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天国への地図(5)香壇⑤「イエス様の香壇での祈り」



初めて「心のチャペル」をお読みになる方の為に
最初(2013年1月)からのメッセージのダイジェストを、まとめています。
現在、シリーズⅠ「生ける宮」のダイジェスト
シリーズⅡ「キリストの岩」コチラコチラが完成しています。a_new6.gif







 1★十字架のライン
 


ライン15
香壇のまとめ「イエス様の香壇での祈り」 
0110の1



本日は、イエス様の香壇である「ゲッセマネの園」での祈り
特に十字架前夜の祈りを通して
私たちが、祭司として到達すべき姿を見て行きたいと思います。

神様は、天地創造の五日目で、空と水の生き物に対して繁栄を命じて、
幕屋五番目の器具「香壇」で仕える私たち祭司にの捧げる祈りが
聞かれるように、あらかじめ繁栄を準備をして下さいました。

1108の1

★創世記1:22 神はまた、それらを祝福して仰せられた。
生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は、地にふえよ。」


神様は創造主であられるのに、本当に謙遜なお方であり、
私たち弱く罪深く小さな人間の祈りと共に、
この地の歴史を造り上げてゆこうとされておられます。

神様の夢は、「祭司の王国」であったのです。

★出エジプト 19:5 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、
わたしの契約を守るなら、
あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。
全世界はわたしのものであるから。
19:6 あなたがたはわたしにとって祭司の王国聖なる国民となる。
これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」







・・・・・(1)私たちにある祭司の位・・・・

十字架以後の私たち信仰者は、ルターの言う通り、万人が祭司の資格を持っています。

★1ペテロ2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

イエス様は、天の父があまりにも人間を愛すので、罪と汚れに満ちた人間を父の子・父の民とする為に、残酷な十字架の血により人間の罪と汚れを贖いました。神は祭司の王国を望んでおられたので、神の民を得るためのとりなしの祈りをする「祭司」をも、十字架で生み出しました。

★黙示録 5:9 「あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、5:10 私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」

 ★御子のヴィジョン

ここにはっきりと、多くの民と、少数の祭司(王)がいます。神の王国は、神の民とそれを治める王がおり、王と祭司はセットになっていますので、この地に於いて祭司として生きた信仰者が、来るべき王国に於いて王となって、王の王であるイエス様と民を治めると考えられます。

私たち信仰者の全ては、「王である祭司」として召されているのですが、全ての信仰者が現在、祭司ではありません。私たちは、日々祈っています。特に困った時には熱心に祈ります。神様が祈りに答えてくださると約束しておられるからです。

★マルコ 「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

今お正月で多くの日本人は神社に初詣に行きます。クリスマスをイエス様の存在なく多くの日本人が楽しむように、必ずしも宗教心からではなく、イベントのようになっている面もありますが。真の神を知らない彼らが祈る祈りは、「家内安全、健康、商売繁盛、合格祈願・・・」などのこの世での幸福です。

しかし、真の神を知るクリスチャンが、これらと少しも変わらない祈りだけを毎日祈って一生を終えてしまうのならば、祭司であるとは言えません。これら、偶像礼拝の民が願っている事は、神の国と神の義を求めるのなら、添えて与えられるものです。

★マタイ 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(6:31何を食べるか、何を飲むか、何を着るか)はすべて与えられます。<

もちろん人間は弱い者ですから、衣食住のため、健康のため、経済のために熱心に祈り求めて生活する事は、謙遜で尊い生き方です。

しかし私;福田の場合、自分の心をよく見ると、自分と自分の家庭、自分の教会や団体など自分の周りだけの祈りが極めて切実であるのに対し、天の父の御心の成就を祈り求める事は、言葉だけの物になってしまっているように感じます。

大祭司であるイエス様は、私たちに「祭司」として神様の御心(神様の御国の御計画の実現)を、心の底から切に祈って欲しいと願っておられます。






・・・・・(2)祈りが答えられる聖い祭司となる・・・・

私たちが祭司となる為には、私たちが生ける宮として完成する事が重要です。私たちが自分を生ける宮として完成させる(ガラテヤ2:20)のなら、心の礼拝堂(聖所)で、自分自身がその自分生ける宮の祭司として、心の奥底(霊)の所で神の御座に座っておられる神様に向い、祈りの香を立ち上げる事ができるからです。

★出エジプト 25:8 彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む

イエス様こそが、私たちの間に、そして私たち自身の生ける宮の真中(霊)に住むために、クリスマスの夜に地に降りてくて下さいました。

★ヨハネ 1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。1:2 この方は、初めに神とともにおられた。1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

