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主の山に登ろう(5)「韓国の使命と日本の使命の違い」


1★十字架のライン
 

ライン15
「韓国の使命と日本の使命の違い」 

旧約聖書は今の時を預言して、主の山の頂上に登る様に教えています。

かつて、ノアが、アブラハムが、イサクが、ヤコブが、
モーセが、エリヤが、ダビデが・・・登った主の聖なる山に、
「終わりの日」間近い今の時は、私たちが登って行くのです。

★イザヤIsaiah
2:2 終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、
丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。
2:3 多くの民が来て言う。
さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう
主はご自分の道を、私たちに教えてくださる
私たちはその小道を歩もう。」
それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。


主が教えて下さる「小道」とは、
イエス様が十字架を担って登られた「十字架の道」ではないでしょうか?

イエス様の身幅だけの狭く、私たちが従うべき「真直ぐに御国に続く道」です。


天の父は、私たち教会にも国ごとに使命を与え、
小道を示して、最後の大リバイバルの頂上へ招いています。

 411の7

欧米は、命を捧げて宣教する宣教師を世界中に遣わして使命を果たし、
韓国も熱烈な祈りによって、自国の使命を充分に果たしました。
これからは、日本が使命を果たす当番です。

日本の使命は、山の高き位置にありますが、
上下でどちらが尊いと言う意味はありません。

私たち信仰者は、与えられた使命や結果の評価を気にするのではなく、
神様から与えられた、自分と自国への使命を果たす事を第一として生きるべきです。

この世に於ける約束の地(カナン)とは、再臨前リバイバルです。
私たち日本人信仰者が、その扉(垂幕)を開くのならば・・・、
世界中に聖霊の大傾注があり、御霊による大リバイバルが始まるのです。

 
 
 



・・・・・(1)韓国の文化と使命・・・・

 411bi1.gif

私は50歳になってから、韓国のリバイバルの秘訣を学びたいと、純福音(フルゴスペル)神学校に入学しました。

そこで、十字架の血の尊さや、幕屋の祈りを学びました。毎日授業が始まる前に短い礼拝があるのですが、そこで十字架の賛美(♪罪重荷を除くは血の力 ♪十字架の陰になど)が歌われずに礼拝が始まった事はありませんでした。

それ程までに十字架の血を称え、感謝し、その血に頼っての癒しの祈りによって大きくリバイバルして来た韓国の教会ですが、日本の使命である「十字架の死」に対する使命はなかったと、ペンテコステ神学の金サンマン教授は、「文化神学」の授業の中で語りました。

金師は、カール・ユンの心理学からの論説「無意識と繋がった土着化」の観点から、「各民族には、民族の歴史を伝わって遺伝してきた集団的意識の原型があり、その集団的無意識の深さにまで入って、福音を伝道しなければならない」と語り、それが「文化神学」であると言いました。

そして、その韓国人の無意識の深さにある彼らの必要を満たす分野を見出して伝道をしたのが、チョー師であると・・・。

チョー師は、自国の国民性に於ける問題点と願いを深く知り、その思いの中に育てられた民族に対する使命を見出しました。伝道を始めた時期には、国民の大多数が数々の戦乱や国の分裂によって悲痛な痛みや悲しみを体験し、個人も国も自尊心をなくし、病いや貧困で苦しんでいました。

かつて、チョー・ヨンギー師が「十字架の死(心と体の殉教)」についてメッセージをすると、会衆はシーンとして元気がなくなったそうです。その当時の韓国の使命にはなかったのです。

しかし、十字架の血による癒しを語り、実際に熱心に祈って人々が癒されると、人々が喜びのあまり教会に雲のように集まって来たそうです。

それは、韓国民族の潜在的に求めているのは『福』であって、メッセージで祝福を受ける話をしてあげると、皆が心から大きく「アーメン」と言って無意識の中から喜び、純福音の教会は爆発的に成長して行きました。

又、韓国の隠れているもう一つの原型的イメージは、国として侵略されてきた『恨み、哀しみ』の深いイメージがあり、ました。それを、金曜徹夜礼拝で、思いっきり大声で「主よー!」と叫んで心の恨みを晴らし、神の前で圧倒的な喜びに変わるので、この祈りの方法は韓国中に広まり、韓国全体を覆った祈り方となりました。。

また、大きな問題がある信徒には、断食しながら長期間祈れる祈祷院を作って、祈りによって人生に於ける様々な危機に勝利する道を開きました。そして、名誉を重んじる性質は、教会の中での熱心な奉仕による評価で各自が満たされ、今や韓国はキリスト教大国となりました。
 
 
 


・・・・・(2)日本の文化と使命・・・・

 411no2.gif

授業の最後で金師から、「日本でも無意識の中の遺伝的、文化的原型を見つけだして、その部分に訴える福音伝道の仕方を発見してゆくべきです。韓国の率直な民族性とは違って、日本人には本音と建て前があるので、大きな声で祈るのを恥ずかしがります。日本人には、「黙祷の祈り」が合っているのではないか‥‥」と、アドバイスがありました。

私たちも今、日本国民の心の奥底にある苦しみは何か、願いは何かを深く知り、それらを満たしつつ祈って行く事が、日本の使命を果たす事への道ではないかと思います。

また、韓国民族の願いは一言で「福」でしたが、日本人は「和」であるように思います。しかし、日本人の「主君のために命を捨てる心」がサタンに利用されて戦争に使われたように、日本人の長所であり願いである「和」も、「仲間はずれ」にサタンが用いる場合もあります。

私たち日本人が、自分達の使命である「垂幕:魂の命の殉教死」をして、天の御座の前で黙想の祈り(ダビデの幕屋祈祷)を捧げるのであれば、人間の愛ではなく、天の父の愛で人々が愛し合う素晴らしい教会となる事でしょう。

文化神学はともかく、イエス様は私たち弟子の候補に向かって語っています。

★マルコMark8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

私たち日本人には、この魂の命(プシュケー)を捨てると言う、垂幕を裂く使命が、クリスチャンにも、まだイエス様を信じていない人々(群集)にもあるのです。
 





エンディング


日本人が魂の命を一粒の麦として死なせてこそ、再臨前大リバイバルが始まります。日本の地には、世界第二位の多数の殉教者キリシタンの血が既に流されているのですから、大リバイバルが心の殉教を果たした時に始まるのです。

★ヨハネJohn12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。12:25 自分の(魂の)いのちを愛する者はそれを失い、この世でその(魂の)いのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。

 124の11

かつてない大リバイバルが始まる時、聖霊が全ての国の信仰者に注がれますから、全ての神を信じる民は、真のイエス様の弟子となり、魂の命も、体の命も捧げて全世界の宣教に出て行きます。

各民族がそれぞれ育てられた文化から来る長所の上に、聖霊の大いなる力が与えられて、最初の段階に於いては、東の果ての日本と韓国と中国とが手を結んで、西に向かって、イスラエルに向かって宣教に出て行くのではないでしょうか。

 411の5
 

★イザヤIsaiah59:19 そうして、西のほうでは、主の御名が、
日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。
主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。



3ライン 







 ★花のライン17休憩
2014年4月18(金)コチラからに続きます。
主の聖なる山における「十字架と復活の位置」についてです。 



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