたのはイエス様の十字架の時で、神と人間の六千年にわたる長い歴史の中では、十字架と復活以降の最近の二千年間が、新しい時代です。

本日は、いきなり今から六千年前の旧約聖書の冒頭「創世記」にとび、天地創造直後の出来事を見て、人間の心がなぜ荒地になったのか、どのように荒地に川が流れるようになるのかを、見て行きたいと思います。


 思う事1

ちょっと思う事

私の若い頃には、この天地創造から六千年と言う地球の寿命について、下記の御言が常に念頭にあったので、深く考える事はありませんでした。
★ 主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。(Ⅱペテロ3:8,詩篇90;4)

しかし、最近になって来て、クリスチャンの地質学や天文・科学・考古学・・・の学者により、「聖書の御言葉の正しさ」を証明しようとする熱心な研究が進んでおり、「進化論」に対抗する「創造科学論」の講座や、本など出版が盛んになって来ています。

「ノアの方舟」の捉え方が参考になるので、一般の方も、クリスチャンも、先ずは下記から学ばれてみてはいかがでしょうか。
 CGNTV 日韓創造論セミナー

私としては、聖書の御言葉をそのまま単純に信じています。
★わたしたちは、今は、鏡(当時は銅の鏡)に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。(口語訳聖書Ⅰコリント13:12)

私たち被造物の知恵と知識の結集である「日々変化してゆく科学等の学問や世の常識(パラダイム)」と、天地万物を創造され、それを英知と力を持って保っておられる「天の神の真実(パラドックス)」との事実関係は、天国に行った時に全て明白になります。楽しみです。
※パラドックスとパラダイムについての説明は後ほどに…。







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★初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)

天地創造

これが、聖書六十六巻の最初の言葉です。

それは、第一日目に「光」を創造する事から始まり、六日間で天地万物の全てを創造されました。

★地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。(創世記1:2-3) 

六日間で全ての被造物を完成し、神様がご覧になるとその全てが非常に良かったので、満足されて「完成」を告げられ、七日目を祝福して安息とされました。

★こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。(創世記2:1-3)

※この七日間の区切りは、今日でもそのまま「一週間」です。最初は土曜日が聖なる安息日でしたが、イエス様が日曜日に復活された時から、週の初めの日曜日が、教会の安息日・聖日となりました。



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≪土の器≫

六日目に、神さまが人を造った時、土から体を造りました。
ですから人間は、死ぬと空しく土に還るのです。
★その後、神である主は、土地のちりで人を形造り(創世記2:7)

しかし神様は、私たち人間を、他の被造物とは違い、神の形に創造されました。
★神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記1:27)

それは、神さまは霊として存在したいる(ヨハネ4:24)ので、私たちの心の奥底に、神様の霊である聖霊を宿す「霊の所」が造られたと言う驚くべき特別扱いでした。
※私・福田個人は、この霊の空間を「丹田」ではないかと、体験的に把握していますが・・・。

 アダム誕生

イエス様は、私たちの心は、農夫である御父が御言葉の種が蒔かれる畑だと語り、私たちの心もまた土である事を示唆しました。私たちの体も心も、聖霊が宿らなければ単なる土の塊です。

しかし、神様が鼻から命の息を吹き込まれた時、土でできている人は生きるものとなりました。

★その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。(創世記2:7)

天地創造の第一日目に、何もなかった暗闇に「光」を創造されて輝き出したように、私たちの心の奥底に「栄光に溢れる聖霊」が住んだ時に、私たちの体と心はただ同然に無価値な汚い土くれではなく、輝く栄光が入った尊い土の器とされます。

★「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。(コリント人への第二の手紙4:6-7)

ですから、私たち人間の心の奥底である霊の所に、聖霊が宿れば、私たちの土の体は「教会の建物」に、私たちの心は「礼拝堂(チャペル)」となって、心を尽くして、力の限り、声の限り、神さまを礼拝する「生ける教会(宮・神殿)」となるのです。






 ★花のライン17休憩
2013年1月26日(土)コチラに続きます。
 





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| Ⅰ生ける宮(霊・魂・体) | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑















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