★ヨハネ 1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

しかし、私たちはイエス様を救い主として信じて神様の民、神様の子とされても、毎日の歩みの中に罪や汚れがないわけではありません。

イエス様の十字架で、罪や汚れが赦された身分となっても、日々の罪や汚れの思いや行動が全ての人にあります。罪赦された者として永遠の命を頂天国の住民になったのですが・・・。

体は救われて死んだら栄化されて霊の体となり、霊の所には神が聖霊として宿って下さっているのですが、心(魂)だけはまだキリストの身丈にまで成長しておらず、一生をかけた日々の聖化が必要です。その聖化されていない心から出た汚れた行動も、救われている信仰者にも充分にあり得ます。

★ローマ3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」

★詩篇★詩篇14:2 主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。14:3 彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。

しかし、祭司として生きるのならば、旧約の大祭司のように動物の血によって一年に一度だけではなく・・・、

イエス様の十字架の血潮によって、365日、24時間開かれている垂幕を通り、いつでも神の御座の御前(至聖所)でとりなしの祈りを捧げるチャンスがあります。

その時には、旧約の大祭司が祭壇でとったいけにえの血を携帯し、十字架を象徴する贖罪が終わったその直後でさえも、世の砂の上を歩いて付いた汚れを水盤の水で聖めたように・・・、

新約の祭司私たちもまた、聖所・至聖所に入る前段階として、常に十字架の血を確認して感謝し、世の歩みの中で付いた汚れを水で聖くなる事が必須です。なぜなら、聖くなければ神に近付く事も、至聖所に入って、神を見る事もできないからです。

 412mp12誌聖所の大祭司

★ヘブル 12:14 くなければ、だれも主を見ることができません。

★マタイ5:8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。

聖くある事とは、もちろん体と心で罪を犯したり、汚れたりしない事ですが、クリスチャンとなって何年も聖い生活をめざしている方は、大きな心と体の罪を犯す事は少なく、日々の悔い改めの祈りで聖められています。

しかし、天の父は表面的な罪や汚れだけではなく、良い行動、神様に対する礼拝や奉仕をする際であっても、心の中にある動機も見ておられて、この世の常識ではよしとされる面についても、聖を全うして神に近付いてくる事を願っておられます。

信仰者が神のための奉仕、人への奉仕をしているその心の動機に、どこまでも自分への何かを忍ばせようとするのが、サタンの狙いです。サタンは神だけを見つめて満足していたアダムたちに「善悪を知る知識の木の実」を食べさせて、自分を見させ、他人と比べるようにさせました。

神と人への奉仕、神への礼拝の中に、他の信仰者と比べて自分に栄光があるのかないのかが気になる時、危険な状態です。人間は目に見える結果だけを重要視しますが、神はその動機に注目します。

★Ⅰサムエル16:7 「人はうわべを見るが、主は心を見る。」

★ヘブル10:22 そ、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって真心から神に近づこう ではありませんか。








・・・・・(3)試練の中で神を見、祭司となったヨブ・・・・

ヨブは、神様が認める、当時の世界で一番素晴らしい信仰者でした。しかし、全財産と子供全員を一挙に取り去られると言う試練を体験しました。

それでも、神をのろわずにいたヨブを皮膚病が襲い、それだけでなく、全ての周りの人に軽蔑され、憎まれてしまう「四面楚歌」の「試練の荒野」に、一人きりで入りました。

★ヨブ 19:9 神は私の栄光を私からはぎ取り、私の頭から冠を取り去られた。・・・ 19:17 私の息は私の妻にいやがられ、私の身内の者らにきらわれる。19:18 小僧っ子までが私をさげすみ、私が起き上がると、私に言い逆らう。 19:19 私の親しい仲間はみな、私を忌みきらい、私の愛した人々も私にそむいた。

そこで、神に会いたいと切に願い求めている時、旧約時代にも拘わらず、イエス様の存在を把握しました。もちろん、肉の目で見たのではなく、心の目で確信しました。

★ヨブ19:25 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。19:26 私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。19:27 この方を私は自分自身で見る。私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。私の内なる思いは私のうちで絶え入るばかりだ。

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そして、とうとう神が嵐のなかから、ヨブに出会ってくださいました。
 
★ヨブ42:5 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。42:6 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。

神と出会い、ヨブが悔い改めた時、神様がヨブに祭司としての役目を与えます。

★ヨブ2:8 今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブのところに行き、あなたがたのために全焼のいけにえをささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈ろう。わたしは彼を受け入れるので、わたしはあなたがたの恥辱となることはしない。」・・・42:9 テマン人エリファズと、シュアハ人ビルダデと、ナアマ人ツォファルが行って、主の彼らに命じたようにすると、主はヨブの祈りを受け入れられた

神の国と神の義を真っ先に求めた時、ヨブは全てのこの世の祝福をそれまでの二倍も受けました。

★ヨブ42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。

神様は、富も、健康も、家庭も、環境も、信仰も、礼拝も、良き行いも、人格も、全てが豊かに恵まれて優っていたヨブを、試練と訓練の荒野に呼び出して出会い、悔い改めに導いて魂を聖め、祈った祈りが聞かれる義なる祭司へと成長させました。

私たちも、何か一つでも試練と感じる時、荒野にいる事を自覚し、聖霊に御言葉を照らしていただいて深く悔い改めて聖い者とされ、神様と一対一で出会い、神様の夢である人々の救いのために、天の御座の前に届く、義人の祈りを捧げる真の祭司となりましょう。

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★ヤコブ 5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。 

イエス様はいま、天の御座の神の右側で、大祭司としてとりなしの祈りを捧げておられます。ヨハネ17章には、十字架直前のイエス様が祈った「大祭司の祈り」が記されています。

以外は事に、イエス様の祈りの優先順序は・・・、
①ご自分の十字架の使命を果たした事によって、世の始まる前にあった栄光で神父子が輝くように
②弟子達を世から聖め分かってくださるように
③彼ら(弟子たち)のことばによって、神を信じる人々のために

十字架を全うして天におられる大祭司のイエス様はいま、二千年前に③で祈られた私たちもまた、イエス様の聖さの身丈に至って聖別されるを、未信徒の救いよりも優先して、父の御前に祈っておられるのではないでしょうか。

※私;福田は、一点の曇りもなかった世の始まる前の父子の栄光が、サタン(堕落天使)の出現とその影響を受けた人間の世に付く肉の思いによって陰りができ、イエス様が十字架で肉を裂かれてっ完全に肉体を死なせた事と、死の力に打ち勝った神が復活させたによりサタンに勝利し、世の始まる前の栄光が取り戻されたと言う事ではないかと考えています。

ですからこそ、神を信じた神の民がどれ程までに多数であったとしても、それだけでは充分ではなく、この世に付く肉の思い(プシュケー:魂の命)を殉教させて神の栄光を輝かせる本当に一握りの真の信仰者(レムナント;聖い祭司・十字架を負ってイエス様だけに従う真の弟子・しみもシワもない聖なる花嫁・・)の出現を、何にも先立って天の父子は待っておられるのではないでしょうか。特に再臨を迎えるいまの時に・・・

再臨の日、聖かったけれど信仰が幼くてサタンに騙されてこの地に降ろされたアダムたちと同じベビークリスチャンばかりが天国に戻って来ては、せっかく荒野に人間を降ろした神様の御計画が無になってしまいます。ですから、一人でも多く、真の信仰者として十字架に肉の思いを釘付けて死なせ、サタンに勝利する聖別された弟子の出現が急務です。

救われたベビー・クリスチャンは、永遠の中でイエス様の身丈に限りなく近付いて行く事になり、より多くの人々が救われる事が教会存在の第一義ですが、一人でも多くのイエス様に似た息子娘の誕生が父なる神様の大きな喜びで、その報いは永遠です。

★黙示録 22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、22:4 神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。22:5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。


イエス様のように、この世の富・名誉・栄誉を振り捨てて、それらとは比べ物にならない天での栄光の中に入れていただく事を願い、真の祭司として生きましょう。








エンディング



イエス様は、ゲッセマネの園の香壇で、十字架に付けられる前夜、神の御前に跪(ひざまづ)き、切なる祈り捧げました。そのあまりの苦しに、力づけに御使いが来るほどでした。

0110no.png

★ルカ2:39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山(マルコ;ゲッセマネの園)に行かれ、弟子たちも従った。22:40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。22:41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた

肉をまとっていたイエス様は、その引き裂かれる肉の痛み、全世界の罪を背負う苦しみ、アザゼルの山羊のように父なる神からも、弟子たちからも引き放される壮絶な孤独を忍耐しましたが・・・、

天の父の夢の実現を喜びとして、その結果に満足なさいました。

31一粒の麦キリスト

★イザヤ 53:10 彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。53:12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。

私たち人間には、イエス様のような想像すらできない十字架の苦しみを耐える事はできません。

しかし、私たちの肉の思い(世と世に付く思い・自分の栄光・世での栄光・自己実現欲・面子・・・・)を死なせて聖くされ、ヨブのように肉の思いの裂け目から、天の御座を見つめたいと思います。

御座の前に座り込み、自分の息子・娘の救いのためにだけ祈るのでなく、同じ熱心さで世界中の父なる神の息子・娘が救われるように、そして天の父が最も愛す長男・長女であるイスラエルの民の救いのために、とりなしの祈りを捧げる祭司となりましょう。



3ライン 









 ★花のライン17休憩
2013年1月17日(金)コチラに続きます。「聖所のまとめ」です。


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